人類は幸福な夢を選ぶか

睦月文香

人類は幸福な夢を選ぶか

 人類はたくさん間違えてきたけれど、間違いなく最終的な幸福を手にすることができた。

 もちろん、全ての人間が幸福だなんて言わない。勉強ができるかどうかで優劣はついてしまうし、お金持ちかどうかだって少しくらいの格差はある。

 稀に小さな犯罪は起こるし、それでみんなが不安になることもある。

 でも、やっぱり世界は間違いなくよくなったといえる。

 この地球には百億の人が住んでいて、ある程度は法律で管理されているけど、多くの自由がある。

 僕たちは法律を変えることができるし、その法律が個人として性格に合わないなら他の地域に移住するのも自由だ。

 歴史を学べば、たくさんの悲しいことがあって、同じ人類同士で争って殺し合ったという事実があるのは知っている。でも、僕たちはそれを学んで改善することができた。

 技術の発展に伴って、僕たちは倫理観や哲学も発展させることができたんだ。


 平等主義も完全じゃなくて、やっぱり人間は各個人によって能力にも優劣はある。でも、その優劣の中でその能力に応じた、適した職業がある。たとえ人より頭が悪くても、他の人の生活の支えになるような職業はたくんさんあって、そういう人たちも感謝され、幸福に生きることができる。

 能力に優劣はあっても、待遇に優劣はない。その人が、誰かの助けになろうとしている限り、世界は最大限の尊重をするんだ。


 ユートピア、という言葉は使いたくない。この世界はどうやったって楽園にはならない。いいことしか起こらないわけじゃなくて、やっぱり挫折や苦悩はある。でも、いろんな人に助けられて、何とか乗り越えることができる。たとえそのとき乗り越えられなくても、他にたくさんの道がある。

 これがユートピアを作れなかった僕たちが作った、限りなく幸福な世界なんだ。


 そう、思う。



 目が覚めると見慣れない景色が広がっていた。ガラス張りのカプセルの中で、僕は横たわっていた。体にはよくわからない装置がたくさんついていたが、不思議と不快感はなく、外そうとすると簡単に外すことができた。体を起こそうとすると、カプセルがゆっくりと開き、その空間が露わになる。

 それは、どこかで見たことのあるような景色だった。

 真っ白で清潔な小部屋に、人がひとり入るのに適した大きさのカプセルがひとつだけあって、窓からは光が漏れていた。

 高級そうな白い木の扉から、コンコンとノックの音がする。

「入ってもよろしいでしょうか、白井和人様」

 透き通るような美しい女性の声が聞こえた。

「あっ、はい」

 僕は慌てて返事をした。自分の体は軽やかにいつも通り動いた。病人が着るような白くてゆったりとした服の下にはちゃんと下着の感覚もあって、不快感はなかった。

「失礼します」

 扉が開くと、その美しい声にふさわしい外見の女性が現れた。

「私は鹿島理沙と言います。色々と聞きたいことはあると思いますが、とりあえず外に出ましょう」

 女性は僕が着ているモノと同じ白い服を着ていた。長袖のシャツと細身の長ズボン。落ち着いた口調のおかげで、少し動揺していた僕の心は穏やかになった。

「あの、ここはどこですか?」

 僕がそう尋ねると、心地の良いほんの少しの間のあと、答えてくれた。

「ここは第4643番施設です」

「えと、何ですか、それ」

 少し不審に思いながらそう尋ねた。

「少し長くなりますが、よろしいですか?」

「はい」

 規則的に扉がずっと並んでいる。そんな廊下の途中で、鹿島理沙と名乗った女性はゆっくりと立ち止まり、振り向いた。

「人類の歴史から語らなければいけませんね。人類は技術の発展に伴って、人口が増え、その結果昔より多くの人間が不幸になりました。そこで人類は選挙を行い、争いのない、ほとんどの人類が幸福である世界を作りました。そして、人類はそこに移住して、幸せに生活しています。私たちは、人類に作られた存在としてそれを守らなければいけません。もちろん、和人様の人権はここでも尊重されますし、他の人類を脅かすような犯罪行為以外の行動は自由です」

 なぜだか、あまり驚かなかった。衝撃的だったが、それでも落ち着いていた。

「つまり、僕が見ていたのはただの夢だった、ということなのかい?」

「いえ、夢の定義にもよりますが、和人様の暮らしていた世界は紛れもなく存在している世界です。物質化はされていませんが、コンピューターの中でデータとして存在していて、それはこの世界と同等の安定性が保証されています。和人様が関わった全ての方も、同じようにデータの世界に移住した人類ですし、偽物は誰ひとりいません。私たちも、世界を維持するために最低限の調整はしますが、できるだけ人類の自由意思を尊重しています」

 僕は、確かめたいと思った。だから、理沙と名乗るロボットを睨み、恐怖をあおるような表情をしてみた。

「じゃあ、僕がその事実に対して怒り、君を壊したら、どうなる?」

「罰はありません。ロボットに人権はありませんし、全ての人類は、個人の所有物でないロボットの一部所有権を持っています。あなたが命令すれば私は機能を停止させ、再起動を不可能にします」

