後編

 ややあって。


 ひとまず、2人は部屋の真ん中にあるテーブルにて、お茶で一服して落ち着いた。


「実を言うとだね苺麗メイリー

「はい」

「ボクが乱心したとかっていうのは、側近の粛正以外はほぼ嘘なんだ」

「そ、そうなんですか」

 

 龍芳ロンファン自身の物腰の柔らかさと、官吏長達の態度もあって、苺麗はその告白をすっと受け入れられた。


「うん。権力闘争の駒でいるのが嫌になっちゃってね」


 龍芳は渋い顔をしながら、そこに至るまでの経緯を説明し始める。


 その事に彼女が気が付いたのは10歳になった頃、目の前で皇帝候補の1人が毒殺されたときからだった。


 暗殺事件以前から、8人いた皇帝候補の側近の大人達は、政争でいがみ合っていたが、それ以降は直接的な手段に打って出始め、5年で6人が毒殺や戦場での失踪で消えていった。


 龍芳が即位するまでは、2人の側近達の争いは膠着こうちゃく状態になり、2年が経過したところで、もう1人が血の濃さが災いして病で夭逝ようせいした。


 そこで龍芳の即位が決定し、近衛このえ兵の全権を掌握した瞬間、甘い汁をすすろうと政争に明け暮れた側近達を今は車夫の男以外を粛正した。


 しかし、血みどろの政争にうんざりしていた龍芳は、側近達のやり方に反感を覚えていた後見人役の義兄に、自分が乱心した事にして譲位してもらう、という仕込みをした。


 架空の暴君像をこれでもか、と民衆に流したため、それを防いだ義兄は英雄扱いされ、シナリオに説得力をもたせる事にも成功し、龍芳は政争から解放された。


「ボクはここの領主の下に置かれて、悠々自適の引きこもり生活、というわけさ」


 あ、これ他言無用で頼むよ、と龍芳はわざわざ頭を下げ、


「もももも、もちろんです陛下!」


 苺麗は椅子から降りて、彼女より頭を低くし、顔を上げるように申し出た。


「陛下はちょっと照れるな。なんなら龍芳でいいよ」


 すっと席に戻った龍芳は、むずがゆそうな表情で苦笑した。


「流石にお名前だけというのは……。龍芳様、とお呼びしたいのですが……」

「まあ、そのくらいでいいや」

「感謝致します……」


 顔はそのままに、寂しそうな様子を見せる龍芳は、真面目だねえ、と苺麗へ言った。


「そういえば。龍芳様、1つお訊ねしたい事がございまして」

「ああ、領主のハイランがどこに居るか、かい?」

「えっ、ああ、はい。ご挨拶を、とお部屋に参ったのですが、ご不在の様でしたので」

「じゃあ、ちょっと待っててくれよ」


 イタズラを思いついた子どもの様な顔をして、龍芳は窓際に置かれた机の横にある、木箱の中身を取り出してゴソゴソする。


 何だろう、と苺麗が思っていると、印鑑が押された小さな紙を手に、龍芳は彼女の隣に立つとそれを見せる。


 そこに押された印は、『天狼ティエンラン州公海狼ハイラン』という文字になっていた。


「実はボクだったりして」


 政治と縁は切ったが、何もしないのもなんだ、という事もあって、詩歌集の編纂のために才能を見いだされた地方領主・海狼、という体になっていた。


「な、なるほど……」


 龍芳から説明を聞いた苺麗は、ですが、バレませんか? と不思議そうに訊ねる。


「苺麗は、ボクの義兄あに上の顔、知っているかい?」

「……あっ、なるほど。存じ上げません……」

「そういうことさ」


 言わんとしている事に気が付いた苺麗は、目を僅かに見開いて口元に手を当てた。


 皇帝へ直に謁見できるのは、側用人や諸侯といった、ごく僅かな人数に限られ、一般人どころか宮仕えの官吏でも知る者はほぼいない。


「じゃ、早速仕事を頼みたいんだけど」

「はいっ。何なりとっ!」

「うん。もちろん夜伽よとぎとかじゃないよ」


 またビシッと背筋を伸ばし、やや赤面する苺麗へ半笑いでそう告げた龍芳は、机の脇にある、書物棚の横の床に置かれたひと抱えほどある木箱を開けた。


「どうしても上手く回せなくてね」


 取りだしたのは白木のぶち独楽こまで、年季が入った品だが、手入れがかなり行き届いていた。


「教えて欲しいんだけど、回せるかい?」

