第50話 雨上がりの閃き

「瑛華! いるのか瑛華ぁ!」

 おれは声を上げた。不安でどうしようもなかった。どうか無事でいてくれと心の中で何度も叫んだ。


「いるのーももちゃーん」


 返事があった。瑛華の声だ。こちらの気も知らず呑気な声だ!

 おれは笑った。安堵が一気に押し寄せ、足の力がなくなりそうだった。石段を上がると、瑛華は神社の屋根の下に立ち雨宿りしていた。

 悪い予感は予感でしかなかった。瑛華のそばまでやってくると、彼女は首を傾げた。


「どうしたの、いったい? びしょ濡れじゃない」

「ひ、一人で、旧神社に行ったって言うからさ……」

 おれは呼吸を整えながら言った。瑛華は嬉しそうに笑うと、

「過保護過ぎない?」

「そんなことはないさ。おれはここで妙な男につけられていたし、それに――」

 おれは、部屋でカメラを発見したことを告げた。瑛華は口に手を当て驚いていた。衝撃が強いためか声は出さないでいた。

「だから心配になったんだ」

「そうだったんだ……」


 瑛華は視線を動かしおれの全身を見た。釣られておれも見る。服は濡れ、体にへばりついていた。顎先からは水滴が落ち、赤い髪はひと風呂浴びたようにたっぷりと水分を吸い、ぺちゃんこになっている。このままでは風邪を引いてしまいそうだ。

 おれは服を脱ぐと絞った。ボタボタと雨水が落ち、ほうぼうに跳ねた。髪の毛も、前へ飛ばすように手で払った。不快感は多少なくなった。


「ごめんね」

 と瑛華は言った。おれはちらりと瑛華を見た。口は一文字に閉じ、眉は垂れ下がっていた。

 おれは前を向くと、また髪の毛の水滴を払った。

「無事で良かったよ、本当に」

「うん」

 瑛華が身を寄せてきた。肩と肩が触れ、左手を握られてしまった。服を着ておらず雨に濡れ冷たくなっていたため、とても暖かった。じんわりと冷えた体が体温を取り戻していくのがわかった。雨足は、徐々に弱くなっているように感じた。

「なんだ、今までベタベタするのを許してくれなかったのに」

 おれは雨を見ながら、照れを隠すように言った。

「嬉しいからいいの」

「なんだそら」


 おれと瑛華はその場に座った。雨はやはり弱くなっている。ここで少し雨宿りしたあと、村へ戻ろう。それにもう少しだけ、ポカポカ陽気のような二人の時間を感じていたかった。


「旧神社へは、なにしに来たんだ?」

「ちょっと気になってね。やっぱり旧神社になにかあるんじゃないかって思って……」

「一人の行動は謹んでくれよ?」

「ももちゃんだって一人でここへ来たじゃない」

「それもそうだけど、瑛華が心配なんだって」

「そう言われると弱いけど……わかったよ……」

「頼むぜ大女優」


 隣にいる瑛華を見ていると、急いで胸元に手を置き隠そうとした。


「……なにしてんの?」

「いや、ちょっと胸元が濡れてて透けてるかなって……」

「今更だなぁ、恥ずかしがる必要ないだろ」

「別にいいでしょ、スケベジジイ!」

「ジジイって……」

 おれは心に傷を負ってしまった。

 二十代前半、半ばならば気にはならなかったのだろうが、三十路になると耳が痛い。三十になると体が重くなると知り合いが言っていたが、その通りになってしまったし……。


「ももちゃん、寒くない?」

「ちょっとだけな、上半身は裸だし。でも瑛華がひっついてきよるから暖かいよ」

「悪意のある言い方だね」

 それでも瑛華は離れようとしなかった。


 地面に落ちていく雨を見てみると、以前、中田からかかってきた電話を思い出した。あれは去年の十二月のいつかだった。今みたいに雨が降り、低気圧で頭痛がしていた。頭痛薬を飲もうか悩んでいると、中田からの着信。

 中田は泣いていた。酒が入っていたのかもしれない。お前は凄い、相方だったことを誇りに思うと、恥ずかしいことを言ってきた。一人で足掻き、探偵芸人という素晴らしいスタイルを手に入れた。絶対売れる、絶対続けていけ、絶対自分を誇れよと、中田は言っていた。

 芸人として悩んでいたおれは、嬉しかったのだが素直に受け止められないでいた。けれど気がつけば泣き出しそうになっていた。久しぶりの中田の声に、色々の記憶が甦り寂しい気持ちになった。十年間、おれたちはひたむきに走ってきたよなと、心の中では語りかけていた。


 それでいいんだ、それで良いんだよ霧島。必ず売れるから!


 中田は繰り返し言っていた。電話を終えると、不思議と頭痛は消えていた。


 回想から帰ると、雨は止んでいた。雲の切れ間から、お日様が顔を出している。おれの悩みもすっと晴れたような気がした。そうか、自分がしたいことをすれば良いのだと思った。漫才、コント、大喜利、謎解き。人を楽しませたら、それらはきっと芸なのだろう。


 素直に、そう思えることができた。


「瑛華、おれ頑張るから」

「え?」

「絶対、この神隠しの謎も解くから。絶対に」

「うん!」

 瑛華は満面の笑みを見せた。活力が湧いてきた。もうその笑顔を曇らせるわけにはいかない。


「そろそろ戻るか」

「そうだね」


 おれが立ち上がるとすると、瑛華も立ち上がった。瑛華はぐっと伸びをした。水溜まりに、すっかり青くなった空が写っている。とても鮮明で綺麗だった。おれは水溜まりを見ながら、服を着た。


 そこで閃きがあった。袖に手を通そうとしていたら突然だった。


 わかったかもしれない。いや、解けた。これならば消失の謎を作り出すことができる。


 謎はすべて解けた!


 おれは急いで袖に手を通した。半乾きで体にへばりついてくるが、心は晴れやかだった。まったく、面白いことを考える――


「瑛華」

「なに」

 瑛華はこちらに向いた。おれは笑った。

「やられたぜ」

「なにが?」

「すべてわかったんだよ」

「ええ本当!」

「ああ、喜んでくれ。成功だ」

「えっ?」

 瑛華は困惑していた。だが説明はあとだ。二人だけで推理を披露してはもったいない。

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