04話


 カルマの中でも珍しく固有の名称がついており、それだけ扱う者も多い炎の異能。


 超常の力とは無縁の常人にすら馴染み深く、物理的な殺傷能力という一点において他を圧倒し得る。


 故に、不良はこと殺し合いにおける自分の能力に絶対の自信を持っていた。



「骨の髄まで焼き尽くしてやるよぉ!!」



 不良が体を捻り、大きく振りかぶる。

 その動きに合わせて火球が宙を滑るように動いた。


 球状だった炎は、彼の後方で引き絞られた矢のように形を変化させ、今まさに満身の力で射出される――!



「――へ、ぁ?」



 ……かに見えた。しかし、そう幻想していたのは当の本人だけだった。



「なんだよ、これ。どうなってんだよ!? お、俺のカルマがッ!?」



 業火アグニは確かに行使された。しかし、それが何かを焼き尽くすことはなく、なんの前触れもなく消え失せていた。


 まるでか細いロウソクの火に息を吹きかけたように、宙に漂う微かな陽炎だけが、そこに超常の火が存在したことを儚げに示していた。



「お、おかしいだろうがッ! なんで消えてんだよ!?」



 いったい何が起こったのか……。訳が分からず、不良は帰路を見失った子供のように辺りを見回しながら狼狽えた。


 その様子を、昧弥は腕を組んだまま冷え切った目で睥睨へいげいする。



「ひぃっ!? ぐ、がっ、ちくしょおぉ! なんなんだよ、お前ぇええ!?」



 そのあまりに無機質な視線に気圧され、不良は後退りながらもう一度業カルマを行使しようと腕を前に突きだし――ピタリと、動きを止めた。


 そのまま、突きだした状態で震えている腕を穴を穿つように見つめ、呆然と零す。



「なんで……なんで……?」



 不良は胸の前に引き戻した手を見下ろしながら、足元から這い上がってくる無力感に耐え切れず、膝から崩れ落ちた。


 自分はカルマを行使するため、全力でその発現を行っている。だというのに一向に業が行使される気配がない。


 火花一つ散らせることができない。


 まるで、そこにあるはずの腕が、いつの間にか自分の物ではなくなっていたかのような異物感。指先から広がってくる気色悪さに、目を見開いて唖然と掌を見つめた。



「ど、どうして……だって、あれは。俺の、俺、あ? あ゛ぁあああ!?」



 手から零れ落ちてしまったものを探すように、うずくり、視線を彷徨わせていた不良から突如として悲鳴が上がった。


 掌を限界まで広げ、まるで目に見えない何か吊り上げられているように、頭上に掲げた腕を凝視する。


 目玉がまろび出てしまうのではないかと、見る者が不安になるほど見開かれた瞳は、まるで腕の中に存在してはならない何かを見つけてしまったかのように、恐怖に揺れていた。



「――あ、……あづいぃいいい!?」



 再度、不良から悲鳴が上がる。


 次の瞬間、彼の腕は火にくべられた薪のように勢いよく燃え上がった。



「俺が! 俺がッ! 燃えでるぅッ!」



 火は一層激しく燃え上がり、肘から先を完全に飲み込む。

 悲鳴は意味をなさず、救いがなされることもない。


 それはまるで、太陽に近づきすぎた人間が、自らの傲慢によって焼き尽くされているかのようで……。彼は燃え落ちる腕を為す術なく見つめるほかなかった。



「ぁ、あ、ぁあぁああぁ……」



 悲鳴が細く虚ろになっていくのに合わせて、腕に纏わりついている炎も勢いをなくしいく。最後には消えかけのマッチのような弱々しい火を揺らめかせ、呆気なくかき消えていった。


 後に残ったのは黒く炭化した腕と、許しを請うようにその腕を差しだしながら平伏す不良。……そして、それを冷たく見下ろす昧弥だけだった。


 いつの間に移動したのか……その動きを追えた者は一人としていない。隣に侍っていたダニアでさえ、主人の動きを追随するほかなかった。


 昧弥は自らの足に縋るように這い蹲る不良を超然と見下ろす。その構図は、神と罪のり方を示しているかのようだった。


 不良は痛みに呻きながら涙を零し、自分を遥か高みから見下ろす昧弥に、震えながら許しを請う。



「ひっ、うぐ、た、助、助げぇぁッ!?」



 ――瞬間、教室全体が


 重く激しい、戦車の砲撃を思わせる凄まじい衝撃。地響きのような轟音は、座っていた生徒たちまでも物理的に跳ね上げていた。


 その中心、何げなく振り下ろされた昧弥の足の下には小さなクレーターができ、捲れ上がった床材の中には、顔を半分ほどめり込ませて痙攣する不良がいた。



「――実に不可解だ。まるで屠殺場の豚から処理の仕方にをつけられたような、そんな気分だ。これは一体どういうことだ? ダーニャ」



 昧弥は振り返ることなく、自らの足の下にいるモノがなんのか、確認するように踏みにじる。


 その顔に剣呑な色はなく、純粋にこの生物がなんなのか、顕微鏡を覗き込む研究者のような思案が浮かんでいた。


 そんな主から先ほどよりもさらに一歩離れた位置に控え、ダニアは変わらぬ穏やかさで答えた。



「恐れながら、ご主人様。家畜も仕込めば芸を致します。しかし、それも飼い主あってのこと。皆様、しつけを受ける前に御座います。四足の起ち方すら覚束ないモノに、二足で歩くことを求めるのは少々酷かと存じます」


「…………なるほど。どうやらをしていたのは私らしい」



 従者からの忠言に、昧弥は自らの振舞いを思い返して緩やかに頷くと、スッと足を持ち上げ――再度振り下ろした。


 二度にたび、轟音が教室を揺るがす。


 足の裏で不良が陸に打ち揚げられた魚のように、ビクビクと体をバタつかせて痙攣する。額が割れたのか、窪みにじわりと血が溜まっていく様をしばらく眺めてから、昧弥は何事か納得がいったようにもう一度頷いた。



「ふむ。いかに下作とはいえ、覚者かくしゃは覚者か……この程度では死なんらしい。頭の固さだけで言えば、カビだらけの古臭いを今も大事に有難がっている信者共といい勝負だ。

 これならば、力加減を誤ったとしても問題ないだろう。なぁ、ダーニャ」



 肩越しに振り返り、流し目で視線を送る。ダニアは主人の切り裂くような視線を受けながら、淡く笑みを深めてみせた。



「御心のままに」


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