第5話 マギラの森
確か、その日は初めてのクランに来た時のことだった。
――は、初めまして! アリ、アリアリ、アイリス・フェラリミルです! よろ、よそしくお願いします!
あまりにも滅茶苦茶な自己紹介をしたのは、金色の長い髪を一本に結わえた少女。
みんなして大笑い、とまではいかないものの、それぞれがおかしそうに腹を抱えた。
けれども、ぎこちない笑顔を浮かべつつ頭を下げるその姿は、思わず微笑んでしまうくらいには愛嬌があった。
そして、今まで見たことがない程に、純粋で無垢だった。
――す、すごい! すごいすごい! こんなに魔法が使えるなんて! すごい!
魔法を教えて欲しい、とせがまれて。
言われるがままに放たれた魔法を見て、手を打ち鳴らし、目を輝かせながら興奮する姿は今でも覚えている。
あまりにもはしゃぐものだから、自分も気づかぬ内に調子付いてしまったのは、きっと若気の至りだ。
そして、見た目通りに、優しくて、繊細だった。
――私……私も、いつか、皆みたいな魔法使いになれたらいいなぁ……
星々が煌めく夜空の下。
珍しく肩を落としていた少女は、今にも泣き出しそうな表情で、羨望の眼差しを潤ませながら、悲しそうに呟いた。
あまりにも落ち込むその姿につられて、どことなく自分までも気分が落ち込んでしまったことを覚えている。
そして、
そして――
「…………朝か」
目覚めは、嫌な心の騒めきと共に。
僅かに持ち上がったまぶたの中へ、差し込む純白の光明。
ゆっくりと、重そうに体を持ち上げたオウルは、周囲を見回してから呟いた。
「ここは……」
小汚い地面。
挟み込むように立つほんのりと煤けた壁。
お世辞にも綺麗とは言い難いその場所で、不意にあっと気の抜けた声を上げて手を打った。
「そういえば俺、野宿してたんだっけな」
一人で納得したオウルは、壁に右手を押し付けると、大きな溜息を吐きながら気怠そうに立ち上がった。
そして、敷物代わりにしていた外套を拾い上げた。
「……」
何の気もなしに裏返した外套の、黒色でも誤魔化せないほどの汚れ。
それと同時に、ふと昨日の出来事が脳裏を掠めた。
夢に出た懐かしい少女と、あまりにも姿の似ていたミリアという少女。
すすり泣く小さな声が、未だに耳へとこびりついているようにも思えるのは気のせいだろうか。
どこかやるせない気分になったオウルは、げんなりとした表情で外套の汚れを叩き落とした。
「はぁ……どうすっかなぁ」
せっかく、いい街を見つけたと思ったのに。
困り顔をしたオウルはわしゃわしゃと激しく頭を掻いてから、まだ少し汚れの残った外套を詰め、小さく膨らんだ袋を肩に掛けた。
「……とりあえず、ギルドで少しでも金を稼がねぇっと」
憎いくらいに空を輝かす太陽。
その眩しさを誤魔化すかのように手をかざしたオウルは、これからのことを思って重い溜息を吐き捨てたのだった。
☆☆☆
ギルドの主な業務として挙げられる『依頼の斡旋』。
その依頼というものには難易度指定、つまり階級が二つある。
一つは『ランク』。
魔法使いの実力を示す指標で用いられている『ランク』は、物資の採取や特定地域の調査、果てには街のゴミ拾いや物の運搬などといった個人でも解決できるような依頼に付けられることが主だ。
実際に比較的受注される依頼の件数を見てみると、ほとんどは『ランク』指定であることが多い。
ただし、余程の大仕事でない限りは基本的に報酬が少々心許ないという短所がある。
二つは『クラス』。
魔法使いのグループであるクランの実力を示す指標で用いられる『クラス』は、魔物の掃討や護衛任務といった個人での解決が困難、あるいは不可能な依頼に付けられる難易度だ。
ランク指定の依頼程ではないが、報酬の良い依頼が多い傾向にある。
だが、クラス指定の依頼は当然のこととして『クランに加入していること』が前提となっている。
加入していなければ、どんなに報酬が良くても依頼を受けること自体ができない。
それは、朝一番からギルドへ赴き、依頼が多く貼り付けられたボードを前にして唸るオウルさえも例外ではなかった。
「くっそー」
渋い顔を浮かべ、悔しそうな言葉を溢した視線の先には一枚の紙があった。
中身は『マギラの森における魔物の出没調査』、報酬は『一人に付き千二百ケイル』。
魔物というのは、この世界に満ちている魔法の元となる『魔力』によって変異した動物のことだ。
基本的に動物よりも強く、まともな武器や魔法がなければ退治するのも難しい。
しかし、慣れていれば討伐することの難しい相手ではない。
そう考えると、討伐するどころか物見遊山気分で森を散策してからギルドに報告するだけで千二百ケイルという大金を報酬として得ることができるこの依頼は凄まじいモノだろう。
破格、などという言葉が生温いくらいの超優良依頼だ。
だが、オウルはその依頼を前にしても手を出すことができないでいた。
「何でクラス指定にしてあるかなぁ」
そう、その依頼の難易度指定は『Cクラス』。
Cクラスはクラス指定の依頼の中では下から二番目とそこまで高くもない。
