第14話 開幕

「ご夕食をお持ちしました」


 蚊の鳴くような、ななみの声。二つの漆塗りの箱膳に乗せられているのは、カレーライスと小鉢のサラダ。それだけ。


「え、これだけ?」


 千香の言葉に悪意はなかったのかも知れない。だがななみは、怯えたように手を付いた。


「申し訳ございません。どうしても一人では手が回らなくて。明日はちゃんとやります」


 いまにも声を上げて泣き出しそうだ。精神的に限界が来ているのだろう。そんな彼女を見ていて、僕はふと、ある事が気になった。


 ひとついいかな。


 僕の言葉に、ななみは恐る恐る顔を上げる。何と言って叱られるのだろう、そんな顔だった。僕は精一杯の作り笑顔を浮かべてこうたずねた。


 ここの屋敷では、ゴミって毎日出してるの?


 ななみは当惑している。何を問われているのか理解できない、という顔だ。仕方ないので補足した。


 僕らの住んでるところでは、月曜日と木曜日が可燃ゴミを出す日なんだけど、ここは何曜日なのかな。


 すると、ななみはようやく理解したように小さな声で答えた。


「可燃ゴミは、火曜日と金曜日です」


 三太郎が死んだのは水曜日の午前一時頃、同じく水曜日の昼に僕らがここに到着して、夜に四界が死んだ。戸女が死んだのは木曜日の夜、そして今日が金曜日。


 つまり、今日ゴミを出したんだね。


 そうたずねると、ななみは「あっ」と口を開けた。慌てて立ち上がろうとするのを、僕は手で制する。


 待つんだ。ゴミは出してないのか。


「はい……出そうと思って物置に入れたまま、忘れてました」


 叱られると思ったのか、ななみは泣きそうな顔をしている。けれど僕が口にした言葉で、その顔が一気に明るく輝いた。


 そのゴミが、君のお母さんを助けてくれるかも知れないよ。




「殺人事件の証拠だと」


 数坂は若い制服警官の言葉に困惑を見せた。殺人事件の証拠が見つかるかも知れない、八乃野いずるがそう言い出したらしい。どうしましょうと警官は言うが、数坂たちは警護任務でここにいるのだ。捜索令状は出ていない。しかし振り返る数坂に、築根はこう告げた。


「我々には、この屋敷で証拠を探す権限はないが、我々以外が証拠を探すのをやめさせる権限もない。そう思わないか、探偵さん」


 そう言って鍵を見つめる。探偵は、やれやれとため息をつきながら立ち上がった。


「いいですよ。ダシに使われましょう」




 外はもう日も落ち、暗い。小さな門灯の照らす、玄関の南側にある勝手口。その入ってすぐ右手の物置の前に、八乃野いずると馬雲千香が立っている。少し離れた隣には、ななみの姿。


「何の冗談じゃな、いずるよ」


 祈部豊楽が、静かに怒りをたたえて三和土たたきに立つ。後ろには警官が、さらに隣には霜松市松と九南がいた。


「冗談ではないですよ。これから証拠を探すんです」


 笑顔のいずるを、豊楽は切り裂くような視線で見つめた。


「何の証拠だ」


 そこにやって来る、鍵と笹桑と刑事たち。そちらをチラリと見ていずるは言う。


「もちろん、ここで起こった一連の事件の、です」

「ふざけるな!」


 怒髪天を衝く勢いの豊楽に、一同は皆たじろいだ。平然としているのは八乃野いずる一人だけ。


「警察でも探偵でもないただの子供に、何がわかると言うのか!」

「わかりますよ。だって、ただの子供にも解決できるレベルの事件ですから」


 豊楽に向かってそう微笑むと、いずるは怯えるななみに声をかけた。


「じゃあ、出してください」

「は、はい」


 ななみは震える手で物置の戸を開けた。すぐ足下に置かれたゴミ袋が二つ。豊楽は、ななみをにらみつける。


「何でそんな物がここにある」

「す、すみません、忙しくて出し忘れてました」


 震え上がるななみを励ますように、いずるは笑顔を向けた。


「いいじゃないですか、そのおかげで事件が解決するんですから。さあ、中を調べてください」


 ななみは涙目でうなずくと、ゴミ袋の中に手を突っ込んだ。築根は小さな声で鍵にたずねる。


「どう思う」

「何が見つかるか、知ってて探してる感じですね」


 集まった周りの刑事や制服警官たちも、興味津々で様子を眺めている。彼らに聞こえるようにいずるは言う。


「たぶん、犯人はゴミの日をちゃんと知ってたんじゃないかと思うんです。だって、いつまでも証拠をこの家に置いておけませんし、かと言って、自分で外に持ち出そうとするより、誰かに処分してもらった方がリスクは小さいですから」


