第6話 魔物




 太陽は、まだ上空で輝いているらしい。

 当初よりも木漏れ日の白い光が強く差し込んでいる。

 だが、ほんのりと湿り気の増した空気は、着実にオウルの体力と気力を削ぎ落としていた。


「あー、もう疲れたぁ……」


 袋から取り出した外套を地面に叩き付ける。

 そして、そこへ腰を落としたオウルは、心底草臥くたびれたような声を上げた。


「六百ケイル貰うためには最低でも四十枚……無理だろこんなん。死ぬわ」


 あれから、腹の虫が鳴るまで歩き続けたにも関わらず、集まったハダル草は僅か二十枚。

 一日目で終わるだろうと高を括っていただけに、溜息を吐くことしかできないでいた。


「これだったらドブ掃除やら家畜の世話を手伝うなりすればよかったか……」


 どんなに喚き立てても後悔先に立たず。

 手足を投げ出し、有り金を全て溶かしたような顔になったオウルは、ポツポツと独り言を続けた。


(こんなことならクランにでも入れば……)


 そこで不意に少女ミリアと繰り広げた一連のやり取りが脳裏に蘇った。

 あの少女は今、どうしているのだろうか。

 まだ、落ち込んだままでいるのだろうか。

 それとも、何とか持ち直してギルドの依頼でもこなしているのか。

 もしも落ち込んだままだったとすれば、今からでも遅くはない。

 もう一度クランのことについて話し合うか。

 そこまで考えて、


(……いや、ダメだ。それだけは絶対にダメだ)


 彼女を、巻き込むわけにはいかない。

 頭を振り、誘惑にも似た甘い考えを追い出したオウルは、後ろへ倒れ込むと同時に大きく息を吐き捨てた。


「依頼、もっといいヤツ選べばよかった……」


 どこからともなく風が吹いてくる。

 梢が擦れ合い、葉は囁き合う。

 森の中へ響く自然の声を聞きながら、そっと瞳を閉じる。

 そして、そのままゆっくりと迫りくる深淵へと意識を委ねてしまおうか――と思ったその時のことだった。


「……っ!」


 遠くから小さなさざめき。

 それに反応した体が、僅かに跳ねた。

 すぐに身を起こし、緩んでいた目を瞬時に鋭くしたオウルは素早く口を動かした。


「『探知サーチ』」


 咄嗟に紡がれた言葉。

発動したのは周辺を探るための魔法。


(どこだ?)


 オウルの体から溢れた半透明のモヤ――又の名を『魔力』と呼ばれる力が瞬く間に広がり、周囲一帯を埋め尽くした。

 木、草、枝、石、そして、土。

 あらゆるモノの輪郭が薄くなり、魔力に当てられたそばから淡く蒼い光が次々と放たれていく。


(もう少し奥か)


 蒼い光に包まれ、まるで透視しているかのように透き通った茂み。

 その向こう側へ目線を動かしたオウルは、小さく浅葱色の目を細めた。


「これは……」


 視線の奥に捉えた一つの影。

 僅かな逡巡の後、『探知』を解除したオウルは、すぐさま立ち上がった。


「『強化ブースト』」


 巡回していた魔力が、体へ纏わりつくように包む。

 斜に構え、敷きっぱなしの外套を左足で踏みにじったオウルは、体の何かが切り替わったのを自覚した。


(来る……!)


 何かの気配が近くなった。

 右手を開閉して、体の調子を確かめるオウルの目に警戒の色が走る。

 そして、茂みの向こう側へと視線を戻した瞬間、




「ウギィアッ!」

「おっと!」




 茂みの奥から飛び出すと同時に、細長い腕がオウル目掛けて振り下ろされた。

 狙いは、白い髪の揺れる頭。

 喰らえば昏倒してもおかしくない程の怪我を負いかねない威力。

 しかし、その何かを左腕で難なく受け止めたオウルは、突如襲ってきた『ソレ』に瞠目しつつ、張り詰めていた左足を横薙ぎに振り抜いた。


「グギャァ!?」


 オウルの放った一閃が、『ソレ』の体を吹き飛ばした。

 的を射抜く矢の如く、木の幹へ打ち付けられた『ソレ』の口から苦悶の声が上がる。

 その様を、遠目に見ていたオウルの口から小さな息が吐き出された。


「オランザールか」


 逆立った赤茶色の体毛に覆われた一頭身のような丸い体。

 そこから伸びた長い腕は、妙に隆起している。

 オウルへ奇襲を仕掛け、返り討ちにされた『ソレ』の正体。

 それは『オランザール』という猿の魔物だった。


 ギルドによって指定された危険度は『Cクラス』。

 硬い外殻に覆われた木の実さえも容易く握り潰す握力に、人間にも劣らないチームワークを誇る集団力。

 それらが合わさり、かつて多くの駆け出し魔法使いを苦しめたことから『新人殺し』とさえも呼ばれた魔物だ。


 と、オランザールのことを思い返したオウルの脳内へ、不意に疑問符が浮かび上がった。


(そういや本来なら一匹で動き回るようなヤツじゃないはずなんだが……)


