第11話 刺客

 結局、ここは応接間という事なのだろうか。


 午後三時、鍵と笹桑は、最初に祈部豊楽と面会した同じ広間でまた豊楽に会っていた。鍵としては別に豊楽の部屋で話しても良かったのだが、そんなおそれ多い事を、自分の立場をわきまえなさい、と戸女に責め立てられて、この場所で会う事になったのだ。


「すまんな探偵さん。戸女も悪気がある訳ではないんじゃが」


 一段高い場所で、豊楽はいささか申し訳なさそうな顔をしているものの、部屋の隅では戸女が敵意を視線に込めて鍵をにらみつけている。正座をした探偵は小さく苦笑すると、了解したという風に片手を上げた。


「それはともかく豊楽さん、いまのうちに基本的な質問をしておいていいでしょうか」

「いまのうち、とは」


「そのうち警察の対応で忙しくなるでしょうから」

「それはちと面倒臭いのだが、本当にそうなるかの」


 腕を組んで片眉を上げる豊楽に、鍵はうなずいた。


「おそらくは」

「ふうむ……まあええ、それで聞きたい事とは何じゃね」


「まず、馬雲千香さんは豊楽さんの弟の孫、という関係で良かったんでしたね」


 豊楽は一瞬キョトンとした。


「はて、それが六道の行方不明と関係あるのかね」

「あるかも知れませんし、ないかも知れません。何がどこでどうつながってるのか、まだわからない段階ですからね、一応という事で」


 豊楽は納得したような、していないような顔で「そういうもんかの」とつぶやいた。


「まあ確かに、アレはワシの弟の孫娘じゃが」

「当然、六道さんとの面識はあるんですよね」


「ある。千香が子供の頃から知っておる」

「最近、と言うか、千香さんがプロのバイオリニストになってからはどうです」


「どうと言われてもな。年に何回か、千香がここに来るときには会うておるはずじゃよ」

「会ってましたか。普通に」


「言うとる意味がよくわからんのだが、探偵さん」


 すると鍵はしばし考え込み、話題を少し変えた。


「八乃野いずる君ですが」

「いずるがどうしたね」


「彼もこの家の関係者なんですか」

「ああ、いずるの両親は二人とも、この家で使用人をしておったのよ。ほんの十五年ほど前、ここにもう何人か使用人がおった頃だ」


「そのお二人とは、いまでも交流がある?」


 それを聞くと豊楽は、急に険しい顔になった。


「いや、あの二人は亡くなっておるのだ」

「二人とも、ですか」


「痛ましい事件じゃったよ。ワシの口から詳しい事は言いとうない。ただ両親が死んで、いずるは馬雲の家に引き取られた訳だ」


 それだけ話すと、豊楽は口をつぐんでしまった。鍵はまたしばらく考え込むと、不意に戸女に目を向けた。


「六道さんと四界さんは、どんな兄弟でしたか」

「な、なんですか、いきなり」


「いや、使用人の立場からどう見えたのかな、と思いまして」


 戸女はムッとした顔を鍵に向ける。


「使用人の立場で、あれこれ言える訳がありますか」

「なるほど、つまりあれこれ言いたい事はあったと」


「揚げ足を取りなさんな!」


 怒鳴りこそしなかったが、戸女の視線は厳しい。しかし鍵は気にも留めない。


「兄弟仲は良かったんですよね」


 その誰にたずねるでもない問いに、豊楽が答える。


「あの二人はな。うちの家族の中でも特別に、双子かと思うほどいつも一緒におったの」

「たとえば……そう、たとえば何か秘密を共有するくらいの仲ではあった」


 豊楽はうなずいた。


「さあて、二人の秘密があったかどうかまではわからんが、それくらいあっても不思議ではなかったろうな」

「でも、四界さんは六道さんの行方を知らなかった」


「ワシがたずねたときには知らんと言うておった。だがいまにして思えば、本当は知っておったのだろうか。もっとキツく聞いておけば良かったのかの」


 悔やむ豊楽の表情に、嘘はないと鍵には思えた。ただ、それ故に浮かび上がる違和感。この違和感の正体をたずねれば、豊楽は無理のない返事をしただろう。それで終わってしまう。ならば、ここではたずねない事としよう。この違和感が何かにつながるかも知れないのだから。




