ぼくは0点? 第二部

馬永

第二部 高校生編

序章

 中学時代のテストで33点から100点まで成り上がり、数学は得意になったと思っていたにも関わらず、高校に入った秀雄は既に数Ⅰの段階で匙を投げていた。「自分は理系ではない」、2年生への進級を控えた秀雄は迷いもなく文系を選んだ。そこに0点を採ってから頑張って得意教科に変えた英語を活かしたいというような能動的な理由は介在しなかった。少しだけ秀雄のことを弁護すれば、「数学が苦手」という理由で文系を選ぶ生徒は少なくはない。

 これは進学を考える多くの高校生が陥る、人生においてかなり大きな過ちである。



第一章 (2回目の)高1

◆アニキ

 春休み中に、秀雄は生まれて初めて美容院に行った。ヘアースタイルブックを買って、吟味し、巻末にある『あなたの街でもこのヘアスタイルにできるお店』一覧から店舗を探し出し、わざわざ予約して行った。直毛でぺったんこ、よく言えばサラサラの髪を、ナチュラルなウェーブのかかったエアーでアンニュイな感じにしたかった。

 「こんな感じにしてください…。」

 ごちゃごちゃした部品をゴムでやたら括り付けられて、燃えるほど熱い大型ヘルメットのような機械をあてがわれ、鏡を直視できない恥ずかしい1時間を我慢して出来上がった髪形は、秀雄がお願いした「こんな感じ」とはだいぶ違う感じだった。

 飛ぶように家に帰って風呂場で何度も何度も洗ってみたが、クルクルが増々ひどくなるだけ、どうしたものかと泣きそうになっていたところに、外に出ていた母親が帰ってきた。

 「どうしたん?その鳥の巣みたいな頭!」

 そのまま母親に連れられて同じ美容院に行き、ストレートパーマを施してもらった。それでも元には戻らず、鳥の巣は回避できたが、コントに出てくるおばちゃんみたいなスタイルになってしまった。


 戦前から建つ、良く言えば趣のある、普通に言えばオンボロの、由緒正しき歴史の重みを感じさせる校舎を誇る県立讃岐高校の入学式には多くの保護者も訪れた。空襲時の穴をふさいだ跡がある体育館での式の後、生徒たちは保護者と一緒に各クラスに分かれた。この年の新入生は全部で11クラス、秀雄は1年7組だ。担任は船倉先生。恰幅のいい、ちょっぴり頭髪の寂しい、国語の先生だった。中学、私立高校時代と秀雄は国語の先生に縁があるようだ。1年浪人して入学した秀雄は「年下になめられてはいけない」と自意識過剰になっており、長めの学ラン、革靴、なにより、ちょっと奇抜な髪形でこの大切な初日に臨んでいた。予想通り、男子のほとんどは学校指定の標準学生服、白のスニーカーで来ていた。残念ながら、一緒にいた秀雄の母親は息子が浮いていることに気づかなかった。「自分が通ったかもしれない高校」に足を踏み入れて、彼女なりに感慨深いことが多かったのだろう。

 翌日、朝一で秀雄は船倉先生に呼び出された。

 「君のその髪型は校則違反ではないのですか?」

 「天然パーマです。」

 「その制服は?」

 「親戚のおさがりです。」

 入学2日目の午前中は長めのホームルームだった。出席番号の関係で、秀雄の席は教壇の目の前だ。

 「いいですか、高校に入学してほっとしているかもしれませんが、皆さんには既に大学受験が迫ってきます。3年なんてあっという間です。浮かれている暇はないですよ。もう勝負は始まっています。」

 昨日の保護者がいる時とは打って変わって、にこりともしない船倉先生は時折、その笑っていない目で秀雄を睨んだ。先生の話の後、全生徒が一人ずつ前に出て自己紹介をした。男子33人、女子8人。セントラル学園で男子校経験をしていた秀雄にとって女子がいる風景というのは1年ぶりだ。ほわほわしているうちに自分の番が来てしまった。何を話したらいいかきちんと考えておらず、その場で思いついたことを適当に話した。

 「進藤秀雄(シンドウ・ヒデオ)です。僕は讃高を2回受けてやっと入れたので、年は皆さんの1つ上です。でも、怖くないので仲良くしてください。あと、2年近く受験勉強している間、ずっと家で筋トレしてたんで、腕立てとか腹筋とかはちょっと自信があります。」

 嘘ではなかった。この2年ほど一日も欠かさず筋トレしたせいか、風呂場の鏡で毎晩、自分で筋肉チェックしてしまうくらいの体格になっていた。その後の休み時間、教室の後ろの席からでっかい岩のような男が、机をかき分けるようにして秀雄の席に近づいてきた。

 「腕相撲しよ…しましょう。」

 出席番号で秀雄のすぐ前の生徒だった。たまたま席の区切りで、一番前と一番後ろになっており、この時初めて会話をした。170センチの秀雄よりも10センチ以上は大きい。

 「お、おう、やろうで。」

 秀雄としては別に腕相撲に自信があったわけではないが、少なくとも、この2年欠かさずに筋トレしてきた自負と、さらに1つ年上という根拠のない拠り所があった。それが甘かったことは腕を組んだ瞬間に分かった。ちょっと次元が違う。正しく岩を相手にしたようだった。

 「俺が審判します。」

 ここでもう一人、入ってきた。

 「よーい、」

 いつの間にか、2人の周りをクラスの男子が囲んでいる。

 「始め!」

 最初から全力を出したのに、微塵も動かなかった。

 「ぐぬぬぬ…」

 「本気、出しますよ。」

 「…いかん、俺の負けじゃ。」

 秀雄はさっさと白旗を上げた。

 「ごめん。名前、何やったっけ?」

 「サトシ。」

 「サ、サトシ。むっちゃ強いの。何かスポーツ、野球とか、やっとったん?」

 冴木聡(サエキ・サトシ)はさらっと答えた。

 「吹奏楽。」

 でっかい岩みたいな男が吹奏楽…これには秀雄だけでなく、周りのほぼ全員が噴き出した。審判を買って出てくれた男子が

 「次、俺とやろうで!柔道部やったんや。俺はカメ。」

 とサトシの腕を取ったが、彼、亀山一(カメヤマ・ハジメ)も秒殺された。


 クラスの男子が集まってくれたついでに、秀雄は気になっていることを相談した。

 「みんな、俺みたいなんがクラスメイトでごめんの。で、お願いがあるんやけど…敬語はやめてくれんか。」

 一同、戸惑いつつも頷く。

 「けどの、呼び捨てはちょっときついんじゃ。“さん”付けも嫌やし、みんなで俺の呼び方、考えてくれんか?」

 「確かに。俺も“さん”付けはどうかと思とった。」

 と同調してくれたのは、サトシと同じ中学のゴラン、強羅良治(ゴウラ・リョウジ)。

 「うーん、しんちゃん?」

 「ひでちゃん?」

 「“ちゃん”って顔してないやろ、俺。」

 「確かにそうやの。」

 「ひでっち。」

 本当にみんなで真剣に考えてくれた。

 「…」

 「何かええん、ないか?」

 「アニキは?」

 「おぉ、アニキか。」

 「ええんちゃう。アニキっぽい顔やし。」

 「アニキー!!!」

 この日から秀雄はアニキになった。


 アニキ…、秀雄の高校に入ったらやってみたいこと1位は「サッカー部に入る」だった。秀雄が小6のときに週刊誌連載のサッカー漫画が全国的な人気を博し、ご多分に漏れず秀雄も影響を受けたのだが、清水東中にサッカー部はなかった。そこで剣道部に入り、児島中、古高丸中でも剣道を続けた。50メートル6.3秒、足には自信があったし、体格も良くなったし、既に妄想の世界では漫画に出てくるライバルキャラクター、生まれついてのエース・ストライカーだった。

 4月早々にサッカー部に入部を決めた秀雄とは別に、クラスの面々は体験入部などでいろいろとじっくり検討していた。

 「人間の骨格や筋肉の仕組みの勉強になる。」

 と言って、実家が病院を営むカメは柔道部に入部した。がっしりした体に似合わず、顔はかわいい。

 「俺はスピードで勝負する。」

 決して背は高い方ではないが、ゴランは中学からのバスケを続けることにした。細身で締まった褐色の体は確かにスピードがありそうだ。

 「なんか、ようわからんのじゃ。」

 元吹奏楽部サトシは高校ではスポーツをしたいと考えていたようで、いくつかの運動部の見学を繰り返していた。

 「ほんだら、俺と応援団の見学に行こうで。」

 とサトシを誘ったのは、センちゃん、泉光彦(イズミ・ミツヒコ)。クラスで一番背が低く、一番鼻が大きい。授業中に機転の利いた一言をつぶやくのと、休み時間中に机の周りをぴょんぴょん飛び跳ねるので、早々にクラスのマスコット的存在になった。

 「センちゃんが応援団?」

 「そうや、俺に男らしさが加わったら完璧やろ。」

 「ほんまや、完璧やわ。見学、連れていってくれ。」

 サトシは一言が優しい。

 秀雄は全く気がついていないのだが、新入生の多くがこの段階で既にきちんと大学受験を見越していろいろ考えている。中には、受験のために部活をせずに勉強に専念する、と早々に決めている者も少なからずいた。秀雄は、自分が年上どころか一番幼いことに全く気づいていなかった。


◆夏休み

 「アニキ、カメとサトシがやらかしたらしいわ!」

 と聞いたのは夏休み直前。昼休みの食堂で目が合った、合わないで二人が上級生数人ともめたそうだ。

 「相手は?」

 「3年生らしいで。」

 「何人?」

 「3人」

 「今度は先輩か…もう。」

 人見知りしないカメはともかく、サトシは入学してからしばらくの間、他のクラスの男子としばしば衝突していた。『サトシのこれからを考える』と題して、放課後、男子の面々で彼の今後をどうするかと会議が開かれたくらいだ。

