(3)カズとの関係、それからアオイについて

 おれとカズが初めて体の関係を持ったのは、おれが高三でカズが大学一年の夏休みだった。



 カズが大学進学を機に家を出てからも、彼はちょくちょくこっちに帰って来ていたし、なんだかんだでおれらはしょっちゅう会っていたけど、カズが一人暮らしする部屋を訪れたことはなかった。


「一回、カズが住んでるとこ遊びに行ってみたい」


 部活も引退して受験勉強はあるものの、なんとなく手もち無沙汰になったおれがそう言うと、カズは簡単にオッケーしてくれた。

 カズが住んでいるその場所は外側から見ると何の面白みもない建物のくせに、中に入ると変わった雰囲気を放っていた。

 なんていうか、個性のぶつかり合いみたいな。

 目に映る作りかけの美術作品、耳に入ってくる自己主張の激しい楽器の音。廊下でピンクブロンドの髪に絵の具か何かで汚れたエプロンを身に着けた女子大生らしき住人とすれ違ったとき、いつだったか夕焼け色の髪で帰ってきたカズを思い出した。

 ここはまぎれもなく、カズみたいな人間のための住処だ。

 そう思うとなんだか帰りたくなった。


「……入んないの?」


 玄関のドアを開けてくれたカズが、動こうとしないおれを不思議そうに見る。

 仕方なく足を踏み入れると、そこは広くて狭い部屋だった。

 正確に言うと、学生アパートにしては想像以上に広いけれど、中古のグランドピアノの存在が心なしかスペースを圧迫している印象だった。なのに楽器以外の家具や色々なものはカズらしく綺麗に整頓されていて、息苦しさはない。

 もてなされるままラグが敷かれた床に座らされて「があはコーヒーやお茶よりもジュースだよね」と当たり前のように冷蔵庫から炭酸飲料を出される。それを飲んでいると、向かいに座るカズと目が合った。


「どう?」

「え?」


 何がどう? なのか理解できなくて瞬きをする。


「来てみてどうだった? 俺の部屋」

「あー、なんか……すごい」


 うまく言えなくて馬鹿みたいな返答をしたのに、ふわりと微笑まれた。意味わからん。


「えーと、アウェイって感じ。おれまだ高校生だし音楽も美術も興味ないし」


 違う世界だ、ここ。だけどカズは居心地悪そうなおれをにこにこと見つめて言った。


「住んでみたらホームになるよ、きっと」

「……おれでも?」

「うん。第一志望、N大の法学部だったよね。ここからあそこのキャンパス、距離的には余裕で通えるよ」


 だから住みたかったらいつでもおいで、とカズが微笑む。

 胸の内にじれったい衝動が沸き上がった。

 カズに近づきたい。大学生とかピアノとか、おれには想像つかない場所にいる彼と隙間なくくっついていたい。一年、生まれる時期が違った差だとか、生まれつき与えられた才能の違いだとか、お互いの交わらない進路だとか。くっつくことで打ち消してしまいたい。

 ずっと一緒に育ってきた目の前の幼なじみに抱いたことがない感情に戸惑っていると、おれの動揺が伝染したように、カズも色素の薄い瞳を揺らした。

 どちらからともなく、おれたちはキスをして、その先までいった。



 その日のことを後悔しているかと問われれば、ものすごく悩むがどちらかといえば後悔している。

 あの日から、おれとカズはときどき身体を重ねるようになった。恋人でもないのに。

 セックスをしているときだけはおれたちは対等で同じだ。お互いに童貞だったから経験に差はないし、どっちが年上とかカズの音楽的才能とかも、おれたちの行為には全く無関係。

 それはとても心地良くて、なのに虚しい。

 本当は、戻りたいような気がしている。お互いがお互いのどこに触れれば敏感に反応するだとか、そういうことなんか知らずに、子どもらしく遊んだりふざけたり喧嘩したりしていれば満たされていた過去に。







 最近、カズは忙しそうにしている。前から暇そうではなかったけれど、以前以上に。

 授業や課題、ピアノの練習を大学でこなしているのもあるだろう。だけど他にも確実に、彼の用事は増えている。

 例えばテレビ出演とか。それがひと段落したと思ったら、今度は雑誌やネットメディアの取材だとか。なんか他にもいろいろと声をかけられて音楽関係の企画に参加したりしているらしい。おれにはよくわかんないけど。