 鍵と笹桑が寝室に戻ろうと廊下を歩いていると、渡り廊下で霜松市松とななみが立ち話をしているのを見かけた。ななみは何度も頭を下げると、母屋から見て南東側の小さな離れの方に走り去って行く。近付いた鍵に気付き、霜松市松も歩み寄った。


「豊楽さんには会えましたか」

「ええ、まあ。母親の診察ですか」


 離れの方を見ている鍵に、霜松市松はうなずく。


「週に一度の診察です。このところ安定しているので、医者としては楽なものですが」


 すると、鍵は急に話題を変えた。


「豊楽さんは、六道さんと四界さんの事を可愛がっていましたか」


 霜松市松は、少し間を置いてこうたずねた。


「突然ですね。何かあったのですか」

「思いついた事は、なるべく早めに解決しといた方がいいと思っただけですよ。何日も無駄飯を喰らう訳にも行きませんし」


 その返事に、霜松市松は遠い目をした。イロイロと思い出しているのだろう。


「ふむ、世間では馬鹿な子ほど可愛いと言います。その点では豊楽さんも例外ではありませんでした」

「ただし、家は九南さんに継がせたいと考えていた」


「信頼と愛情は別物ですからな」

「その信頼も愛情も、勝ち得なかった息子がいます」


 すると霜松市松は、口をつぐんで鍵を見つめた。鍵は続けてたずねる。


「豊楽さんは、三太郎さんの事をどう思ってたんです」


 しばし疑わしげに鍵を見つめた後、霜松市松は答えた。


「簡単に言うなら、困っていた、というところかと」

「しかし、幾つもの会社で役員を任せている。優秀だったんじゃないですか」


 その指摘に静かにうなずく霜松市松。


「頭は良かった。ただ、他人から愛される人間性ではなかった。人の輪の中に入って汗をかかせるより、独りで部屋に閉じ込めておいた方が祈部の家には利益が大きい。豊楽さんはそう思っていたのかも知れません」


「そんな三太郎さんが、会社の金に手をつけた」

「だから困っていたのでしょう」


 なるほど、これか。豊楽と話したときに感じた違和感の正体は。


 あのとき自分は馬雲千香、八乃野いずる、そして六道と四界について豊楽にたずねた。九南と三太郎には触れていない。


 だが九南については家の跡を継がせようというのだ、信用も信頼もあろう。ところが一方の三太郎はどうだ。つい二日前に殺されたばかりの三太郎に触れなかったのに、豊楽は気に留める様子もなかった。


 もしや豊楽は、三太郎が死んで喜んでいるのではないか。鍵はそう思ったが、その問いを霜松市松には向けなかった。代わりに。


「八乃野いずる君の両親をご存じですよね」


 鍵の問いに、霜松が眉を寄せる。楽しい話題ではないらしい。


「ええ、もちろん」

「何故二人が死んだのかも?」


「心中と聞いておりますが」

「心中する心当たりは」


「私にある訳がない。遺書もありませんでしたし、いずるも知らないと警察に答えていたはずです」

「何年前の話です」


「確か五年になります。いずるが六年生のときでしたから」


 鍵は腕を組むと、虚空に視線を飛ばした。霜松市松は首をひねる。


「いずるの両親の件が、六道さんと結びつくと?」


 すると鍵も首をかしげた。


「それはわからないですよ、どこで誰と何が結びつくか。わからないから頭に入れておくんです。入れとけば、たまには瓢箪ひょうたんから駒が出る事もありますしね」


 それを聞いて、霜松市松は感心したように言う。


「あなた、本当に探偵なんですね」

「たまに言われますよ」


 鍵は苦笑した。




 警察は午後、日が高いうちに帰って行った。数坂を始めとした刑事連中は、昨日の朝からぶっ続けで働き詰めだ。いかに体力に自信があろうと、そろそろまとまった時間眠らなければ倒れるのではないか。そんな心配をおくびにも出さない鍵ではあったが。


