第17話 彼女に嘘は通じない
「決めました。やります」
そうメッセージを送って、既読がついたのは3分後、返信が来たのは30分後だった。
「殺りますと読めるんだが、そのあたりどうかね」
さすがに知った顔を近距離で殺すのは精神的にキツいだろう。物理的には難しくない――そう思っていた。まさか予見されていたとは。
まずい。
僕は先輩の家も行動範囲も知らない。受け答えをしてくれるうちに疑いを晴らして会う約束を取り付けないと、捕まえるのは劇的に難しくなる。
(……)
先輩はもしかして、知っているのか? 僕の仕事を。
知っていて引き込もうとした? それか、内情を探ろうとしていた? 日野が僕と先輩の関係を知っていたように、先輩が何らかの仕掛けを打っていたこともあり得る。
いや、もし知っていたなら、一緒に寝るなんて文字通り寝首をかかれるリスクが高過ぎるだろう。今は漠然と警戒しているだけ。そう考えるのが自然なはず。
文字のやりとりではいつ中断されてもおかしくない。電話でもそうだけど文字よりマシだろう。一か八かかけてみると、先輩は出てくれた。
「何言ってるんですか」
「幼馴染が突然連絡してきて羽毛布団や健康食品を売りつけてきたり投票のお願いをしてきたりするだろう。あれと同じさ。古い知人がいきなり連絡してきたら気をつけないといけない」
「古いってほどでもないでしょう」
「そうだね。でも私には長い時間だったよ」
「お待たせしてすいませんでした。でも僕にも考える時間は要りますよ」
「そうかな? 君は即断即決を信条としていなかったかい? 稽古場で演出家がアレコレ迷っているとイライラしていただろう。元々そうだったというよりあのフラストレーションが積み重なって即決派になったと私は踏んでいる」
その通りだ。
やはりこの人は、周りをよく見ている。
「鋭いですね」
「よく言われる」
「でも今回は本当に迷ったんです。だって、人を殺すわけですから」
「ふむ」
「先輩はそのへんどうなんですか」
「どうって?」
「大晦日の後、変な夢とか見ませんか」
「夢は常に変なものさ」
「屁理屈やめてください」
「ごめんごめん。君ならわかってくれると思うから率直に言う。遺族にはとても言えないけれど、正直実感はない。私は実働隊ではなかったし、遺体も見ていないから。距離が離れていたから」
そうだろう。
そうなんだ。
見えていなければ、離れていれば、そこまで心に来ない。
いや、来るのが普通なのかもしれない。
僕は来なかった。
先輩も来なかったということは素質があるんだろう。
「自分が平気だから構わないってことですか」
「そんなことは言っていない。君が感想を聞いてきたから答えただけだよ」
「そうですね、すいません」
「人を殺して良いなんて思っていない。本格的な戦争が起こって何の罪もない一般市民が殺されるのを防ぐためには、私たちが戦うしかないんだ。それを理解してくれたから連絡をくれたんじゃないのかい?」
「そうです。でも、やっぱり怖くて。頭がおかしくならないか」
「はっはっは」と先輩はわざとらしく笑ってから「君は嘘が下手だね。いい役者だよ」と言った。
(今言うのかよ)
先輩、その言葉、もっと早く聞きたかったです。
続けていたかもしれない。その言葉があれば。
「役者は嘘が上手いと思っている人が多いがそれは大変な誤解だ。心にもないことをそれらしく言うのが演技ではない。心で本当にそう思い、その通りに振る舞うのが本物の演技だ」
「……」
「役者にとって大事なのは外見より美声より記憶力より、何よりも素直さだ。思っていない言葉は口にできないか、下手になる。そうなるのが正しい。どうにかして思う技術も求められはするものだけど、どうしても思えないことはあるものさ。脚本が破綻していたりね」
「……」
「君は、人を殺すことを怖がっていない。それかもう殺したことがある」
嘘は、バレる。この人には。
それが嬉しいと思っているから余計に、もう嘘はつきたくない。
「先輩を殺すのは怖いですよ」
これがギリギリのラインだ。
僕が先輩を殺そうとしている件は今までの会話では確定していない。「仮に殺そうとしているなら」怖いですよという意味になる。本当に怖いから、嘘にはならない。
「私も死ぬのは怖いよ」
何とも言えない返答。
ここからどう会話を繋げるか?
「殺そうとなんてしてませんよ」は、嘘だから言えない。
先輩の組織に本気で入りたいとどうにかして思うことはできるだろうか。「戦争は止めたい」という取っ掛かりがあるから、やってやれないことはないだろう。しかし今は時間が……
「尾瀬君」と、あちらからアプローチ。
「はい」
「君は私のことが好き?」
「はい」
即答。間違いなくどうしようもなく好きだった時の気持ちを即座に呼び出した。過去に思ったことのある感情は活用できる。
「私のために、私の敵を殺せる?」
「はい」
助かる。歩み寄ってきてくれるとは。
たぶん先輩が僕を好きになったことはこれまでに一度もないだろう。でもきっと、「僕に好かれている状態」は居心地が良かったのだ。波長は合う。
組織に誘ってきたのは、何か裏があるわけではなく、本当に入ってほしかったのだ。僕がメンバーになれば今まで言えなかった愚痴も言える。
最初は暗殺を警戒した。今も解いてはいないだろう。けれど今、先輩は本心で、もう一度僕を誘ってくれている。
「じゃあ、会おうか。いつでもいい?」
「はい」
「明日の22時、うちに来て。住所はあとで暗号化して送る」
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