 「要は、お互いを知らないから衝突する。先にこちらからサトシをお披露目してまわったらええんちゃうか。」

 中学から彼をよく知るゴランの提案は、全員一致で可決された。もともと素直なサトシは、皆の意見を聞き入れ、「腕相撲しよう」と1年生の全クラスを回って、各クラスの力自慢たちを軒並み殲滅していった。以後、1年生の中での余計な衝突は収まった。その後、1学期も終わる頃には、秀雄がよくない見本となって、サトシもカメも学校指定の標準学生服とは遠く離れた学ランを羽織るようになり、この3人は用もないのに学校中を、上級生のクラスのある校舎、階までも歩き回るようになっていた。

 讃岐高校には秀雄が2学期間だけ通った私立セントラル学園で、毎朝正門前で行われた服装検査や抜き打ちの持ち物検査などが全くなかった。それ以前に校則というものがほとんどないに等しかった。正確にいうと、校則は勿論あったのだが、それはよほど羽目を外し過ぎたごく一部の生徒に対して適用されるためのものであった。大抵の生徒にとって校則を守る・守らないは、各自の自主性に委ねられており、教師はそこに目くじらを立てる必要がなかった。この校則に則った結果、サトシもカメも夏休み前の1週間、停学処分となった。ところが、相手の3年生は3人とも停学にはならなかった。噂では、大学受験の内申書に影響しないようにという忖度が働いたためと聞いた。このことは、秀雄に「世の中って?」と考えさせるきっかけの一つとなる。

 夏休みに入り、停学の明けたサトシとカメが登校してきた。公立校にして全国でも有名な進学校である讃岐高校は、1年生といえ、さらに夏休みといえども、夏季講習があって7月中は午前授業となるのだ。午前中の講習が終わって、久しぶりに皆で昼食を食べに行こうとなった。サトシ、カメ、センちゃん、ゴラン、秀雄の5人でうどんを食べて、そのままいつものようにセンちゃん邸に流れ込んだ。センちゃん邸は高校からすぐの商店街沿いにある4階建て、1階は洋服販売の店舗となっている。4階のセンちゃんの部屋にはテレビもゲームも、なんとピアノまであった。驚くべきことに、お店にいるお母さんかお父さんに声をかけると、センちゃんがいなくても部屋に上げてもらえるので、緊張の糸がほどけ、お互いの人となりが分かってきた5月くらいから、クラスの男子の多くが学校の帰りにセンちゃん邸に拠るようになっていた。

 センちゃん邸へ行く途中など、商店街を男子数人で連れ立って歩いていると、ときどき、お巡りさんに声をかけられる。

 「君ら、どこの高校?」

 「讃高っす。」

 「そうか、勉強頑張れよ。」

 大抵、これだけのやり取りで終わる。同じようなことが、昨年、セントラル学園に通っている時にも数回あった。

 「君ら、どこの高校?」

 「セントラル。」

 「ちょっと待って。カバンとポケットの中のもん、見せてもらっていい?」

 見つかるとまずいものがなければ、それで解放される。その時は何の迷いもなくそんなものかと思っていたので気にもしていなかったが、たった1年での待遇の違いに最初は戸惑った。これも秀雄に「世の中って?」と考えさせるきっかけの一つとなった。


 讃岐高校は市内の中心地にある立地上、体育館やグランドは元々広くない上に、この年は新体育館建設のため第1グランドが半分程度しか使えなくなっていた。限られたスペースを交代制で使用する為、運動部の活動にはそれぞれ時間制限が設けられており、この日はこの5人とも、部活開始が午後の遅い時間となっていた。センちゃん邸での過ごし方は様々だが、漫画を読んだり、テレビを見ながらとりとめもない話をしたり、中にはセンちゃんのベッドで寝てしまう強者もいたが、大抵はゲームをして時間をつぶす。この5人の時は、持ち主のセンちゃんは指南役、秀雄はゲームをやったことがないのでもっぱら観客、サトシとカメ、ゴランらが交代でプレイヤーになる。

 「このゲーム考えた人、天才やと思うわ。」

 「ほんまわ。ゲームを愛しとるっていうんが伝わってくるわー。」

 「うーん、好きなことをして、それが仕事になるってどうな感じなんかの?」

 ゲームをしながらでも、そこは思春期、真面目な話もする。

 「俺は小学校の教師になる。」

 大きい鼻の横顔のまま、唐突にセンちゃんがつぶやいた。

 「お前が先生か!?そしたら、俺の子はお前に見てもらうわ。」

 「そうやの。なんか面白そうなクラスになりそうやの。」

 コントローラーを操作しながら、カメとサトシが納得した。

 「あれ?中学の時にはみんなから笑われたんやけど、お前らは笑わんのか?」

 「人の夢は笑わん。で、何で教師なん?小学校の教師って決めとん?」

 ゴランが聞いた。

 「小学校の時の先生にむっちゃお世話になったんじゃ。その先生のおかげでタカマにも入れたって思っとる。俺はその先生みたいになりたい。」

 センちゃんのそんな面を初めて知った。

 「俺はパイロット。小さい時からの憧れじゃ。」

 とサトシ。

 「俺は医者やのー。家が病院やからというよりは、親父を見とったら真面目にすごいと思うんや。」

 とカメ。

 「ほう。俺は親が教師やけんか、逆に教師以外の仕事をしたいと思うけどの。」

 これはゴラン。

 すいすい進む会話にすっかり秀雄は乗り遅れた。

 「いかん。俺、何も考えとらん。」

 「アニキはアニキやろ。これから何か見つけたらええでない。」

 ゴランの一言は嬉しかったが、正直、秀雄はすごく惨めな気持ちになった。これは秀雄が「自分って?」を考えるきっかけになった。


◆氷屋けんちゃん

 2学期になり、イベントが一気に増えた。中2の時の7組もそうだったが、この高校1年7組のイベントにおける強さは異常で、クラスマッチではサッカー、バスケ、バレー、何だろうと他組の追随を全く許さなかった。8人しかいない女子も含めて運動神経のいい生徒が多かったこともあるが、体の大きなサトシ、体格のいいカメや秀雄が、他のクラスの男子を脅すように睨みつけるせいでもあった…。さらに、チームワークにも恵まれ、体育祭ではクラス全員が自発的に放課後に残って、横断幕やお揃いのゼッケンを手作りした。

 10月、高校のメインイベントといっても過言ではない文化祭では、「氷屋けんちゃん」をオープンした。讃岐高校の文化祭は県外含めて多くの来賓が来るほど有名だが、それは決して派手だからではない。定番の「お化け屋敷」などは敢えてやらない、生徒たちによる独創的な教室展示や催し物が毎年評判になるからであった。また、生徒だけでなく、来場者による人気投票が、生徒たちの創意工夫に拍車をかけた。

 ガスの使用禁止など飲食系の出店にはかなりの制限が設けられており、その種類も店舗数も他校に比べると圧倒的に地味だった。文化祭の定番である「たこ焼き」「焼きそば」「クレープ」などの模擬店は出せない。そんな中、食べ物系として認められているのは、コーヒーショップ(飲み物とケーキのみ)2店と「かき氷屋」1店の計3店舗だけであり、多くのクラスがこの3つしかない狭き門を目指してくるため、競争率はかなり激しかった。くじによる「かき氷屋」を引き当てたのは、文化祭委員の秀雄というより、このクラスの運の強さであろう。

 業者から電動の氷削り器を2台貸していただけるとのことで、店内での飲食用に1台、もう1台を窓際でのドライブスルー形式で販売するのに使おう、というところまではとんとん拍子に決まった。店内を「南の島」のイメージで装飾する、そのために普段の教室の感じをできるだけ消さねば、というところからが雲行きが怪しくなった。秀雄は中学でも文化祭というものを経験したことがなかった。役割分担をどうするか、装飾をどうするか、材料はどうするか、それ以前に、何をいつまでにどうやって決めるのか、といったことが全く分からなかった。この時期、船倉先生は良くも悪くもクラスの決め事に関しては完全にノータッチになっており、何を聞いても「自分たちで決めなさい」だった。

 秀雄は父親に頼んで、結構な量の木材を都合してもらい、日曜日にそれを車で教室に運び入れてもらった(この時代、学校への出入りはかなり自由だった)。木材で枠組みを作り、それに青い布を貼って教室の黒板や壁を隠せばいいと思ったからだった。翌日、喜んでもらえると思っていたクラスの皆の反応は、今一つだった。

 「これで何したらええんな?」

 サトシは優しく聞いてくれた。

 「何でも一人でしようとしたらいかんので。」

 ゴランからは怒られた。

 「アニキが考えとることがようわからん。」

 とカメからははっきり言われた。ここにきて活躍したのはカメをはじめ、数人いた国立大学教育学部付属中学出身の生徒だった。私立中学がなくほとんどの生徒が近くの公立中学に進学するしかない県下において、幼少期から讃岐高校を経て大学、特に医学部を目指す少数の生徒たちがこの中学に集まっている。ここの生徒たちは既に中学時代、文化祭など公立中学で実施していないイベントをいくつも経験してきていた。そのため、イベントを開催するための準備、そのための議論にも慣れていた。カメの助けを借りながら、クラスの内装イメージ、それに伴うユニフォームのデザイン案を出し合い、制作のために各自が家庭から持ってくる材料を決め、それをいつまでに揃えることなどが次々と決まっていった。

