第5話 娘

 娘は誰に似たのか物事を深く考えない子で、なんでも考えて行動する息子とは対照的だった。


 クロは本の虫かってくらい何でも読み漁っていたし、ユキは絵本以外にはほとんど手を付けることはなかった。


 でもそんな二人にもそっくりだったところがある。


「パパ?そこにいるの?」


 二人とも妻に似て勘のいい子供だった、今も娘であろう人物はこうして俺が来たことにも一瞬で気付いた。


 彼女はここにいる、目前には大きなベッドがあり、そこで上体を起こしこちらをまっすぐと見据えている。


 年老いた老婆の姿で。


「パパ… そうでしょう?」


 俺を呼ぶその声はしゃがれ、その姿は俺の記憶に残る姿からは別人のように変わり果てている。あの泡が弾けるような明るく可愛らしい笑い声も今は聞こえない。


 だが娘がわかるように俺にもわかる。


 例えいくつ歳を重ね年老いたとしてもなにも変わっちゃいないんだ。


 家族がここに… 大事な娘がここにいる。


「あぁ… パパだよ?ただいまユキ?」


 すぐ隣まで歩み寄り、彼女のシワだらけの手に優しく触れながらそっと髪を撫でると、娘もこちらを見て俺の頬に優しく触れながら震えた声で言った。


「パパ… 本当にパパだ… ずっと待ってたよ?あぁ長かった… でも会えると信じてた、会いたかったパパ…」


 元々の白髪がすっかりそれらしく似合う見た目になってしまった娘。会うまでは不安だった、年老いた姿を見てちゃんと娘だと認識できるのか、逆に娘は俺を父だと認識できる状態なのか、そんな娘を見て今の俺は悲しむことはできるのか… だが要らぬ心配だった、悩みは一瞬で吹き飛んでいった。


 娘と向かい合った時、俺の心に熱いものが込み上げてくる。


 壊れそうに弱った娘の体を、そっと花でも摘むかのように優しく抱き締めた。


「俺も会いたかったよ、ごめんなユキ?こんなになるまで待たせてしまって、寂しい思いをさせてごめん、ごめんユキ… パパが全部悪かった」

 

 目頭が熱い…。


 枯れ果てたと思っていた涙が止めどなく溢れてくる、俺は目覚めてから出したことのないほど感情的な声で娘に何度も謝った。


 本当にずいぶんと待たせてしまった。俺のワガママの為に妻にも子供たちにもかなり苦労を掛けてしまったということだろう。


 会えて嬉しい、本当に嬉しい… 思わず声をあげて泣いてしまうほどに。

 

 妻を失ってから初めてこんなにも心が動いた。


 だからこそ君にも会わせたいと思った。


 ねぇ見える?俺達の娘が、ユキが待っててくれたよ?


「パパ、やっぱり泣き虫だ?待っていてよかった… クロの分も待ってたんだ私?クロ言ってた… パパによろしくって、それからこれも」


 ユキはクロから何を聞いていたのか、ゆっくりと俺の頭に手を伸ばし…。


「えいっ」


 と指を弾きトンと俺の額に当てた。所謂デコピンと呼ばれる行為だ。


「…?」


 がちっとも痛くはない、軽く弱々しいものだ… いつか俺の尻尾を引き回していた頃の力が嘘のように弱々しい。


「“黙って行ってしまうなんてひどい親だ”って?会ったら絶対デコピンだって言ってたから、だから今のはクロの代わり」


 そう言って目を細め優しく微笑む娘の顔にかつての面影を見た。わかっていたことだが、やはり息子はずいぶん前に他界したようだ。


「ごめん… クロにも」


「いいの、わかってる」


「あと… ママのことも…」


 俺がそう言うと一瞬娘の瞳がグッと大きく開き驚いたような表情をしていた。が、恐らく覚悟はしていたのだろう。すぐに全て受け入れたというような目に変わり娘は答えた。


「私はいいの、もうすぐクロとママのとこにも行けるから… でもパパは、辛かったね?ママに会えなくて寂しいよね?あんなに仲良し夫婦だったから」


 そう。


 そうだ…。


 ユキももう長くないだろう、140年近く生きてこうしてハッキリと受け答えができるというのが既に奇跡でしかない。いつか聞いたことがある、サンドスターが認知症に効くという話。つまり100年後の医療には感謝している。


 こうしてまた娘に会い言葉を交わすことができた。


 そしてこうして話している間ずっと涙が止まらなかった。


 全部話した、俺のこと。今先生のとこで子供たちに囲まれてたまに料理をしていることも、妻の死を知ってから心がどこかへいってしまったことも、そしてそれが原因で自ら死を選んだが失敗したということも。


