拝啓 髪様

安川某

髪様へ


 拝啓、髪様。


 あなたがお隠れになってから、どれほどの月日が経ったでしょうか。


 実のところあなたの姿が見えなくなったことに気づいたのは、美容室での出来事がきっかけでした。


「後ろこんな感じでどうですか」


 美容師がそう言いながら私の後ろ頭を鏡に照らして見せたとき、頭頂部を見た私は己の信心が失われつつあることに初めて気づいたのです。


 私の信仰はいつ失われたのでしょうか。


 我が国では八百万の髪といって、髪々は無限にも等しい存在であるとされます。


 すなわち髪とは森や海、澄み渡る空気と等しい大いなる自然の一部であり、この星が大であるように髪もまた一本ではないのだと我々は古来より知っているのです。


 それゆえに私たち日本人は他者に対して寛容たりえるのだと私は考えます。


 西洋や中東の人々を見れば我らがいかに幸福であるかが実感できるでしょう。


 なぜならば彼らは一本の毛、その毛こそ唯一絶対の髪であると信じ争い合うからです。


 対して我ら日本人は違います。彼らとは異なり、髪とは無限であると考えるがゆえに、他者の髪を認め受け入れることも容易いのです。そればかりか、こう考えます。


「髪は多ければ多いほど良い」


 だから私はこれまで確かに幸福であったのです。


 しかし、その幸福も終わりを迎えました。


 髪が失われ始めてから今日の日を迎えるまで、あっという間だった気がします。


 私の頭部には数日前まで、たしかに髪がおわしました。


 それは最後の一本であり、私はこの髪に祈りを捧げ続けました。


 抜けないでくれ。抜けないでくれ。


 私はこれまで己が成した悪行を、噛みしめるように悔いました。


 タバコをやめれば良かった。早めに湘南美容外科へ行けば良かった。AGA治療を受ければ良かった。髪のおわす内に嫁を見つければ良かった……。


 もっと祈れば良かった。


 しかしいかなる後悔も祈りも届かず、あなたは私を見捨てなさったのです。


 髪は死んだ!


 そう叫ぶ私を、人々は哀れみの目で見たのです。


 そうして私の心は憎しみに満ち、悲しみの濁流の矛先は未だ髪々を崇める人々へと向かいました。


 抜けてしまえばいい。抜けてしまえばいい。


 お前も私と同じになれ。


 この世を呪い人々をその悪意で刺し貫いたのです。


 ですが、そんな日々も今日で終わりです。


 なぜなら私の手元にはこの薬があるからです。


 この薬は荒廃した私の心と頭皮にあなたを呼び戻すための薬で、有名なYouTuberが宣伝していた物です。


 そのYouTuberは年収数億とも言われる有名な人物で、彼の動画のファンは百万人を超えるといいます。最近アイドルと結婚しました。


 そんな彼がおすすめする薬だというのですから、きっとあらゆる方法を試してだめだった私にもきっと救いが訪れることでしょう。


 この薬は本当に画期的なんです。


 どこかすごいかというと、一般的な発毛薬は血行、すなわち頭皮の血の巡りをよくすることで髪を降臨させるのですが、この薬は違います。


 人間の身体は四つのアルプラーヤ(YouTuberの彼が言うには気、またはオド、あるいはオーラのような存在)の内、北西の方角を司る属性、すなわち「毛生え」のアプルラーヤに直接働きかける薬で、古代シュメール人の王族だけに使用が許されたという物らしいのです。


 古代シュメール人についてはまだわかっていないことも多いのですが、どうやらかつて地球にいた宇宙人の子孫である可能性が高いとアメリカの研究機関が結論したらしいのです。つまり私達にはわかりようもない科学を超えた知識を持っているわけなのです。


 そんな彼らの貴重な薬がなぜ現代の、しかも私達の手に届く物になったのかは私も訝しみました。


 何度も検索サイトなどで調べてみたのがですが情報が出てきません。


 だから私はYouTuberの彼に質問してみたのです。どうしてそんなに素晴らしい薬がインターネット上の検索に出てこないのかと。もちろんTwitterで直接彼に訪ねました。