 文化祭当日の3日間は、これまた強運が幸いしたのか、晴天が続き、残暑がもどってきたような暑さとなり、かき氷は飛ぶように売れた。売り上げの中から、機材のレンタル料や氷の代金を業者に払い、残りは学校立て直しのための資金となったのだが、やはり船倉先生からその辺りのお金の流れの説明はなく、秀雄たちとしても、そんなことは全く気にも留めなかった。「氷屋けんちゃん」は、生徒及び来賓、一般参加者による投票で、その年の「優秀賞」を獲得することができた。ドライブスルー方式が好評だったらしい。「最優秀賞」は逃したが、それよりも皆で一つのことを作り上げたのが何より誇らしかった。

 翌週の日曜日、女子たちが文化祭の打ち上げを企画してくれた。高校の近くにある高松城公園にお菓子を持ち寄り、皆でジュースで乾杯、高校生らしい健全な会だった。秀雄は秀雄で二次会を企画した。居酒屋の宴会場を早い時間に貸し切りにしたのだ。秀雄が2度目の受験で讃岐高校に合格した際の祝勝会に、セントラル学園の友だちが連れてきてくれた店だった。高校生らしくない不健全な会だった。「無理して来んでもええけど、絶対に先生に言うたらいかんで」とクラスに秘密裏に回したところ、なんと一次会に来ていた全員が参加した。

 「アニキ、こんなお店、知っとん?よう来るん??」

 「ま、まあの。」

 どうしても年上面したい秀雄は、飲み過ぎてこの会後半の記憶をなくし、後からもらった写真で、自分の目が座っていることに驚くこととなる。

 この後、秀雄はクラスの誰か彼かからちょくちょく相談されるようになった。

 「アニキ、俺、彼女ができたんやけど、なんかええ感じの店、知っとん?」

 「進藤くん、ケーキのおいしい喫茶店ってわかる?」

 はたして年上面したい秀雄は、頼られるのが嬉しくて、この頃から地元の情報誌をくまなく読むようになった。読むだけでなく、カメやゴラン、サトシらとちょくちょく居酒屋に行くようにもなる。

 「ここ、俺の行きつけの店。」

 カメとゴランはお酒も多少は飲めた。一方、サトシは全く飲めず、もっぱら食べる専門で

 「こんな大男が酔って暴れても誰も止められん、世の中うまくできとるの。」

 と皆で不思議に納得したりした。センちゃんとはディスコに行ってみた。

 「年上のきれいなお姉さんから誘われたらどうする?」

 と大騒ぎしながら店に入ったものの、人のまばらなフロアで二人は部活のように黙々と体を動かしただけで終わった。


◆文系、理系の壁

 3学期も瞬く間に過ぎていった。この1年があっという間だ。普通科しかない讃岐高校では、生徒全員が2年生に進級する際に文系に進むか理系に進むかを決めなくてはいけない。毎年の進学率(進学希望も含むと)がほぼ100%近く、就職する生徒が学年に数人いるかいないかの高校なので、就職コースなどもともとない。

 教師志望のセンちゃんは文系、医者志望のカメとパイロット志望のサトシは理系を迷わず選んだ。ゴランは相当悩んだ上で「弁護士を考えとる」と文系に決めた。秀雄は全く悩みもせずに文系にした。秀雄の親族のほとんどは同じ県内で暮らしており、大学に進学した者が近くにいない。進学経験のある遠い親戚は当然県外で生活しており、盆正月のやり取りさえ怪しい。そんな秀雄にとって、大学というところがどういうところなのかを知る術は、カメやゴランとの会話くらいだった。現在のようにインターネットで誰でも情報が入手できるわけでもなかったこの時代、秀雄には将来のことをアドバイスしてくれる、相談できる大人がいなかった。勿論、秀雄と同じような環境、もっと助けのない環境にいても、自分自身できちんと情報を得、将来を見据えていた生徒はたくさんいたわけであり、とにかく秀雄はあまりにも幼過ぎた。

 いつの世も思春期の中高生というのは「何のために生まれてきたのか」「なんで勉強しないといけないのか」「なんで働かないといけないのか」という問いを抱く。そして、いつの世も大人たちはそれに対して明確な答えを教えない、教えられない。ただ、生き方でその答えを示す大人は存在する。そう考えると、子どもたちにとっての運、不運というのはどういう大人に出会うか、どういった大人たちに囲まれて育つか、なのかもしれない。子どもが学べる大人、それは必ずしも両親、親でないといけないということはない。親としての務めがあるとしたら、自分や、自分以外で生き方を示してくれる大人をどれだけ多く我が子の周囲に配備できるか、となるかもしれない。

 中学時代のテストで33点から100点まで成り上がり、数学は得意になったと思っていたにも関わらず、秀雄は既に数Ⅰの段階で匙を投げていた。カメやゴランが数学の問題集を開いて、ほぼ瞬間的に「この問題は、この公式をつかえばいい」と閃くような問題に、秀雄は全く閃くことができなかった。解き方を聞けば「確かにそうだ」と納得はできるのだが、では次に一人で解くとなると、やはり肝心の閃きがない。「自分は理系ではない」、2年生への進級を控えた秀雄が出した結論だ。よって、希望を聞かれた際にも迷いなく「文系希望」と応えた。少しだけ秀雄のことを弁護すれば、この時代、「数学が苦手」という理由で文系を選ぶ生徒は少なくはなかった。しかし、これは進学を考える多くの高校生が陥る、人生においてかなり大きな過ちである。

 大学の入試制度は時代によって変化し、特に最近の多様化は目覚ましいものがあり、少なくとも知識の量だけでは判定しないという大学も多く現れてきてはいる。とはいえ、日本の大学を大きな括りで分けるとなると、やはり理系と文系に分かれることになることに変わりはない。「文理分け」自体は海外にも存在するが、「分離断絶」なのは先進国の中では日本だけかもしれない。本来は、「数学」的な考え方をきちんと伝えるために「言葉」が必要であり、文系と理系は対なるものであって、断絶するものではない。文系か理系かを選ぶのは自分の能力を生かすための出発点とすべきであり、一方を切り捨てることではないことを、教育界だけでなく日本社会全体で考え直すべきではないだろうか。

 日本における文系か理系かという2つの選択肢がどういうものであるかというと、未だに、一旦選んでしまうと自分の気持ちや環境の変化によって自由に路線変更ができない仕組みになっている。但し、その難しさが均等な訳でもない。例えば、高2で文系を選択し、数学や物理の勉強を放棄した後、高3になって理系に進みたいと心変わりしても、放棄したものの大きさに絶望することになる。一方で、理系を選択した生徒は語学の勉強は続けているため、途中で文系に変更するのは多少の厳しさはあっても、実は数学の力が優位に働くことも多い。つまり、理転(文系から理系)はほぼ不可能、文転(理系から文系)はほぼ可能&しばしば有利、となる。これは就職の際にも同様なことが言える。理系を選んだ生徒は進学、就職共に理系・文系どちらの道も選ぶことができるが、一旦文系を選んだ生徒は限りなく文系の道しか残されていないのだ。

 時代により理系人気や文系人気の上下はあるが、それでも「数学が苦手だから」という理由で文系を選ぶ生徒は相変わらず多い。こうした生徒は、誤解を恐れずに言うと、「たかが数学」で人生の選択肢の数を大きく減らしてしまっている。かといって、数学の基本となる速くて正確な四則演算力の定着には、スポーツと同じ毎日の反復練習が必要であり、これは公教育の時間内だけでやれるものではなく、多くは家庭教育に求められる。誤解を恐れずに言うと、「数学」は親の意識や経済力に大きく左右される教科なのだ。

 残念なことに、秀雄はこうしたことを考えたこともなかった。無知は罪だ。



第二章 高2 

◆文化祭委員

 2年に進級した。1年の時は階数も校舎もバラバラだったのが、東を起点としてL字型となる校舎の4階部分(3階まではE型)を2年生の全11クラスで専有することになった。4階の廊下を東端から西端へ歩いて右に並ぶ1組から6組が文系クラス、西端で左に曲がり北端から南端に歩くと左に並ぶ7組から11組が理系クラスだ。文系の6クラスは1クラスの半数以上が女子なのに対し、理系は5クラス全員の女子を合わせても文系の1クラス分にしかならない、同じ校舎の4階でも角を曲がった途端に雰囲気が随分と違ったものになる。理系エリアは気のせいか照明も暗いように感じる。女子力は偉大なのだ。文系のセンちゃんが1組、秀雄は4組、ゴランは6組、理系に進んだカメとサトシは11組と、文系、理系は仕方ないとしても、元1年7組の面々は見事なまでにバラバラになった。特に秀雄の4組には1年7組出身の男子は秀雄しかいなかった。何かの意図を感じる…。秀雄の全く知らない話として、船倉先生は受け持ったクラスで停学者を出したなど諸々の理由でこの春に異動していた。

 「アニキと一緒?こっわ。お手柔らかにー。」

 クラスに入ると、先着組の中に唯一の見慣れた顔、サッカー部の廣田貴明(ヒロタ・タカアキ)が笑いながら話しかけてくれた。

 「おー、タカさんがおってくれてよかったわー。仲ええ奴がぜんぜんおらん。」

 「はは。これから仲よくなったらええでない。」

 サッカーのポジションは右ウィング、ぐいぐいと敵陣へ攻め込んでいくそのスタイルとはおよそ似つかわしくない、やわらかい笑顔でタカさんは答えた。

 「アニキがよかったらなんやけど、文化祭委員、一緒にやらんか?」

 「文化祭委員?そういやタカさんも去年、委員やったの。別にええで。」

 その日のうちに学級委員を含め、様々なクラス委員が決まり、そのうちの文化祭委員は秀雄とタカさんになった。


 4月の終わりには早速、年度最初の文化祭委員会が開かれた。1年生と2年生の全クラスの文化祭委員が集まる会合だ。10月の文化祭の準備は既に4月から始まる。受験勉強がある3年生は準備が必要な教室展示や模擬店という形での参加をしないため、実質、2年生が最高学年となり、その年度の文化祭を仕切る。この4月の初回だけは引継ぎの関係上、昨年の文化祭委員長と副委員長が参加していた。地元の企業・商店への協力依頼、資金集めなどに関する昨年の反省点および引継ぎ事項の説明があった後、現3年生の元委員長から