「寂しかったね?でも、パパはまだ生きて?せっかく帰ってこれたんだもの、簡単に投げ捨ててはダメ」


 あぁ帰ってきたとも、俺一人でバカみたいにな。

 娘に会えたのだけが心の救いだと言っても過言ではない、だがそんな娘はもう限界が近いだろう… 見ていれば誰でもそう思う。


 それくらい娘は老衰している。


「帰ってきたよ、ママを置いてな… でもこれからお前とまでお別れしたら、俺はもうどうしたら… 何のために生きたらいいんだ?わからないよ、わからないんだ… どうして俺だけが生きているんだ?どうして…」


「バカ」


 そう言うと、娘はコンと俺の頭に拳を当て、顔はやや怒りを露にしているような表情で俺を小さく睨んでいた。


 それは拳だが、やはり弱々しい拳。だが怒りを感じた… 静かな怒りだったが、内に秘めるその怒りは本物なのだろう。


「どうしてそんなことを言うの?まるで死にたがっているような… しかもそれが当然のような」


 生きる価値を見出だせない、今の俺に人生なんてものは拷問でしかない。

 家族みんなに先立たれ、今度は百年ぶり会えた年老いた娘の死に目に逢う… そしてまた孤独になる。


 死ぬべきは俺のほうなんだ、本来俺の命はずっと昔に終わっているはずなのだから。


 そんな情けない俺に強い眼差しを向けた娘は言うのだ。


「パパ… 一人で辛いかもしれないよ?私達だってパパとママが居なくて辛かった、決して一人ではなかったけれどそれでも悲しかった」


 そう、寂しいんだろうな俺は… ただ一人になりたくないだけなんだろう。急にいなくなってユキにも心配かけたよな。


 娘は続けて言う。


「でもだからこうして待ってたの、途中からクロもあっくんも逝ってしまったけれどそれでも私は待ったの、何故って?パパ達に会いたかったからだよ、みんなも同じように待ってた、みんなは先に逝ってしまったけれど、同じようにずっとパパ達のこと待ってた、必ず帰ってくるの信じてたから、それがどういうことかわかる?」


 みんなが俺を待って… それはつまり。


「つまり先に逝ってしまったみんなだってパパが死んじゃうなんて望んでないってことだよ、ママもクロもあっくんも、ミユもヒロもユウヤだってそう、おじいちゃんもおばあちゃんもだよ?寂しいのはわかる、死を選びたくなるという気持ちもわかる、でもここで終わりにしてしまうと言うならそれは家族の心を無下にしている… パパならわかるはずでしょう?」


 全て言い切ると動悸が起きたのだろう、胸を抑え息を切らす娘が心配で楽にするよう促した。


「ユキすまない、だが無理しないでくれ… 大丈夫か?」


「はぁ… 平気、大丈夫… ありがとう」


 ユキは… こんなことになっても俺の生にはまだ意味があると言っているのだと思う。自分も皆に置いていかれながら一人生き続け俺を待っていた、こんなに弱りながらもだ。だからこそ俺が早く妻の元へ行きたいというそんな気持ちも理解できるのかもしれない。


 そうだろう、本当はユキだってアサヒくんと共に逝きたかったはずだ。


 ユキ以外皆待ちきれずに先立ってしまった、だが皆が皆最後の時口を揃えて言ったのだそうだ。


 俺によろしくと。


「それに見て?セーバルちゃんもいる、ゴコクにはカコおばあちゃんもいるでしょ?みんながパパのこと待ってたの、スザク様はよく私達を気にかけてくれた。そうしてずっと生きて待っててくれてた人もいるの、なのにパパはみんなの想いを無駄にするの?今日まで待っていた私達の気持ちは無視すると言うの?」


 多少無理にでも俺に伝えたかったのだろう、いかにも辛そうな表情でユキは言い切った。


 先生にも一度言われたことだ、自分の為に生きられないならせめて私達の為に生きてくれないかと。


 つまり俺はみんなに生かされている。


 これは俺がフィルターを代わろうと思った理由の一つだ。みんなに生かされているのなら恩返しをするべきだと思ったんだ。


 恩返しか…。


 忘れていた… こんな大事なことを。


「帰ってこれたってことは、きっとパパには何かやるべきことがあるのだと私は思う、違う?」


「そうか… いやそうだな、その通りだ… でも、こんなになってまで俺は何をしたらいいのかな?」


「それはわからない、それはパパが自分で見付けないといけないこと… でもパパなら大丈夫、だってパパは英雄ヒーローだから」


 英雄ヒーロー… 俺が英雄ヒーローか… パークは守れても一番大事なものを置いてきてしまった俺が。


「買い被らないでくれ、こんなパパのことなんか…」


「ううん… 少なくとも私はそう思ってる、パパは私達家族にとって英雄なんだよ… ずっとそう、ずっとずっと守ってきてくれた」


 ユキは手が掛かるが可愛い娘だった… ちょっと抜けててでもそういうとこも含めてみんなに愛されて、そんな娘が今はこんなにも立派に生きている。父親に説教できるくらい立派な女性になったんだな。


