12にちめ「白昼の天体観測」

 シャトルコックが放物線を描く。ラケットに出迎えられ、今度は逆方向へ。ぽーんぽーんと軽やかな音を奏でながら、白い羽根が行ったり来たり。楽しそうに往復する。

 午後の体育はバドミントン……とはいえ、八束たち男性陣にとっては――、


「ヤッツー、覗きとか趣味が悪いぜ?」

「馬鹿。偵察だよ偵察」

「おぉ~。揺れる揺れる」


 単なるひなたぼっこに過ぎなかった。

 退学騒動のせいで元々の母数が少ないだけに、真面目にラケットを振っているのは女子二人しかいない。


 普通科の体育は休み時間も同然だった。

 体育教師が不在なため、出欠もとらなければ面倒な練習もない。扱う競技はその日その日で好きなものを選べるし、なんならサボったって構わない。やる場所だって廃校舎前の開けたその辺といういい加減っぷりだ。

 といった具合に、まったく中身のない一時間こそ普通科生にとっての体育なのである。


 八束と凜、田中の三人はただいま水飲み場の裏から顔だけ出して、普通科女子のバドミントンを覗き……もとい偵察の真っ最中だ。隣のグラウンドから野球部のメガホンを拝借して、それを望遠鏡に様子を窺っている。

 目的は赤羽月乃についてよく知ることだ。あの孫子だって『彼を知り己を知れば百戦殆からず』と言っているくらいだから、問題解決の糸口を掴むにはまず相手への理解を深めるべきだろう。


 メガホン越しに見える月乃と玲奈は、どちらも体育着姿。月乃はいつものジャージを羽織って、靴は運動靴に履き替え済み。注目すべきは髪型だ。先の休み時間に玲奈の手で、長い髪をお団子にまとめてもらっている。

 ラケットを振るたびぴょこぴょこ跳ねる白玉団子を見ていると……くそっ。不覚にも『可愛い』ってときめいてしまうのが、男の悲しき性である。


 ともかく今のところ目立った不審点は見当たらない。そもそも全然ストーカーっぽくない。

 八束的には、隙を見て新たな盗聴器を仕掛けたり、無人の教室で私物を物色するようなのをイメージしていたのに。そしてあわよくば現場を取り押さえてやろうと思っていたのに。

 それなのに、ああやって体育の時間らしく友達とスポーツに興じるなんて、普通の女の子と変わらないじゃないか。

 待てど暮らせど月乃は遊んでばかり。ちっとも尻尾を出しやしない。未曽有の大飢饉レベルの収穫ゼロが続き、もう単なる体育着つくのん鑑賞会へと落ちぶれてしまった偵察作戦だが、


「それにしても赤羽の運動神経はヤベぇな。見ろよ、あのラケット捌き」


 田中がメガホンで指を差す。

 言われてみれば――。


「確かに。さっきまでラリーすらできなかったのに、今じゃ玲奈の返しやすいところを狙って打ってるもんな。上達速度すげー」


 昇降口の脇で嬉々とシャトルコックを打ち合っている二人だが、つい先程までは球拾いばかりしていた気がする。

 何しろ玲奈は生粋の運動音痴だから空振りなんてざらだし、月乃はなんとラケットに触ったことすらなかったようだから、始めた当初は羽根があっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。

 それなのに月乃は早くもコツを掴んだのか、今や玲奈の打ちやすそうなところへ返している。ものの十数分で接待バドミントンを習得するなんて、急成長にも程があるだろう。

 舌を巻く八束に、メガホン両目装着の凜が教えてくれる。


「なんたってだから。運動神経がずば抜けてるから、スポーツなんて大概すぐにめきめき上達するんでしょ」

「え……そんなにすごい選手なの?」


「ありゃ?……そっか。お前さんはスポーツ全般に疎いんだっけ」

 情報通の凜はメガホンの双眼鏡を田中に向ける。

「田中は知ってるだろ? あの時スポーツ紙でも取り上げられてただろうし」


「そういや去年だったか、新聞にそんなのが載ってたな。一年のくせに総体に出て、短距離や何やで大暴れしたっつう。確かそん時、一〇〇だか二〇〇だかの記録を塗り替えたろ?」