 「では、今年の各役割を決めていきます。まずは委員長、副委員長を2年生の中から募ります。立候補、推薦、どちらでも構いませんから、皆さんのご意見をどうぞ。」

 2年の委員は秀雄、タカさんを含めて、昨年も見たメンツが多い。ここで秀雄は手を挙げて立ち上がった。

 「よければ、僕に委員長をやらせてください。副委員長にはここにいる廣田くんを推薦します。」

 「はい。僕からは進藤くんを委員長に推薦します。」

 タカさんも立ち上がった。二人の身長はだいたい同じくらいだが、並んで立つとタカさんの爽やかさが目立つ。同じサッカー部なのに、秀雄が真っ黒なのに対し、タカさんは白い。「オセロみたい」と言ったのは担任の山根先生。

 クラスで文化祭委員になった後にタカさんから提案されて、今日までに二人で決めていたことだった。

 「どうせやるんやったら、自分らが委員長、副委員長にならん?」

 「それやったら、タカさんが委員長でええやん。手伝うで。」

 「俺が立候補しても無理なんや。だいたい性格もそういうタイプやない。シュートよりセンタリングを上げる方が好きやし。アニキは有名やけん、委員長に立候補しても大丈夫。」

 確かに、「浪人した子が讃高に入学した」という話は学校内どころか他校にまで知られていたし、そうでなくともサトシらと一緒に全クラスを回ったりと、良くも悪くも顔だけは売れている。というか、特に女子からは怖がられており、自分で蒔いた種のくせに、秀雄は一丁前に悩んでいた。

 「どうしようかの…。」

 「女子に人気出るで。」

 「よし、やる。」

 そして、委員長に秀雄、副委員長にタカさんが全会一致で決まった。


◆讃高探検

 約1ヶ月後、2年4組としての文化祭への出し物も決まった。相変わらず飲食模擬店への人気に根強いものがあったが、タカさんの持ち込み企画「8ミリ映画」が票を伸ばし、途中からは「映画は面白そうだけど、何を撮るが問題だ」とクラス会は紛糾した。この時点でもほぼ決まりつつあったが、決定づけたのは山根先生の一声だった。

 「みんな、うちの学校の地下に防空壕があるって知ってますか?」

 「えぇーっ!」

 「ほんまに?」

 「どこ?どこ?」

 「通信制の職員室の地下にあるんだそうです。僕も話でしか聞いたことないけど。」

 「その防空壕を撮ろう!」ということで意見は急速にまとまった。一度、方向性が決まると恐ろしいスピードで話は進む。

 「この校舎ってあと数年でなくなるんやろ?」

 「古いし、不便やし、暑いし、寒いし。けど、なくなるって思ったら、なんか寂しい。」

 この時、新体育館は完成しており、既に空襲跡のあった旧体育館は取り壊され、続いてその場所に新校舎の建設が始まろうとしていた。市のど真ん中という立地上、仕方ないのかもしれないが、なんと高校の地下に市営駐車場が作られるため、通常よりもかなり長い工事期間が必要で、秀雄の学年は卒業までずっと第一グランドは使用禁止で、運動部の練習や体育の授業には徒歩で5分ほど離れたところにある第二グランドを使うしかない。

 「今のこの校舎を映像に残すって、ええんちゃう?」

 「探したら、防空壕の他にも、何でこんなんあるん?みたいな変なところがいっぱい出てくるかも。」

 「この熱風撹拌(かくはん)機だけでも十分、変やぞ。」

 男子の一人が天井を指差しながら言った。まだ公立校にエアコンがないのが当然の時代、夏になると窓を開けるしか暑さ対策がなく、かといって市内の中心地で窓を開けると騒音がうるさく、その対策なのかいつ取り付けられたのかもわからないほど古い扇風機が数台、首をかしげるように天井からぶら下がっていた。壁のスイッチで電源を入れると、ファンを回しながら首も回して健気に動くのだが、二重の動きに耐えられないのかいつ落ちてきても不思議でないくらい恐ろしく震えるし、一向に涼しくもならないため、ほぼ誰も電源を入れようとしない代物だ。

 「そうそう、こんなんをいろいろ探して、映画で撮ったらええやん。」

 「なら、いくつかの班に分かれて、学校中を探してみるか?」

 「探検やの!」

 「探検、いいですね。讃高探検、ってどうですか?」

 「先生、ナイス!讃高探検、ええやん。」

 「賛成。讃高探検。」

 「もう最優秀賞、決まったんちゃう?」

 「通信課の先生や事務の先生にも取材をお願いしようよ!」

 「取材の内容をまとめたら、文化祭当日の室内展示にもできそうやん!」

 そして1学期の期末テスト前には『讃岐高校七不思議マップ』がほぼ完成した。

  ・教師たちは何を?

   職員室の戸棚に眠るはく製動物たち

  ・どこへつながる!

   校舎裏の壁に突如出現する謎の扉

  ・開けてびっくり?

   茶道室にある扉だけのふすま

  ・危険!

   誰も近づけない水飲み場

  ・恐怖!

   熱風撹拌機

  ・何が起こった?

   継ぎはぎだらけの図書室の床

  ・地下から夜な夜な泣き声が?

   床下に眠る防空壕

 「よーし、夏休み中に撮影しましょう。脚本は僕に任せてください!」

 黒ぶち眼鏡がトレードマーク、倫理・政経の山根先生は演劇部の顧問でもあった。


 期末テストが一段落すると、上映会場となる教室の壁に展示する「七不思議」の詳細内容の調査は一気に進み、なんと夏休み前にほぼ終わってしまった。タカさんがいろいろ取り計らってくれることが大きかった。はたしてタカさんも付属中出身だった。この時の秀雄は4組よりも学校の委員としての仕事、先生たちとの協議のほか、外回り(商店や中小企業を訪問して、パンフレットに広告を出してくれるよう=資金を援助してくれようにお願いして回る)に精を出した。一方、「僕に任せて」と言い放った山根先生は実に遅筆で、脚本は一向に上がる気配さえしなかった。最も秀雄は脚本というものがどんなものかも知らなかったが。脚本ができてから配役を決めようとなっていたので、そちらも決まらないまま、夏休みに突入した。

 その日、午前の夏期講習が終わると、午後に残ったのは秀雄とタカさん、ほか数人の文化祭中心メンバーだけだった。タカさんは父親から借りてきた8ミリカメラを構えている。フィルム代が勿体ないので、試し撮りなどはできないが、編集の仕方や録音の仕方を残ったメンバーで確認していた。8ミリカメラはビデオカメラと違って映像しか撮影できない。音は後から別録することになる。そのためにも脚本は重要だし、実際にどんなセリフをしゃべったのか、背後でどんな音がしたのか、記録も同様に大切となる。

 「あー、もう!僕はその場でないとインスピレーションが湧かないタイプなんです。」

 メガネがずり落ちそうになりながら、段ボール箱を抱えた山根先生が駆けるように教室に入ってきた。箱の中には何だかいろいろ入っている。

 「うん、もう撮りましょう。その場で僕、書きますから。ね、今からすぐに撮りましょう。」

 こうして撮影が唐突に始まった。カメラマンのタカさん以外、この日その場に残っていた生徒たちの出演が成り行きで決まった。

 「探検だし探検隊でいきます。進藤くんが隊長役ね、委員長だし。よっ、隊長!うちの部室からそれらしい小道具持ってきましたから、適当に身に着けて。あとは、クールな副隊長に、癒し系隊員に、あっ、女子隊員もいないとですね…」

 一日で撮影が終わるはずもなく、通信教室や事務員の先生には事前に撮影日時を確定させてお願いする必要もあり、同じメンツがこの日から数日連続で拘束されることとなった。

 「アニキやー。アニキがおるぅ。あっ、タカさんも。何?撮影しよん?」

 撮影3日目、映画のクライマックスとなる防空壕シーンのために通信の職員室前に待機していた時だった。廊下の棚に腰かけていた秀雄の右隣に粕谷芙美(カスヤ・フミ)が座ってきた。ゴランのいる6組の文化祭委員だ。

 「おぉ、フミ。うーん、これから撮影なんやけど、先生の脚本がまだできとらんので、ここで待っとんじゃ。」

 「4組のはすごいらしい、って噂になっとるで。ちょっと敵情視察してもいい?」

 目をクルクルさせながら話してくるところは、中2の時に一緒に映画を観たリエパンを思い出させる。ショートカットが似合うところも似ていた。

 「これが今までのシーンの脚本?ちょっと見せて。」

 体を寄せながら話してくるので、ちょっと恥ずかしい。

 「ふむふむ。なんかすごそう。けど、うちのクラスはゴランがすごいんを考えとるよ。」

 「うん、聞いとる、聞いとる。ゴランが迷宮とか言うとった。うーん、あいつがおるけん、確かに6組は強敵やわ。ま、相手にとって不足なし、いうところかの。」

 「こっちも負けんで。あっ、ええもん、飲んでるやん。ちょっとちょうだい。」

 フミは秀雄の左側に置いていた飲みかけのサイダー缶を取ると、それを少しだけ飲んで返してきた。

 「ありがと。喉カラカラやったし助かったー。大丈夫、全部は飲んでないよ。ちゃんと残しとるけん。」

 手渡されたサイダー缶を見ながら、秀雄はドキドキした。

 「撮影、頑張って!」

 そう言い残すと、フミは廊下の向こうに消えていった。

 (俺、この残り、飲んでええんか?)

