嘆きの天使

文木-fumiki-

己に巣食う欲望の名


 女神カラディアが生みだした大陸。

 昔はひとつだったそれは、人々が争いを起こしたことにより五つの大陸へと分断された。

 その後女神は自身に仕えてくれた精霊と数少ない人間へ統治を命じ姿を消した。


 精霊も同じように姿を見せなくなったが、代わりに生まれてくる子供へ祝福を与えるようになった。それは分かりやすく髪や瞳の色などの容姿に反映された。


 生命力の黄色。

 火を司る赤。

 水を司る青。

 大地を司る茶色。

 風と植物を司る緑。

 幸運の白。

 そして、黒。


 黒だけは何故か人前に滅多に姿を現さず、その司るものが分かっていない。


 精霊も好む環境があり、大陸や両親が受けた祝福に左右されるが一般的に茶色や黄色が混じる者が多かった。

 その中でも特に色濃く祝福を与えられ愛された者はアステルと呼ばれる。

 女神や精霊を信仰するルーネル教が広く浸透しており、数十年にひとり生まれると言われるアステルの存在は貴重とされ、王族というものが廃れた世界では精霊の声を聞く御子として崇められた。


 五つの大陸の内、地図上では右上に位置する大陸エルカレには、同じ年に生まれたふたりのアステルがいた。


 どちらもエルカレの騎士団に属する父を持ち、幼少から共に過ごす幼馴染でもあった。


 大きな庭園を敷地内に持つコローア教会はエルカレで最も美しく広大な敷地を持つ城のような教会だ。白を基調とした色使いに、七色のステンドグラスが至るところにはめ込まれている。


