第13話 土曜・杉原透の違和感
「あ、この人。たぶん、あのライブでみっちゃんの歌聞いて泣いてた」
録画ビデオを見ながら嬉しそうに指差したのは、花奈だった。
ギター1本とボーカル、金曜の昼恒例の路上ライブもどき。開催場所がちょうど商店街事務所の前にある空きスペースなので、事務所に設置したビデオにその様子が録画されていたのだ。
花奈が誇らしげに語るところによると、通りすがりの見知らぬ青年が足を止めてしばらく聞き入っていたかと思うと、不意に足早に立ち去ったらしい。目の前を通り過ぎる際、涙を拭ったように見えたし、何より泣き出す寸前特有の匂いがしたのだと。
泣き出す寸前の匂いって、何だ? という話だが、花奈によれば「なんとなく、湿っぽいような塩っぽいような、そんな感じ」らしい。思わず涙ぐんじゃうぐらい、みっちゃんの歌声は素敵だから……と、頬を染めながら何故かはにかんでいる。
「地元の人じゃなさそうだな。知ってるやつだと、後ろ姿とかでもわかるもんな」
「顔ははっきり映ってない、か……花奈、顔覚えてるか?」
「んー、なんとなく? 雰囲気しか」
花奈は曖昧にに首を振った。大方、道行のことしか見ていなかったんだろう。
「無関係かもしれないけど、特徴ぐらいは覚えておいて損は無いか」
透はメガネを外し、一時停止にした画面に顔を寄せて覗き込んだ。どちらかといえば瘦せ型の青年、身長はおそらく170センチ弱。年齢は……20歳前後だろうか。若干猫背気味。ロゴTシャツに、薄手の長袖シャツを羽織っている。
「あんまり特徴無いな。つまらぬ奴」
「お前が特徴だらけすぎるんだ。下駄履きとか」
「だって、調理場は床に水流すから下駄が楽なんだよ。長靴は蒸れるからヤダ」
「腰までの長髪は」
「だってお前、見てみろ。奇跡のキューティクルヘアーだぞ? 切るのもったい無い……って、あれだよ。ホントはさ、切るとくるくるウェーブが出てゴージャス感溢れる外国人モデル風になるから、恥ずかしいっていう」
耳のあたりでくるくると人差し指を回すハルの顔を、透はまじまじと眺めた。
「……お前の恥ずかしさの基準が謎だ」
「方向性の問題でござる」
アラーム音がして、花奈がスマホを取り出し音を止めた。
「あたし、そろそろ行くね」
「おお、バイトの時間か。夜だし、気をつけてな」
「電車乗っちゃえば、朝まで駅ビルの中だもん。大丈夫大丈夫」
現在就活中の花奈は、臨時で24時間保育施設での夜勤バイトを始めたらしい。時給は高いが、預かっている子供たちは大抵眠っているので、あまり楽しくはないそうだ。
腕時計を見ながら、ハルが声を上げた。
「あ、ついでだから俺送ってくわ。それがしぃ、ちょっと野暮用でござるぅ」
「……刺されんなよ」
「へーい、承知つかまつったー」
……ハルのやつ、相変わらずフラフラしてんのか。おばさんも心配だろうな。
透は、連れ立って店を出た二人を見送りドアの鍵を閉めた。そろそろうちも閉店の時間だ。後の録画チェックは自宅でやるか。
☆☆☆☆☆
両親がこちらに住んでいた頃は店の2階が自宅だったが、現在その3LDKはファミリー向けに貸し出している。そのため透は近くにアパートを借り、独り暮らしを謳歌していた。
自室に戻ると、部屋の電気を点けた。蛍光灯が明滅し、暗褐色の色板張りのダイニングキッチンが青白い光に照らし出された。電気料金の領収書と幾つかのダイレクトメールを物置台と化した小さなダイニングテーブルに放り投げ、冷蔵庫からビールを取り出す。冷凍の枝豆をレンジで解凍する間に、豆腐のパックを開ける。これで足りなければ、冷凍食品が幾つかストックしてある。ここ数年、夕食にはまともな物を食べていない。
ビールを飲みながら換気のために窓を開けたところで、電話が鳴った。
「透くん、もう帰った? これからそっち行っていい? もう、すぐ傍なんだけど」
