第9話 雑なフリで面白いことを言う人はいないっ!

「ちなみに、私がいなくとも、あなたたちは人形ですので、お忘れなきよう……」

そうアンダーに向かってアカリが言うと、ドアから出てきた。


「アカリさーん! お疲れ様です!」

水瀬が声をかけた。

「いやー、本当に凄かったです! 素晴らしいデスゲームになりそうです……!」

私は素直な感想を口にしていた。


「いやいや、ちょっと脅しも足りなかったですし、もっと緊張と弛緩の波を作りたかったんですが……、あまり上手くいきませんでしたねぇ……」

アカリはいつものアイドルとしての笑顔で、ゆるふわな雰囲気を滲ませて言った。

先ほどのモニター越しの、黒い炎を瞳の中に燃えたぎらせるサディスティック・アカリとは全く違う印象だった。

「……いや……、本当に……、なんというか、同じ人ですよね……っていう」

「同一人物ですよー、たまーに人格が変わるとは良く言われますけど」

アカリは満面の笑みになった。女性でも惚れてしまう笑みだった。

「……」

私は一瞬見惚れたが、ふと我に帰り、ミーティングルームに移動することにした。

この後の計画について打ち合わせをするためである。


ミーティングルームに入り、私と水瀬、アカリとマネージャーの草壁4人だけになると、急にアカリは不満気な表情をし始めた。

あからさまにため息をつきつつ、草壁に「鏡ある?」と言った。

草壁に鏡をもらって、自分の顔を見ると、さらにため息をついた。

周囲に人の目がある状況とは全く違う態度だった。


「……、えーっと、どうかされました?」

話を振って欲しそうな雰囲気をプンプンと出していたので、私は仕方なくそうアカリに聞いた。

「どうもこうも、もっと早くあいつの右手を切断して欲しかったですねぇ……。左頬の殴られたとこが、ちょっと赤くなってますもん……」

私はアカリの左頬を見ると、確かに多少の赤い色むらがあった。

「それは……、大変失礼致しました……」

「まぁ、良いですけど……」

「……、それで今後の計画なんですが……」

「しばらくカメラに映りたくないから、ちょっと今日の夜まで、適当に進めておいてちょうだい。まぁ夜になれば、この赤みも見えなくなるでしょ」

唐突なアカリの提案、と言うよりも、ただのワガママだった。

「……いやいや、ちょっと待って下さい」

「え、だって、こんなアザがある状態でカメラの前に立てませんって。誰のせいでこのアザがついたんですか?」

「……、いやまぁ、そうですが……、ちょっと我々、何も準備を……」

「あなたたち、デスゲームのプロなんですよね……?」

――この女、相変わらず煽りよるな……。

「いやいや……それとこれとは話が」

「プロ、なんですよね?」

「いやいや……」

「……?」

「……わ……わかりました、やらせていただきます……」

やはり分かっていないが、分かったと言ってしまった。

――私のバカ!


