第5話 悲鳴の朝

 十瑠の部屋は十畳ほどある和室。その真ん中に布団を敷いて、寝間着に半纏という豊楽と同じような格好でちょこんと正座している。両手は丸めて半纏の袖に隠し、枕元にはノートPC。画面には、いまどきスクリーンセーバーが動いていた。


「六道伯父さんの事?」


 祈部十瑠は不思議そうに小首をかしげ、家の外からやって来た私立探偵が珍しいのだろう、キラキラと輝く両目に抑えがたい好奇心を浮かべていた。その様子は十七歳にしては随分と幼く見える。父親を先頭に正座する他の大人たちを眺め――そして笹桑にしばらく目を留め――腰まである長い髪の少女は答えた。


「伯父さんの事は何も知らない。だってお話しとかしないし」

「そうか」


 九南が残念そうにため息をつく。


「伯父さん、また何かあったの」

「いや、それを調べているんだよ、探偵さんは」


「へえ」


 十瑠の視線は天井に向かった。九南は鍵を振り返る。


「すみません、無駄足だったようです」


 しかし鍵は膝元で指を動かしながら、何かを考えていた。やがて十瑠にこうたずねる。


「……ちなみに、六道さんを最後に見たのはいつくらいかな」


 十瑠は少し考えてから答えた。


「えーと、先月末くらいですかね」

「それはこの部屋で?」


「はい。たまにのぞきに来るんです」


 これを聞いて、戸女の顔が引きつった。


「んまっ!」


 鍵は質問を続ける。


「四界さんが一緒に来る事もある?」

「そうですね、あの二人はよく一緒に来ました」


「んまーっ!」


 戸女の頭に血が上る。それを横目に、探偵はさらに続けた。


「三太郎さんは来ない?」

「三太郎伯父さんには、もう何年も会ってないです」


 戸女は一人、ブツブツとつぶやいている。


「何という事。いやらしい。お館様に申し上げなければ」


 鍵の膝に置かれた手の人差し指は、音楽でも奏でるかのように忙しく動いていた。頭が回転しているときの癖である。鍵はまた一つ、十瑠に問うた。


「伯父さんに関係してなくてもいいから、最近、何かこの家の中で気付いた事がないかな」


 十瑠は、しばしキョトンとした顔。


「これは、言っても仕方ないのかも知れないけど」


 そしてまた天井を見上げた。


「増えてますね」

「増えてる? 何が」


 そうたずねた鍵に、満面の笑顔で十瑠はこう答える。


「死神様が」


 探偵はしばし呆気に取られた。


「死神様……?」


 九南は苦虫を噛み潰したような顔。


「十瑠、またそんな事を」

「その死神様っていうのは何ですか」


 鍵の疑問に、戸女が代表して語り出した。


「この祈部の館には、古来より死神様が宿っておられるという伝説がございます」


 人の着物の袖から出入りする、冨を呼び寄せる毛玉。家の外から金を集め、金にまつわる予言をする。そして祈部の怒りに触れた者は死神様に取り憑かれ、狂い死にしてしまう。そんな民話の如き伝説を、戸女は淡々と話した。


 鍵の口元が小さく緩む。苦笑と言っていいかも知れない。


「ああ、なるほど。くだぎつねやオサキの類いですね」

「何です、それは」


 九南が振り返り、興味深そうに見つめている。鍵は一瞬しまったという顔をしたが、口に出してしまったものは仕方ない。


「人間に使役される妖怪の仲間です。竹の管に入るほどの、小さなキツネだとかネズミの仲間だとも言われますが、とにかく小型の獣の姿をしていて、操る者の元に冨を集めて来るんです。気に入らない相手に取り憑かせる、なんて話もあったと思いますが、東海から東北にかけての広い範囲に、似たり寄ったりの伝説が残ってますよ」


「伝説、つまりそんな生き物は実在していないと」


 九南の言葉に鍵はうなずいた。


「これは形を変えた嫉妬や劣等感、あるいは差別の正当化です。誰かを攻撃するための方便なんです。管使いだのオサキ持ちだの」


 隣に座る霜松市松は、少し意外そうな顔で鍵を見た。


「随分と詳しいですね。この手の話がお好きなのですか」

「いや、好きという訳では。ただの聞きかじりで」


 鍵は、かつて自分自身の事を知るために、オカルトに傾倒した事があった。結局ただの遠回りであったが、さすがにそんな事をここで話しはしない。


「それは、ちょっと違うかも知れない」


 だが、大人ではない十瑠は空気など読まない。それが鍵の癇に障ったのか。


「何が違うのかな」


 その問いかけに、十瑠は静かに答えた。


「死神様は死神なんです。だから、死神様が増えたのはたぶん」


 十瑠の眼は鍵を見ていなかった。視線は彼を飛び越えてその背後、障子の陰、廊下に座る笹桑ゆかりに。


「そうたぶん、この家で誰かが死んでる」




 晩酌のビールの味は、やけに苦かった。


「どう思いますか、十瑠の話は」


 霜松市松が、鍵のグラスにビールを注ぐ。探偵は少し赤い顔で答えた。


「別にどうも思いませんね。思春期にオカルトに走るのは、大なり小なり誰にでもある事でしょう」


 祈部の邸宅、霜松市松に与えられた東側の離れの部屋で、鍵は首を振った。霜松市松は祈部豊楽の侍医として住み込みで働いている。そして隣の和室は客間であり、鍵と笹桑はそこを寝室としてあてがわれていた。二人で一部屋である。