ところが、どこのクランにも所属していないオウルには、背伸びをしようが札束で受付の人間を叩こうが到底受けることのできない条件が設けられた依頼だったのだ。
「……しゃあねぇ。適当に草むしりでもしておくか」
困り気味に頭を掻く。
しばらくして、目に付いた適当な依頼用紙を剥ぎ取ったオウルは、それを持って受付窓口のあるギルドの奥へと向かった。
「すんません。これ、お願いします」
人混みを流れるように抜け、年期の入っていそうなカウンターテーブルへ肘を乗せて一言。
それに対応したのは、まだ年の若そうな可愛い受付嬢だった。
「はーい。あ、ライセンスカードがあればカードもお願いしますねー」
「あい、あいさーっと」
テーブルの上に出された依頼へ手を乗せた受付嬢が、笑顔と共に催促の言葉を追加した。
それに答えたオウルはポケットからライセンスカードと呼ばれるカードを取り出すと、それもテーブルの上へ置いた。
「確かに受け取りました。ちょっと待っててくださいねー」
手を伸ばし、テーブルに置かれた物を回収した受付嬢はそう言うと、やや椅子を後ろに引いてカウンターテーブルの下を覗き込んで何かを探し始めた。
「えーっと、どこだったかなー」
「……なんか手際いいっすね。まだ若く見えるのに」
「そうですか? あ、ナンパとかなら結構ですよ。彼氏ならもう間に合ってますので」
「えっ、彼氏いるの?」
「いますよー。五人くらい」
「ファッ!?」
「お、あったあった」
突然の暴露に、オウルの思考回路が破壊された。
そのせいか口を開け、呆然と間抜け面を浮かべていたオウルだったが、流れ作業でもするかの如く彼氏事情を暴露した受付嬢はそんなことなど気にも留めずにテーブルの下から書類の束を引っ張り出して、ペラペラと目を走らせた。
「えーっと、オウルオウルオウル・ソフィリアナ……はい、確認が取れましたのでどうぞ。期日は今日を含めて三日ですねー。頑張ってください。……って、どうかしましたか?」
「えっ? あ、いや、彼氏が五人って……」
「皆には合意させたので大丈夫ですよ。あ、でも恥ずかしいのであんまり誰かに言わないでくださいね」
「アッ、ハイ」
どことなくぎこちない動きでカードをポケットへ戻し、依頼を袋の中へ押し込む。
気を付けてくださいねー、とにこやかな表情を浮かべた受付嬢へ生返事をしたオウルは、信じられないモノでも見たかのような表情のまま受付窓口から離れた。
(最近の若い子は未来に生きてんなぁ……)
次元が違い過ぎる。
あまりの衝撃に、思わず感嘆の声が零れた。
五股を掛けた上で、しかも、その全員から合意を得る。
自分には到底できない所業だな、とギルドの出入り口へ向かったオウルは扉を押し退けつつそんなくだらないことを考えたのだった。
☆☆☆
ヒルグリフの正門から西側へ十数分歩いた場所。
そこには『マギラの森』と呼ばれる森林地帯が広がっている。
高く伸びた木々に、青々と茂った草。
天井は木々の瑞々しい葉で覆われており、下には折れた小枝や枯れた落ち葉が敷物のように散らばる。
そんな鬱蒼とした森は今日も今日とて梢や虫のさざめきを奏でつつ、自然の絨毯の踏み分ける足音を響かせていた。
「えっと、ここら辺だったような……お、見っけ」
道なき道の途中で足音が止まった。
足音の主――オウルはよくよく育った草むらの前に屈み込むと、緑色の中に混じっていた鳥の羽のように細い黄色の葉を選り分けた。
「この調子ならすぐにでも終わりそうだな、っと」
一枚、また一枚。
オウルが慣れた手付きで千切るソレの名は、『ハダル草』という。
すり潰せば傷に効く薬。
火で燃やせば虫よけ。
おまけに魔力をそこそこ含んでいる上に、寒いところでなければ生命力が雑草と同等。
そのためか、身分や職業を問わず多くの需要を誇る物としてそれなりに重宝される草でもある。
なお、農家の人間からは畑荒らしとして蜥蜴の如く嫌われている。
「これで全部っぽいな、うん」
その場に立ち上がり、十枚のハダル草を紐で一束にしてからそれを袋から取り出した木筒に入れる。
今朝オウルが受けたのは、このハダル草の収集を目的とした採取の依頼だった。
難易度指定は『Eランク』。
報酬は『一枚につき十五ケイル』。
明らかに労力に見合わない依頼だったものの、朝早く出立したことが幸いして時間にはかなりの余裕がある。
木筒を袋へ戻したオウルは周囲の草むらを見回しながら鋭く目配せした。
(他にハダル草は……なさそうだな)
ハダル草は手軽に集めることができる。
故に、ハダル草の採取依頼を受ける人間が多く、街から近い場所や森の浅いところでハダル草を見つけるのは実は難しいことだ。
一面緑の草むらに溜息を吐いたオウルは、仕方なく歩みを再開することにした。
「とりあえず飯代は五十ケイルあればよくて、宿に泊まるんだったら三百ケイルは必要で……」
目線を上に向け、脳内の勘定に合わせて立てた人差し指が小刻みに動く。
そして、時折目に付いたハダル草を立ち止まっては引き千切る。
昇った陽射しはまだ高い空から差し込んでいる。
簡単なはずの依頼は、まだ終わる様子がなさそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます