第3話 邂逅




 いつも生意気だ、と人々から言われていた。




 我が儘だ、とあまり好きではない親からは何度も叱られた。

 だからこそ、自分が生意気で我が儘な性格をしていることは自ずと理解していた。

 しかし、今回はその頑なな性格が満を持した、と言わんばかりに災いしてしまった。


(うっ、やばっ!)


 目の前の男が腕を振り上げた。

 対峙していたつもりの少女は、咄嗟に顔の前を手で覆うと、その陰でグッと唇を噛み締めた。


(こんなことなら皆と一緒にギルドへ来ればよかった!)


 そうすれば、こんなことにはならなかった。

 脳裏に過った親友たちの姿を想いながら臍を噛む。




 少女は、新米同然の魔法使いだった。

 牛を連れ、二時間ちょっとの散歩道を歩いているような田舎から、『一流の魔法使いになる』という夢を胸に仲間候補を引っ張りつつヒルグリフに上京してから約一年。

 あれこれとやれることは一生懸命やっていたが、その努力は未だに実りの兆しを見せようとしない。

 今までの姿を走馬灯の如くまぶたの裏に思い返したせいか、ツンと目頭が熱くなる。

 そんな少女の元へ、遂に『ソレ』はやってきた。




「おいおい、流石にそれはやり過ぎだろ」




 耳に入ってきたのは、パンッと柔らかいようで強い、肉を打つ音。

 幾度となく聞いたことのあるその音に、少女の体は強張った。

 だが、その音を発したのは少女の体ではなかった。


「……えっ?」


 何が起きたのか。

 ゆっくりと覆っていた腕を退け、恐る恐る目を開けた少女の口から、思わず言葉が漏れた。

 なにせ、少女の目に映ったのは、




 ――目の前で男の拳を片手で受け止める青年の姿だったのだから。




 ☆☆☆




(ふぅ。危機一髪……いや、間一髪だな。……いや、危機一髪であってんのか?)


 擦れては揺れるような鈍い痛みが手を通して伝わってくる。

 けれども、その痛みは対して大きなものではない。

 男の拳を払い、プラプラと痛みを追い出すように手を振ったオウルは、顔を赤に上気させた男へ透き通る水色の瞳を向けた。


「んだテメェ……」

「俺か? 俺はただの通りすがりだ」


 男は外見通りに力の強い男だった。

 自身の腕を見遣り、半透明の薄いモヤが覆う右手を開閉して異常が特にないことを確認してから視線を前に戻した。


「で、気は済んだか?」

「邪魔すんじゃねえよクソ白髪!」

「え゛っ!?」


 焦点の合わない瞳を返した男は、すぐさまオウルのことを睨みつけた。

 標的が変わった。

 そのことをすぐに悟り、苦虫を噛み潰したような表情で呻いたオウルはすぐに男から距離を取った。


「いや、待て待て! お前どんだけ酔ってんだよ! 飲み過ぎか!?」

「黙れクソ野郎!」


 言葉虚しく。

 オウルへ肉薄した男は何の躊躇いもなく拳を突き出した。


「うっ、危ねぇ!?」


 無論、その一撃を真っ向から受けられる程頑丈ではないオウルは、半ば反射的に半身を横に逸らして避ける。

 しかしそれは、火に油を注ぐが如し。

 男の興奮を更に増長させるだけだった。


「クソがああああああ!!」

「げっ! まだやんのかよ!?」


 指先の鋭く曲がった左手が宙を切る。

 その後隙を埋めるかのように飛ぶ右足の蹴り。

 そこから更に、血管の浮き上がった右手が一直線へと突き抜けた。

 怒りに任せた男の攻撃。

 それが、凄まじい連撃となってオウルへ襲い掛かる。


(あー、もう! どうしてこんなことになるんだ!?)


