インタールード

第33話 中田

 一月十四日。


 中田悟は夜の東京を歩いていた。


 故郷に帰り、東京には二度と来ることはないと思っていたのだが、情けなくなってくる。夢を諦め、元相方である霧島とも別れを告げたというのに、まだ燻っている。中途半端だった。

 中学の頃、両親が別れ母の実家がある関東へ関西から越してきた。新しいクラスでは関西出身を珍しがられ、なにか面白いこと言ってー、というどうしようもない絡まれ方もされた。殺すで、と言えば中田自身は笑えるのだが、相手はそうもいかない。ぐっと堪え、笑いながら勘弁してよと言った。


 元々お喋りも大好きで、人と接するのが中田は得意だった。徐々に友達は増え、関東でも楽しい学校生活を送れていた。霧島ももじとは、中学で出会った。一番面白く、話しが合い、冗談を言うと的確なツッコミをくれた。馬が合った。それは霧島も思っていたことだろう。こちらが言うことにケラケラと笑い、負けじと霧島も言葉を積んでいく。どんどんと面白くなっていき、二人で高め合っている感じが、堪らなかった。

 こいつだと思った。小さな頃から芸人になりたいという夢があり、特に漫才がしたかった。二人の話術で観客を意のままに笑わせている様が、とてもかっこ良く憧れだった。霧島とは一緒の高校に上がり、そこで何気なく将来の話になった。何もしたいことはないかなあ、と霧島は言っていたが、芸人になりたがっていることは知っていた。だが間違っているかもしれないし、こちらから芸人になりたいと告げるのも、恥ずかしかった。お前はなにかしたいことがあるのかと霧島に訊かれても、はっきりとは答えなかった。


 今までは漠然とした未来だった。ふよふよと頭の中では浮かんでいるのだが、掴んでもすり抜けていくような感じだった。だが高校三年生になると、途端に未来を突きつけられるのだ。


 進学か就職か。進学ならどこの学校か、学力はあるのか金はあるのか奨学金を選択するのか。就職ならばどこの会社だ、礼儀はできているのか学生気分でいるなよ、就職したら最低三年は辞めるな。これでお前の人生は決まるんだからな!


 教師からはそういった圧力をかけられていた。思えば高校受験のときも、教師から不安を煽られていた。進学できなければまずい、中卒は悲惨だぞ、生涯年収が違ってくる、人生お先が暗いぞ、と。プレッシャーを与えケツを叩いていたつもりなのだろが、本人からすれば不安であり恐怖だった。受験が失敗してしまったらやばいんだと、胃をキリキリさせた。

 実情はそんなことはない。中卒だろうと高卒だろうと大卒だろうと、結局は自分の頑張りで決まってくる。中卒は不幸、高卒以上は幸せであると、いったい誰が決めたのか。馬鹿らしい。今にして思えば、差別発言をしていた教師共がおかしい。本当に大学を出ているのか? と皮肉めいたことを言いたくなる。無垢な子供たちに勝手な考えを植え付けるため、学歴差別が生まれるのだ。


 高校三年になり、いよいよもって将来を考えなければならない。進学か就職か。悩んだ。大学に行きキャンパスライフを送るのも悪くないだろう。働き金を稼ぎ、社会人の充実感と辛さを背負うのもいい。悩みに悩んだ。


 だが初めから答えは決まっていた。いくら考えようが、芸人という道が目の前には見えていた。そうして霧島を誘った。霧島は悩む素振りを見せたが、目の前にある光景は同じだった。養成所に行く決断をした。教師からリスクなどを語られたが、右から左だった。とうに承知しているからだ。

 養成所に入り、面白い奴もそれなりにいたが敵ではなかった。俺たちの方が面白い、と確信していた。現にネタのクオリティは一番だった。養成所仲間からも講師からも、一目置かれていた。在学中に、深夜のネタ見せ番組に出たこともあった。思った以上に笑いは起こらず、歯痒い思いをしたが、きっと芸人として成功できると信じていた。在学中にネタ番組に出たのが大きな自信となった。

 問題は卒業して芸人になってからだった。売れる気配はなく、賞には勝ち上がることができず、同期の何人かはちらほらと仕事が増え始めていた。テレビやラジオのレギュラー番組を持つものも出てきた。チャンスがなかったわけではないと思う。だが嗅ぎ分ける嗅覚もなく、チャンスを物にできる力も運もなかった。


 ぐずぐずぐたぐたと、年齢だけを増やしていった。芸人としての進歩はなかった。


 気がつけば三十歳手前である。もう駄目だと思った。粘っても粘っても現状は変わらないと悲観し、心は細く細くなっていった。諦めれば楽になると思った。

 霧島に辞めたいと言った。引き止めもせず、怒りも悲しみもせず、四秒間目を閉じると、わかったと言った。芸人として、そこで終わった。楽になれると思ったのに、重たいものがずしりと心に落ってきた。


 終わってしまった、終わってしまった、とうとう終わった。これで夢は潰えた――


 それから、霧島は一人で頑張った。事件に巻き込まれそれを解決したらしく、ユーチューブに解説動画を上げた。再生回数も伸び、霧島は売れるチャンスを得た。着実に掴みつつあった。仕事も増え、探偵芸人なんていう愛称でも呼ばれていた。もうすぐだ、あともうちょっと息を止めて走れば洞窟から抜け出せる。光はすぐそこだ。

 自分のことのように嬉しく、どうだ凄いだろ! と自慢したくなってくる。同時に、悲しくなってきた。霧島は汗をかき走りまくり、かたや元相方は夢を引きずる半端者。中田は、スマートフォンで霧島の動画を見ながら、鼻水を流し泣いた。

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