死灰復然

ルルルルルルル

夏から秋へ

夏が終わった晩の事だった。虫も獣も人間もとにかく騒がしくて、暑くて熱くて、毎年毎年うんざりするのだが、それでも夏という季節は良いものだ。それが涼しい風が吹いたと思うとあの時の熱気は何処へやら、なんとなく皆落ち着いて、大人びて、蟋蟀なんか聞き出して、葉も唐紅に染め上がる。その紅が太陽だったらどんなに楽しいかと思いながら、街路樹の下、黄昏の中を娘が歩いていた。

乾燥した、つまらない風が頬を撫でる。あぁつまらないな、と欠伸してみる。しかし、スカした街に吹くその風は、そんな欠伸が丁度似合ってしまった。熱に浮かされる時ほど楽しいものはなかったな、なんて一瞬間考えて、あぁ私も秋になってしまったと、娘は思った。夜の帳が降りてくる。


「退屈」


人知れず呟いた言葉は、空風に吹かれてどこかへ行ってしまった。ぼんやりと、阿片窟にいる廃人が如く、中空に目を向け立ち止まる。空風の冷たい手は、娘を犯し、心と身体を弄ぶ。なんだか何もかもどうでも良いように思えてくる。夏が、一年の最も燃え上がる季節が終わった。娘は溜息を吐き、煙草に火を灯した。

鼻の奥から濃厚な煙を吐き、見渡せば煩く色気付く木々。あぁそうだと思い付き、吸殻弾き、弧を描く線。沈黙する街路樹と娘の止まる息。そして数瞬が流れた。

ポッと一つの燻りが、いつかに魂を尽くした枯葉に産声を上げさせた。小さくて小さくて、可愛らしい灯火。娘の心にも、穏やかが広がる。それはこれから何に挑戦しようかと意気込む、初夏を思わせた。

娘は灯火をジッと見ていた。無機物だが、それは乾いた己の心のようで、無下にはできない。風が炎を揺らすたび、握られている娘の拳。一つのものを見続けるそれは、まさしく熱中と言えた。

徐々に、炎は故郷の吸殻から拠点となった枯葉、そして隣合う数枚の枯葉達を手に取り、大きくなっていった。パチパチと弾ける無邪気な遊声は、弄ばれ冷を孕んだ娘の心身を暖かめる。あぁどうか、自由自在に生きて欲しい。空風にも、時雨にも心を冷まさず。どうか愉快に燃えてほしい。娘はそう祈った。

すると願いが叶ったのか、炎が街路樹に手をかけた。高々一灯火が、大木を登ろうと言うのだ!しかし流石は紅を遥か上方に構える街路樹、中々にしぶとい。枝に手をかけた所で、遠くにサイレンの音を娘は聞いた。誰かがこの奮闘に水を差そうとしたのだろう。炎は助けてと叫んだが、娘は断腸の想いで我が火を見捨て逃げた。


炎が殺された事を娘が知ったのは、次の日の朝だった。秋風も悪くないと、街を散歩していると、噂が好きそうな年増女達が群れている。一人も顔を知らないが、通りがかった娘に対し、煙草のポイ捨てから小火騒ぎが起きたと唾を飛ばした。あの生命の輝きを小火騒ぎと蔑まれ、生き抜こうともがいた手を踏みにじるような罵倒に狼狽し、足早に昨日の街路樹に向かった。


「なんてヒドイ......」


そこには、死力を尽くし藻搔いた炎の最期が鮮明に残されていた。しかしその故郷であるはずの吸殻すら残っていない。炎も、いない。あれだけ伸び伸びと燃え盛っていた炎が。もう誰かに消されたのだ。事情も知らぬ誰かに!

娘は力なく座り込み、灰を手に取ると口に入れ、飲み込んだ。炎の亡骸と娘は永遠の契を交わしたに違いないのである。立てるだけの力が湧くと、乾いた木片が有ったので手に取り、街を歩いた。


「あの家は」


歩くと、そこは一軒家が立ち並ぶ住宅街で、娘があの家と口にしたそれも、そこいらの家と何ら変わりのないものである。しかし、なんだかその赤い屋根をした古い木造の家が、少し前は溌剌としていた自分と重なった。あの赤に、炎にもう一度会いたい一心で、握る木片に火をつけ、手入れをしていない雑草まみれの庭に投げ込んだ。


パチパチ


暖かい音がする。燃えている。確かに庭が、燃え始めている。だんだん火は強まっていく。あぁ、炎が、壁に手をかけた。娘は炎が強くなるたび、心が揺れた。昨日見た炎よりも逞しく、健やかに成長している。私も負けていられない。秋になんて負けていられない。壁が剥がれかけ、踊っている。その愉快さに思わず口角が上がるのだが、ふと、声が聞こえた。


「助けてェー!助けてェー!」


まだ変声期前の、甲高い少年の声だ。あまりに悲痛で耳を塞ぎたくなる。娘はその命の懸命さに心を打たれていた。生き延びたい炎と少年。二つはもはや同士ではないか。喧嘩せず、仲良くして欲しいと娘は思い、涙した。


「熱い、熱いよォー!」


絶命前の声はなんて悲劇的なんだろう。昨日の炎もこんな声を上げていたのだろうか?だとしたらそれを聞けず逃げた私はなんて愚かだったのか。しかし、そう悲観する娘を、炎はそっと慰める。炎は歌っている。叫び声はその美しいアルトで愛の二重奏を奏でる。娘は一人、盛大な拍手とブラボーを送り、その場を去った。




「やっぱり秋も悪くないかもしれない」


まだお昼前。食欲の秋はなんでも美味しい。

秋刀魚でも食べようかしらと、娘は街を歩いた。

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死灰復然 ルルルルルルル @Ichiichiichi

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