第29話船幽霊

 親の愛と子の感謝は等しい。悲しいほどに。


「そうは言ってみたものの、私はお前が魔王になることは望んでいないよ、友哉」


 父は兄から離れ、私に近づいてぽんと肩を叩いた。

 思いやりが見られる気遣いに私の緊張感は解れた。地獄に来てから、心が休まるときはなかった。


「私はね。お前に人をやめてまで、この子を救ってもらおうとは思わない。お前にはお前の人生があるのだから」

「父さん……本当にいいのですか?」

「良いに決まっているさ。すみれだって同じことを言うはずだ。それに、私がお前にしてやれたことなんて、少ないんだよ」


 父は淋しげに微笑んで、私に告げた。

 私はそんなことないと首を横に振った。

 父には感謝しかなかった。それは心から言えることだ。


「和菓子作りにかまけて、私は友哉に何もしてあげられなかった。親子として過ごす時間があまりにも少なかった。早く死んでしまってから、それだけが心残りだった」

「父さん……私は、そんな風に思いません。だって何不自由なく、育ててくれたじゃないですか」

「親として当たり前のことだ。誇ることじゃない」

「この賽の河原に居る子供たちは、それがされなかったのですよ」


 揚げ足と取るようなことを言ってしまったと我ながら思った。

 父は悲しげに「ここの子供たちは本当に可哀想だ」と呟いた。


「できることなら救われてほしい。幸せになってほしい。お前とこの子の親となって、つくづくそう思える」

「…………」

「私がお前に残せたものなんて、店とレシピぐらいなもんだ」


 父の背中が小さく見える。そういえば、いつの間にか、私は父よりも大きくなったのだなと今更ながら思う。

 私は「そんなことないですよ」と強く否定した。


「父さんは、私に物凄く大事なものを残してくれました」

「それは、なんだ?」

「和菓子を作る喜びと情熱。私はね、父さんの和菓子に対する姿勢を見て、和菓子職人になろうと思えたんですよ」


 父が息を飲むのを感じた。私からそんな風なことを言われるとは思わなかったんだろう。

 私は続けて「柳京一郎という和菓子職人の血を継げただけで、私は幸せですよ」と言う。


「それを父さんが生きているときに言えませんでした。でも今、ようやく言えました。それだけで、地獄巡りをして良かったと思えます」

「友哉……」

「私は、父さんの子として産まれて、幸せですよ」


 たとえ神野の血を引いて、地獄巡りをすることになっても。

 父のような素晴らしい和菓子職人の息子として生まれたことはそれ以上に嬉しいことだった。


「……馬鹿。死人を泣かせるんじゃない」


 父はくるりと背を向けて静かに涙を流した。

 私は、素直な気持ちを伝えることができて、とても満足していた。




「白沢様に連れてきてもらったのか。しかしどこにも姿が見えないが」

「気を使ってくださったのでしょう。けど困りましたね。これでは皆のところに戻れない」


 父が落ち着くのを待って、私は地獄巡りを再開しようとしたのだが、どうやって針山地獄に戻ればいいのか分からない。白沢はどこかへ行ってしまった。

 すると父は「針山地獄なら三途の川を渡った先にある」と言う。


「だが渡し舟はやめたほうがいい。死人ではないお前が乗ると本当に死んでしまう。それに六文銭も冥銭も持っていないから、そもそも乗ることもできない」

「うーん、ではどうすれば良いですか?」


 賽の河原に一人きりで残されるのは勘弁願いたい。

 私が頭を悩ませていると「すみれの仲間に頼もう」と父が言う。


「おそらく、近場で漁をしているはずだ。さあ来い友哉」


 父の導くまま、私は賽の河原を歩き出す。

 その前に、父に倣って兄に別れを言う。


「さようなら、兄さん」


 私の言葉を理解できたのか分からない。

 しかし少しだけ石を積む手をやめて、私のほうを向き、手を動かした。

 見送ってくれたのだろう。そう考えたい。


 父の案内で岸に着くと、漁師姿の血色悪い男たちが「よう。すみれの旦那さん」と一斉に声を張り上げた。


「お疲れ様です。今日は何の御用で?」


 船頭らしき男が野太い声で訊ねる。父は「私の息子を、向こう岸まで送り届けてほしい」と事情を話す。


「息子。するってえと、そこの若者がすみれの息子さんですか?」

「そうだ。私の自慢の息子、友哉だ」


 私が軽く頭を下げると男たちが「お勤めご苦労様です!」と言う。

 別に出所してきたわけではないのだが……


「俺たちは船幽霊です。すみれとは友達でして」

「母さんの……ひょっとして釣り友達か?」

「ええ。すみれが若いときは夜釣りとかしていましたね」


 母は海坊主とも親しかった。よほど釣りが好きだったのだろう。

 私は「地獄巡りの途中なんだ」と明かした。


「針山地獄に友人が居るんだ。そこに行かないといけない」

「分かりました。それではさっそく船を出します」


 船頭が男たちに指示を出し始める。

 父は私に「これでさよならだな」と言う。


「私は賽の河原以外の地獄に行けない。お前とはここで別れる」

「父さん……またいずれ会いましょう」

「できればすぐに会いたくないな。長生きしろよ、友哉」


 私は父と固く握手をして、それから船幽霊の船に乗り込んだ。


「友哉! 地獄巡り、頑張れよ!」


 父は姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。

 私も大きく手を振った。声が届かなくなっても、よく分かるように、大きく大きく振り続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る