第5話 学際都市アレクサンドリア

「こうして、始祖プトレマイオスさまは、メガス・アレクサンドロスさまの遺体が入った、雪花石膏(アラバスター)の白き棺を手に入れたのですが、〈ディアドコイ(後継者)争い〉とは、それだけで後継者として周囲に認められるような、簡単な話ではありませんでした。

 後に、アレクサンドロス大王さまの予言通り、部下の間で、およそ二十年にも渡る〈ディアドコイ戦争〉が勃発してしまったのは、歴史が語る通りです。

 しかし、始祖の政敵たちの多くは、暗殺や戦死、あるいは獄死してゆき、始祖プトレマイオスさまは、そうした状況の中、最後まで生き残り、アレクサンドロス大王さまの後継者となった次第なのです」

 クレオパトラは、枕代わりとして、カエサルの腕に頭を乗せながら、話を続けたのであった。


               *


 ファラオとなったプトレマイオス一世は、若かりし日に、マケドニアのミエザの学園で、〈万学の祖〉であるアリストテレスから教育を受けた。そういった次第で、プトレマイオス自身、学問に対して多大なる興味・関心を抱いており、自身の子女に対する教育にも積極的かつ熱心であった。

 そのため、師父アリストテレスがアテナイに創設した学園、〈リュケイオン〉から、子供たちの教育のために学者を招いた。

 さらに、プトレマイオス一世は、プトレマイオス朝エジプトの首都に定めたアレクサンドリアに、研究機関と、その付属機関として、図書館の建設を推し進めたのであった。その建造と並行させながら、プトレマイオス一世は、エジプトの内外から、優秀な知的人材を招き寄せ、さらに、世界各地から、可能な限り数多くの書物を蒐集し続けたのである。

 このように、世界中の研究者と古今東西の図書を一ヶ所に集約させることは、オリエントの統治者であるアレクサンドロス大王の悲願であった。こうした文化的遺産の継承こそが、真のアレクサンドロス大王の〈ディアドコイ〉としての務めである、とプトレマイオスは信じていたのである。


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「こうした、大王アレクサンドロスさまのディアドコイである始祖プトレマイオス一世の遺志は、代々のファラオに引き継がれていったのです」

 クレオパトラは寝床から立ち上がると、薄衣を羽織り、部屋の中を歩き回りながら、腰に帯を巻いた。


               *


 しかしながら、プトレマイオス一世の存命中には、研究機関〈ムーセイオン〉と〈アレクサンドリア大図書館〉は完成しなかった。

 実際に、研究所と図書館の建設が完了したのは、プトレマイオス朝・第二代目のファラオであるプトレマイオス二世・ピラデルポスの時代であった。

 二世は、父の薫陶よろしく、学問に熱心なファラオであり、多くの学者を、その庇護下に置いた。例えば、その中には、数学者のユークリッドや天文学者のアリスタルコスなどもいた。

 やがて、完成したアレクサンドリア図書館には、プトレマイオス一世の時代から集められてきた図書が収蔵され、さらに、後のプトレマイオス朝のファラオたちも、出し惜しみすることなく、莫大な図書購入費を用いて、粘土板、パピルス、羊皮紙など、ありとあらゆる媒体の古今東西の書物の蒐集を続けてきたのであった。

 つまるところ、この世に存在する全ての書物の蒐集と、その研究こそが、ムーセイオンとアレクサンドリア大図書館の至上命題であり、それゆえに、〈学術都市アレクサンドリア〉における研究とは、書物の研究、すなわち〈文献学〉が中心となっていたのである。


 プトレマイオス朝エジプトの首都として、百万人以上もの人口を誇る、世界最大の巨大都市にまで発展したアレクサンドリアは、その立地条件によって、〈世界の結び目〉とも呼ばれ、商業面においては、この時代の地中海貿易の交差点になっていた。

 そして同時に、文化面においても、世界各地から集められた、様々な媒体に記された、あらゆる分野の、七十万巻以上にも及ぶ膨大な量の書物が所蔵されたアレクサンドリア大図書館と、世界中から優秀な人的資源が集ってきた研究所、ムーセイオンを誇るアレクサンドリアは、世界中のありとあらゆる〈知〉の交差点、つまり、学際都市としての繁栄を迎え、同時代の他の都市の追従を許さない、ヘレニズムの知的文化の象徴となったのである。

 この学際都市アレクサンドリアは、世界中の研究者の興味・関心を惹きつけてやまず、さらに、優秀な研究者が世界中から集まってくるという、〈知〉の循環を生み、かくして、プトレマイオス朝の庇護の下で、知の貯蔵庫として、アレクサンドリアは名声を博し、プトレマイオス朝エジプトの知的財産は、ますます充実していったのであった。


               *


「それにしても、アリストテレスの教育を受けた、アレクサンドロス大王とプトレマイオス一世が、世界中から本や学者を集めることによって欲した〈知〉とは、いったい何なんだ?」

 部屋の壁に置かれた本棚の前で、巻子本を手に取ったクレオパトラを背後から抱きしめながら、カエサルはクレオパトラの耳元で、そう問うた。

 クレオパトラは少し屈んで、カエサルの抱擁からするりと抜け出した。

「世界の〈秘術〉です」

「ひ・じゅ・つ……とは?」

 クレオパトラはくるっと横に反転すると、腰に巻いていた帯を解き、薄い衣を脱ぎ去って全裸になった。そして、自身の裸体の前で、紐を解いて巻子本を開くと、くるりと縦に開かれたパピルスで、その肉体を隠したのであった。

「例えば、自分の身を他者から見えないように隠したり、何かに遮られたその背後の物を透かし見たり、あるいは、一瞬で遥か彼方の地に人や物を移動させたり、つまるところ、人の力では成し得ない不可能事を可能たらしめるような〈術語〉、そう、いわゆる〈魔術〉です」

「な、なんだってっ!」

 カエサルは、何も書かれていない白紙のパピルスを見詰めつつ、開かれた巻物で身を隠遁させた美しきクレオパトラの身体を透視しようとしたのだが、果たせなかったため、想像力で脳裏に彼女の裸体を思い描くしかなかった。

 そして同時に、野心家であるカエサルの関心は、それまで、まるで歯牙にもかけていなかった、研究所ムーセイオンと、アレクサンドリア大図書館に向かい始めていたのである。

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