 しばらく、秀雄のドキドキは治まらなかった。


◆Jennifer

 ゴランから電話がかかってきたのは12月の初め。秀雄の母親が、

 「ゴウラくん言う子から電話。初めて聞いた子やわ、どんな漢字なん?」

 と言うくらい珍しい。よく電話をかけてくるのはサトシで、秀雄がいなくても長話するくらい母親はサトシとは親しくなっている。

 「おう、アニキ」

 「珍しいの。何かあったんか?」

 「いや別に何ちゃないけど、ちょっと相談があっての。」

 「おぉ、ゴランから相談って光栄やの。何や?他の学校の奴ともめたんか?」

 「ちゃう、ちゃう。全然、そんなんでない。」

 「そしたら何?」

 「…」

 ゴランが黙ったので、秀雄も少し待ってみた。

 「…。アニキ…、英語は話せるんか?」

 「あほか、俺が話せるわけないやろ。」

 「英語の成績はええんちゃうかったっけ?」

 中学1年の時に英語のテストで0点を採ってから一念発起して勉強し、その反省を活かして、高校に入っても英語だけは予習復習を欠かしていない。今のクラスで英語はタカさんとトップを競い合っているのは確かだ。一方で、実力テストで今イチなのも中学の時と変わらない。

 「ちょっとくらいは何とかなるかもしれんけど、全然自信ない。だいたい洋楽は聴くだけで、何て唄いよるかは全然わからん。」

 「そうか。実はの…」

 ゴランの両親は揃って高校の教師をしている。どうもその関係で、新年早々にアメリカにある高松市の姉妹都市から交換留学生たちがこっちに来ることになり、そのうちの一人がゴランの家に数泊するとのことだった。

 「…で、俺がその留学生の子を連れていろいろ案内することになったんやけど、アニキが興味あるんやったら一緒にどうやって思ったんじゃ。」

 「その子ということは…女子か?」

 「そうや。」

 「行く。行かせていただきます。」

 「名前はジェニファーさん、や。」

 「ジェ、ジェニファー…」

 秀雄の頭の中は当時大人気だったハリウッドのアイドル女優のような金髪で、キュートで、セクシーで、コケティッシュで…、とにかくそんなイメージで溢れかえってしまった。舞い上がった秀雄は全く気づかなかったが、これは別に電話でなくても、普通に学校で話せる内容だった。


 年明け、ゴランと高校近くの駅前で待ち合わせた。日本を代表するのだからと何を着ようか色々迷ったが、よくよく考えれば、既にゴランと会っているわけだし、代表はゴランに任せようと思い直し、普段通り、厚手のブルゾンとジーンズで家を出た。自転車で駅に向かう。いつもの通学路だ。自転車のかごにはリュックを突っ込んでいる。重くなるのは仕方なしと、リュックの中にはいつも使っている英和辞典と和英辞典が入っていた。電子辞書などまだない時代だ。自転車を駐輪所に停めて、駅前の広場、花時計の前に向かうとそこにはもう二人が着いていた。

 遠目にもはっきりわかった、ゴランの横に立っている金髪の女性…でかい。横にいるゴランが小柄なせいもあるが、秀雄よりも、いや、あのサトシよりも一回りほど縦にも横にも大きな女子がそこにいた。

 「Hi!」

 「ハ、ハーイ。ナイス、ミー、チュウ。」

 「Nice me to you, too.」

 「マイネーム、イズ、ヒデオ、シンドウ…」

 「Hideo?」

 「マイ、ニックネーム、イズ、アニキ。ゴラン、コール、ミー、アニキ。」

 「??」

 頭が真っ白になった。横で聞いていたゴランが笑い出した。

 「アニキ、緊張し過ぎじゃ。それとゴランは伝わらん。Sorry, he is nervous a little. He’s a nice guy and like my elder brother. So I always call him “Aniki”. An elder brother is “Aniki” in Japanese.」

 「OK. I like a nice guy! Aniki, I’m Jennifer. I came from Chicago. Have you ever visited to Chicago?」

 秀雄は彼女以前に、ゴランが何を言ったのかさえよくわからず、彼が急に知らない人になったかのような錯覚さえ覚えた。それはすぐ近くにいた男が、思っていたよりもずっとずっとハイスペックだったことを思い知らされた瞬間だった。

 「う、うん?」

 「アニキ、ジェニファーが挨拶しよるで。シカゴに行ったことある?って。ほんで、ジェニファーはちょっとは日本語がわかるけん、もうちょっと安心しーまい。」

 「ほ、ほんまか、よろしく。プリーズ。」

 「よろしくおねがいします。」

 駅前発着のバスに乗り、昨年開通したばかりの瀬戸大橋を渡り、橋の途中にあるインターで降りて、瀬戸内海の小さな島を回るというのがその日のプランだった。そして、その日一日中、秀雄はほぼ無口になった。


◆告白

 「アニキ、あれはないわ。俺はアニキがもっと会話を盛り上げてくれる思うて誘ったのに。」

 「それはホンマに悪かった。けどの、盛り上げるとかの前に、何言いいよるか分からんかったし無理やぞ。だいたい、ゴランがあんなに英語話せるって知らんかったし。俺がおらんでもよかったやろが。」

 「俺やってぜんぜん話せてないわ。知っとる単語、並べとっただけや。」

 「あれで話せてないんやったら、俺のは英語でも何でもないわ。俺はほんまに落ち込んだ。」

 「ジェニファーやって日本語で話そうとしてくれたし、日本語で話してくれてよかったのに。」

 「うう…」

 「もうええでない。アニキもゴランもお互い、別に悪気があったわけやないんやろ。」

 3学期が始まった最初の土曜日の夕方、センちゃん邸で気まずい雰囲気になりそうだった秀雄とゴランの間にカメが割って入ってくれた。ベッドに寝ころんでいたセンちゃんがすかさず茶々を入れる。

 「ほんで、そのジェニファーちゃんは可愛かったんか?」

 「…」

 「…」

 「可愛かったら、俺はもうちょっと頑張って話そうと思ったかもしれん…。」

 「アニキ、それを言うんやったら俺はほんまに怒るで。」

 「ハッハッハ、いかん、これは俺が悪かったわ。ごめん。」

 センちゃんがこの場を収めた。

 「けど、そんなに英語は話せんもんなんや。パイロットになるんに英語は必須やし、どんな勉強したらええんやろ。」

 買ってきた肉まんをもさもさ食べていたサトシがつぶやいた。

 「まじでゴランはすごかったで。どんな勉強しよんじゃ?」

 「まあ、ラジオの英語講座とかは結構聞くようにしとる。」

 CDが市場に出回り始めた時代、英会話産業もまだまだこれからで、学校の英語の授業はカセットテープが使われればまだマシな方で、大抵は先生の音読を聞くだけだった。

 「やっぱりゴランはちゃんと勉強しよんやの。もうすぐ3年やし、そろそろ勉強に専念した方がええんやろか?」

 「俺はもう柔道部を辞めるで。理系クラスはもう部活しよる奴の方が少なくなっとるわ。」

 カメが腕組みしながら珍しく真剣な顔をした。カメとはいえ、医学部のハードルは決して低くないようだ。

 「俺はもうちょっとバレー、続けたいわ…。」

 いろいろと運動部を転々とした後、サトシは2年になってバレー部に落ち着いていた。

 「夏までやろうで、夏まで。援団は野球部と一心同体やけん、俺は夏まではやるで。」

 センちゃんがベッドから跳ね起きた。ここにきて身長が伸びており、もうクラスで一番小さいということはなさそうだ。なんと、彼は応援団の団長になっていた。心なし貫禄がついてきたようにも見える。

 「それよりも今のうちに早よ彼女を作らんとの!団長やで、もてるでー、これから。」

 前言撤回。

 この5人のうち、彼女がいるのはカメだった。女子校の子らしい。後輩の女子に人気があるサトシは何人かの子と付き合ってきたが今はいない。秀雄は常時募集中だが根本的に女子に怖がられている。基本、ゴランはこの手の話にはほとんど乗ってこない。

 「それなんやけどの、みんなに報告がある。」

 切り出したのは、そんなゴランだった。

 「好きな子ができた。」

 「あああっ?」

 「まじで、まじで?」

 「誰や、誰や、誰や?」

 「俺が知っとる子か?」

 「うちの高校?」

 「同じ学年?」

 「もしや同じクラスか?」

 皆が大興奮した。

 「文化祭での…仲良うなったんじゃ。」

 色黒のゴランが心なしが赤く見えた。


◆文化祭の落し物

 この年度の文化祭のテーマは『讃高新創成期Re-Genesis』だった。一般公募で集まった案の中から多数決という大義名分を隠れ蓑に、根回しした秀雄がほぼ独断で選んだ。もう何年も英語のテーマが続き、今年は絶対に日本語のテーマにこだわりたかった。若者が陥りがちの「自分は人と違うことをやる」熱病にこの頃の秀雄は取りつかれていた。1年のときの経験から、「なんでうちの文化祭では飲食の模擬店を増やせないんですか。ガスの使用を認めてくれればいいじゃないですか。」と職員会議でも話をさせてもらった。この意見は却下されたが、代わりに、立ち入り禁止だったグランドを、前夜祭の時だけは開放してもらい、キャンプファイヤー&フォークダンスの実現を勝ち取った。少なくとも調子にも乗っていた秀雄はそれが自分の手柄だと思っていた。裏で山根先生を始めとする生徒側に立ってくれていた先生方が奔走してくれていたことを、秀雄は少しも分かっていなかった。