 しかし。


「……ないです」


 ななみは泣きそうな顔をいずるに向けた。目当ての物は見つからなかったようだ。だがこれは想定内だったのだろう、いずるは平然と二つ目のゴミ袋を指さす。


「なら、もう一つの袋ですね。探して下さい」


 ななみは、二つ目のゴミ袋を開き、また中に手を突っ込んでかき回す。そして、すぐ。


「あっ」


 その声と共に、ななみがゴミから持ち上げた物は、折り畳まれた和菓子屋の紙袋。その中に手を入れて取り出したのは、薄いベージュ色の軍手。いずるはごま塩頭の数坂を見つめた。


「この軍手をはめていたのは誰か、この軍手で誰の体に触れたのか、調べられますよね」


 数坂は一瞬躊躇したが、結局うなずいた。


「百パーセントは保証できないがね」


 手袋には皮膚組織の断片が残留している可能性がある。もしそれがあれば、DNA鑑定で使用者がわかるのだ。そしていずるは豊楽に視線を移す。


「警察に渡していいですよね、お館様」

「そんな軍手一つで、何の証拠になる」


 ムッとした顔でにらむ豊楽に対し、いずるは苦笑した。


「一つじゃないかも知れませんよ。あと三つくらいは出るかも。まあ何にせよ、説明はみんなのいる場所でした方がいいでしょう。その方が面倒臭くなくていい。どこかに集まりませんか」


 それを聞いて、鍵の表情が変わった。目を見開き、愕然としている。


「ああ……なるほど。そうか、そういう事か」




 怒り狂いそうだ。祈部豊楽はその思いを顔に出さないよう、必死で堪えていた。


 おのれ、おのれ、おのれ。


 警察どもが居座らなければ、いずるを殺し、探偵を自殺に見せかけて殺すだけですべてが終わったものを。


 いずれ警察には思い知らせてやる。だがその前に、まず目の前のピンチを乗り切らねばならない。


 豊楽は先頭に立ち、早足で廊下を進んだ。




 午後八時前、家中の者が「応接間」に集まった。一段高くなった場所に豊楽が着座し、つい昨日まで戸女が座っていた部屋の隅には十瑠がいる。広間の中央には八乃野いずると馬雲千香が正座し、周囲を九南や霜松市松、鍵と笹桑、そして刑事や警官たちが取り囲む。その向こう側には、ポツンと一人、ななみが座っていた。


「いったいどういう事だ、いずる。何で十瑠まで引っ張り出して来た」


 憤懣やる方ないといった風な九南に、いずるは平然とこう返す。


「だって自分の行く末に関わる問題ですよ。仲間はずれは可哀想じゃないですか」

「そーだそーだ」


 十瑠は拳を振り上げた。九南は苦虫を噛み潰したような顔である。


「もうええ、さっさと始めんか」


 見下ろす視線の豊楽は、実際の体格よりも大きく見えた。


「残念じゃよ、いずる。いずれは十瑠の婿にでもと考えておったに」


 これを聞いて頭に血を上らせたのは、馬雲千香。


「何ですって!」

「まあまあ、抑えて抑えて」


 いずるは苦笑しながら千香をなだめた。そして豊楽に向き直る。


「でも、その可能性が消えたのは、僕にとってありがたい話ですよ。それじゃ始めますか。と言うか、結論から言いましょう」


 いずるは九南を指さした。


「この屋敷では自殺なんて起こっていません。すべては殺人です。一連の事件の実行犯は、あなた、九南さんだ」


 次に豊楽を指さす。


「そして計画を立てたのは、豊楽さんですね」

「馬鹿馬鹿しい。何の証拠がある」


「軍手以外の証拠なら、これから警察が見つけてくれますよ。だから僕は動機を挙げるだけです」

「動機などあるものか」


 吐き捨てるように言う豊楽へ、いずるは冷たい微笑みを向けた。


「豊楽さんは、以前から苦々しく思っていました。自分の息子たちについてです。家の跡を継がせるのは九南さんがいるから大丈夫ですが、その足を引っ張る者が多すぎる。これは何とかしなければならない」


