第53話 サン=ピエール教会

 王の門を抜けた哲人たち三人は、モン・サン=ミシェル修道院を目指して、グランド・リュを上り始めていたのだが、通りまで伸びている修道院への入場待ちの長い行列は遅々として進まず、一時間以上待っても尚、修道院の出入り口どころか、未だ大通りの中腹にすら達してはいなかった。


 三人がグランド・リュに足を踏み入れたのは十三時、現状、列の流れは一分で一メートルほどで、このままでは、修道院への出入口どころか、わずか二五〇メートル程度のグランド・リュを上り切るのすら、いつになるか分からない状況であった。

 そして、グランド・リュの端に達したとしても、そこから修道院の出入り口までは、急勾配の百段近い階段を上り、入口に達しても、さらに、当日券を購入するための待機列に並ばなければならない。

 実は、哲人と雷太は、修道院への優先入場券を既に持ってはいたのだが、飛び入り参加の理音は当日券で入場しなければならないので、二人もまた、優先入場列よりも長い、当日券購入の待機列の方に並ばざるを得ないのだ。


「ムッシュ、こんな風に牛歩みたいに進んでいたら、修道院に入るの、何時になるか分かんないじゃないっすか。最悪、夕方になっちゃうかもしれませんよ」

「そうだな……。どうせ、僕たちは泊まりの予定だし、今日、修道院に入れなかったとしても、明日、朝一で島に来て、開場凸するってのも、ありかもしれないな」


 三月というこの時期のモン・サン=ミシェル修道院の開館時刻は九時半、閉館時刻は十八時、最終入場はその一時間前の十七時である。ちなみに、シャトルバスの始発は七時半だ。

 

「ムッシュ、それで、提案なんすけど、さっき、ネットで調べてみたら、モン・サン=ミシェルの島の中には、メインの修道院以外にも見所があるみたいなんす。で、先に、そっちに行っちゃいませんか?」


 モン・サン=ミシェルの島内には、この島の代名詞であるモン・サン=ミシェル修道院以外にも、幾つかの宗教施設が存在している。


「ガブリエルの塔、サン=オベールの礼拝堂、それに、サン=ピエール教会もあるし、僕たちには明日もあるから、こうして修道院への入場待ちで無為に時間を潰すよりも、修道院は明日にして、他を観て回る方が建設的かもな」

「ムッシュ、ここから一番近いのって、どこっすか?」

「このグランド・リュ沿いにあるサン・ピエール教会だよ」

「それなら、先生、サンダー、そのピエール教会に行きましょう」


 かくして、日本人三人は、修道院の入場待機列を離れて、坂道の三分の二、山で言うと、七合目の辺りに位置しているサン・ピエール教会に向かったのであった。


 坂道の左側にある階段を数段のぼった所に、大通りの喧騒など、どこ吹く風のように、赤い扉の小さな教会が、ひっそりと存在していた。

 モン・サン=ミシェル修道院から出てきた観光客たちは、長時間の入場待機時間で島内観光の時間がなくなってしまったのか、あるいは、修道院の訪問で満足し切ってしまったのか、それとも、その教会の存在に気が付かないのか、理由はそれぞれであろうが、皆、その小さな教会の前を素通りして行き、教会に入ってゆく者は一人として見止められなかった。


 サン=ピエール教会の入り口の左側には、鎧を着て、剣を右手に握っている、灰色の女騎士の像があった。


「ムッシュ、これってジャンヌ・ダルクっすよね?」

「そうだよ」

 ジャンヌ・ダルクが歴史の表舞台に登場したのは一四二九年の「オルレアン包囲戦」の時の事である。

 イングランド軍に包囲されていたオルレアンの解放に尽力したジャンヌを、オルレアンの市民は「オルレアンの乙女」と呼ぶようになった。かくの如く、オルレアン市民のジャンヌに対する感謝の念は深く、それゆえに、一四三五年以来今なお、オルレアンでは、四月末から五月の初めにかけて、「ジャンヌ・ダルク祭」が催されている。


「ムッシュ、それにしても、どうして、モン・サン=ミシェルの、この小さな教会の出入口にジャンヌの像があるんすかね?」

「明確な理由は、僕も知らないんだけれど、察するにだな……」


 ジャンヌが、オルレアンの戦場に馳せ参じる、このような行為に及んだのは、一四二四年頃に、彼女が「神の声」を聞いた事に起因している。

 十二歳のジャンヌは、独りで屋外を歩いていた時に、アンティオキアの聖マルガリタ、エジプトのアレクサンドリアの聖カタリナ、そして、大天使ミカエルの姿を見たそうだ。その時、ジャンヌに届いた「神の声」が、イングランド軍をフランスから駆逐し、王太子シャルルをランスに連れて行って、フランス王位に就かせよ、とジャンヌに命じたらしい。


「ここで、この島との関連で着目したい点が、ジャンヌにお告げをした『神の声』の中に、大天使ミカエルがいたって事なんだよね」


 サン・ピエール教会への入場は無料で、一礼したあと、三人は教会の入口を通った。そのまま、教会の中を進んでゆくと、その内部には、聖母マリアと、銀製の大天使ミカエルの像が祀られていた。

「ジャンヌ・ダルクの像が教会の入口に設置されているのは、この大天使ミカエルとの関連じゃないかってのが僕の推測なんだよね」

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