 左手と右足の攻撃は身を逸らして避け、右手の攻撃はほのかに片手を添えていなす。

 オウルは男の追撃を躱しつつ、思わず胸中で盛大に毒を吐いた。

 ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえそうな男の表情からは、怒りが収まったようには到底見えない。

 そのことを理解した途端、急に意識が遠くなったような錯覚に囚われた。


(……もうこんなのに付き合ってらんねぇ)


 元々、オウルは争いごとが好きな人間ではない。

 背後のテーブルを尻で突き退ける。

 ――こうなれば自棄やけだ。

 右手を握り締め、スッと対峙する男を見ながら目を細めたオウルは、男が拳を大きく引いている姿を捉えた。


「クッソ、くたばれやオラぁ!」

「っ! 『水よウォート』!」


 再びオウルの顔面目掛けて拳を振り抜く男。

 それを上半身を後ろに大きく逸らして躱したオウルが何かを叫んだ。

 次の瞬間、







 不意に現われた水の塊が、飛び込むようにして男の顔を弾き飛ばした。







「うっぼあ!?」

「うがあ!?」


 バシャン、ガタン、といつの間にか静まり返っていたギルドに大きな音が響く。

 思いの外威力が高かったのか、何の抵抗もせずに顔を濡らした男はフラフラと覚束ない足取りで後退したかと思うと、そのまま押されるように後ろへ倒れ込んだ。

 その一連の光景を見ていた野次馬達は、男を襲った水の一撃がオウルの反撃であったことをすぐに理解した。


「もしかしてさっきのは水属性の魔法か?」

「まさか! あんな一瞬で使えるわけがないだろ。誰かが水投げたんじゃねえか?」

「何だ? もう終わったのか?」

「おーい、酒持って来たぜー。……ってもう終わってるー!?」

「うがああ!? 何でやられちゃうのよ! 見た感じ強そうだったのにぃ! ウチの一千ケイルがぁ!」

「よっしゃ! 来たー! はいッ、俺の勝ちィ! 何で負けたか明日まで考えといてくださーい! ギャハハハ!」


 短時間で行われたとは思えない程に密度の濃い喧嘩に、周囲は大きな歓声を上げて沸いた。

 それぞれ好き勝手なことを言い合って騒ぐ野次馬達がギルドの喧騒を一際大きくしていく。

 だが、渦中の青年はそれどころではなかった。


「――――――――っ!!」


 人達の歓声に包まれながら、反撃したはずのオウルは頭を抱えながら地面を転げ回っていた。

 理由は至極単純。

 上半身を逸らした際、後ろにあったテーブルの角へ頭を打ち付けた。

 ただそれだけのことだ。


(うぅ、最悪だぁ……)


 歓声を上げるくらいだったら金寄越せ。

 そう叫びたい衝動に駆られたオウルは、頭を抱えたまま体を丸くすると、あまりにも恰好悪いであろう自分の姿を想って心の涙を流した。


(どうせだったらもっと恰好良く済ませたかった……)


 穴があったら無理矢理にでも入って貝にでもなっていたい。

 そうやって、オウルが一人で勝手に惨めな想いに浸り出した時のことだった。


「はい」

「……ん?」


 気付けば、目の前に健康的な色合いをした白い小さな手が差し出されていた。

 その小さな好意に甘えたオウルは、差し出された手を借りて立ち上がると、引かれるままに人混みから抜け出した。

 ようやく落ち着きそうだ。

 服の汚れを叩き落とし、感謝ぐらいは言っておこうと手の主へ顔を向けて、


「あ、ありが……っ!」

「……? 何よ」

「っ、いや、何でもない」


 手を貸してくれたのは、オウルが庇ったあの少女だった。

 突然のことで顔が引き攣ったオウルだったが、何とか優しい表情を繕ってみせた。


(本当に……似てるな)


 目の前の少女と、自分達の妹のようだった少女。

 間近に見て、そのあまりにも瓜二つな容姿と雰囲気に充てられたせいか、嫌でも二人の少女の姿が重なってしまう。

 それと同時に、降って湧いてきた胸の痛みに困惑しつつも、オウルは目の前の少女へと向き直った。


「あー、なんというか……手を貸してくれてありがとな。正直に助かったわ」

「……別にいいわよ。私の方が助かったっていうかなんて言うか……」


 段々と語気を弱めた少女は最後まであやふやな言葉で締めると、そっぽを向くや否やキュッと口を尖らせた。


(ふーん、素直なんだか素直じゃないんだか)