 手入れの行き届いた美しい庭園に目もくれず歩く少年は焦ったように先を急いでいた。それを見た白く長いローブを纏った背の高い老人が彼を呼ぶ。


「ウィルフレッド殿。」


 引き留められた彼は二、三歩躓きそうになりながら止まって頭を下げる。

 茶色をそのまま塗ったかのような髪と丸い瞳が伏せられる。


「これは、司祭さま。いかがいたしましたか。」


 まだ多少のあどけなさが残るウィルフレッドは真っ直ぐに司祭を見て尋ねた。

 司祭はくすんだ茶色の瞳を細めて優しく柔らかな口調で告げる。


「シアン殿はどちらかな?朝から姿を見ていないのです。」


 今日ははるか昔、女神が世界を別った日。

 欲望に身を任せた祖先のため、自らが同じ過ちを繰り返さないようにと祈念する世界共通の式典の日だ。

 今の世界に、日々に感謝をする日でもある。


 ウィルフレッドは口を一瞬引き結んでもう一度頭を下げた。


「申し訳ありません。今探しているところでして…!」


「良いんですよ。あの方は私の知る誰よりも精霊らしい。10時には式典が始まります。それまでに見つけましょう。」


 司祭は終始笑みを絶やさず言い、ウィルフレッドは罰が悪そうに視線を逸らした。


 実は一緒にこの教会まで来たのは良いが、その後はぐれてしまったのだ。

 真面目に従事するウィルフレッドと違い、もうひとりのアリストであるシアンは自由気ままな性格をしていた。


「どこにいるんだよぉ、シアンー!」


 涙目になって探しているウィルフレッドをよそに、シアンはひとり、緑の蔦が絡んだ美しい東屋の白い長椅子に横になっていた。


 光を吸収するような黒く艶やかな髪が目元までかかっている。小さな唇から紡がれる歌は小鳥が様子を見に来る程耳に心地よく響く。


「………。」


 しかしその歌声は不意に止まり、閉じられていた瞳が一点を見つめる。

 透けるような青の双眼が鋭く細められるとガサリと奥から黒い影が飛び出した。茶色いウサギだ。


「…何だ。」


 シアンは警戒を解いてウサギへ手を伸ばす。そのウサギは鼻を動かし手の匂いを確かめると、小さな舌で指先を舐めどこかへ消えていった。


「はぁ…」


 うらやましい、とため息をついて短い髪をかき乱した。乱暴にしたせいであちこちに跳ねた毛先をぼんやりと見つめる。


「シアンー!」


 少し遠くで、ウィルフレッドの呼ぶ声が届いた。


 シアンはゆっくり白い床に足を着けると黒いローブを頭から被ってのろのろと呼ばれる方へ歩き出した。


 シアン・シャンテは騎士団でも高名なの娘だった。

 女児として生まれたシアンはその稀な祝福を受けた時から人々に距離を置かれ育った。

 高すぎる霊力を祝福として受けたシアンは、水を操ることができた。アリストとしては誇るべき御業と言われるが、称賛や尊敬の言葉や視線の奥にはいつも恐れが滲んでいた。


 騎士の家庭に男児として生まれず、アリストとしては特異過ぎる恩恵を授かったシアンはどこへ行こうと注目の的だ。


 期待。期待。期待。


「はあ…」


 呪いのように付きまとうそれに嫌気が差しながらも、裏切りきれない心が足を引っ張る。

 これでも努力をした、とシアンは黒いローブの前を寄せる。

 それでも人々は変わらなかった。


 だから、止めた。


 シアンは少し前から、色々なものを憎むようになっていた。

 女である自分。アリストである自分。期待に応えられない自分。


「あ、シアン!ここにいたのか…!司祭さまも探してたんだぞ!」


「へえ。」


 大袈裟に騒ぐウィルフレッドの隣を通り過ぎながら、眉を寄せる。


 自分とは違う、柔らかな色をした茶色の髪に茶色の瞳。

 会う人全て笑顔で握手を求めてくるその愛嬌の良さ。


 自分とは天と地ほども違う幼馴染も、シアンは憎んでいた。


「待てって、シアン!」


 けれど突き放せないシアンは少しだけ歩みを緩める。

 

「黙って歩けないのか。式典には十分に間に合う時間だ。」


 そう睨みつけると、ウィルフレッドは決まって眉を八の字にして口を引き結ぶ。


「そうだけど、さ…」


 小さくそう呟くウィルフレッドを遠巻きに眺める修道女たちがいた。

 彼女たちは一様に肩を落とすウィルフレッドを可哀想な目で、シアンを恐れる目で見ていた。


「……ふん。」


 シアンは鼻を鳴らして不満げに前を歩く。

 だから嫌なんだ、と心で悪態をついて。


 式典は一日にわたって行われる。

 午前から昼過ぎまでは教会で信者たちの謁見。

 夕方は首都の広場でアリストとして宣誓を行う。


 硬く冷たい椅子はそれぞれのアリストたちの色に分けられている。

 ウィルフレッドは茶色に。シアンは黒に青の模様が付けられている。


「良かった。お揃いですね。それでは門を開きましょう。良いですね。」


 シアンたちアリストは司祭でもないため、直接言葉は交わさない。

 精霊により愛されるアリスト達に触れることで恩恵に預かろうという、象徴的役割を果たすだけだ。


「ああ、アリスト様。今年も一年女神カラディアの祝福があらんことを。」


 深くローブを被ったシアンたちの表情は見られることがない。ただ手を差し出されればそれを握り返すだけだ。


「ご立派になられましたね、ウィルフレッド様。今年も豊作を期待しております。」


 多くの人が声を掛け握手を求めるウィルフレッドの列とは違い、シアンの列に並ぶ者は皆その前に片足を着き、硬い声で祈りを口にしていく。


「今年も皆が健やかにあらんことを。」


「青の精霊様、どうか東の海に穏やかな波を。」


 もうずっと前から心が悲鳴を上げている。

 楽にしてくれと。

 渇望している。

 泣いている。

 苦しいと喘いでいる。

 

 だから全てを断とうとした。

 傲りも、怒りも、欲を、全て。


 でもどうしてもうまくいかない。


 やがて十六の年を迎え、高等教育機関に通うこととなった。ウィルフレッドと共に。

 そこでもまた狂おしい程の苦痛に苛まれる。


「どうして…」


 どうしてまだ自分は自由になっていない。

 どうして。

 どうして。


 逃げ出したい。アリストであることも全て放り出して、誰も自分のことを知らない場所へ。


 そう願っても、どうすることもできなかった。


「ありがとう。」


 感謝を返し笑顔を共有できる彼を見ながら自分を振り返る。


 彼のような愛嬌があれば?

 鳥のような自由があれば?

 兄のような才能があれば?

 石のような我慢強さがあれば?

 弟のような処世術があれば?

 水のような柔軟さがあれば?

 彼女のような慈愛が

 彼のような逞しさが

 彼女のような純朴さが

 彼のような強かさが

 彼女のような自信が

 父のような母のような兄のような弟のような彼のような彼女のようなあの人のような鳥のような石のような空のような大地のような水のような目に映るものの全てが


 ―――うらやましい。


 苦しい、辛い、そんな感情どうでも良かった。

 ただただ、心が砕けその奥からどろりとしたものが染み出てくる。


 嫉妬。


 嫉み。


 僻み。


 純粋なそれが心を埋め尽くす。

 ああ、誰かこんな自分を罰してくれ。

 醜い汚い狡い自分を、浄化してくれ。


 自らに巣食う暗く重い感情を何重にも包み奥へ押しやり隠し、最後に微笑みの仮面で覆う。


 これで、誰にも悟られない。


「ああ、シアン様。麗しきアリスト様。どうかこのカラディアの地に祝福を。」


 ああ、この大地に海に空に人々に、祝福を。


 そして、同じくらいの憎しみを。


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