「新婚旅行みたいっすねえ」


 と、笹桑がはしゃいだのは必然と言える。はしゃぎすぎて疲れたのか、さっさと先に床についてしまったが。


 鍵はグラスを空けると、霜松市松のグラスにビールを注ぎ返した。


「それより問題はあなたですよ。そろそろ聞かせてくれませんか、祈部六道さんが自殺すると思った根拠は何なんです」

「根拠はありません」


 霜松市松は平然とグラスを半分ほど空け、テーブルに置いた。


「六道さんが特別気が弱い訳でも、精神病的に自殺傾向が強いと考えられる訳でもありません。ただし、この家の息子たちには人格的に問題が多い。追い詰められたときに脆いのではないかと思っております」


「人格的に、ですか」


 昼間会った四界と三太郎を思い出す。六道もあの二人に負けず劣らずのキャラクターだったのだろうか。


「脅迫、恐喝の類い」

「ええ、六道さんはそうですね」


 含みを持たせた霜松市松の言葉。誘導されているような気もするのだが、ここで知らぬ顔をするのも変だろう。鍵はたずねた。


「他の息子にも問題があると」

「三太郎さんは、祈部のグループ企業の役員をいくつか任されているのですが、投機が趣味なのです」


「ああ、それで大損をこいたとか」

「だったらまだしも、穴埋めに会社の資金を流用しているようです」


「そりゃまた何とも」


 どちらかと言えば、六道より三太郎の方が自殺しそうに思える。霜松市松は無表情に続けた。


「四界さんは関連会社の部長なのですが」


 部長止まりなのは、いかにもな感じである。


「部下へのパワハラが表面化しつつあります。自殺者も出ているとのことです」


 鍵は「うわぁ」と言いそうになった。こちらは自殺をさせる側だ。これは酷い。


「九南さんはどうなんです」


 そう聞いた鍵に、霜松市松はホッと安心したかのような顔を見せる。


「幸い、九南さんにはそういった話は一切ありません。祈部の家の者としては、トンビが鷹を産んだような存在です」


 それはそれで酷い言い草だな、という顔でしばし考え込むと、鍵は自分のグラスに手酌でビールを注いだ。


「豊楽さんは、孫娘を可愛がってますか」

「絵に描いたような溺愛です。何せ祈部の家としては、約百三十年振りの娘ですから」


「ずっと男ばかり?」

「ええ、豊楽さんはこの家を九南さんに継がせて、十瑠には婿を取ると常々言っておりますよ」


「その十瑠さんの母親はどうしたんです」


 霜松市松は、虚を突かれたように口ごもった。畳み掛けるように鍵がたずねる。


「男兄弟、全員独身ですか。いくら時代が変わって結婚だけが人生じゃなくなったとは言え、四人全員というのは、ちょっと変わってますよね」

「……ここは、滅びかけの王国」


 霜松市松は言いにくそうに口を開いた。


「時代が止まっているのです。前世紀どころか数百年。とても女の暮らしやすい場所ではありません」


 そう言って気の抜けたビールを飲み干した。




 深夜。霜松市松の部屋がある、そして鍵たちの寝室もある、東側の離れに続く渡り廊下で、笹桑ゆかりは膝を抱えて座っていた。さあて、どうしたものか。せっかく部屋の真ん中に二組並べて布団を敷いてくれたのに、しかも油断丸出しで先に眠った振りをしていたのに、鍵は部屋の隅っこまで自分の布団を引っ張って、背を向けて眠っている。


 ここで引いては女がすたるようにも思うが、慌てる何とかは何とやら、夜這いをかけるにしてもタイミングがある。ここは一旦様子を見るか、それとも。


 そのとき、遠くで何かの声が聞こえたような気がした。一度っきり、それだけ。どこかにさぎでも飛んでいるのだろうか。笹桑がそう思っていると、いつの間にか、隣に人影が立っていた。寝間着の上に半纏を羽織った、髪の長い少女。静かに腰を下ろすと、顔をのぞき込み話しかけてくる。


「こんばんは」

「こんばんは……どうしたんすか十瑠ちゃん、こんな時間に」


 驚いた顔の笹桑に、祈部十瑠は嬉しそうに微笑んだ。


「その呼び方は初めて」

「呼び方?」


「十瑠、十瑠お嬢様、祈部さん。いままで会った人はみんな、このどれかでしか呼んでくれなかったから、ちゃん付けは凄い新鮮」

「へえ、そんなもんなんすねえ」


「夜を見るのが大好きなんです」


 不意に十瑠は話題を戻した。マイペースな子なんだなあ、と笹桑は思う。


「真夜中、みんなが寝静まった時間に障子をちょっとだけ開けて、真っ暗な外を見るの。そうしたら、まるで障子の隙間から自分の心が吸い出されるみたいな気持ちになるんです」


