第5話 アイドルに何が?

 定番の所在地の明解を義務付けられ、慎司は、見送る刑事の猜疑心に満ちた突き刺さるような視線を背後に受けつつ、殺風景な息苦しい空間から解放された。警察署を出ると、改めて自由に空気を吸える喜びを感じた。


 慎司は、登山をやらないが、きっと山頂では空気や景色が違って見えるのだろう。

それまでの行程が、過酷なほど、山頂での達成感や開放感は、格別な物になるのだろう、と感じていた。 

 慎司の性格から、何も苦労迄して、そんな体験をしなくてもいいじゃないか、苦労なんて、できればしたくない。結局、山頂に到達したって、また下山して、日常の生活に戻るなら、何も好き転んで、体験するなんて、本当にご苦労さんなこった、と思っていた。


 警察署を出たあと、外の空気を堪能したくて、徒歩での帰路を選択した。アドレナリンが出ていたせいか、常日頃、考えないことを考え、却って、興奮状態に陥ってしまった。ポケットを探ると400円少しがあった。小銭しかない現状に、はぁーと溜息が出て、現実に戻った。


 バスに乗れば楽が、出来る。しかし、その楽は今は、虚しいものに思えた。慎司はコンビニに寄り、ビールを買った。その刺激的なのど越しは、自由を充分に感じさせてくれた。チビチビ飲みながら、徒歩で帰路に着くと、日頃目に止めない、何気ない景色や人の行動が鮮やかな色合いを放って見えた。外から見えた事務所には、明かりの気配がなかった。


 「…だろうな、あいつがいる訳がないか…。俺は、何を期待しているんだ…」


 組織対個人の渦中にどっぷり染まった虚無感が、慎司の心の中に隙間風を吹かせていた。


 「気づかされたのは、俺も少しは、社交性を養うべきだ、と言うことか…」、


 と、つい、考えいる自分が、可笑しく思えた。鍵は、閉まっていた。


 「ただいま…」


 誰もいない部屋に、声を掛けるなんて、俺、どうかしているぜ、ビールで酔ったのか、そんなにアルコールに弱かったか…、はぁ~と深いため息が漏れた。


 「前科は、ついたの?」


 慎司は、思いがけない声に驚きを隠せなでいた。


 「ど…どうした…明かりもつけないで」

 「あっ、明かり、あっ、そうね。パソコンの明かりで充分よ。この方が見やすいし、集中しやすから、で…」

 「で…って何だ?」

 「取り調べって、楽しかった?」

 「事情聴取だよ、事情聴取」

 「どっちでもいいや、ボク、興味な~い」

 「なら、聞くな」

 「えっ、聞きたくないの…折角、調べたのに~」

 「お前…いや、花、いい加減にしろ。こっちは疲れてんだ」

 「は~ボクも疲れてま~す」

 「まぁ、いい、何が分かった?」

 「色々とね」

 「聞かせてくれるか」


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