「憶測じゃな」


「そんなとき、新聞で奇妙な自殺が話題になった。タコ焼きピックで自分の首の後ろを突き刺したという事件です。これを知ったとき、豊楽さんは思いました。うちの馬鹿息子どもも自殺してくれないだろうかと」


「そんな事を思うはずがない」


「しかし豊楽さんは気付きました。このやり方なら、自殺でなくとも自殺扱いになるのではと。後は言うまでもないでしょう。豊楽さんは、九南さんに命じて三太郎さんと四界さんを殺し、それに気付いた戸女さんをも殺したんです」


「デタラメだ!」


 怒鳴ったのは九南。豊楽もうなずいた。


「ただのこじつけじゃな。そんな屁理屈で殺人犯にされては、たまったものではないわ」

「屁理屈かどうかは、軍手を調べればわかりますよ」


 その指摘は痛いところだったのだろう、豊楽も九南も押し黙ってしまった。沈黙の静寂、勝ち誇るいずるの顔。それをしばらく見つめていた築根は、隣で正座する探偵に目をやった。


「鍵、どう思う」


 その声に、いずるは振り返る。見つめる鍵と視線が合った。


「……警察がこれでいいと思うのなら、それでいいんじゃないですか」


 探偵のこの返答は予想外だったのか、いずるの眉が不審げに寄る。築根も驚いたのだろう、珍しく少し慌てた。


「おい鍵、こんなときにふざけるな」

「別にふざけてはいませんよ。ただ、ウンザリしてるだけです」


 そして天井を見つめ、何かを探すように視線を動かすと、落胆したかのようにため息をついて、十瑠に視線を向けた。


「君は呪ったのかい」

「は?」


 さしもの十瑠も呆気に取られている。意味がわからないのだ。いずるもキョトンとしているが、鍵は気にせず続ける。


「死神様は、この祈部の家に仇なす者に取り憑いて殺すんだよね。でも、祈部の家って何だろう。家長の豊楽さんを指すのか、それとも、まったく別のところにこの家の意思が存在しているのか。私は後者じゃないかと思うんだ。だからこの一連の事件は起きたのかも知れない。そしてそのトリガーになったのが、君なんじゃないかな」


「僕の主張を支持してくれるという事でしょうか」


 やや呆れたような薄っぺらい笑顔を見せるいずるの言葉に、鍵は首を横に振る。


「じゃ、何が言いたいの」


 怪訝な顔で馬雲千香が振り返っている。鍵は重苦しげに口を開き、答えた。


「事件の真相なんか、もうどうでもいいって事です」

「それはつまり」


 数坂が瞠目した。


「事件の真相が見えてるって事か」

「おい首吊り屋、どうでもいいって、どういう事だ!」


 原樹の大声を、鍵は無視した。ただ、暗い目で八乃野いずるを見つめている。いずるは見つめ返し、挑戦的に微笑んだ。


「へえ、わかってるなら教えて下さいよ。聞きたいですね、その事件の真相とやらを」


 しかし、鍵は陰鬱につぶやく。


「嘘をつくんじゃない。こんな事件の真相なんか、聞きたい訳ないだろ」


 いずるの表情は変わらない。なのに空気が冷たくなる。


「それでも聞きたいと言ったら?」


 いずると千香が見つめる。豊楽と九南が見つめる。霜松市松が、ななみと十瑠が、そして笹桑と築根と原樹が、それ以外の警官の目が鍵を見つめた。探偵は一つため息をつくと、膝に置かれた手に目を落とした。