 無様に這いつくばったものの、おもむろに立とうとするオランザール。

 その動きを視界の端で捉えながらも、オウルは首を傾げた。


 基本的には森の奥地に住んでいるとはいえ、オランザールも本能を宿した魔物。

 空腹になれば人里へ降りてくることもあれば、縄張りへ侵入してきた人間へ攻撃してくることだってある。

 だが、有体に言ってしまうと、オランザールは個々の強さだけを見れば中の下もないような弱さをしている。

 それ故に、オランザールがで活動するのはありえない、とされていたはずだった。


「なーんか嫌な予感がするな……ん?」


 思わず独り言を呟いたところで、オウルは飢色の濃い視線が突き刺さっていることに気付いた。

 視線を返した先には、ようやく立ち上がったであろうオランザール。


(げえっ……)


 露骨に、オウルの顔が歪んだ。

 体を大きく震わせたオランザールの小さな顔に、激怒の炎が彩られている。

 恐らく、野生特有の闘争心に火が付いたのだろう。

 浮かび上がった疑問を頭の隅に追いやり、目の前にある脅威を退けようとオウルは左手を伸ばした。


「グギィア!」


 オウルの動きを開戦の合図と受け取ったオランザールが地を蹴った。

 落ちていた枯れ葉が空へ舞い上がり、蹴られた土が小さな飛沫を上げる。

 勢いよく、軽やかに飛び出したオランザールが、あと一投足のところまでオウルへ肉薄して、



「『水よウォート』」

「グゥッ!?」


 それよりも早く、地面から伸びた水がオランザールの足を拘束した。

 肉薄を止められた体が前のめりに投げ出され、握り締めた拳が地べたへ強く突き立てられた。


「グギッ!?」


 腕を地面に刺したまま、違和感のある足元へ目を落としたオランザールが隠しきれない動揺を露わにする。

 そんなオランザールの元へ、ゆっくりとオウルが歩み寄った。




 その手に、水の塊を籠手のように宿して。




「悪く、思うなよ」


 そう静かに言葉を紡いで、




「グガアッ!?」




 動きの鈍くなったオランザールの胴体へ、水を宿したオウルの右手が突き刺さる。

 肺から空気が飛び、意識が遠のいていく。

 間を置くことなく暗くなる視界を最後に。

 オランザールの目が捉えたのは、どこか悲しそうな顔を浮かべた獲物オウルの顔だった。







 ☆☆☆







「っ、ビャー! うまいー!」


 飛び交う大声。

 留まることを知らぬ喧騒。

 その最中でジョッキをテーブルに叩き付け、歓喜の声を上げたのは白い髪にややくすみの入った青年――オウルだった。


「あぁー、ジュースがキンキンに冷えてやがる!」


 氷とオレンジ色の液体が入ったジョッキが、カランと音を立てる。


「あぁぁぁあぁ、肉だぁあぁあぁあぁあ……」


 亡者のような正気を失った瞳の先に、質素な小皿が一つ。

 その皿へフォークを伸ばし、先端に生焼けの肉片を刺したオウルは、それを恍惚とした表情で口の中へ迎え入れた。


「飯が美味いぃ……生ぎでで良がっだぁ……」


 確かな歯ごたえと、塩味の効いた食欲を誘う刺激。

 久方振りのまともな食事。

 しかも、自腹を切った上での滅多にない御馳走を前に、ほとんど泣きながら舌鼓を打っていた。


(今日からお前はソウルフードだ)


 くだらないことを全力で考えるオウル。

 前にも美味なモノを食べたような気がするが、きっと気のせいだ。

 肉片を三つ四つと突き刺し、まとめて口の中へ放り込んだオウルは、押せば押し返してくる肉の弾力を味わいつつ目を閉じると、強く両手を打ち合わせた。




「……ごちそうさまでした」




 一瞬の静寂。

 すぐに目を開け、両手を離してからオウルが上体をテーブルに投げ打つ。

 どこか情けないその姿は、しかし、いつものらしい姿と言えばらしい姿だった。




 あれから、蒼かった空を夕陽が焼く中で、ヒルグリフへと帰還したオウルは真っ先にギルドへ向かった。

 生憎とハダル草を目標数まで集めることはできなかった。

 だが、降って沸いた臨時収入のおかげで余裕を得たオウルはそのまま達成報告を行って、その日の依頼を終わらせることにしていた。


「いやぁ、案外何とかなるもんだなぁ」


 臨時収入があったとはいえ、金欠自体が解決したわけではない。

 それでも、充実感に満ち足りている今のオウルには関係のないことだった。


「後は宿探しか」


 脱力した手足がだらんと垂れ下がる。


「んーむ、相談窓口で頭下げるか。それとも酒場の方に行って頭下げるか……」


 和気藹々あいあいと馬鹿騒ぎに興じる人々を見ながら、憂い顔で物思いにふけるのも束の間。


「……見つかるまで探すのが良さげだな」


 結局、選ばれたのは徒歩での散策だった。

 体を重そうに起こす。

 そして、おもむろに席から立ち上がり、袋を肩に掛ける。


(どうか野宿になりませんように、っと)


 ゆっくりとギルドの出入り口へ向かったオウルは、そのまま、薄暗くなった街へと繰り出して行った。



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