第25話 一週間後(後編)


「あたしが思うに、ここで指摘するべきなのはね、大友さんの記憶からみのりちゃんのことだけが消えてる、ってこと」



 花奈は自分に集まる視線に応えることなく宙空の一点を凝視したまま、自分の考えに集中している。


「つまり、大友さんが悪魔退治を成功させた代わりに失った、大切なものって……」


 花奈の視線が動き、実智の上に止まる。つられる様に、3人の視線も実智に固定した。


「実智との……」

「記憶……」


「Fooooooooo!!」

 

 道行が、甲高い雄叫びを上げた。体当たりする勢いで実智に飛びつき、肘を入れる。


「すごいよ、みのりちゃん! ヒュ~!」

「やるじゃねえか、実智」


 ハルもニヤつきながら道行を真似、実智を肘で小突き回す。完全に実智をからかっている。


「仮に一連の情報が事実だとするなら、一応、筋は通ってるな。うん」

 透も参戦し、今や実智は3名の中心でぐらぐらと揺さぶられていた。



「ちょ、ちょ……っと、やめーーーーーーー!」


 大声で叫ぶと、道行を肩で弾きとばし、ハルの脇腹に膝蹴りを入れ、透に肘鉄を食らわせた。


「3人とも、そこへ座んなさい! 全く、もう……違う! 正座!」


 ハルから奪った木刀を手に、ちんまりと正座した3人を睨みつけ……と思うと、くるりと後ろを向いた。


「そういうのわからないから! だって他にも消えた記憶あるし。悪魔を消そうと思うにまで至った生徒の記憶、とか? ほら、そもそも対決の方法だって思い出せてないし……だからこそ実家まで探りに行くわけで………」


 背を向けたまま、徐々に声がくぐもっていく。と同時に、耳たぶが赤く染まっていく。



 互いに目配せしながら正座する3人の隣に、いつの間にか花奈もしゃがんでいた。両手で頬を挟み、実智の後ろ姿をニコニコしながら見守っている。



「だから別に、大友さんにとって私が、とか…… いやちょっと待って、そりゃちょっとは期待しちゃうけど、でもまだそうとは………えっ、いや、でも………」




「よっ! オヤジキラー!」

「ちょっとハルくん、からかわないの」

「そうだぞ、ハル。オヤジキラー呼ばわりはあんまりだ。せめて悪魔払いゴロシとか」

「なにそれ禍々しい。ちょう強そう」


「うるさーーーい!! 大体あんたらはどうなのよ!」


 さすがに実智も向き直り、頬を染めたまま木刀を突きつけた。


「俺は順調だも~ん。オサムちゃん騒動はノーダメージ、あさみさんとも急接近中」


「っていうか、家事全般引き受けますから結婚を前提に付き合ってくださいお願いしますって、ほぼ土下座」


「黙れ道行。調理師免許保持&水回り掃除完璧だぞ? しかもちょっとした接触不良ぐらいなら電気関係の修理まで出来るときてる。得意分野をアピールしなくてどうするよ。それにあれは土下座じゃなくて、座位による最敬礼だ」


