第13話 ライバルを後に沈む陽を
「そんな足でどうして」
惨めなことに、僕をそんな言葉でいたわるのは、よりにもよって向坂だった。高そうな革張り内装の車で、足を挫いた僕を記念公園まで送ってくれるというのだ。
「いえ……岬さんが心配で」
「それは俺も同じだよ」
神社で会ったときと同じ、丁寧な口調だった。だが、一人称が「俺」というのはちょっと意外な気がした。
「今朝、一緒じゃなかったんですか?」
「何でそれ知ってる?」
言えるわけがない。足を挫いた事情と同じくらい、それは言えなかった。
僕はトラックのシートに何とか飛びつくことができた。足下も機械みたいに固いものじゃなかったから、落ちた衝撃で怪我をすることはなかった。むしろ、柔らかすぎたくらいだ。たぶん、ウレタンか何かが積んであったんだろう。
それが、かえっていけなかったのだ。落ちたショックで弾き飛ばされ、僕は固い歩道の上に叩きつけられた。飛び降りたときはまだ着地の姿勢を取ろうとすることができたけど、こんな不意打ちを食らってはどうにもならない。足の捻挫で済んでよかったのだ。
「今まで、どうしてたんですか?」
僕は質問を質問で返してはぐらかした。
車まで持っていて、告白した相手のところに、なぜたどりつけないのか。こっちは、散々だったのだ。
走ることはできなくなっても、僕は記念公園めざして足を引きずったのである。ただでさえそんなに足は速くないのに、歩みはいつもよりも遥かに遅くなった。一旦傾いた日は沈むのが早い。どんどん長くのびる影をただ見つめながら、僕は痛みと悔しさで歯を食いしばって歩いていた。
軍の車両が見えなくなって、一般車両用に開放されたと思しき道路に出たのだと分かった。そのとき、数珠つなぎに並んだ車の中から、僕に声をかけたのが向坂だったのだ。
「不思議なことがあるもんでね」
向坂は本当に不可解そうに眉根を寄せた。
「学校が休みになったからと言って、岬に呼び出されたんだ」
呼び捨てかよ。
ちょっとムカッと来たが、事情が知りたい僕は、黙って話を聞いた。
「こんなことがあった日だから、休校は無理もない。だけど、そんなときにふらふら出歩くような子じゃないんだ」
それは僕も同意見だ。だからこそ、用件も重大だったのだ。それは向坂も分かっていたことだろう。僕には絶対、言うわけがないが。
「ただごとじゃないと思って記念公園に行ってみた」
そこからが肝心だ。いなければ、今朝の電話が中断されたのは何かの間違いということになるのだけれど、どうやら、そうではなかったようだ。
「岬はいたよ。何か電話してた」
その相手は僕だ。その時、何が起こったかというのが問題なのだ。
「それで?」
「気が付いたら、僕は記念公園から離れたところに停めた車の前にいた」
全く動かない前の車に向けて、苛立たし気に車のハンドルを叩く。クラクションを鳴らさない辺りは、マナーと言うべきだろうか。
「昨日と同じだ、知らないうちに飛んでもない所にいたり、どれだけ走っても同じところをぐるぐる回ってたり、まるで狐に化かされたみたいだ」
まさか、ヨウコがと思ったけど、今は実家にいるはずだ。ノロノロ走る車の中と窓の外を眺め渡してみたけど、それらしい様子はない。服の中から出した絵馬を眺めてみたけど、何も書いてなかった。狐ネットワークもお手上げなのだ。
「随分と大きなお守りだね」
向坂が気を取り直そうとするかのように、明るく気さくに話しかけてきた。
「ええ、実家の」
とりあえず、そう答えたのが墓穴だった。
「岬とは、どういう関係?」
その話に戻ってくるとは思わなかった。僕は身を強張らせたけど、思い切って口を開いた。
「僕は……」
「別にいい、今の見れば分かる」
そう言うなり、向坂は車を渋滞した道の路肩に止めた。割りこまれた後ろの車が、けたたましくクラクションを鳴らす。
「降りろ、たぶん、公園にはたどり着けない」
「どうして?」
向坂の顔をみると、僕を小馬鹿にした様子はない。むしろ、まっすぐ前を真剣に見つめている。
「さっきと同じ場所だ」
窓の外を見ると、向坂に拾われた場所だった。
「行ってみるんだね。もしかすると、歩いたほうが確実かもしれない」
僕は言われるままに車を降りた。時間が惜しかったのだ。
「ありがとうございました」
とりあえず礼を言うと、穏やかな声が重い響きを込めて、こう告げた。
「岬の両親は、公園の辺に埋まっていた不発弾の爆発で死んだ。そんな理不尽なことで天涯孤独の身となったことが、ルーツという揺るぎないものを探し求める動機になっているんだろう。そこらへんを受け止めてやらないと、岬の心の闇は救ってやれない」
向坂が言い切ったとき、僕の頭の中で2つのイメージが結びついた。
岬さんが消えた後に見た、軍のポスターについた拳の跡。
メリケンサックでも嵌めたかのような、指の付け根の擦り剥き痕。
