第11話 ちゃんと食べましたよ

 そこからは、何となく時間を持て余すような、そんな空白の時間が流れました。私がタクシーを呼んで居酒屋前で待っている間、ピーベリー奥の店員さんは、私から一歩離れた所に立って、一緒に待っていてくれたのです。まあ、こんな歓楽街に女性をひとり置いて帰る訳には行かなかったようです。


 ピーベリー奥の店員さんは時間を気にしてか、時々腕時計に目をやって、時間を確認しているようでした。私は思い切って、奥の店員さんにたずねてみました。

「何か、待っているんですか?」

「いえ、タクシー遅いな、って……」


 また沈黙が訪れます。気まずいという訳ではないのですが、何かこう、ちょっとした会話をした方がいいのかな、と余計な気の仕方をしてしまっていました。

 お互いに視線を交わすこと無く、その視線の先には、喧騒に包まれた街がありました。背広姿のサラリーマンが足早に駅に向かっている姿や、途中の居酒屋の前で客引きをしている店員さんの姿など、ザワザワした情景が目の前を通り過ぎて行きました。まだ終電には早い時間帯ですから、騒がしいのも当然ですね。


 そんな時に、ふと不思議に思った事が頭の中をよぎりました。言おうか言うまいか、一瞬迷いましたが、ちゃんと言葉にしてみようと決意しましたので、ちゃんとピーベリー奥の店員さんにたずねてみました。

「そう言えば、ちゃんと食べてました?」

「え?」

 思ってもない所からの質問だったのでしょう。ちょっと間の抜けた返事が返ってきましたので、改めて質問をし直してみました。

「今日の飲み会、ちゃんと食べてないように見えましたよ。大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。ちゃんと食べましたよ。正確に言えば、烏龍茶2杯に水菜の茎一本」

 彼は平然と言ってのけたのです。私はあきれてしまいました。

「それ、『食べた』って言わないですよ。いいように使われただけじゃないですか」

「これがいつもの事なんですよ。いつもこう……」

 そんな返答をするピーベリー奥の店員さん、腕組みをしながら遠い目をして、私の質問に答えてくれたのです。不躾かもしれませんが、私は彼が、なんだか可哀想に思えてしまいました。こうやっていいように扱われてるのが日常だなんて、彼の周りの人たちは、彼の人としての尊厳とかは考えられないのでしょうか。







 それでも時間は過ぎて行くものですから、私が呼んだタクシーが、私の目の前に到着しました。無機質な「ガチャリ」という後部座席のドアの開く音がして、私を迎え入れてくれます。

「じゃあ私はこれで」

と言って一礼し、タクシーの後部座席に滑り込んで行き先の自宅近くの住所を告げると、「バタム」とやはり無機質な音がして、タクシーのドアが閉まります。そしてエンジンの回転音が高まると同時に、ゆっくりと車体が前に進み出て、風景が後ろに流れて行きます。

 ピーベリー奥の店員さんは、タクシーが動くまで待っててくれて、タクシーが動くと同時にきびすを返して、コーヒースタンドがある六丁目への方角へと歩を進めました。

 私はその一連の動きをタクシーの窓越しに見ていて、「あれ?」と思ったのです。確かに飲み会が始まる前まで、奥の店員さんはお店『ピーベリー』で、何か作業をしていた様子でした。そして時間も気にしていた。これらの事を総合すると、これからお店に戻って、さらなる作業の続きをするのだと、ピンと感じたのです。


 コーヒースタンドでの、コーヒーにまつわる深夜での作業。一体何なのか、ちょっと、いやかなり気になってしまいました。それと同時に、そんなにも忙しいのに飲み会に参加させ、さらに言ってしまえば注文管理や料理の取り分けなど、思いっきりコキ使ってしまっていたのですから、申し訳なさでいっぱいです。


 こうなってしまうと、『コーヒースタンド・ピーベリー』には足を向けて寝られません。何かで恩返しをしないとマズイ。私はそう思ってしまいました。





 また明日もコーヒーを買おう。そう心に決めた、タクシーの中でした。

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