1-44 別れを告げるにはまだ早い

 なぜかザフールの身体は醜い化け物ではなく、人間の姿に戻っていた。

 それだけに、胸元に突き刺さった短剣が痛々しい。


「先ほどの魔力爆破で、神の祝福のほとんどが喪失。それによって肉体が元に戻ったのかと考えられます」


 ノワールが興味深げに呟きつつ、ザフールの身体に触れる。

 容態を確認しているようだ。

 もしかして……。

 淡い思いを抱く。


「心臓に大きな損傷が見られます。祈祷術での治癒は絶望的です」


 だが現実は非情だった。


「祝福の残滓ざんしがあるので、どうにか生き永らえているだけです。それももって一時間程度でしょうが」

「そうか……」


 少し期待をしてしまっただけに、失意は深かった。

 勿論、これは俺が選んだ選択肢だ。

 その自覚はあったし、後悔もなかった。

 でもできることなら……。


「キエルさん……」


 言葉に詰まりながらも話しかけてくれたカリオトさんに、申し訳なさを感じつつもお願いする。


「カリオトさん。すいません。少しの間でいいんです。ギルドの皆さんには立ち退いてもらっていいですか」


 その要望は聞き入れられた。

 カリオトさんを始め、ギルド職員がその場を立ち去っていく。

 別れの挨拶に大勢はいらない。


 ◇


 とぼりとぼりと近づき、ザフールの隣に跪く。

 思いのほか穏やかな顔つきだが、そこには死相がくっきりと出ている。


 …………駄目だ。

 顔を見た瞬間に、涙がこみ上げそうになる。

 ザフールが死ぬという事実は深い悲しみを伴った。


 最悪の別れ方をした仲だ。

 眼を信じてもらえず、馬鹿にされ、追い出された。

 未だにあの時のことは忘れられない。それぐらいにショックだったし、許せないことでもある。


 けれど。

 だからといって、それまでの冒険が楽しくなかったわけではない。

 色々な冒険に臨んだ。

 苦難も困難も分かち合い、時には喧嘩になり、時には笑いあった。


 それらの思い出は、俺の胸の内に宝物のように輝いている。


 そんな日々を共にしたザフールが死ぬと知って、どうして悲しまずにいられるものか。


「なぁ……本当にどうしようもないのか?」


 涙声になっているのも構わずに、ノワールに尋ねる。

 どんな答えが返ってくるかなんてわかりきってる。でも聞かずにはいられなかった。


「……キエルさん。残念ながら不可能なのです。心臓が再生不可能なレベルになっております。こればかりはたとえ契約をしても無理です」


 そして予想は外れることなく、淡々とノワールが告げる。

 少し間を置いた後、労わるように俺の肩を触った。


「人は死ぬものです。それは受け入れなければなりません」


 それはノワールにしては珍しい、慰めの言葉。

 彼女がそんな気遣いをするぐらいには、どうしようもないことなのだ。


「…………そうだ、な」


 それなら、諦めるしかない。

 後ろ髪をひかれる思いで、ようやく納得する。


「……せめて剣を引き抜いてもいいか」


 それは俺にできる最低限の情けだった。

 刺さったままでは、本人としても嫌だろう。


 とはいえ特殊な武器だ。抜くのがまずい場合もある。

 念のため三人の死神たちに確認すると、コクリと頷かれた。

 抜いて問題はないようだ。


 俺はおもむろに胸元に突き立つ剣の柄を握る。

 その時だ、ザフールの右手が硬く閉じられているのに気がついたのは。


 なにかを握りしめている。

 何故なら、こぶしからわずかながらももやが出ていたからだ。


 いくら少しだからといって、流石に黒いもやを見過ごすわけにはいかない。

 柄から手を離し、ザフールの握りこぶしを注意しつつ開く。

 すると中にあったのは、心臓を模した呪具だった。


 化け物だったザフールの気を逸らすためにポーチに入れていた呪具の一つ。

 大方、ポーチを殴った際に手に食い込みでもしたのだろう。


 そのままにしておくのも不吉だし、何よりも危険だから回収しようとし、動きが止まった。


「おやぁ。これはあの時の呪具じゃあないか。壊れなかったとは運がいいねぇ」


 俺がなにで固まったのか気になったのか、ルアネが拳の中を見ると声を上げる。俺はそれに返事をする余裕はなかった。

 急いで呪具をむしり取ると、クロベニに確認する。


「この呪具って心臓の代わりになるんだよな!」

「えっ! う、うんそうだけどー」


 間違えないようだ。

 一筋の光を見出した気分。


 頭がじんじんするのを感じる。

 頭痛ではない。興奮でだ。


「キエルさん。この方が死にそうだというのに、そのような呪具で追い打ちをかけるのですか?」


 ノワールが不可解そうに首を傾げる。

 この呪具の普通の使い方ならそうだろう。

 断じて違う。首を横に振りつつ、話を進める。

 ゆっくりとする暇はなかった。


「なぁノワール。これをザフールの心臓として植え付けることはできないか?」

「…………それは」


 ノワールが息を鋭く吸う音が聞こえる。

 驚きで思わずといった様子だった。

 それもそうだろう。


 心臓の代わりになる呪具。

 ならそれをそのまま心臓として植え付けてしまえばいい。


 そんな突拍子もないこと言ったら、そういう反応になるはずだ。

 俺も思い付きで言っただけ、実際出来るかどうかはわからない。医学の知識などないからな。

 だからこそ可能かどうかノワールに聞いたのだ。


「30秒、時間をください。検討します」


 ノワールはそういうと、深く静かに深呼吸をした。

 スコーとマスクの呼吸音が鳴り響く。


 短くも長い時間が経つ。

 ノワールが顔を上げ、マスクのガラスの箇所がきらりと光る。


「……確約はできません。ただ、試す価値はあります」


 その言葉を聞いて、取りかからない理由などなかった。

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