13にちめ「頭から食べる派と尻尾から食べる派」

 どうせ自由席だからって適当な席に座ったのが迂闊だった。まさかそのせいで月乃に隣の席をせしめられ、紅い熱視線を浴びる羽目になるなんて。

 もちろん観察するどころか、かえって観察されっぱなしだったので、例の情報収集に進展なし。勉強にも身が入らなかった――手ぶら登校の時点で勉強する気はさらさらなかったが。

 そうした胃痛必至の拷問タイムをなんとか乗り切り、八束は晴れて自由の身になった。放課後である。


「お、結構いけるな」

「どっちかっつうと俺は粒餡より、こし餡派なんだよなぁ」

「奢ってもらった分際で文句を言うな」


 たい焼きを咥え、駅前商店街を男三人で練り歩く。

 月乃はいない。放課後早々『ちょっとだけ、お時間を頂けませんか?』と声を掛けてきたものの、玲奈に連れ去られ、うやむやになった。それにしても……あの時の月乃は、どうも思い詰めた顔をしていたような?

 ともあれ今日は首の怪我もあるので、大事を取ってカラオケかゲームセンターにでも行こうかという話になっていた。


「それはそうと、つくのんと帰らなくてよかったのか? こういうのは付き合い始めが大事なんだぜ」

「いいんだ別に。こっちの方が気楽だし、羽だって伸ばせるし」


 むしろ早く愛想を尽かされた方が願ったり叶ったりなのだが――その作戦もありかもしれない。

 凜はたい焼きの頭を平らげた。馴染みのスーパーの前を、今日は素通りする。


「だからって、あんまりつくのんを蔑ろにするなよ? あんないい子を泣かせちゃ、さすがの俺だって黙っちゃいられんから」

「あれがいい子ね……ここだけの話、赤羽さんの印象ってどう?」


 八束はふと思った。他の普通科生は月乃をどう思っているんだろう?

 凜と田中は顔を見合わせた。それから代わりばんこに、


「美人で」

「いい体してて」

「おしとやかで、仕草の一つ一つに育ちの良さが滲み出てて」

「なのに体育会系らしく馬鹿正直だし、馬鹿に積極的だし」

「何よりヤッツー愛がすっごい伝わってくる、一途な子って感じだな」


「べた褒め……いや、そういうのじゃなくて。不審点っていうか、おかしなところは?」

「まあ男の趣味はおかしいわな」

「やかましいわ!」


 田中はそっぽを向いて、たい焼きの腹にかぶりつく……まったく。


「凜は何か思い当たることは? 例えば人のリコーダーを咥えたりとか、ノートに名前を書きまくるような」

「ヤッツーの性癖って、ねじ曲がってんのな……怖っ」

「俺の話じゃないから!」


 駄目だ。話にならない。きっと凜たちは裏の顔について本当に何も知らず、疑いすら抱いていないのだろう。

 とはいえ今日の月乃には昼食の時も、体育の時も、授業中だってストーカーを思わせる不審点は見つけられなかった。それどころか人生初のバドミントンにはしゃいだり、目が合っただけで赤面を俯かせたりと、可愛らしいと思う場面に何度も遭遇したくらいだ。

 考えてみると月乃の狂気はあの夜に見たきりで、以降は一度も見ていない。その時のことだって今となっては確かめようがない。

 だからこそ八束自身、疑わしく思えてしまう。もしかすると、あれはすべて悪夢が見せた幻影だったんじゃないか?


「――あらま、八束君じゃない。首のそれ、どうしちゃったんだい?」

 そう声を掛けたのは、いつも通っている肉屋のおばさんだ。顔馴染みだから、ショーケースの向こうから呼び止められた。


「いろいろありまして……ははは」

「かわいそうに……そうだ、ちょうど今コロッケを揚げたから、持っていきなさいな」


 おばさんは慣れた手つきでコロッケを人数分の紙袋に詰めると、遠慮する間もなく手渡してくれた。温かくサクサクした衣の感触が袋を通して伝わる。

 三人揃って、ごくり……生唾を飲み、香ばしい匂いのする紙袋から顔を上げた。

「「「ありがとうございます!」」」

 とりわけ田中は、晩御飯にありつけて嬉しそうだった。


 引き続きコロッケを咥えながら、商店街を進んでいくと、

「お〜う若大将。刺身の切れっ端で悪いけど持っていきねい」

 魚屋で刺身を一パック貰った。

「はいこれ、おばさんからのお見舞い。『怪我にはトマトが効く』って前にテレビでやってたからね、これを食べて早く治すんだよ」

 八百屋のおばさんにはトマトをレジ袋いっぱいに詰めてもらった。


 今日は買い物をするつもりなんてなかったのに、商店街を抜ける頃には、両手はお見舞いの品でいっぱいになっていた。ありがたい反面、これを引っ提げて遊ぶのかと思うと苦笑してしまう。

「ヤッツーって商店街の顔なんだな」

 横で見ていた凜は素直に関心しているようだった。重かろうと袋の半分を引き受けてくれる。


「かれこれ一年は通ってるから。それに高校生でここに買い物に来るやつなんて俺くらいだろうから、物珍しさで顔を覚えてもらってるところもあるんだろうけど」


 田中も感心しているようだ。お裾分けした天ぷらをもぐもぐ頬張りながら、

「こんだけあったら、貰い物だけで生きていける……なあ、俺にも物乞いの極意を教えてくれねぇか? 頼むよ先生」


「誰が『物乞い先生』じゃい!」

 突っ込みつつも……八束はこの平和な帰り道に首をかしげていた。

 月乃は本当にストーカーなんだろうか?