「では、今日の夜にはまた来ますので、それまでお願いしますね〜」

アカリは軽くそう言うと、打ち合わせを打ち切って、ミーティングルームから草壁を連れて去って行ってしまった。

草壁は恐縮しつつお辞儀をしていたが、そんなことをするならアカリの横暴を止めて欲しかったと思う。

しかし、確かに、サトシの殴打がアカリに届いてしまったのは我々のせいでもあるので、あまり強くは言えなかった。


夜まで後6時間近くあるが、どうしようか……。

「先輩、夜までどうするんですか?」

「私も知りたい……」

「え、計画があるから『分かった』って言ったんじゃないんですか……?」

「そんな急に思いつく訳ないじゃない……」

「えぇ……!」

水瀬は驚いていたが、私の経験上、色々な場面で『分かった』と言っても分かっていないことはしばしばあると思う。

これは私のせいではなくて、社会が適当なのである。多分。

しかし、社会は存外適当である、ということを水瀬はまだ理解していないようだった。

そんなもんだぞ、後輩よ。


「まぁ、悩んでも仕方ないから、とりあえずお昼でも食べに行こうよ」

そう言って、2人で社食へとお昼を食べに行った。


 ***


お昼を食べている間も私は今後の予定について考えを巡らせていた。

人形がテーマ、あの部屋はアカリが仕切る前提で、周囲の壁紙の黒ドットに偽装しているレーザー以外はあまり仕掛けは無い。


しかしながら私が仕切るにしても水瀬が仕切るにしても、本物のアイドルであるアカリのような華もないし、あんなサディスティック・アカリのような真似は出来ない。

そもそも視聴者からしたら、スター☆ダストの日野アカリとのコラボ企画なのだから、私たちが出て行ったら、大バッシングを喰らうに決まっている。

きっと翌日には住所氏名年齢が全て公開されて、有る事無い事を言われるようになるのだろう。

そんなのはまっぴら御免である。


――となると……。

何か別の仕掛け・トラップを外から入れる他はないか。

でもでも、単純にトラップを入れるだけだと、せっかく今までにない『人形』というテーマでやってきた世界観が壊されてしまう。

うーん、難しい……。


「……んぱい、せんぱーい? 大丈夫ですか? ぼーっとして」

「ん、ごめんごめん、ちょっと考え事していて。なんの話だっけ?」

「アカリちゃんのお尻が可愛いと言う話です」

「……、そんな話はどうで」

「どうでも良くないですよ! あの、小ぶりなお尻からすらっと伸びる脚がグッとくるんです。あれを間近で見られたアンダーが本当に羨ましいんです!」

「そうですか……、語り終えたら、ちゃんとこの後の予定を考えてよね……」

――まぁ確かに綺麗な下着姿だったけれども……。

と、私がアカリの下着姿を思い返していると、ふと連想ゲーム的に思いつくことがあった。


「あ……、これならいける……、のか……?」

「なんですか?」

「いや、ちょっと思いついたことがあって……。んー、そっか。薄い橙色のペンキとニーソをちょっと今すぐ買ってきてくれない?」

「良いですけど……、何に使うんですか?」

「ふふー、後のお楽しみ……」

私は少しだけもったいぶってみた。


 ***


時刻表示が『1:30』になり、『2:00』になった。

アカリが最後に出ていく際に『あなたたちは人形です』と念を押したために、アンダー達は全く動かず、全く喋らず、ただひたすら我慢の時間を過ごしていた。

ホッチキスを唇に刺された男のミニスカメイドも、唇に針を刺さったままにしていて、針を外すために動く勇気が持てないようだった。

静寂が俺達と人形達の間を満たしていた。

良く耳を澄ますと、カメラが動く電子音と、他のアンダーの呼吸音が聞こえるが、そのほかの音は全く無かった。


時間が経つにつれ、俺の口の中に入れられた真綿に違和感を覚えるようになってきた。

アカリに吐き出すなと厳命をされたために真綿を吐き出すこともできず、巨大すぎる綿のために一気に飲み込むこともできず、ただただ口内にあった。

ただ、それだけ。

しかし、徐々に段々とじわじわと少しずつ、唾液を吸っていった。

真綿の繊維と繊維の間に唾液が蓄積されていった。


舌で綿を圧縮して唾液を吐き出していったが、圧縮して唾液を絞るにも限界あるために、綿から完全に水分がなくなることは無かった。

そうして、何度も綿を圧縮しているうちに、綿全体に唾液が浸透したようで、かろうじて舌を使って綿を一方に寄せれば口呼吸はできるが、それも段々と苦しくなってきてしまった。

――鼻呼吸はまだできるからよかったが……。

私は一瞬だけ安堵したが、この先の展開を不意に想像してしまったために、一気に悪寒が走った。

鼻呼吸が出来なくなったら……、などとは考えないようにしなきゃと思いつつも、どうしても考えてしまうのは人間の性である。


そうしてデジタル表示が『2:30』を示し、『3:00』を示した。

俺の口元は唾液でベタベタになっていたが、血や内臓の匂いが充満しているこの部屋では今更気にすることではない。

何も起きないというのもそれはそれで疲れる。

時間は遅々として進まなかった。

と、思っていたところで、唐突にドアが開かれた。


ドアの向こう側には、変な機械があった。

そしてそれが、機械の駆動音と共に部屋に入ってきて、ドアが閉じられた。


――キラーマシン……、のようだが……?