 今手が掛かっているのは俺の方じゃないか。


 みんなの気持ちも考えずに一人で塞ぎこんでた。まるで自分が一番不幸みたいな顔をして。


 みんなに生かされていた俺は、今度はみんなの為に生きなくてはならないということなのかもしれない。


 娘にここまで説教食らってもまだどこか自分の命を空虚に感じているのは否定しない。ユキには申し訳ないとは思うがそれほどに妻のことが心に重くのし掛かっている。


 だが、生きることで皆の想いに答えられるのなら俺は…。










 あんなに空虚だったシロもさすがに娘の前では感情を露にしている、人間らしさ… いやこの場合フレンズらしさと言うべきかもしれない。シロにそれが戻った気がしてセーバルは嬉しいと今そう感じている。


 二人が再会できて良かった。


 ユキも本当なら旦那さんが亡くなった時終わっていた存在… これはハーフフレンズとヒトのフレンズの間に産まれたシラユキだから起きた奇跡だったのかもしれない。


 病院でユキが旦那さんを看取る時、その時あの子も既に80歳を過ぎていた。それでもフレンズ特有の性質なのか当時それほど歳を感じないユキに対し、ただの人間だった旦那さんは人並みに年老いていた。最後には夫婦なのに孫くらいの歳の差に見えたほど。


 彼を看取ったその時ユキの体も消え始めていた、それは二人が愛し合っていた証拠… 始めはユキもそれを受け入れる姿勢だった。セーバルはよく覚えている、スーッと体から輝きが抜けていくのが見えていよいよユキともお別れだと思った。


 でもユキはシロのことが気掛かりだったんだと思う、だからその時ユキは運命をねじ曲げた。


 あの子はあの時自分からフレンズの部分を切り離した。ホワイトライオンの部分だけが消滅し、人間シラユキの存在を無理矢理この世に残したの。


 セーバルにもカコにも具体的なことはわからない、ユキ本人ですら何をしたのかわからない様子だった。


 でもそうして今に至る。この歳まで一人生きられたのはその時の肉体から人並みの速度で老いが始まったから。だとしてもかなりの長生き。


 ユキはそうやってシロの為に色んなことに耐えてきたんだよ?


 娘に… 先立った家族にも申し訳ないと感じるのならシロは生きなくてはならない。


 セーバルもそうして生きてる。

 きってヒロもみんなもセーバルが死ぬことを望んでないから。


 ややしばらく親子水入らずの二人の姿を後ろから静観していた…。正直ユキはもう長くない、今この瞬間に終わってもおかしくはない程に。


 だから家族の時間楽しんでシロ?セーバルはお客さんの相手しとく、邪魔されたくないだろうから。


 そっと病室の外に出ると丁度エレベーターから急ぎ足で駆け寄る子がいる、背の高いライオンの男の子。来ると思っていた。


「あ、セーバルさん!ユキばぁは!?」


「そこでストップ、今やっと会えたパパとの大事な時間を過ごしてる、そっとしといてあげて?」


「えっと… そうなの?いや元気ならいいんだけど… え、パパ?誰?」


 彼の名はレオ太郎、ミユとサンの玄孫やしゃごに当たる、今年19歳の新社会人。名前のセンスがあれなので皆彼をレオと呼ぶが、セーバルは太郎と呼ぶ。このネーミングセンスにどこかサーバルを感じるからこれは譲りたくない。


「それは後で話す、それで?どこまで攻め込まれてるの?」


「あ、やっぱり気付いてたんだね?ほらまたアイツ!シールドブレイカー!今市街地まで入られて出動要請が出たとこ、ユキばぁにもしものことがあったら大変だから病院まで知らせに来たんだ」


 シールドブレイカー… 街に張られる防御シールドを破ることができる謎の新型セルリアン… 最近増えているやつ、さすがのセーバルもあの子達には腹が立つ。大層な名前、気に入らない。


「ユキ達の邪魔はさせない、さぁここは任せて出動して太郎?ガーディアンのお仕事だよ」


「了解!パークガーディアン隊員レオ太郎!みんなの為に戦います!」


 頼んだよ?あなたの御先祖が今生きる希望を拾い集めてる。


 シロはパークを守ってくれた。


 だから今度はあなたがシロを守るんだよ?


 彼の子孫であるあなたが。

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