「大して変わんないじゃん」

「違うね。これから一緒になろうって相手に最大限の敬意を示すのは当然だろ? まあ、そうやって色々話したり相談に乗ってるうちにな? こう……盛り上がってだな」


「盛り上がったのは刃物の話ばっかじゃん。メスと包丁、日本刀で切れ味がどうとか」

「だから黙れって。いいんだよ、とっかかりはそんなんで。って、透はどうなんだよ」


 道行の暴露にいちいち吹き出していた透に、今度はお鉢が回ってきた。


「え、俺は……」


「あー、アマネさん、素敵な人だね。今度みんなで食事でも、って誘っておいたよ」

「え、お前いつの間に、ってかなんで」

「防犯カメラの映像見てた時、透くんとこから出てきたの見た」

「あんな一瞬の映像で……」

「この前、知り合いに頼まれて老人ホームで少し歌ったんだけどさ」

「道行お前、そんな仕事まで」

「ハルくん。このご時世、高齢層の獲得は大事だよ? でね、透くん」


 呆然としている透に向き直り、道行はニヤッと笑ってみせた。


「そこがたまたま出版社の近くだったから寄ってみて、挨拶しちゃった」

「おま、なんで言わないんだよそういう大事な」

「別にいいじゃん。花奈には言ったけど。ねー」

「ねー」


「道行はとりあえず、俺らのプライベート網羅しすぎな」

「えー、偶然だよー」


 ハルが透に向かって身を乗り出し、真面目な顔で語り始める。


「ともかく。あのな、透。年上相手には、かなりグイグイいかないと」

「……そう、なのか?」

「おう。年齢差のハードルってのがな~」

「待ってくれ。メモるから、その話、もっと詳しく……」



 額を突き合わせてしゃがみ込んだ3人が、ゴニョゴニョと密談し始めた。彼らから離れた花奈が、実智の腕に絡みつく。


「春だねえ、みのりちゃん」


 含みのある笑顔を浮かべる花奈から視線をそらしてわざとそっぽを向き、実智は呟いた。


「春っていうか……そろそろ梅雨入りですけど」



 赤いリボンを首に巻いた猫が寄ってきて、花奈の足に頭を擦り付ける。


「あ、リーダーおかえり。ねえみのりちゃん、あたしたち、いつまでこうやって一緒に居られるのかなあ」

「さあねえ……」


 花奈はリーダーと命名された猫を抱き上げ、背中を撫でた。



「もし大友さんとこへお嫁に行ったら、ここを離れちゃう?」

「……花奈、気が早いってば」

「だってきっと上手くいくもん。作戦の前の日、お店に大友さんが来た時のこと、憶えてる?」

「うん。花奈が私を置いて逃げた……」

「ふふ。私が店を出た時、すれ違った瞬間ね。大友さんの気持ちが、ギュン! ってみのりちゃんに向いたのを感じたの」


「……気持ち?」

「そう。あれは、なんだろう。泣きそうな時ともちょっと違う、でも、助けを求めてるっていうか……上手く言えないけど、とにかくみのりちゃんじゃなきゃダメ! って感じだった」

「よくわからないよ、花奈」

「説明下手で、ごめん……でもね、大友さんにはみのりちゃんが必要だよ。きっと普段は隠してるんだろうけど、あの時はあたしが店を出たと思ったからうっかり気持ちがはみ出ちゃったんだね」


「気持ちが、はみ出る……」


 おかしな言葉だったが、なんとなく理解出来てしまう。大友の前だと、自分もはみ出まくりだから。


「大友さん、その時の記憶も消えちゃってるんだろうけど、あの時確かに、大友さんの気持ち……心は、みのりちゃんに向いてた。だから、頑張って。もし断られても、それ本心じゃないから。心の底では、みのりちゃんを求めてる。みのりちゃんは? そうじゃない?」


 珍しく、実智が自信なさげに顔を伏せ弱々しいため息を吐いた。


「それがさ、わからないのよ。一緒に居たい、離れたくないとは思うの。でもそれが、どういう感情なのか、恋愛感情なのかがわからないんだ。だってご飯も美味しく食べられるし夜もぐっすり眠れるし。大友さんのことを考えても、胸がいっぱいにはならないで、今後どうすべきかとか具体的な方策を考えて頭がいっぱいになるだけだし、なんか恋愛とかって思ってたイメージと違うというか」


「みのりちゃん……」

「キュンキュンとかトキメキとか、そういうの? そういうのが全く無いんだよね。普通はあるんでしょ? 本や漫画で散々読んだもの。あるのは、こう……血が滾る感じ? 細胞がざわめいて奮い起つ。『逃してたまるかーっ』みたいな。どちらかというと……狩猟本能に近い何か」


