第14話 全てが元に戻るとき

 そして、僕は間に合った。

 屋台が賑やかに立ち並び、アニメ系の音楽が流れる中、軍の若い兵士たちが満面の笑顔を浮かべて、出店の焼きそばなんかを子どもたちに振る舞っている。

 その帝国陸軍記念公園の隅っこに、岬さんは向坂と見つめ合って立っていた。そこに、僕は割り込むようにして駆け込んだ。

「あれ? 浅賀君、どうして?」

「ああ、間に合ったから、僕」

「間に合ったって?」

 よく晴れた朝の光が、眩しく降り注ぐ。地球の裏側ではまだ、血で血を洗う内戦が続いているが、その影響は日本まで及んでいない。

 夜半までのは、世界戦争勃発かとまで危ぶまれるほどの情勢だった。ところが事態は、誰ひとり予想もしなかった展開を見せるた。

 急転直下、何の脈絡も前触れもなく、関係国の会合が執り行われたのだった。

 出席した各国の代表者にしてからが、残らず、きょとんとして狐につままれたような顔をしていたという。

 それはそれとして、その結果。

 物騒なミサイルでの脅しは撤回され、日本も当面の派兵は回避された。薄氷の平和と言えなくもないが、一般庶民がつまらない諍いのとばっちりで命を落としたり離れ離れになったり、人生を狂わされたりするよりはよっぽどマシだ。

 そんなわけで、僕は何もかもが元通り……いや、やり直された世界に立っている。 

 明らかによそ行きの格好でキメてきたと思しき向坂……さんは、きまり悪そうに頭を掻いた。

「いやあ、そうじゃないかと思ったんですよね、あの時」

 あの時っていうのは、昨日、信夫ヶ森の稲荷神社でのことだ。男2人に挟まれた女1人、いわゆる「修羅場」って状態になったんだが、それはもう、笑えない笑い話になっている。

「いい大人がつまらない意地張ってしまって、すみません」

 学も金もあるのに、すごく気さくな人だという気がした。岬さんが素直に告白を断れたのも、そのおかげだろう。

「いいえ、私こそ、お気持ちに応えられなくて……何ていうか、子どもで」

 そうは言うけれど、僕から見ればドキっとするほど大人の対応だった。それを受けてか、向坂さんはいきなり踵を揃えて、ピシッと直立した。

「自分こそ、すこし冷静を欠いておりました。反省しております」

「向坂……さん?」

 いきなり態度が変わったのに岬さんは唖然とした。それは僕も同じだった。口もきけないでいる岬さんの代わりに、僕が訪ねた。

「いったい、どういう?」

「時局に思うところありまして、こちらへ」

 指差す先は、ミサイル基地だ。早い話が、大学院を辞めて軍に入るということだ。僕は、手を差し出した。

「焦っちゃったわけですね」

「分かります?  ……弟さん」

 そのひと言を聞いた岬さんは、怪訝そうな顔をする。

 僕と握手を交わす向坂さんはというと、悪戯っぽく笑っていた。その顔は、あの神社で最初に会ったときに戻っている。

 たぶん、あのときはもう気付いていたのだ。混線した電話の先にいたのが、僕であることに。もちろん、それがヨウコや妖狐たちの仕業だったことなど、向坂さんには知る由もない。

 しかし、神社での修羅場でも、なかったことになった事故現場に向かう車の中でも、向坂さんは敢えて何も言わなかったのだ。これには一本とられたような思いがしたが、おかげで僕も秘密を話しやすくなった。