 初日の午前中に小雨がぱらついた以外は天候にも恵まれ、大した問題も起こらず、文化祭は無事に終了した。2年4組の8ミリ映画「讃高探検」は、本物の防空壕、地下に眠っていた10畳ほどのスペースが何年か何十年ぶりかに公開されたこと、いつからそこにあったのかは分からない小動物の白骨が発見されたことなどが口コミで広がり、毎回の上映は立ち見が出るほどの大入りとなった。回転を上げようと上映回数を増やしたところ、酷使された映写機が熱を持ち過ぎて煙を吹き、上映中にフィルムの一部が焼け溶けてしまうというハプニングはあったにせよ、すぐに修理、編集し直して、最後の上映回まで耐え抜いた。おかげで、初回バージョンはもう誰も観ることができない。そして、2クラス選ばれる「最優秀賞」の一つは「讃高探検」が受賞した。


 クラスの打ち上げや文化祭委員の打ち上げも終わり、学校のどこにも文化祭のかけらも見つけられなくなった頃、珍しく、秀雄は山根先生に呼ばれた。しかも職員室ではなく応接室だった。入ると奥のソファに座った山根先生の前には、生徒会の発行する季刊新聞が置かれていた。秀雄には思い当たることがあった。文化祭が終わった直後に生徒会から、今年の文化祭を振り返った文章を寄稿してほしいと頼まれたのだった。原稿用紙にして数枚を数十分で書き上げたように記憶している。タイトルは『昔、生徒だった先生たちへ』。


…自分たち生徒が、如何に創意工夫を凝らして文化祭を、声を大にしてこの学校を変えようと努力しても、大人たち、教師たちはいつも簡単に却下するだけ。力のない私たちを無視するだけ。理由は「昨年までと違うから」、議論すらしようとしてくれない。あなたたちはいつからそうなったのでしょう。あなたたちにも私たちと同じように生徒だった時代があったはずです。その時も今と同じように考えていましたか?振舞っていましたか?あなたたちはすぐに風紀の乱れや校風の退廃化を私たち生徒のせいにしますが、あなたたちはどうでしたか?大人となり、力を持った今こそ、自分たちがこの学校を変えようと思ったりはしないのでしょうか。そんな気持ちはどこに置き忘れてしまったのでしょう。僕はこの文化祭を経験させていただいたことで、心底、大人にはなりたくないと思うようになりました。それを学べただけでも感謝しています。…


うなされているような、自己陶酔した言葉の羅列、うんざりするような文書がそこに載っていた。

 秀雄が部屋に入っても、山根先生は下を向いたまま何も言わなかったので、秀雄は入り口近くで立ちすくむしかなかった。随分と長い間そうしていたような気がする。ほんの数秒だったような気もする。しばらくして、漸く顔を上げた山根先生がポツリと言った。

 「進藤くん、僕、裏切られた気持ちでいっぱいです。」

 秀雄は何か言おうと思った。山根先生のことを書いたつもりは毛頭ない。「教師」「大人」「学校」という目に見えない大きな、どうしても抗いようのない存在に、爪痕を残したいくらいの気持ちで書いた文章だった。自分の書いた文章が誰かを傷つけるなど微塵も考えたことがなかった。最後まで秀雄は何も言えなかった。メガネの奥で山根先生は泣いていた。


 もう一つの「最優秀賞」の栄冠に輝いたのが、2年6組の教室展示「黒の迷宮」だった。ゴランたちは、段ボールだけで作ったとは思えない真っ黒な立体壁に囲まれた小さな部屋をいくつも作り、緻密に計算された数学的な仕掛けをかいくぐりながら、次の部屋、次の部屋と進んでいくうちに、自分がどこにいるかわからなくなる、何人もの生徒が「出られない!」とギブアップするほどの迷宮を作り上げていた。

 ゴランの告白が続いた。

 「クラスの女子での、粕谷芙美さん、みんなからはフミって呼ばれとる。」

 「あぁ、粕谷さんか。俺、中学が一緒やわ。」

 とセンちゃん。

 「クラスが一緒になったことはないけど、良さそうな子やな。」

 「うん、ええ子なんや。ええ子やし、はっきりした子での。文化祭で一緒にいろいろ作っとって、クラスの何人かともめたりしたんやけど、このフミがまあ、俺にも食ってかかってくるわ、間違ったこと言う奴には『それはあんたが間違ってる』ってかばってくれるわ、とにかくあんな子は初めてなんや。」

 「写真、ないんな?」

 サトシが聞いた。

 「ある。いつも持っとる。」

 そう言ってゴランが取り出したのは、「黒の迷宮」の前で撮影された二人の写真だった。二人でピースしながらカメラの方に笑いかけている。

 「おぉ、可愛いやん。」

 「うん。可愛い。アニキも知っとるやろ?」

 「ま、まあの。文化祭委員で見たことあるわ。」

 何故か言い淀む秀雄。カメが聞いた。

 「写真を二人で撮っとるいうことは、もう、ええ感じなん?」

 「それがの…。」

 ゴランが小さくなった。

 「ええ感じや思うたけん、勢いで告白したんやけど、ダメやった…。」

 「えぇー!」

 一同のテンションは別の方向に沸騰した。既に告白までして、しかも振られたとは?よくよく聞いたところ、駅まで二人で帰ったりするくらいはよくあるらしく、クリスマス直前、会話の中で(ゴランとしては)さりげなく、「俺ら付き合っとん?」と聞いたところ、フミから「何言いよん、うちら友達やん」と笑いながら切り返されたそうで、この前、12月の初めに秀雄に電話をかけてきたのも、本当は「告白すべきかどうか」「するならいつ、どのように?」を話したかったらしい。

 「あの電話、そうやったんか。全然わからんかった。けど、俺に聞いたところで、ええ答えは出せんぞ。」

 「アニキ、中学の時にはもう彼女がおった言うとったやん。それに…」

 「それに?何じゃ?」

 「フミがようアニキの話をするんじゃ」

 「えっ、そ、それは文化祭委員でいろいろあったけんや。」

 必要以上に秀雄は動揺した。

 「それ、ほんまに告白したことになっとんな?」

 サトシが口を開いた。

 「ゴランがええ奴いうことは、中学から一緒の俺が一番よう知っとる。お前を振るような子がおるとは信じられん。」

 「うん、俺もそう思う。今の話やと粕谷さんは告白されたって思ってないんちゃうか。もうちょっと計画立てて、もう一回きちんと告白した方がええかもしれん。応援するわ。」

 「俺も応援する。」

 「俺も。」

 「大丈夫じゃ。」

 カメの一押しにセンちゃん、秀雄、サトシが続いた。

 「そうかのう…。」

 そして、ゴランは高校を卒業するまでにさらに数回告白することになる。



第三章 高3

◆大学見学

 3年に進級する直前、タカさんが「春休み中に、東京と大阪の大学を見に行かないか」と誘ってくれた。これでも一応、英語だけはタカさんとクラストップを張り合っている秀雄は、何度かタカさんから東京、横浜、大阪、そして神戸にある外国語大学のうち、「どこを第一志望にするべきか悩んでいる」という話を聞いていた。相変わらず、大学がどんなところかよく分かっていない秀雄は、タカさんの影響で「外大を志望しようかな」と単純に思うようになっており、見学にも行きたかったが、まずは親に許しをもらわねばならない。秀雄は大阪より東に行ったことがなく、それも小学校の修学旅行なので、東京まで時間も旅費もどれくらいかかるのか全く分からず、親に説明のしようがなかった。それを見かねたタカさんが、時刻表などを駆使して時間から旅費からきっちり調べ上げてくれ、行程表まで作って秀雄に持たせてくれた。初日に神戸、大阪を回り、その後に東京まで移動してタカさんの親戚の家に泊めてもらい、二日目に東京、横浜を見て、その日の夜に帰ってくるというもので、この行程表を見せながら両親に説明したところ、「そこまできっちり調べたんなら大丈夫やろ」と承認と予算を得ることができた。タカ様様だった。

 この時、秀雄は久しぶりにリコに手紙を書いてみた。中2の終わりに東京に転校した、今のところ秀雄の人生最初で最後のデートの相手だ。秀雄は1年浪人したので、同級生だった彼女は今年が受験生のはずだが、いつの間にかやり取りもご無沙汰になっており、知っているのは彼女が女子校に進学したことまでだった。大学受験をしたのかどうか、受験したならその結果がどうなのかは分からなかったので、一応、受験シーズンが終わった頃を選んだつもりだ。自分が東京の大学を見学しに行くという内容を、予定表と一緒に送った。電話する勇気はなかったし、返事はこないかもと覚悟していたら、あっけないほどすぐに返事の手紙が送られてきた。中を読むと、リコは私立の女子大に合格して、今はバイト三昧だということ、東京と横浜の大学は彼女が案内するということ、ついては、待ち合わせ場所を決めるのには直接話した方がいいので東京に着いた夜に電話してきてほしいという旨が、電話番号と一緒に書いてあった。タカさんもそれはありがたいと歓迎してくれた。

 早朝に家を出て、瀬戸大橋をマリンライナーで渡るのに1時間、岡山から新幹線で2時間ほどかけて計画通り午前中に神戸、午後に大阪の大学を見学した。どちらも春休み中で学生はあまり見かけなかったが、大学の雰囲気や周辺の様子、交通の便などが少しはわかった気がした。その後、夕方の新幹線に飛び乗り、なんとか深夜になる前に東京にあるタカさんの親戚の家に到着した。先方にお願いして、井の一番にリコに電話した。夜遅くになってはまずいという気持ちが勝っていたからか、緊張することも忘れていた。