道行だ。バイトに行く花奈を送るつもりだったのだが、渋滞に巻き込まれてすれ違ってしまったらしい。鍵は開けておくから勝手に入れと言い、電話を切る。奥の座卓で録画チェックをしつつ、醤油をかけた豆腐を食べ終わり枝豆を幾つか摘んでいるところで、ドアが開いた。
「おっ邪魔しまぁ……出た、大豆フェア。透くん、いっつもそればっかじゃーん。豆腐も醤油も枝豆も、全部大豆だからね? その第3のビールにも大豆成分入ってるからね?」
「そうなの? ま、大豆食っときゃいいんだ、日本人なんだから。ビール飲むか?」
「なにその理屈。車だからビールはパス」
今日は取引している契約農家を手伝いに行って、夕食に呼ばれたらしい。土産に持たされたという惣菜を、「これも食べなよ。美味しかったよ」と強引に押し付けられた。ありがたく頂くことにする。
早速タッパーを開け、そら豆とジャガイモ入りのツナサラダとアスパラの肉巻きを食す。うん、確かに旨い。
「仕事頑張ってんな」
「まあね。新生活のためにも頑張らないと」
以前から仕事熱心ではあったが、花奈がこっちへ戻ったことで、道行は覚醒したといっても過言ではないと思う。明確な目標を持って仕事に励む様は、見ていて眩しいくらいだ。まあ、昔から花奈が絡むとしゃかりきに頑張る傾向はあったので、今更不思議ではないが。
道行は潰れかけたビーズクッションを腹に抱え、両足でクッションを抱え込むように座って透の背後に陣取った。
「透くんも、ビデオの解析お疲れ様でぇす」
「っても、まだ手がかり無いけどな……商店街の防犯カメラと合わせてチェック出来れば、もうちょっと捗りそうなんだけど」
「それは警察じゃなきゃ無理だよねぇ……あっ、みのりちゃん発見。あれ、一緒に居るの誰だろ」
箸とタッパーを脇に置き、急いで画面を覗き込む。解像度は低いが、見知らぬ男性と連れ立って歩くのは、確かに実智だ。あの、まっすぐに首を立てた威風堂々とした歩き方に間違いはない。まるで、自分の領地を見回っている領主の様な歩き方。
「誰だこれ……もしかして、例の奴か。中華屋の」
「きっとそうだよ。30代後半ぐらいの男性だって、店長さん言ってた。みのりちゃん起きてるかな、電話しちゃお」
「まあ待て、道行。もうちょっと情報収集してからだ。腕が鳴るぜ」
「おお。記録担当の透くん、ノリノリでぇす」
幾つかの録画をチェックした結果、地元民以外で頻繁に映っている人物が数人居ることがわかった。そのうちの2名が、花奈が言っていた「道行の歌で泣いた人」と、実智のお相手(仮)だ。他の幾人かは、不動産屋勤務である実智や古参の地元民に要確認、と。彼らが映った画像を取り出し、プリンタで出力する。
「あ、この人。中に着てるTシャツ、前に西口商店街の古着屋にあった。買おうか迷ってラックの奥に隠しといたたやつだから、覚えてる」
道行が声をあげたのは、「泣いた人」の映像だった。花奈がそう指摘したと先ほど教えたため、気になっていたのだろうう。道行はその映像を注視していたみたいだ。
「胸元に白い羽根のプリント、背中には翼のプリントがあって可愛くってさ。でも、裾に他所の商店街の名前がガッツリ入ってるから、買うの躊躇してたんだよね」
「シャツの柄はいいよ。この人の顔、憶えてるか?」
「ううん、服だけしか憶えてない……この時何歌ったかすら覚えてないよ。即興だもん」
「そう……だよなぁ。ジジババのリクエストに応えたりもしてるし、客の顔見てる暇無いよな」
「しっかり顔が映ってればなぁ」
まあ、確認すべき人物を数人見つけられただけでも、僅かだが進展したと言えるだろう。ということで、実智のお相手(仮)の映像を探す方向へチェンジだ。
☆☆☆☆☆
道行は早々にビデオチェックに飽きたらしく、しげしげと盗品リストを眺めている。この部屋には本以外に娯楽が無いので、あまり読書を好まない道行には退屈らしい。
「ねえねえ、透くん。この犯人、盗むものが……」
「んー?」
「いや、食べ物とか服とかさ、生活に密着してるっていうか」
「ああ、確かにな」
「普通はもっとこう……換金出来るモノ盗みそうじゃない? 本とかゲームとか、家電とか時計とか」