 管理といわれるとかなり嫌な気分になるが、この世界もそこまで悪い世界じゃないのかもしれないな、と思った。

「僕はこれからどうなる? わかる範囲で教えてくれ」

 理沙は瞬きを一度してから、答えた。

「はい。ひとつは元の世界に帰らずに一生を暮らす、という道です。他に人類はいませんが、ロボットはたくさんいますので身の回りの世話はできます。向こうの世界のモノもほとんどはこちらで作ることが可能なので、欲しいものはほとんど手に入れることができます。ただ、生殖行為はできませんし、他の人類と接触することも不可能です」

「帰ることはできるのか?」

「はい。和人様の意思で戻りたい、ということならば今すぐにでも処置いたします。ただし、目覚めてからの記憶は全て消去させていただきます。これはこのシステムの完成以前の全人類の正当な選挙による絶対的な法律なので、私たちも変更できかねます」

「なるほど。少し考える時間はあるか?」

「もちろんです。こちらの管理も完全ではないので、数年に一度、どこかの施設で目覚める人類がいるのです。そのときのための部屋が用意されているので、案内します」

 そう言って理沙はまた歩き始めた。僕が自然に歩くスピードそのままで、とても心地よかった。


 部屋に入ると、イスとテーブル、ソファと本棚が置いてある部屋に案内された。本棚の中の本は、いくつか僕が読んだことがある有名なものだった。

「ベッドはこちらの部屋にあります。お手洗いとお風呂はこちらとなります。私は部屋の外にいるので、話し相手が欲しければ呼んでください」

「いや、まだ聞きたいことがあるから座ってくれ」

「わかりました」

 僕はテーブルの遠いほうの椅子に座った。理沙も少し遅れて椅子に座る。

「僕の認識では、ロボットは人間と同じような名前を持たないんだけど」

「はい。私たちは人類と会話をするときのみ名前を用います。ロボット同士では識別番号の通信により互いに認識しますが、人類は会話によってコミュニケーションをとるため私たちは一体一体名前が付けられているのです」

「なるほど。でも機械は人間以上に劣化が速いと思うんだけど、どうやって管理しているんだ?」

「私たちのこのボディはに代謝機能がないため人類より速く壊れます。しかし私たちの頭脳は常にバックアップされているため、ボディを取り換えれば以前と同じように動くことができます。人類は自己同一性の保持のため、バックアップはありません。そのため和人様がここで亡くなるようなことがあれば、あちらの世界でも和人様は死亡者扱いとなってしまいます。時間の速度は同じなので、ここで過ごす時間が長ければ長いほど、帰ったときに眠っていた期間が長くなる、ということです」

「ふむ。では死んだ人間がどのように処理されるのか教えてくれ」

「亡くなった方は、私たちで簡易的に葬儀をあげさせていただきます。毎日数万人の方の葬儀を全世界で執り行っております。向こうの世界で行われた葬儀は再現できませんが、お墓はできるだけ再現性を保つようにしております」

「もし、祖父母の墓を見たいと言ったら、連れて行ってくれるか?」

「もちろんです。今すぐにでも。準備はいつでもできております」


 おそらく、このロボットの言うことは全て真実なのだと思う。祖父母の墓は紛れもなく僕が何度も見たモノだった。唯一違うのは、墓所は白い壁で囲われていて、本来なら街並みがある場所が隠されている、ということだった。

「この壁の向こうには何があるんだ?」

「別の墓所がありますよ。行きますか?」

 そうだろうな、と思った。すべての人類の墓を再現するなら、壁の向こうにも墓はあるはずだ。効率を考えると、そうなる。

「人は寿命通りに死ぬのなら、なんで人類は減らないんだ。どうやって増やしているんだ」

「全ての人類の生殖細胞は保存されています。向こうの世界での誕生に合わせてこちらでも人類の誕生を行っています。もちろん、和人様も、遺伝子的にちゃんと和人様のご両親の子供ですよ」

「そうか。ありがとう。もう十分だよ。元の世界に帰ることにする」

 ここにいても仕方がない。そう思った。誰もいない世界で生きていけるほど、僕は強くない。


 案内され、同じようにカプセルに入ると、僕の感情を思いやるように、ガラスの蓋はゆっくりと優しく閉じていった。そして、目に映るのは真っ白なガラス越しの天井だけになった。

 誰の声も聞こえない、周りに誰もいない。そんな世界に小さな不安を感じながら、目を閉じる。

 機械が優しく僕の全身を包み込んでいく感覚だけが残って、もう動かせないのだと悟った。元の世界に帰りたいという意思だけが、僕のモノだった。


「おはよう。さすがに寝坊しすぎじゃない?」

 目が覚めると、同棲中の恋人の声が聞こえた。

 時計を見ると、午後だった。休日だからといって、気を抜きすぎている。

「起こしてくれたらよかったのに」

「揺さぶっても全然起きないから、ちょっと心配だったんだよ? 脈も呼吸もあったし、いい夢みてそうだったからほっといたんだけど」

「んー。何か変な夢見た気がするんだけど、全然覚えてないんだよね。怖かったとかじゃなくて、なんだか、変な夢」

「ふーん。まぁいいや。せっかく二人とも休みなんだから今からでも出かけようよ。朝ごはんは抜きになっちゃったけど、お昼はまだ食べてないから食べに行こ?」

「おっけー。とりあえず顔洗って着替えてくるから待ってて」

 今日は寝坊してせっかくの二人の休みの半分をつぶしちゃったから、せめていいものを食べさせたいな、と思った。















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