 「もしもし、ヒデくん。」

 「もしもし、今着いた。ごめん、遅くなった。久しぶ…。」

 「大丈夫、大丈夫。それで、今、近くにそこのお家の方、誰かいる?代わってほしい。」

 「う、うん。おると思うよ。ちょっと待って。」

 とタカさんの叔母さんに電話を替わることになった。訳が分からない。その後、電話が戻っては来たが

 「待ち合わせ場所はさっきの叔母さまに伝えたから大丈夫。あとは明日、話そう。じゃあね。」

 と早々に切られてしまった。


 「伊藤理恵子さんか、ええ子やん。うらやましいわー。」

 並べて敷いてくれた布団の中で、タカさんが話してきた。疲れていたとはいえ、新幹線の中で少し寝ていたので、すぐに眠りに落ちるほどではない。

 「そう言われても、1回映画観ただけやで。手紙も高1くらいが最後になったままや。長いこと連絡してなかったし、向こうがどうなっとるんかも知らん。」

 電話を替わった後、リコは叔母さんと「何線の何駅で待ち合わせをしたらいいか」を相談してくれ、「A駅のB出口に向かうC改札、但し、改札を出ずに待っているように」とかなり具体的な指示をくれた。その後、叔母さんはA駅までの詳しい行き方を紙に書いてくれ、タカさんがそれを確認していた。普段の秀雄たちは待ち合わせに「〇時に高松駅で」くらいしか言わない。駅が小さく、改札も一つしかなく、さらに人も少ないのでそれで済むのである。駅の中と外で待ち合わせ場所がずれたとしても、「こっち、こっちー」と互いに声をかけられる距離なので大丈夫なのだ。今日の移動でタカさんは、ほぼ後ろをついて回っただけの秀雄よりずっと、リコが秀雄たちが迷わないようにと配慮してくれたことに気づいていた。言っておくが、スマホも携帯電話も全くない、駅には「掲示板」という「先に行く」「〇〇で待つ」などと誰でも書き込める黒板があった時代の話だ。

 「いや、1日だけでも彼女がおった、いうんがむかつく。」

 タカさんには中学のことを詳しく話していた。

 「ま、おかげで、少なくとも明日は大学の最寄り駅までは苦労せずに行けそうやけど。」

 今日一日の移動全て、何線に乗って、何駅で乗り換えて、何駅の何番出口で外に出る、ということまでタカさんは事前にきっちり調べてくれていた。文字通り、秀雄はおんぶにだっこ状態だ。一応、そのことは秀雄も気にしており、最寄り駅についてから「外大に行くのはどうしたらいいですか?」「どのバスに乗ったらいいですか?」などと人に聞く役目はもっぱら秀雄が買って出た。人見知りするタカさんに対して、秀雄は人に聞くことは全く平気だ。また、「こっちちゃうか?」という直感がやたら当たった。この直感は晴れているとさらに精度を増す。子ども時代を野山で過ごした所為なのか?

 翌朝、叔母さんにお礼を言って家を出て、タカさんの指示に従って無事に待ち合わせ場所に着くと、既にリコがそこに立っていた。真っ白いコートがよく似合っていた。

 「ヒデくん、久しぶりー。背、伸びたかも!そっちがタカさんね?」

 「廣田貴明です。親切な指示、ありがとうございました。指示がなかったら全然違う改札口で降りたと思います。」

 「ううん、ぜんぜん。まだここから少しかかるし、横浜までの移動も結構大変だから、今日は横浜まで案内するからね。」

 「よろしくお願いします。」

 「よろしく。というか、敬語でなくていいよ。ヒデくんも何か言って。」

 「何やアニキ、久しぶりで緊張か?」

 「あ、本当にアニキって呼ばれてる!」

 髪形などは昔とそう変わらないのに、リコが自分よりずっと大人っぽく見えて秀雄は焦っていた。


◆志望校

 せっかく来たということで、少し早めの昼食を東京の外大の学食で食べた。

 「二人はサッカー部で一緒なんでしょ。ヒデくん、中学の時は剣道部だったよね。」

 「うん、何とかなるだろ思うて高校から始めたけど、ぜんぜん何ともならん。ずっと補欠や。タカさんは中学からやっとって1年の時からレギュラーやけどの。」

 「いや、アニキも頑張っとるやん。俺は2年の秋に引退したけど、今、アニキは副キャプテンなんですよ。」

 「辞めんかったいうだけの副キャプテンやしの。それでも夏で引退や。」

 「そうかー、受験生だもんね。やっぱり讃高ってみんな勉強ばっかりしてるの?」

 「それは人によるけど、勉強せんでも頭がええ奴もいっぱいおるわ。俺は定期テストの勉強だけで手一杯で、受験勉強には全く手が回らん。今日来たんも、タカさんが誘ってくれんかったら、大学のこととかまだまだ考えとらんかったやろうの。」

 「伊藤さんは受験、どうでしたか?」

 「はは。敬語はいいからね、タカさん。うーん、正直言うと、一応、国立目指して勉強はしてたんだけど、最終的には推薦で私立大にしちゃったから、秋には決まってたのよね。うちの高校、そういう子が多くて。それからずっとバイト三昧。へへっ。」

 「じゃあ、共通一次は?」 

 「ごめん。受けてない。」

 「いや、別に謝ることじゃないです。」

 この年が最後の『共通一次試験』で、秀雄の代からは『センター試験』に変わることとなっていた。この当時、中身がどうなるかなど詳細は伝わってきていない。この後、リコは横浜の大学まで案内してくれ、さらに新幹線に乗る二人を新横浜駅まで連れて行ってくれ、お弁当まで買って持たせてくれた。

 「ええんか?」

 「申し訳ないです。」

 「いいよ、いいよ。これでもバイトで稼いでるし。楽しかったし。じゃあ、ヒデくんもタカさんも受験勉強、頑張って!」

 「はい、ありがとうございました。俺は東京の大学を目指すことにします。」

 「あら、じゃあまた会えるね。」

 「そうか、タカさん、決めたんか。俺も決めんとの。」

 「ヒデくんもこっちに来ることがあったら連絡して。」

 「うん、ありがと。」


 「いやー、ほんまにええ子やったわ。やっぱり、むかつく。」

 「むかつかれても困るんですけど。」

 帰りの新幹線、新横浜-岡山はかなり長い。夕食に買ってもらった弁当を食べてもまだまだ時間を持て余す。とりとめもなく続く話の中でタカさんに聞いてみた。

 「マジで東京に決めたんか?」

 「うん。というより、最初からそのつもりやったんや。実際に大学を見てその気持ちを固めた、いう感じや。」

 「ふーん、やっぱりちゃんとしとるの。見て気に入ったところで入れるもんちゃうし、俺には共通一次もセンターとかいうんもよう分からんし、どうしたらえんやろ。」

 「あのな、アニキ。前から言おう、言おうと思っといたことがあるんやけど。」

 タカさんが秀雄の方に顔を向けた。

 「もうちょっといろいろきちんと考えといかんで。」

 秀雄もタカさんの方を見た。

 「アニキの思いつき、それで文化祭がうまくいったこともいっぱいあったんは確かや。けど、周りはそれに振り回されとったんで。アニキは思いつきだけで行動し過ぎや。自分が何でそう思ったんか、そのためにどうしたいんか、きちんと整理して考えんといかん。ほんで、それをきちんと人に言葉にして説明せんといかん。昨日も今日もアニキが何を考えとるんか俺には分からんかった。」

 秀雄は窓の外を見たが、真っ暗で何も見えなかった。

 「ええな、思いつきだけでどこそこに行くとか決めたらいかんので。何でも相談してくれたらええけん、もっときちんと考えまい。」

 どこかで聞いたことのある言葉だった。思い出せないまま、タカさんに頬をむぎゅうっとされた。「どうやって考えたらいいのかがわからない」とは最後まで言えなかった。


◆咆哮

 自分はナチュラル・ボーン・ストライカーではないかと意気揚々で入部したサッカー部ではあったが、早々にリフティングが10回もできないことにつまずいた。タカさん他、小学校・中学校時代から経験がある生徒は1年生でもレギュラーになっていくのを横目に見ながら、秀雄は黙々とボール拾いに勤しんだ。いつの間にか、1年生でサッカー未経験者は秀雄だけになった。それでも努力はしていたつもりだ。右利きが多い中、左足でもセンタリングを上げられるようになればレギュラーになれるかもと思って一人残って暗くなるまで練習したりもした。2年生になって後輩ができ、その後輩のうち何人かがすぐにレギュラーになるのを見て、ある日突然、理解した。「あっ、俺にはセンスがない」。

 走るのも泳ぐのも田舎の小学校では一番速かった。そこそこ押しが強いので体育の授業は普通以上にできた。これが秀雄を錯覚させてきたのだが、実は、哀しいほど秀雄には球技センスがなかった。「ボールをよく見ろ」、よく言われる言葉だが、この意味が本当に理解できるのは球技センスがある人だけなのだろう。秀雄に言わせれば「見てます。見てるつもりです。」となる。見ているつもりでも見失うし、インパクトの瞬間は自分がどこを見ているのか自分でも分からない。「ボールがどっちに回転しているのが分からんのか!?」、分かりません。「調子がいいときくらいはボールが止まって見えるやろ?」、絶好調でも無理です。同様に、ボールが高く上がったときの落下地点がまるで予測できなかった。大抵は、この辺だろうと思う地点から数十センチから数メートルずれたところにボールは落ちた。ヘディングなどでジャンプする時は、ボールを見るよりも、周りの選手に合わせていることが多かった。

 讃岐高校のサッカー部は決して弱くはない。かと言って、強くもない。1回戦では負けない、くじ運によっては2回戦も勝つくらいの実力だが、3回戦を勝つことはまずない。それでもそこは地方の恐ろしさ、2回勝つと県でベスト8となる。1年の春には20人近くいた秀雄の学年も、3年の最後の大会まで残ったのは3人だけだった。キャプテンでトップのヤマ、ライトバックのハッタ、秀雄だけが補欠である。それでもヤンキー校対策でガタイの良さと目つきの悪さを買われたのか、副キャプテンに選ばれていた。声の大きさもあったかもしれない。円陣を組んだ時の掛け声はいつの間にか秀雄の役目となっていた。