「僕も、いずれは年季奉公しますから、いつ……」

 死ぬか分からない、という言葉は、呑み込んだ。なかったことにはなったが、実際に、向き合ったことだ。その恐怖は、身体の奥底に染み付いている。

 だが、向坂さんの言うことは、それとはちょっと違っていた。

「そうじゃないんです……待っている人がいれば、生きて帰ってこようって、思えますから」

 負けた、と思った。男の目から見ても、向坂さんは格好良かった。この一言で、岬さんが惚れてしまっても仕方がない。だから、ちらっと顔を眺めてみた。

 再び告白されてしまった岬さんは、恥ずかしそうにうつむいている。明らかに、僕の負けだった。

 だが、向坂さんはきっぱり言い切った。

「岬を……頼みます」

 岬さんが目を見開いた。僕も意外な一言に息を呑んだ。さらに、有無を言わせぬ言葉が続く。

「では、いずれどこかで」

 はっとした僕たちが何も言えないでいるうちに、向坂さんは自分の恋にきっちりけじめをつけたのだった。 僕も男として、最後の一言を受け止めた。

「生きてお会いしましょう」

 僕と、苦笑する向坂さんとを見比べていた岬さんは、ほっとしたような、それでいて納得できていないような、曖昧な表情を浮かべた。

「じゃあ、浅賀君、バイトはもう……」

 そこで口にしたのは、しどろもどろの一言だった。何かその場を取り繕うかのようで、岬さんらしくなかった。これについては、僕だってはっきりと言える。

「心配なし」

 視線を交わす僕たちに対して、向坂さんは思い切ったように、くるっと背を向けた。

「じゃあ、お元気で」

 さっと手を上げて挨拶しただけで、あっという間にその場から駆け去った。


 どうして、こんなことになったのか。

 簡単にいうと、時間が逆転したからだ。こんなことができるのは、この世に多分、1人……いや、1匹しかいない。

 妖狐のヨウコだ。

 僕が山の向こうの夕日に向かって叫んだ時、信じられないことが起こった。背中で薄らいで消えるはずの僕の影が、目の前にくっきりと現れたのだ。

 振り向いてみると、朝日が昇っている。そして、立ち上っていた煙は消えていた。スマホを確かめてみると、休校を告げるメールはそのままだ。でも、Webニュースを検索してみると、どこもかしこも危機回避の話題でもちきりだった。

 そのままといえば、足の痛みは治まっていなかった。捻挫した足はどうにもならず、僕は記念公園へと半歩ずつ歩かなくてはならなかった。

 着いてみると、ミサイルの暴発事故なんか影も形もない。なんだかイベントらしいものが始まっていて、顔を見たことのあるウチの高校の生徒たちが、空振りに終わった学校の待機指示を無視して私服でふらついていた。

 そこで僕が発見したのが、きっちり90°に頭を下げた岬さんと、きまり悪そうに突っ立っている向坂……さんだったというわけだ。

 こうして、何もかもが元に戻った。戻らなかったのは、ヨウコだけだった。

 僕はあの後すぐに、実家へ戻った。探し回ったけど、どこにもヨウコの姿はなかった。もちろん、信夫ヶ森にも探しに行ったけど、ムダに終わった。和泉の葛の葉狐の伝説をパクった別れ際の歌は、冗談でも何でもなかったというわけだ。

 そこで察したのは、もうヨウコはこの世にはいないということだ。なぜなら、契約に背いてヨウコに恋したのに、僕が死ぬことはなかったからだ。

 たぶん、時間を地球の半回転分だけ逆転させたせいだろう。昔話の女が命を差し出さなくてはならなかったように、ヨウコも妖狐の妖力を使い果たしてしまったのだ。死んだ相手との契約は続けられないから、当然、ペナルティもなかったことになったというところだろうか。


 これで、僕の妖狐……ヨウコとの恋の物語は終わりだ。でも、解けていない謎がいくつかある。

 なぜ、尻尾を出していないヨウコが岬さんには見えたのか?

 なぜ、向坂さんは岬さんの前から消えたり、たどりつけなかったりしたのか?

 そして、僕が倒れたとき家まで運んだのは、ヨウコでなかったらいったい誰なのか?

 それは、ずっと後に明らかになった。

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