「……狩猟、本能………うん、でも。そういうのって人それぞれかもしれないし」


「そう思うと、不安を抱えて弱ってる大友さんを仕留めてやろうとしてるだけかも、って思えてくるんだよね。それは恋愛と呼べるのか、支配ではないのか、双方にとって良いことなのかと……」


「考えすぎだよ、みのりちゃん」

「そうかなあ……でも、会ってまだ日も浅いのに、おかしくない? 私なのに、おかしくない? ほんと、何でこんな……」


「ねえねえ、みのりちゃん。前に、あたしに言ったでしょ?よく見なさい、って」

「う? ……ああ、うん」


「ただ、見れば良いんだよ。みのりちゃんは頭が良すぎるから、ぐるぐるぐるぐる、色んなこと考えちゃうんだね。でも、一緒に居たいって気持ちがあるなら、それだけ見ればいいんじゃないかな。一番大事なのは、その気持ちだもん。こういう時ぐらい、自分の気持ちを優先させなきゃ」


「気持ちを、優先………あぁ、だからかぁ」



 さっきよりもうんと盛大に、ため息を吐く。全身の力が抜けたみたいに、実智はその場にしゃがみ込んだ。


「実はね……」


 こちらの二人も額を付き合わせるようにしゃがみ込む。実智は声を顰め、先日の暴走っぷりを(かなり端折って)花奈に説明した。聞き終わる頃には、花奈は必死に声を殺して膝の間に鼻先を埋める様にして笑っていた。


「くっくっくっく………ああ、お腹が。お腹が痛い。それでさっき、赤い顔して悶絶してたのかぁ」

「そうよ。思い出し悶絶……あの暴走はきっと、気持ちがはみ出しまくって前に出ちゃった結果で……」

「うんうん。慣れてないから出過ぎちゃったんだね………プフッ、だからって胸ぐら掴んでって………ごめん、もう笑わない……笑わないから……」


 実智は抱えた膝の上に顎を乗せ、口を尖らせた。


「いいわよ、笑って。むしろ私の代わりに笑い倒してよ。だって、しょうがないんだもん。そうなっちゃうんだもん。馬鹿なんじゃないかしら。私、馬鹿なんじゃないかしら。中学の頃から何も成長してないのよ? もうさ、こうなったら今更いい子ぶっても仕方ないもん、開き直って暴走モード貫くわ。それでダメになったら、それまでよ」

「いいぞみのりちゃん!」

「振られたらヤケ酒付き合ってよね」

「任しといて。酒屋さん、空っぽにしちゃおう」


 ふたりは両手を高く掲げ、掌をパチンと打ち合わせた。



「まあ、くっ付いたとしてもいつ離れるかわかんないワケだし。うちの親もついに離婚が決まったし」

「離婚?!」

「そ。向こうへ越してからは、父親はほぼ別居状態だったからね。妹も今年就職したから、それを機にってことで」

「知らなかった。仲良し家族だと思ってたよ」

「いわゆる、仮面夫婦ってやつ。そうよ。一度結んだ関係も、結ばなかった関係も、変わっていっちゃう場合もあるんだもの。先のことばっか心配しても、しょうがない。時には勢いに任せて突っ走るのもいいかもね、うん」


 実智は立ち上がると木刀をゆっくりと両手で掲げ、うんと背伸びをした。腕を下ろし、そのまま空を見上げる。


「まあ、でもさ……どこへ嫁ごうがどこへ越そうが、私にとっての地元はココ。それは変わらないんだから、多少離れたとしても、問題無いよ」

「そうだね。バラバラに暮らしててもあたしたち、南町ファイブだもんね」



 爽やかな風が通り過ぎ、小さな公園の樹々を揺らして町の向こうへと抜けていった。まだひんやりとしているが、南からの風だ。こうして少しずつ、季節は変わっていく。この町もこの町に住む人も、少しずつ。


 でも、変わらないものだって、ちゃんとあるのだ。



 リーダーが小さくニャアと鳴き、ごろごろと満足気に喉を鳴らした。


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