 最後の大会、1回戦はおとなしい(?)高校が相手だったのでヤンキー対策要員の秀雄の出番は特になく、後半残り10分、2-0で勝負もほぼ決まった時間、監督の恩情で少しだけ出場した。翌週、2回戦が行われた。これに勝つとベスト8、相手は清水商業、秀雄が中1まで育った地区にある高校だ。

 前半終了時点で0-2、ちょっと勝ち目の薄い、とは言え、まだ負けとは決まってない微妙な点差だった。後半、恩情なのか体力があるから選ばれたのかは分からないが、秀雄の出場が告げられた。レフトバック、左の守備を任された。このまま負ければ、この後半が3年生にとって最後の試合となる。

 「アニキ、追いつくで。」

 「もう絶対に点はやれんぞ。」

 ヤマとハッタが声をかけてくれた。

 後半開始早々、有言実行のヤマが意地でシュートを決め1-2となった。チーム全体ががぜん追い上げムードになり、全体的に敵陣に攻め込む時間帯が長くなった。あとほんのちょっとでゴール、という惜しいシュートが何本も続く。清水商のキーパーはそのどっしりした見かけからは想像できない俊敏な動きで好セーブを連発し、残り時間が少なくなるにつれ、攻めているにもかかわらず、讃高メンバーたちの間に嫌なムードが漂い始めた。清水商のCA(カウンターアタック)でヒヤッとする場面も増えてくる。秀雄は何度かCAを止めた。向き合う相手の動きを予想して止めることは苦手でも、走る相手を後ろから追ってボールカットするのは動きがシンプルな分、簡単だった。後半も残りわずか、相手だけでなく、自分たちも疲労してきた中、秀雄はまだまだ走れる余裕があった。思い切って、それまでよりも前に出てみた。ディフェンスの秀雄に相手のマークはついていない。ほぼ攻撃陣と同じラインに陣取ったとき、右から上がったセンタリングがひょろひょろと弧を描き、秀雄の前にポトンと落ちた。生まれて初めてボールが止まって見えた。瞬間的にコントロールしやすいインサイド(足の内側)で、安全シュートを打った。それがスルスルとゴール左隅に転がっていくところまでもはっきり見えた。審判の笛が鳴り、自分でも気づかないうちに手を挙げて吠えていた。

 「うぉー!」

 チームメンバーからもみくちゃにされた。

 同点のまま後半終了、延長戦で讃岐高校は清水商業を制し、3回戦に進出した。日程の関係上3回戦はこの後すぐに行われ、延長戦まで戦って、それでなくても進学校でもともと体力のない讃岐高校は惨敗した。これが秀雄が3年間で前後半ともフル出場した唯一の試合となった。全ての試合が終わった後、今日で引退する3年生の3人で感慨深くグランドを歩いていると、秀雄が同点シュートを決めた辺りで急にヤマが立ち止まって、笑い出した。

 「アニキ、もっとるのー!」

 「何や?…おぉ、ほんまや。すごいわ。」

 駆け寄ったハッタも笑い出した。ゴール前、芝生がそこだけ少し剥がれていて砂地が見えていた。ボールが止まって見えたのではなく、文字通り、ボールはそこで止まったのだ。3人の笑い声が夕暮れのグランドに響き渡った。


◆その道はどこへ行く道

 3年になってクラスは6組になっていた。なんと元1年7組、元2年4組の誰とも同じクラスにならなかった。何かの意図を感じる…。それでも足早に1学期は終わり、夏休みに入った。3年生の教室は全クラスともほぼ校舎の2階部分に集中している。カメは

 「4階まで上がる労力と時間を勉強に回せ、いうことやろ。」

 と笑っていたが、2階の教室は校舎の周りに植えられた木々のおかげで、暑さが家よりも、4階よりもずいぶんマシだったので、8月になって夏期講習が終わった後も、秀雄はほぼ毎日学校に通い、教室で勉強した。何より学校に行けば誰か彼かに会えた。学校近くの市立図書館(こっちにはエアコンがある、その分、席の競争率が激しい)で勉強している面々も時々顔を出す。

 相変わらず志望校は決まってない。4月以降、毎月のように行われる実力テストでは、一応、志望を大阪にある国立のO大学で出していたが、D判定より上が出たことがなかった。

 その日はタカさんが秀雄の教室に顔を出した。

 「おぉー、頑張っとるやん。」

 「いや、もう時間が何ぼあっても足りん。この1ページ訳すんだけで数時間やで。」

 秀雄は英語の長文問題を解いていた。

 「アニキ、あれ見たん?」

 タカさんは教室の前方の掲示板を指差した。

 「いや、何?」

 秀雄は席を立って、タカさんと一緒に掲示板まで移動した。そこには『推薦募集のご案内 W大』と書かれた用紙が貼られていた。他にも数枚が貼られている。

 「これ何?」

 「伊藤さんが『推薦で入った』って言うとったん、覚えとる?これがそれや。」

 一応名の通った進学校である讃岐高校には毎年、「指定校推薦」の枠で有名私立大学から案内が入る。この推薦を希望し、高校から承認されれば、「今年、貴大学へはうちの高校からこの生徒を送ります」と高校代表として送り出される、要は無試験で私立大学に入学できるということをタカさんが説明してくれた。

 「W大って、あのW大よな?」

 「そうや、他にもK大とかA大とか、いくらアニキでも名前くらいは聞いたことある私立ばっかりやろ。」

 「ここに試験なしで入れるんか?」

 「そういうこと。志望校がわからんって悩んどったし、参考になるかも、と思っての。けど、ええな、簡単に決めたらいかんで。ちゃんと調べて考えるんで!」

 「おぉ、ありがとう。私立か…。」

 秀雄の中で光が見えたような気がした。実は母親からは

 「あんたは高校入る時に浪人したんやけん、大学浪人は勘弁してよ。ほんで、お金がかかるんも無理やで。いろんな大学受けたら、旅費とか宿泊費とかすごいことになるって聞いたで。当然、私立も無理。できたら、国立1校だけを受けて、そこに一発合格しまい!」

 と言われていた。一応、大学に行くことは了承してくれているのはありがたいが、国立大一発合格、すべり止めなし、かなり無茶なことを言われている。これはこれでプレッシャーだ。秀雄なりに気を使い、3年になって早々に申請を出し、幸い(?)親の収入が低いこともあって、大学進学後に奨学金をもらえることが決定すると、「私立も場合によっては可」くらいまでハードルは下がった。

 その日から、掲示板に指定校推薦の新しい案内が張り出されるたびに、秀雄は片っ端から願書を出し続けた。タカさんのありがたい忠告はどこかに置き去られていた。幸か不幸か、文化祭委員長を経験し、部活も3年まで続け、実力テストはからっきしなのに定期テストだけは頑張っていたので通信簿の主要5教科の平均評価は4.5と、推薦してもらうための基本ラインは軽々越えていた。秀雄の中ではどうせダメ元だったし、ちょっとした運試しくらいにしか考えてなかった。はたして、ことごとく高校から認めてはもらえなかった。

 2学期になると、推薦を募集する大学は関東から関西のそれへと移っていった。ある日、KG大の募集が貼られた。兵庫県の私立大だ。ちょうどそれを、センちゃんのクラスで見た秀雄は

 「センちゃん、KG大って何よ?」

 「アニキ、KG大も知らんのか?関西の有名私立や。ま、東京で言うたらK大みたいなもんかの。おしゃれやでー。もてるらしい。」

 「ほんま?ここも出そう。」

 あろうことか、秀雄はKG大の推薦に受かってしまった。



終章

 小学校教師を目指して教育学部を目指していたセンちゃん、パイロットを目指して理系の大学を志望していたサトシは受験に失敗し、京都にある予備校に通うことに決めた。二人とも同じ予備校で寮も一緒だそうだ。医学部に失敗したカメはかなり悩んだ末に、合格していた東京の私立に進むことを選んだ。

 「東京ですぐに都会の彼女、作るわ。」

 と笑う顔が寂しそうだった。

 ゴランは第一志望の京都の国立大に合格した。大学近くの下宿に一人暮らしをするそうだ。

 「そしたら、みんなで京都の俺ん家に遊びに来たらええでない。」

 「そうやの、勉強に疲れたらよせてもらうわ。」

 「その前に疲れるほど勉強せんといかんけどの。」

 「ええのー。俺もたまには東京から行こうかのー。」

 ゴランの嬉しそうな顔を囲んで、皆は心から祝福した。

 「兵庫はすぐ隣やけん、俺も行くわ。」

 秀雄はそう言いながらも、後ろめたい気持ちを消すことができなかった。誰もそんなことは思っていないのだが、どこかで「自分は逃げてしまった」と後悔していた。


 4月、父親のバンに少ない荷物を積み込んで、母親と3人で兵庫に渡った。高1になった妹と中2の弟とは家を出る時に別れた。

 「寝坊したらいかんで。」

 2人は壁掛け時計をくれた。

 「3人だけで車に乗るって何年ぶりかいの?」

 「私、瀬戸大橋、初めて渡るわ。」

 妙にはしゃいでいた母親の口数が、秀雄が住むことになる西宮市が近づくにつれて、めっきりと少なくなった。移動時間の長さに比べて、着いてから荷物を降ろすのは哀しいほどあっという間に終わった。車を少し離れたところに停めていたので、そこまで両親を送った。

 「おう、もうここでええぞ。」

 父親が言ってくれた。

 「ごはん、きちんと食べまいよ。風邪ひかんように気をつけんといかんので。」

 車が出るのを待たずに秀雄はその場を立ち去った。母親が泣いていたのが背中でわかるので、秀雄は振り向かなかった。

 その夜、母親の置いていってくれた弁当を一人の部屋で食べていると、急に涙が出てきた。何の涙かは自分でも分からなかった。


                           第二部 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくは0点? 第二部 馬永 @baei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