 少女とまともに言葉を交わしたのはこれが最初だ。

 けれども、妙にしおらしいその姿から存外照れ屋な気質もあるのだと知ったオウルが、小動物を愛でるような暖かい目を前にいる少女へ向ける。

 そのことを知ってか知らずか。

 そっぽを見ていた少女は、不意に気の強い目をオウルの方へ向けてきた。


「ねえ、ちょっと来て」

「え?」

「いいから」

「は?」


 少女の声に反応するよりも早く、不意に伸びた手が掴んだのは暇を持て余していたオウルの腕。

 突然の奇襲に、気の抜けた声を上げたり目を白黒させたりしていたオウルは、それでも何とか状況を把握すると少女の我が儘に全てを任せることにした。

 ただ、




(痛い痛い! 結構痛い! 何だこの握力!? 力強すぎじゃね!?)




 少女の力が想像していたよりも遥かに強い。

 腕を引っ張られながら目元を潤ませたオウルの姿は、控え目に言って情けなかったことをここに記しておく。




 ☆☆☆




(申し訳ないというか……な、なんだか気まずい。というかシチューが輝いて見える……何故だ)


 オウルの目の前にある、一枚の皿。

 中身は一口サイズに切られた色とりどりの野菜が眩しいクリームシチュー。

 ほんのりと湯気が立ち昇っているのは、それが出来立てであるという確かな証左だろう。

 妙に輝いて見えるのはきっと、太陽の光に照らされているというだけであって、少女が無一文だったオウルのために金を出してくれたからではないはずだ。


「ほひはの? ふぁへはひの? おいひいよ?」

「アッ、ハイ」


 まるでリスのように頬を膨らませた少女の催促に、縮こまっていたオウルは目前の皿へ向かって恐る恐るスプーンを伸ばした。




 あれから、あれよあれよとする内に辿り着いたのは、ギルドからはそう離れてもいない場所にポツンと建つ古びた看板が目印の小さな食堂だった。

 特別何か目を惹くような料理があるわけでもなく、単に訳あり食材の使用による安価な料理提供が売り――といった話をオウルは少女から聞かされていた。


(ほーん、こんな良い店があったんだなぁ)


 消えかけの文字が多々見られるメニュー表。

 それを眺めつつ、一口。

 水のように滑らかなシチューを掬い上げ、口の中へ流し込んだオウルは久方振りの美味に、キラキラと目を輝かせた。


「おっ、美味い!」

「でしょ?」

「どこでこんな店知ったんだ?」

「友達……みたいなヤツが教えてくれたのよ」

「へぇ、そいつは結構良い奴なんだな」

「全然。そーでもないわ」


 オウルとしてはそれなりに褒めちぎったつもりだ。

 しかし、『そーでもない』という言葉は本心のようで、少女の表情はあまり優れたものではなかった。


(まあ、それはそれでいいか)


 何故か嫌われているらしい少女の友達みたいな人物に心の中で合掌。

 シチューの中にスプーンを差し、そこから柔らかい人参の塊を一掬い。

 そして、それを口に入れようとしたところで、オウルは少女が自分の顔を見つめていることに気付いた。


「ん、どうかしたか?」

「うん。実はさ、話があってここまで来てもらったんだけど……」


 と、話した少女はそこで言葉を切った。

 モゴモゴと咀嚼する口内には芯までほぐれた人参から溢れる甘味と、シチューの舌に残るような優しい後味が広がる。


(初対面の人間に話、ねぇ)


 もしや、さっきのことについてだろうか。

 訳アリ食材を使っているとは思えないような味を堪能しながら当たりを付けたオウルは、噛み潰した人参を飲み込んでからフッと息を吐いた。


(喧嘩慣れしてるってだけで大したことはない……はずなんだけどなぁ。んま、聞くだけ聞けばいいか。飯奢ってもらったし)


 喧嘩の仕方を教えて、などと言われたらどうしよう。

 奢ってもらった代わりに少しくらいなら教えても大丈夫だろうか。

 そんなことを考え、困ったと頬に手を添えつつ、シチューをもう一掬い。

 シチューの滴るタイミングを計り、それが途切れるや否や、オウルはスプーンを口の中へ突っ込んだ。



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