「そうそう……ってな感じで、実はつくのんって俺らの世代じゃ一番の有望株だったりしたんだ」


 西園高校は日本有数のエリート校だから、ちょっとした有名人ならいくらでも見つかる。

 かくいう八束だって全国模試の常連トップランカーだし、凜だって中学時代はバスケ界隈でそれなりの知名度があった。田中は……極悪不良フェイスと着崩した制服姿、雪駄履きという見た目からお察しの通り、街一番の不良として知らない者はいない。

 だが月乃のそれは『ちょっとした』どころじゃない。頭一つ抜きん出ている。

 今の話が本当なら、月乃はこんなバードウォッチング感覚でメガホンを構えるお間抜け集団とは違う、まさに世界に誇れる金の卵だったんじゃなかろうか。


「なのにどうして普通科に来ちゃったんだろうな〜。見た感じ、故障ってわけでもなさそうだし」

「鮎沢にほの字だから陸上を捨てて、追っ掛けてきたんだろ……鮎沢、その辺はどうなんだ?」

「どうって……」


 たぶん……田中の言う通りだろうけど。

 好きな人と一緒のクラスになりたかった気持ちは分からないでもないが、自分の未来を捨ててまでなろうと思った、その熱意が分からない。

 だって今も陸上部の一員らしく、ああしてジャージを羽織っているくらいだ。きっと陸上に心残りがあるに違いない。

 それなのに、どうして月乃は普通科に来ようと思ったのか。


「でもまあ……そんなに好かれてるなら、油なんか売ってないで、あっちに混ざればいいのに。どうせ玲奈とどっこいどっこいだから、この際教えてもらえば? 手取り足取り」

「やだよ。首もこんな状態だし……それに言っておくけど、いくら球技全般が苦手だからって、あそこまで下手じゃないから」


 向こうでは玲奈がまたしてもシャトルを明後日に打ち上げていた。さすがの月乃でも拾えまい……ほら、やっぱり。


「それで……陸上以外にも、赤羽さんについての情報ってない? 性格とか家柄とか」

「そんなもん、本人に聞けばいいだろ……お〜い、つくの〜ん! 彼氏君がお呼びだぞ〜っ!」

「ちょっとお!? それじゃ偵察の意味がない……うげっ」


 凛の呼び掛けに応じ、早速、例の白玉つくのんが尻尾を振ってやってきたじゃないか。さすがは高校陸上界の至宝。あっと言う間に水飲み場から身を乗り出して、


「何かご用ですか?」

「ひぃっ……」


 八束はびっくりして尻餅をついた。急に登場されると怖い。メガホンが転がる。

 月乃は八束さんの呼び出しとあって、期待で胸がいっぱいになっている模様。太陽を背にしているにも関わらず、瞳は天の川のように輝いて見えるだろう。


「なんか、つくのんの個人情報について、いろいろ知りたいんだって……なっ?」


 途端に月乃の頬が真っ赤に染まった。ラケットを握り締めて、

「わわ、私のことが知りたいだなんて……でしたら、これから二人でお茶しに行きませんか? 二時間でも三時間でも、知りたいことでしたら、何だって教えてあげますから」

 とまあ凜のお節介のせいで、あろうことか初デートのお誘いがやってきたじゃないか。


「え……遠慮しておくよ。首もほら、こんなことになっちゃってるし……ね?」


 八束からしてみれば、その場しのぎの言い訳だった。ところがガラス色の声はそれを聞くなり、なぜだか萎れてしまった。

「あっ……そ、そうですよね……」

 前のめりだった体がとぼとぼ水飲み場の向こうに戻っていく。


「あらら、行っちゃった……」


 まさか罪悪感を覚えているのか?……どうなんだろう? 八束は首をかしげながらも、腰を上げようと地面に手をついた。

 ひとまずストーカーちゃんとのティータイムは無事ご破算にできたようだ。しかし赤羽月乃については、まだまだ分からないことだらけである。

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