すると彼はDMでこう言ったのです。


「古代シュメー人が発明した薬はフリーメーソンの人々にのみ受け継がれていたが、今回特別に少しだけわけてもらった。フリーメーソンは秘密組織なのでGoogleにも出ません」


 私は疑問に感じ、こう返しました。


「……? シュメー人? シュメール人では……?」


「シュメー人はシュメール人の先祖にあたる人々で、北アイルランド発祥」


 彼とやり取りをする中で、正直に言えば薬の真偽についてよりも別の感情が沸き起こっていることに気づきました。


 あの有名な彼が私にメッセージを返してくれるなんて!

 彼は本も2冊出している有名人なのです。タワマンに住んでいて、テレビでミヤサコと共演したこともあるとか!

 動画で見ると少々傍若無人なところのある彼ですが、ファンを大事にするというか、やっぱりそういう丁寧なところが人気になる秘訣なんだなって思って。


 つまりまあ、私に直接メッセージをしてくれたことに正直興奮してしまったんです。


 気づけば薬を三箱買っていました。彼が言うには髪が降臨することと宇宙で高次元にアクセスすることは同義なのです。


 それと数字が関連していて、宇宙の法則に導かれたゲマトリア数である「3」が冥王星の進路係数と一致する時、すなわち「今」が大きなチャンスなんです。だから三箱買いました。


 さてその薬を飲んで三ヶ月が経とうとしています。毎日飲んでいます。


 私の頭部は相変わらずのように見えるかもしれません、しかしそれは間違いです。


 髪の姿が見えるかどうか、それは些細なことのように思えてきたからです。


 人間の幸せとは果たして相対的なものなのでしょうか?

 誰かと比較してある閾値を超えることで幸せだといえるものなのでしょうか?


 富と名声と美しい異性、全てを思いのままにしているかのような人が自ら命を断つこともあれば、それらを全て持たない惨めにも思える人の心が幸せに満ちていることもあるのです。


 すなわち人の幸せとは絶対的なもの。己の中にある唯一にして絶対な価値観の元で生まれる、極めて視野が狭く偏屈なものが幸福の基本条件なのだと気づいたのです。


 ではその幸福の正体はいったいなんなのでしょうか?


 幸福とは多様なもの、人それぞれの形があると言いますが、私はそうは思いません。全ての人々にとって、幸福の正体はただ一つなのです。


 それはなにか?


 髪よ、笑わないでください。


 それは愛なのです。


 人が求める愛の形は2つです。


 すなわち、「得る愛」と「与える愛」。


 人は愛を得、愛を与えることで幸福を感じ、その幸福のために全ての動機は存在するのです。人間の生に他の目的は一切存在しません。


 そしてその愛は、不幸なことにわがままであるのです。


 つまり「得る愛」はその者が得たいと思う愛でなければならず、「与える愛」はその者が与えたいと思う愛でなければならないのです。


 だからこそ人は愛を得られず苦しむのです。愛を与えられず嘆くのです。

 それは他者がいなければ永遠に得られず、他者がいるからこそ思うままにできないから。


 つまりこれが人類全てを幸福に到達せしめられない根本的な人類の病なのです。


 わたしはゆーちゅぶでまなびわたdしはYouTubeでからそnことをmびましt.


 このプラーnが南西お数秘jお受けします


だかr髪えぬぬぬぬうぬぃるのですか? すずけえらぅとともに


 好! 盂卯的高志了!






















「昨夜未明、世田谷区の住宅街で住居に侵入した四十代の男が逮捕されました。男はその家の五十代の男性の頭髪を全て抜き取り、自らの頭部にセロハンテープでそれを貼り付けた上で十代の娘の前でひたすら踊り続けていたところ逮捕されたとのことです。調べに対し男はYouTuberにそそのかされたと供述していますが、そのようなYouTuberは存在しない可能性が高く、警察では精神鑑定を含め……」



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