「換金か……思いつかなかったな。今後どうなるかわからんし、一応質屋も当たっておくか」
「今時質屋なんて行く人居るかなぁ。フリマかネットオークションの方が身近かも」
なるほど。そっちも要チェックだな。
「あっ、あの古着屋も盗まれてるんだ。えっとぉ……少なくともTシャツ3点、だって。透くん、Tシャツ3点だって!」
「お? おお」
「おお、じゃないよ。この羽根Tシャツ、盗まれたやつかもよ?」
……いやいやいや………まさか、な。そんな都合良く……
「もちろん普通に買ったのかもしれないけどさ、一応確認してみるべきだよ」
「道行お前、自分がそのシャツ買えなかったからって」
「う。それも、あの……無くはないけど……でもこの人、地元の人じゃないし。それにさ、お店だってざっと在庫確認しただけなんでしょ? もう一度確かめてもらうためにも、さ」
ふむ。道行きがどうしても地元の人間を疑いたくないのは承知しているが、それを置いておいても。実智の推測を踏まえれば、一理あるな。明日にでも確認に行ってみるか。
今度はスマホを弄り始めた道行を放置し、アスパラの肉巻きを頬張りながら録画チェックを再開する。
大通りの方なら、大型スーパーや飲食店、会社も多いし、こことは比較にならないくらい人通りも多い。だがここは、地元密着型の小さな商店街。賑わっているとはいえ、やはり映っているのはほとんど知った顔だ。近隣住民、出入りの業者、宅配の担当………あ、またこの男だ。実智のお相手。
透は微かな違和感を覚え、再生を停止した。何だろう、何か引っかかる………
意見を聞こうと振り返ると、道行はいつの間にかスマホを握ったままビーズクションの上にうつ伏せになり、眠ってしまっていた。
(ついさっきまで、鼻歌歌いながらスマホ見てなかったか? しかし、よくこんな明るいところで眠れるな……)
静かに立ち上がった透は、開け放した襖の向こうの寝室の押入れからタオルケットを引っ張り出した。タオルケットを道行の背中にそっとかけてやり、蛍光灯を消して卓上ライトに切り替えた。そして再び、録画のチェックに戻る……
☆☆☆☆☆
「周さん……それを、そのシャツを早く………駄目、行っちゃ駄目だ……」
自分の声で目が覚め、ハッと身を起こす。部屋は真っ暗で、目の前のPCはスクリーンセーバー画面。どうやら、録画チェックをしながらうたた寝してしまったみたいだ。
透はブルーライトカット眼鏡の下に指を差し入れ、目をこすった。さっきまで見ていた夢の断片が、まだ脳裏にちらついている。芹沢周が着ているTシャツにプリントされた翼が本物に変わり、彼女が羽ばたいて飛び去ってしまうという夢。
……全く、道行がシャツの柄なんか詳しく話すから……っていうか俺、夢の中では普通に『周さん』って……
「アマネさんって、誰?」
背後からの声にビクッとして、手の甲を机の縁にぶつけた。道行、聞いてやがったのか……
「……誰って、編集の人だよ。絵本の」
「ふうん……うひひ」
目を擦りながら胡座をかき、道行は眠そうな顔でニヤついてやがる。タオルケットなんてかけてやるんじゃなかった。
透は立ち上がって電気をつけると、床でくしゃくしゃになっているタオルケットを取りあげて丸め、隣室のベッドの上に放り投げた。
「そろそろ帰れよ、道行。明日も早いんだろ」
「うん……でもまだ眠い」
「家で寝ろ。うち、客用の布団無いから風邪ひくぞ」
これ以上寝言を聞かれちゃ堪らない。
目をショボつかせながらぐらぐら揺れている道行を小突くと、あっけなく床に倒れた。そのまましばらく愚図っていたが、「明日の朝、花奈を迎えに行くんじゃないのか?」の一言で目が覚めたらしい。「あとでタッパー返してね」と言い置いて、道行は車で帰って行った。
部屋には、食べ残しの惣菜と、正体不明の違和感を抱えた透だけが残った。
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