 と言いながら暗闇を見つめる十瑠の目は、キラキラ輝いている。それが自分の方に向けられるのを待って、笹桑はたずねた。


「今夜も外を見てたんすか」

「はい、部屋から外をのぞいてたら、あなたがここにいるのが見えて。何してるんだろうって思ったら、だんだん我慢できなくなって、出て来ちゃいました」


 確かに十瑠の部屋から見れば、東側の離れは真正面。一番見やすい場所にある。とは言うものの、周囲に街灯やビルの窓明かりがある訳でもない、田舎特有の真っ暗闇の中だ。


「この暗いのによく見えるっすね」

「私、何の取り柄もないけど、夜目だけは利くんですよ。このくらいの明かりがあれば全然大丈夫です」


 振り仰いだ天井には、小さく薄暗い電球型の蛍光灯が一つ。周囲を羽虫が飛び回り、コンコンとぶつかる音を立てている。なるほど、無意識に一番明るい場所を選んで座っていたのか、と笹桑は思った。十瑠はまた小首をかしげて笹桑の顔をのぞき込む。頬に垂れた髪が艶めかしい。


「死神様って」


 笹桑の言葉に、十瑠の目には一瞬悲しげな陰が差す。しかし。


「見えたら楽しいっすか」


 そのストレートな問いに驚いたのか、十瑠はキョトンとした顔。


「え、いえ、別に楽しくは」

「じゃ、何か得します?」


「得する事もないですね。昔はお金を外から集めてきたり、お金にまつわる予言をしたりしたそうですけど、そもそも私にはコントロールできないので」

「そっかあ、芸とかできたらいいんすけどね。あ、でも他の人に見えないんじゃ駄目か」


「……疑わないんですか」


 探るように問う十瑠に、笹桑はニッと歯を見せた。


「いやあ、スピリチュアル系の人脈が欲しいなって前から思ってたんすよ」

「はあ、人脈、ですか」


「この世はコネで回ってるんすから、人脈作りに命賭けてるっすよ」

「私が言うのも何ですけど、変わった方ですね」


「そうでもないすよ。鍵さんに比べれば常識人の範疇っす」


 笹桑の言葉に、十瑠は小さく笑った。


「それで、ここで何をしてたんですか」


 すると笹桑は、握り拳を作って見せた。


「男心をグッとつかむ方法を考えてたんす」

「凄い、それ興味あります」


 十瑠が食いつく。真夜中の女子会はそれからしばらく続いた。




 真っ暗な部屋、鍵は突然むくりと身を起こした。カバンに手を伸ばして、中からノートPCを引っ張り出す。起動ボタンを押せば、画面の明かりが顔を照らし出し、しばらくすると口元がニヤリと笑った。


「パスワードなんぞ、何度変更しても意味ないぞ」


 その指はなめらかに動き、新しいパスワードを入力する。


「悪いが、おまえの記憶は筒抜けなんでな」


 タッチパッドで指を滑らせ、業務フォルダから最新の文書ファイルを引っ張り出した。元々は国田満夫に関するものだったのだが、その後ろに延々と文字が追加されている。鮮やかな赤い文字が。


「祈部豊楽は胡散臭い。霜松市松以上に信用できないぞ、と。まあ四界と三太郎は信用以前の話だが。九南は一番マシだとは言え、単なるマヌケなお人好しかも知れない。十瑠はただのオカルト少女か。あと戸女とかいう婆さんは、相当おまえを嫌ってるな、と」


 ブツブツと、つぶやきながらキーを叩く。


「ま、いまの段階ではこんなものか」


 そして文章の最後に「JC」と打ち込み、ファイルを上書きしようとして、ジョウ・クロードは手を止めた。


「……『雲』か」


 しばらく何かに耳を澄ませるかの如く首をかしげると、一つ大きなため息をつく。


「女房が死んだときの事を思い出せ、てか。そいつは難しいかも知れんな」


 また首をかしげて、今度は鼻先で笑う。


「いや、おまえや俺と一緒にしてやるなよ……わかったよ。書いときゃいいんだろ。書く書く。で、何を思い出させりゃいいんだ」


 さらに首をかしげ、顔に浮かんだのは困惑。


「あのときついた嘘について?」




 翌朝は、悲鳴と共に始まった。


「せ、先生! 霜松先生! すぐ来てください!」


 まだ六時前、昨夜のビールが多少残っているのだろうか、さしもの無表情な顔もいささか眠そうだ。


「何だね戸女さん、こんな朝っぱらから」


 緩んだ寝間着姿の霜松市松の腕を、臙脂色の着物をキチンと着付けた戸女が、すがるようにつかむ。


「さ、三太郎様が、三太郎様が」


 その叫びは、隣の和室で夢うつつだった鍵蔵人の眼をこじ開けた。


「死んでいます!」

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