「楽ってさ。市立芸大のほうの部屋に住んでんだっけ?」


 ある日、授業が終わってからバイトまでの時間つぶしに大学の裏門近くにあるチェーン店のカフェでぐだぐだしていると、おれに付き合ってくれていた同級生のアオイが思い出したように言った。

 アオイはロングストレートの黒髪と強そうな目力が印象的な、いわゆる美女だ。

 といっても本人はそれを武器に男遊びをするでもなく黙々と勉学に励んでいて、ミスコン実行委員から出場してくれと懇願されても「興味ない」と二年連続でバッサリ彼らを切り捨てている。

 見た目が怖そうだからか人が寄りつかないらしく、おれを含む数少ない友人と狭い人間関係を築いている女の子。ドイツ語の授業で隣の席に偶然座っていたおれはなぜかよくわからないけど彼女に気に入られ、ときどき一緒にいる程度の仲になった。

 そういえばかなり前に一度、どこら辺に住んでいるか話したことがあった気がする。


「うん、住んでる。てかあのアパート、おれ以外ほとんどあそこの芸大生しかいねえ」

「マジで。なんでそんなとこ住んでんの」

「芸大行ってる幼なじみとルームシェアしてんだよ」

「へえ。楽ってば遠いトコから通学して偉いね」

「バイク通学だし、そんな遠くないけどな」


 というか、突然何の話だ。

 おれの疑問を空気で感じ取ったアオイは店員さん渾身のラテアートをスプーンで豪快に崩しながら答える。もったいない。せめて写真撮っとけよと思うけど、そういうことをしないのがアオイだ。


「こないだ道を歩いてたら、あそこの大学の写真専攻だっていう男子に、写真のモデルになってくれって口説かれた」

「は? くど……? それでどうしたんだよ」

「面白そうだからオッケーした。ついでに楽ってあっちのほうに住んでんだっけって思い出した」

「大丈夫なのかそれ? 変な人じゃない?」


 一応アオイ、女だしなあ。余計なお世話かもしんないけど心配していると、彼女はわからん、とでもいうように肩をすくめてみせた。


「密室とかじゃなくて屋外の撮影だって話だし、まあいかがわしいことにはなりにくいでしょ。いざとなったら相手の腕でも捻り上げて逃げるよ。わたし高校まで格闘技やってたから」

「さらっと高校時代の新情報をさらすなよ……お前のことがまたひとつわからなくなった」


 格闘技って、初耳なんだが。

 おれが情報過多で混乱しているのを楽しむように、アオイはくすりと笑った。


「楽の幼なじみさんは何の勉強してる人? 絵とか?」

「いや、ピアノ。音楽学科のほうだよ」

「あー、そうなんだ。そういや最近あそこの大学で話題になってるピアニストの人いたよね。山田なんとかって人。SNSのトレンドで見た」


 聞きなれた苗字が出てきておれは一瞬、下を向く。カップの中のブラックコーヒーがおれの顔を映した。隠すのも変だし言っとくか。


「それ、ルームシェアしてる幼なじみ」

「へ?」

「だから、話題になってるピアニストの山田和臣。一緒に住んでる」


 アオイは目を丸くしておれを見た。けれどそれは短い時間のことで、なぜだかちょっと嬉しそうに微笑まれる。


「な、なんだよ」

「ううん。わたしも君のことがまたひとつわからなくなった」

「ま、確かにあんだけニュースで取り上げられた人物とおれが同居してるとは普通思わねえよな……」

「そだね。でも身近に有名な人がいても話題にしない楽のそういうとこ、なんかいいよね」

「なんかいいとはなんだ」

「ピアニストの山田さんは世間を騒がした非日常な存在だけどさ。楽にとっての山田さんは、楽の中に自然に溶け込んだ日常の存在って感じがする。そう思うと素敵」


 よくわからない。アオイはたまにカズみたいなことを言う。

 カズなりアオイなり、こういう変わったことを口にするタイプの人間をおれが寄せ付けてしまっているのか、おれが無意識にこういうタイプの人間を好んで近寄っていってるのか。謎だ。

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