「出て来い」


 周囲の不思議そうな顔。いまのはいったい誰に向けての言葉なのだろう。


「どうせ私では、上手くまとめられないと思っているんだろう。その通りだ。こんなクソッタレな真相なんか話したくもない。おまえが話せ」

「おい、鍵。どうした」


 隣の心配げな築根を無視して、鍵はつぶやく。


「おまえが思い出せと書いた事を、私は思い出した。そして答を出した。なら、次はおまえの番だ。聞こえてるんだろう、ジョウ・クロード」


 そのとき築根は見た。目の前の鍵蔵人が、一瞬で別人に変わるのを。顔かたちが変わった訳ではない。服装が変わった訳でもない。しかし目の鋭さが、口元に浮かぶ笑みが、身にまとう空気が、まったく別人のそれへと変化したのだ。鍵蔵人であって彼ではない人物は、足を崩し胡座をかいた。その視線が築根に向かう。


「まったく、珍しい事もあるもんだ」

「え?」


「自分の知り合いを俺に会わせるのは、嫌がると思ってたんだがね」


 混乱して返事ができない築根に、鍵蔵人の顔をした謎の男はこう告げた。


「死神には、頭が二つある」


 あまりにも唐突な言葉。築根はさらに困惑した。築根だけではない。おそらくはこの探偵以外の、部屋にいた全員が困惑していた。


「頭が二つ? どういう意味だ」


 数坂の言葉に探偵は一つうなずく。


「結論を言えば、別々の理由、別々の目的のために、二組の犯人が同じ手口で人を殺した。ここで起きたのはそういう事件だ」


 そしていまいましげに探偵は続けた。


「まず、さっきの八乃野いずるの話には一つ問題点がある。幾谷いつみが俺を襲った件が説明されていない」


 ななみがビクリと反応したが、探偵はそちらを見ない。いずるは平然と答えた。


「いつみさんなら、何らかの理由で豊楽さんたちの殺人を知ったんでしょう。恩のある豊楽さんたちを殺人犯にはできない。だからそれを隠すために、探偵さんを殺そうとした。それによって、自分がすべての罪をかぶろうとしたんです」


「こじつけにしたって、強引に過ぎないか、それは」

「そうでしょうか。あのまま探偵さんが殺されてたら、警察もいつみさんが真犯人だと信じたかも知れない」


「だったら聞くが」


 探偵は問う。


「その『何らかの理由』って何だ」


 いずるの表情に僅かな動揺が見て取れた。探偵はさらに問う。


「つまり、幾谷いつみにあれこれ吹き込んで、けしかけた人間がいるって事だよな。誰だそれは」


 いずるは口をつぐんでいる。焦れた築根が鍵に――鍵と同じ顔をした誰かに――問うた。


「誰なんだ、それは」


 だがすぐには答えず、探偵は視線を移動させる。蒼白な顔でこちらを見つめる男に。


「……霜松さん、あんただよな」

「な、馬鹿な」


 普段は無表情な霜松市松の顔に、似合わない感情的な動きがあった。


「何故、私がそんな事を」

「霜松先生、本当なんですか」


 ななみが目を見開き立ち尽くしている。霜松市松は慌てて首を振った。


「違う! 私は断じてそんな事はしていない!」


 しかし探偵は断言した。


「いいや、したんだよ。何故ならあんたが大枚はたいて私立探偵をここに呼んだのは、幾谷いつみに殺させるためだからだ」

「何じゃと」


 豊楽が反応した。九南も唖然としている。霜松市松は震えるようにまた首を振った。


「そんな、そんな事をするはずがない。私に、いったい何のメリットがあると言うのか」


 しかし抗う言葉に力はなく、みるみる憔悴して行く。その姿こそが何より雄弁な証拠と言えた。


 探偵は一度大きく息をつくと、また天井に顔を向けた。


「とりあえず、ここしばらくの間に起きた事を、一つ目の頭の視点で時系列順に話そう。まず最初に」


 そして探偵は馬雲千香を見つめた。次の言葉に、千香の両目は見開かれ、築根たちは身を乗り出す。


「祈部六道が殺された件からだ」




――どっちなんだ、わかってるんだろう


 何故だろう、あのときの父さんの声を思い出す。


――わからないって言ったら?


 母さんは、こうなる事がわかっていたのだろうか。


――殺してやる、おまえも、あいつらも


 僕はいま砂上の楼閣に立っている。足下に大きな波が押し寄せていた。

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