 夕方、鍵と笹桑は風呂に入り、夕食を霜松市松と摂った。メニューはミートソースのスパゲティ。もちろん鍵はコショウで真っ黒にしたのだが。その後、二人はまた寝室に籠もる。他にできる事もないし仕方ない。


 薄暗い天井を見ながら、探偵は頭を回転させた。自分のついた嘘とは何だ。それをいま思い出すべき理由は何だ。あの部分が書かれたとき、まだ三太郎と四界の事件は起きていなかったはず。ならば、あの言葉は国田満夫の事件と関わっているという事だろうか。


 しかし三太郎と四界の、そして国田満夫の死は当面どうでもいい。興味がないわけではないが、自殺でない可能性が高いなら、それは警察案件、自分が関わる必要などないだろう。考えるべきは六道の行方である。生死を問わず、だ。


 もし仮に、六道が生きていたとしよう。その場合、問題はいまどこにいるかではなく、何故姿を隠しているのかである。


 隠れる事に何の意味がある。誰から隠れるのだ。たとえば警察か。誰かを脅迫している事がバレそうになった、とか。だが現実に警察はその線では動いていない。自意識過剰という可能性もあるか。


 もし仮に、六道が死んでいたとしよう。その場合、問題はいまどこにいるかではなく、何故死体が見つからないかである。


 ここよりもっと深い山奥、あるいは海の真ん中など、見つからない場所で殺されているのかも知れないし、都会の裏でコンクリート詰めにされているのかも知れない。だが実際、誰がわざわざリスクを冒して殺すというのだ。過大評価の可能性もあるか。本当に自殺の可能性だってなくはない。


 祈部豊楽の依頼は、六道の居場所を探し出し、問題が起きているなら金で解決する事だが、それは二次的、三次的な解答である。生きている場合、身を隠す理由によって居場所にたどり着けるだろうし、死んでいるにしても、そうなった理由次第で死体も見つかる事だろう。ならばまず、どちらの蓋然性が高いと言えるのか。


 事を左右するのは馬雲千香の存在だ。六道は馬雲千香のレコードを持っていた。それは単なるファン心理なのか、もしくは身内から有名人が出た事の誇らしさなのかも知れない。


 しかし、もし仮定の話として、そのレコードを持って馬雲千香に接近したら。「サインが欲しい」と言われたら、馬雲千香は六道を遠ざけただろうか。


 近付いて言葉を交しさえすれば、脅迫は可能だ。一言で済む。


「○○を知っている」


 基本的には、それだけで十分。後は相手の反応次第でどうとでもなる。


 無論、その反応の中に「殺意を向けられる」というのもある訳だが、それを恐れるようなヤツが何度も脅迫を繰り返すはずがない。


 頭に引っかかっているのは、国田満夫が盗聴中に聞いたという事件だ。あの男、馬雲千香に殺されたかも知れない男が、もし祈部六道なら。そこから国田殺害までは、つながると思える。ただし、三太郎と四界を殺す理由は見当たらない。


 鍵は一つため息をついた。六道以外の事件については考える対象から外したいのだが、どうにも絡みついてくる。ならば、それらはまとめて考えるべき事なのだろうか。


 推理はロッククライミングみたいなものだと思う。まず、手を伸ばさなければ始まらない。


 もちろん手を伸ばした先が砂の塊なら、谷底に落ちてしまう。だから体重をかけるかどうかは慎重に決めなければならないが、手を伸ばす前に無理だと決めつけるのは、ただの馬鹿だ。