「出来るとは、思いますが……。なにぶん10年ぶりなので……」


 龍芳から独楽本体と回すためのむち、最初に立てるための石を受け取る苺麗は、自信なさげにそう言って、回せる広さがある場所をキョロキョロ探す。


「よし、円卓をどけよう」

「お茶とかは私がどかしますからっ」


 龍芳が自分で急須類が載った盆をどかそうとしたので、苺麗は素早く独楽などを床に置き、盆を回収して龍芳の執務机にどかした。


「よい……、って結構重いね。外の子達に頼もう」


 ふんぬ、と踏ん張ったが、少し持ち上げるのが精一杯で、龍芳は素直に外にいる護衛の武官達に頼んだ。


「では……」


 苺麗は改めて、石に独楽を立て掛けてから鞭を振るったが、先が擦って独楽がパッタリ倒れただけだった。


「だ、誰かに見られていると緊張しますね」

「じゃあ、ボクが後ろを向いて……、ってこれじゃ見えないね」


 顔を真っ赤にして、独楽を立て掛け直そうとする苺麗へ、龍芳は半回転ずつしてそう言い、和ませようとする。


「……?」

「……ごめん。ボクあんまり諧謔かいぎゃくの才能ないらしくて……」

「――あっ、そそそそっ、そういう訳ではっ」


 一瞬ポカーンとしたが、龍芳の真意に気が付いた苺麗は、驚いただけでしてっ、と独楽を手にすっくと立ち上がり、わたわたフォローを入れた。


「とりあえず、後ろから見ていただけると……」

「うん。そうだね」


 龍芳が後ろに移動しようとしたところで、苺麗はふと独楽の胴部分に、細い筆で書かれた文字がある事に気が付いた。


「あれ? これ……」

「ん? どうしたんだい?」

 

 それはかなりうっすらとしていたが、下手かつ間違った字で、彼女の名前が書かれていた。


「あの、この独楽、私が幼いころ、龍雲ロンユゥン、という男の子に――」


 手元の独楽を見ながらそう言っていた苺麗は、


「――あ」


 スッ、と目線を上げて、目を少し開きつつ龍芳に視線を向ける。


「お察しの通りだよ。本名言うわけにはいかなかったから、とっさに嘘を言ったんだ」


 君との約束を守れてなかった事も含めてごめんね、と言う龍芳は、非常に気まずそうに後頭部をいて、苦々しい笑みを苺麗へ向ける。


「それを貰ったとき、ボクは衝動的に脱走して、下級官人の居住区域に逃げ込んでいてね」

「偶然、隠れようとした先で私が遊んでいた、のですか」

「そうさ」


 思い出してくれて嬉しいよ、と言った龍芳は、万感、といった様子の笑みをこぼした。


「思い返してみると、君には嘘ばかり吐いてしまったね。……ボクはあの人達の事、偉そうに言えないや」

 

 後半でやや独りごち気味になりつつ、自己嫌悪混じりの声で言う龍芳は、自身を冷笑しながら、苺麗から目を逸らして外を見やった。


「流した情報は嘘のつもりだったけど、ボクは本当に暗君だったのかも――」

「お、お言葉ですがっ、振り返る事が可能な君主は、暗君ではないと思いますっ。それに、これからは、『本当』を積み重ねられればよろしいかとっ」


 進言、致します……、と急速に勢いがしぼんだが、苺麗はひざまずきながら言った。


 その力強い言葉に大きく目を見開いた龍芳は、やがて穏やかに目を細め、


「そう言ってくれてありがとう。……君を探し出せて、本当に良かったよ」


 苺麗の前にしゃがみ込んで目線を合わせると、そう言って彼女の頬に触れる。


「こ、光栄にござ――、あっ。……ありがとう、ございます」


 目の前でいろいろ起こりすぎたせいで、苺麗は目を落ち着きなく動かしつつ、顔を赤く染めてそう言った。


 ――この後、2人は後世にも燦然さんぜんと名が輝き続ける、大詩集を編纂へんさんすることになるのだが、その名コンビの出会いの物語を知る者はいない。

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眠れる龍の宮殿 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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