 空は赤と青の斑模様に染まっていた。

 八束は両手の荷物をまとめ、ポケットから家の鍵を取り出す。鍵穴を見つめて、深呼吸を一つ。

 鍵に例のキーホルダーはついていない。あれなら病院のゴミ箱に捨ててきた。

 こうして家に帰るのは、かれこれ二日ぶりになるだろう……そう、例の異様な視線を感じて飛び出して以来だ。


 手のひらが汗ばんできた。慎重に鍵を開け、恐る恐る中を覗いてみる。もしかすると何か潜んでいるかもしれない。

 ところが、ドアの向こうは見慣れた景色だった。殺風景で味気ない我が家。物音一つ聞こえなければ、気配も感じられない。

 いない……のか?

 もしかすると物陰に隠れて、息を潜めているのかもしれない。八束はいまだかつてないくらい、そーっと玄関に踏み入った。音を立てないよう台所に荷物を置いて、部屋を探索する。


 トイレ、異常なし。

 洗面所と風呂場、異常なし。

 八畳間、異常なし。

 ベッドの下、異常なし。

 ベランダ、異常なし。

 机周り、異常なし。

 クローゼット……一番怪しいのはここか。

 八束は勇気を振り絞った。

 …………異常なし。


 クローゼットの中は、クリーニングされたばかりの冬物コートや制服が、衣装ケースには部屋着や下着が入っているだけだ。

 思い切って手を突っ込んでみたが、何もなければ何もいない。洗濯物を取り込んだ時から何も変わっていない。いつものクローゼットだ。


「……そりゃそうだよな。一人暮らしなんだし、誰かいるなんて、そんなことがあるわけないもんな」


 思わず笑みが零れた。誰もいないと分かったら、警戒していたことが急に馬鹿らしく思えてきた――こんなことなら、無理して遅くまで遊び歩くこともなかったのかも。

 ともあれ今の家捜しで一応の安心が保証された。クローゼットからタオルを取って、洗面所に向かった。変な汗をかいたから顔を洗いたい。

 それにしても一昨日の視線は何だったんだか。今や月乃がストーカーだという話すら疑わしく思える。

 手探りでタオルを取り、水気を拭き取る。さっぱりしたものの、頭の中はごちゃごちゃしたまま。鏡の向こうの八束も難しい顔をしている。


 あの夜の記憶が夢でないなら、月乃の正体はストーカーだ。けれどそれを裏付ける証拠もなければ、記録も記憶も残っていない。

 これは月乃が本当にストーカーじゃないからなのか。はたまた、そうなるよう何者かによって仕向けられているのか。

 もし後者なら、月乃の背後にはが潜んでいることになる。都合の悪いこともたやすく揉み消せてしまうほど巨大な何かが。


「結局どっちなんだろうな……」


 八束はぼんやり思った。ストーカーが実在するという証拠さえあれば、道が開けそうなのに。

 悩ましげな自分の顔を見ていると、なんだか鬱々してきた。今日はずっとこんな難しい顔をしていたんだろうか。

 八束はやだやだと天井に視線を逸らした。その時だった。


 換気扇の奥に、何やら光る物がある。

 ……なんだろう?

 背伸びで換気扇の蓋を外してみた。


 その正体は――、

「―――っ!?」


 それを見た瞬間、凍り付いた。持っていた蓋が手から滑り落ちる。

 やっと見つけた。しかし……まさかこんな物が仕掛けられていたとは。

 換気扇から八束を見下ろしていたのは、見覚えのない小型カメラだった。




 薄暗い部屋の中。月乃は机に向かっていた。耳には白のヘッドホンを当てている。

 鼻歌交じりに便箋の上を走っていたペンが、ここで動きを止めた。

「八束さんったら怯えちゃって……可愛い」

 笑う月乃は写真立てに手を伸ばす。


 電気スタンドに照らされるのは八束の写真。夏服姿で笑ってはいるものの、何かおかしい。言ってしまえば無防備すぎるのだ。

 写真の八束はカメラを見ていなければ、体も明後日を向いている。それに写真の右隅をよく見ると、少女らしき二の腕と黒炭のような髪が見切れているだろう。

 オフショットのような構図からは、登場人物の誰もがカメラの存在に気付いていないような状況さえ読み取れてしまう。


 月乃は指先で『八束』の頬を撫でる。

 桜色の便箋には、冒頭にこんな文字が書かれているだろう。

『八束さんへ』

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