 そこに可能性があるのなら、とにかく手を伸ばし、少しでも引っかかる部分があるなら、それをつかむ。これを繰り返して上を目指すのだ。多少強引であろうとも。


 いつの間にかうつむいていた顔を上げたとき、鍵の脳裏に浮かんでいたのは霜松市松の顔。それは腹立たしげな、あるいは悔しげな。その顔を見たのは昼間の渡り廊下。この直前、自分は何と言ったのだったか。探偵は思い出した。


――その信頼も愛情も、勝ち得なかった息子がいます


 確かそうだ。この言葉が気に入らなかったのだろうか。何がだ。どこが気に入らなかった。わからない。そもそも自分はどうして霜松市松が気になっているのだろう。わからない。何か理由があるようにも思うのだが、一度考えを整理する必要があるようだ。


「……ま、今夜は寝るか」


 その小さなつぶやきに、笹桑が食いついた。


「一緒に寝たげましょうか?」

「お断りです」


 即答でキッパリ断ると、鍵は部屋の端に畳まれていた布団を引きずり、入り口の障子の手前に敷いた。何かあったらすぐ逃げられるように。




「霜松市松に目を付けたか。なるほど」


 真っ暗な寝室で、ノートPCのモニターライトが鍵の顔を浮かび上がらせる。鍵蔵人であって鍵蔵人ではない人物の顔を。音もなくキーボードを叩きながら、ジョウ・クロードはニンマリと微笑んだ。


「霜松市松に関する疑問点としては、と。そうだな、まず何で鍵蔵人に目を付けたのか、そこがイマイチ明解じゃない。六道が自殺する心配をしたのだとしても、他に探偵はいくらでもいただろう。あれは何か隠している気がする。父親の話は、どこまで本当なのか。豊楽に借金があるのは、四界の言葉があるから間違いないんだろうが。八乃野いずるとの関係も、気になるっちゃなるな。俺の印象では、やけにかばっている気がする。後は女中のななみとの間柄か。果たして、ただの医者と患者の家族ってだけなのか。ななみと言えば、何でななみが四界の死体を発見したんだ」


 そこまで打ち込んで、ジョウ・クロードはため息をついた。


「なあ『雲』。こいつに嘘を思い出させて、どうする気なんだ」


 そして、何かに耳を傾けるかのように首をかしげると、眉を寄せた。


「いや、念を押せじゃねえよ。どうするのかって聞いてんだろうが……ハイハイ、わかったよ。まったく、おまえは頑固だね。誰に似たんだか」


 不満げな言葉を漏らすと、また一つため息をつく。


「て言うか、こいつもこいつだ。俺が書いてるのを読んでるくせに、何で返事を書き込まないんだよ。嫌な野郎だ」


 そうつぶやきつつ、暗い部屋で楽しげにキーを打ち続ける。延々と赤い文字で。




 深夜。針を落としても響きそうな静寂の中を、小さな明かりが動いた。左手に一本のロウソクを持つ、白い着物を着た女の影。祈部邸の母屋の廊下を、足音もなく東側の離れに向かって。


 東側の離れには、霜松市松の部屋、そして鍵と笹桑の眠る客用の和室。


 和室の障子が音もなく開くと、ロウソクの明かりの中、すぐ手前に布団を敷いて、うつ伏せで眠っている鍵の姿が浮かぶ。着物の女の右手には、金属光沢を放つ、細長く鋭い物。女はそれを、目の前の首筋に突き刺そうと振りかぶった。


 しかし、女の視界を突如覆ったのは、跳ね上がった掛け布団。そのまま女に布団ごと抱きつき、押さえ込んだのは鍵。ただし。


「悪いが、まだ殺されてやる訳には行かなくてね」


 袈裟固めで余裕の笑みを浮かべるのは、鍵蔵人であって彼ではない。バタバタと女の抵抗する音に、笹桑が目を覚ました。


「なーに暴れてるっすかあ。夜這いなら静かに……」

「ああ、悪いけど警察に通報してくれないかな、可愛いお嬢さん」


 一瞬呆気に取られた笹桑だったが、慌てて枕元のスマホを手にした。

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