両親の死に関わる全てのものへの怒りなどという激情が岬さんんに隠れているのかどうか知りたくて、僕は向坂に向かって振り向いた。
「あの……」
車の窓に遮られて、たぶん、その声は聞こえなかっただろう。後ろの車からクラクションを鳴らされながら、向坂はゆっくりと自分の車を前に進めた。
挫いた足を引きずって、僕は歩いた。西から指す日差しが、僕の身体を長い影にして歩道に映し出す。軍関係の車が何台も、そのそばを通り過ぎていった。爆発事故の処理に向かう車両なのだろう。後を追えば、必ず岬さんのもとへたどりつけるはずだ。爆発事故に巻き込まれた記念公園に。
いや、ある意味では、たどりつけないほうがいい。岬さんが、最初からそこにいなかったというのがいちばんいい展開なのだ。
遠くに高く立ち上る煙が見えているのは、たぶん、そこに事故現場があるからだろう。どうか、別の場所に無事でいてほしい。
電話とメールを両方試してみた。返事は迅速だった。
「この電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が……」
〈Your Mails are Undelivered〉
やっぱり、歩くしかない。だけど、そっちへ歩くにつれて、僕の影はだんだんと薄くなってくる。もうすぐ、日が沈むのだ。先へ行こう行こうと気持ちは焦るのに、足はちっとも前に進まない。
息が苦しくなってきた。
このままでは、岬さんに会えないままで僕は死んでしまう。昨日の言葉を取り消せないまま、本当の独りぼっちにしてしまう。
向坂は、思ったよりいいヤツだ。岬さんのことをよく分かっている。将来性もある。告白を断らなければ、もう、独りぼっちになることはないのだ。
だから、もう少し時間が欲しかった。せめて、岬さんのもとにたどり着くまでの……。
そこで、頭の隅っこに浮かび上がった昔話があった。死ぬ間際の、この切羽詰まった状況で思い出すものじゃないという気がしたが、人間の心というのは、そういう無駄な働きをするものなんだろう。
昔、地主から多くの借金を抱えた女が、そのカタに田植えを手伝うことになった。任された田に苗を1日で植えたら、借金は帳消しという約束だった。女は死に物狂いで田植えをしたが、あとわずかというところで、日が沈みかかった。
女は夕日に向かって叫んだ。
「戻せ、戻せ!」
女の一念が通じたのか、夕日は少しだけ、沈むのをやめた。その間に女は田植えを終えたが、その場にばったり倒れると、事切れた。
やがて日が沈んだが、そのとき、女は一羽の小鳥となって何処かへ飛び去ったという。
「鳥に、なって、飛んで、いきたい」
足を半歩ずつ引きずりながら、僕は暗い色をした軍の車両が走り抜ける歩道を這うようにして、一言、一言つぶやいた。辺りはじんわりとした夕日の光に包まれて、今にも薄い夜闇が滲んでくるように思われたからだ。
煙は、かなりはっきり見えてきた。岬さんは、まだそこにいるのだろうか? それとも、もう病院だろうか。
それとも……。
今まで避けてきた、最悪の予想が頭をよぎった。
もう、死んでいる?
「そんな、ことが、あるもんかああああああ!」
全身の力を振り絞って叫んだ。そうしないと、さっき考えたことが現実になるような気がしてならなかった。
もう、こんなことしかできない。でも、このくらいで済むなら、何度でも叫んでやろうと思った。僕は、日が沈むまでは絶対に死なないのだから。
それでも、僕は煙の根元まではどうしてもたどりつけなかった。いや、帝国陸軍の記念公園はそのずっと手前にあるはずだった。たくさんの車両が行き来しているのは救護や死傷者の搬送のためなのに、僕自身は近づくこともできないのだ。
それでも、僕は叫び続けた。
「岬さんは、まだ、生きてる! 僕が、死んでも、生きてる!」
「幸せに、なるんだ、これから、ずっと!」
普段ならこっ恥ずかしくて絶対に言えないような言葉を、僕はわめき散らして歩いた。そうしている間は、足の痛みを忘れることができた。全ての絶望を振り払うことができた。ありがたいことには、ひっきりなしに交差する軍の大型車両の轟音が、僕の声をかき消してくれた。
それでも、無情に日は沈んでいく。どこまでも細長く伸びた僕の影が薄れていく。目の前がぼんやりと暗くなっていくのは、疲れのせいだけじゃない。
もっとも、日が暮れたら、僕の意識は命と共に消えてなくなるんだけど。
「そんなのは、イヤだあああああ!」
僕は激痛を通り越して感覚のなくなった足の踵をくるりと返した。夕日は遠くの山の彼方に消えてしまったが、空はまだ明るい。まだ、沈んではいないはずだ。
だから、僕はそれを呼んだ。
「戻って、こい! 戻って、こい! 僕が、岬さんの元にたどりつくまで!」
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