その機械は、しばしばデスゲームに登場するキラーマシンにそっくりであった。

しかし、なぜか全体が肌色に着色されていた。

塗り方はムラがあって雑である。

二重に塗られているところもあれば、地の金属光沢がはっきりと見えてしまっているところもあった。

そして、馬型の四本の脚は、何故かそれぞれに薄手の黒いニーソックスが履かされてあった。

薄く透ける黒ニーソックスの向こうに見える、肌色の馬形の脚。

確かに見ようによっては、脚の曲線美がによって強調されているのかもしれないが、人工物とニーソックスという組み合わせは違和感しか無かった。


そして、馬の脚の付け根には、コスプレ用と思われる、濃紺のミニスカートがカーテンのようにひらひらと付けられていた。

ニーソとミニスカートの間の絶対領域がキラーマシンに出現していた。

――全然そそられない絶対領域だな……。

と俺は思った。


しかし、それでもこの部屋に入ってきたということは、このキラーマシンが何かを仕掛けてくるということだ。

俺はじっとみじろぎせずに、ひっそりと覚悟を決めていた。


キラーマシンはモーターの駆動音を立てながら、脚の上に取り付けられたカメラを左右に動かして、俺たちをつぶさに観察をしているようだった。

俺たちアンダーの間を、ぬいぐるみを蹴り上げつつ歩き回っている。

その度に濃紺のミニスカートがチラリチラリと揺れていた。

もちろん中にパンツは履いていないが、塗装された肌色の機械が見えていた。


ぐるぐると歩くスピードが速くなっていった。

馬のように地面を蹴って、飛ぶように室内を歩き回っていた。

時折、柔らかいぬいぐるみに足元を取られることもあったが、倒れることなく、速度をどんどんと上げていった。

そして速度が上がるにつれて、ニーソックスが徐々にずり落ちているように見えた。

金属のキラーマシンでは、人間の肌のような摩擦が無いのだろうか、段々とスカートとの間の絶対領域が広がっているように見えた。


――いったい何なんだこれは……。

俺は目の前で繰り広げられるシュールな絵にとても困惑した。

なぜニーソなのか、何故肌色なのか、何故ミニスカなのか、何故ニーソがずり落ちているのか。

どれも全く意味が分からなかった。

このキラーマシンが先端芸術であると言われても、どこか納得出来てしまうと思った。


すると唐突にキラーマシンが寝転がっている俺の腹を踏みつけて去っていった。

速度を上げているうちに足が滑ったのか、わざとなのかは定かでは無かったが、重たいキラーマシンの全体重を脇腹で受け止めることになってしまった。

幸いにも真綿が口の中にあったために、声は出なかったが、それでもめちゃくちゃな衝撃を受けて、どこかの内臓が押し潰された感覚があった。

しかし『やはりこのキラーマシンは俺たちを痛めつけるために来たのか……』と少しだけ安心できた。

人間は、どんなシチュエーションでも意味がわかると不思議と少しだけ安心できる、ということのようだった。


俺が踏まれた後も、どんどんキラーマシンは速度を早めていった。

手足が後ろで縛られていたために、防ぐ方法も無かった。

ただただ意味不明なキラーマシンがこの部屋を去るのを待つのみだった。


俺も何度も腹部を踏まれたし、唇にホッチキスを刺された人も、体当たりをされて横倒しになったところを踏みつけられたようだったし、右手を突っ込まれて気絶した人も何度も踏みつけられたようだった。

――おお、神よ……。

俺はとにかくどこかの神に祈った。


 ***


「いまいちね。引き上げましょう」

私は即決した。

人形がテーマということで、キラーマシンを肌色に塗って、セクシーな馬の脚にニーソでもつければ、どこかの漫画の女子高生コスプレっぽい雰囲気になって、人形テーマと合うかと思ったのだが、とても、とても、とーってもイマイチだった。

そして、イマイチなりに、スカートもつけたら絶対領域が出現して、良くなるのではとも思ったが、さらにめちゃくちゃイマイチになってしまった。


「はーい、引き上げますね。それにしても、あれ、ダサいっすね。ニーソがただの膝丈ソックスみたいになってますし……」

ぴょんぴょんとアンダーの間を飛び続けた結果、キラーマシンに履かせたニーソも膝関節までずり落ちてしまっていた。

ギリギリのところで、膝関節の表面にある突起にニーソが引っかかり、下までずり落ちるのを防いでいたが、まぁダサいのはダサい。

ダサすぎる。


「ね。あーダメだ。流石にこれはカットかなぁ……。まぁとりあえず最低限アンダーを痛めつけることは出来たから良しとするか……」

「ですねぇ」

「後は、アカリさん待ち……。お願いしますー早く戻って来て下さいー」

私は胸の前で手を組んで、どこかの神に祈りを捧げた。

特にどこの神と決まっている訳ではない。


「マネージャーに連絡してみたら良いんじゃ無いですか?」

「まぁそうなんだけど……、ほら『プロ』とか何とか言われちゃったじゃん……。何となく『助けて!』とは言いにくいんだよ……情けないことに……」

私は声がどんどんと小さくなるのを感じた。

周囲にいるスタッフにはあまり聴かれたくなかったからである。


「あー確かにそうですねぇ……」

「だから、待ちです。待ちましょう。だから、水瀬、待ってる間、何か面白い話してよ」

「えー! そのフリは酷くないすか……」

「良いから、先輩命令! 早く!」

「えー……それじゃ、昨日の合コンで……」

「……すごいね、このフリで本当に話し始める人、初めて見た」

「……、先輩、話を振っておいて酷く無いですか……」

そんなくだらない会話を、私と水瀬は続けていた。

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