5−4「予報はあくまで予報です」

「…本当、その機能さえあれば医者いらずね」


 【修復】で意識を取り戻した千丈さんは自分の腕や足にできていた凍傷が消えていることを確認し、感嘆の声を漏らす。

 

 …怪獣を【転送】した後、私は千丈さんを連れて山小屋に戻っていた。


『だから【上】は【修復】を使用するのに1時間の猶予しか与えんのだ。人類の自主的な発展を目標に据えているから、そう簡単に進んだ技術をホイホイと渡すことはできないと未だにごねるぐらいでな』


 そう言いつつも【師匠】は『ま、今回の【怪獣予報】についてはまだまだ改善の余地がありそうだが』と付け加えた。


 …それにしても疑問が残る。

 どうして怪獣が出現しただけで私は幻覚を見たのだろうか?


「その原因はおそらく風による超低周波音と矛盾脱衣のせいね」

  

 千丈さんは、夜食のミネストローネを作りながら教えてくれる。


 …小屋の風速計によれば、怪獣発生時の最大瞬間風速は60m。


 私もフル装備で飛ばされそうになったが、それほどの強い風が周囲に吹いていると超低周波音という耳には聞こえない低周波が発生し、影響にさらされた人間はパニックや動悸など体調変化を起こしてしまうのだと千丈さんは語った。


「自然界では高所の開けたところに吹く冷たい風や風力発電やダムでも起きうるとも言われているけど統合失調症に似た症状を引き起こすから幻覚を見ることもあるのよ」


 また、服を脱ぐのは矛盾脱衣のせいだと彼女は説明した。


「風や寒さを感じて体が震えるのは体温を上げるための生理現象だけど人の体温が34℃よりも下がると体を温めようと血管が広がって逆に暑さを感じてしまうことがあるの。山で発見される遺体の中には服を脱いだ状態で見つかる人が稀にいるんだけど矛盾脱衣が原因だと言われているわ…でも脳の麻痺で異常代謝が起こったせいだとも、アドレナリンによる幻覚とも言われているから詳しいことはまだわかっていないのよね」


 私はそんな千丈さんの話を「ほへー」とただ呆然としながら聞く。

 手作りのミネストローネはとても美味しく私は何度もお代わりをした。

 

「今日は頑張ったからね。明日にはスノーモービルで山から降りるけど…朝に、少しだけ時間をもらっていい?」


 私はマカロニ入りのミネストローネを一口すすり「良いですけど」と答える。

 

 …そして、その翌朝。


『おお、すごいなあ!』

 

 私は【師匠】にも見えるようスマートフォンを構えながら雲海になった下界を見下ろした。隣の千丈さんも「いいでしょう?」とゴーグル下の眼を細める。


「私も昔から山が好きでね。親から医者を目指すようにも言われてから山岳医になることにしたの…でも、海外にある3000メートル級の山にアタックした時、同伴していた友人が滑落してしまってね、駆けつけた時には意識がなくて…結局、帰らぬ人になってしまったわ」


 千丈さんはゴーグル越しに悲しい目をする。


「昔からの親友で、久しぶりの邂逅に二人とも気が緩んでいたのかもしれない。でも山は油断した人間を見逃してくれない…あれ以来、私は山に登らなくなって自責の念から財団の山岳医として人を助けるよう勤めたの」


「でもね…」と彼女は続ける。


「結局、私は山から逃げ続けていた…昨晩の出来事で、私の決意が固まったわ。これからは国際的な山岳医としてもっといろんな山に挑戦したい。そして登山をする人たちのお手伝いをしようと思っているの。それが、あの子の本当の供養に繋がる気がして…よろしいですか、櫻井さん」


 こちらを振り向く千丈さんに『別に構わんよ』と【師匠】は続ける。


『財団はもともと心に負担を持った人たちを手助けするための組織だ。きちんと自分の志があるならば、我々は喜んで君を社会に帰す…夢ができたのならそれを追い求めるのも良い。我々も出来る限りお手伝いしよう』

 

「…ありがとうございます」


 千丈さんはそう言うと【師匠】のいるスマートフォンにぺこりと頭をさげる。

 そして、雲海の向こうに朝日が昇り、私たちは世話になった山を後にした。


 …それから数ヶ月後、私の家に千丈さんからハガキが届いた。


 裏には写真がついていて千丈さんが世界最高峰の山の頂上で数人のパーティの人たちとともに『登頂完了』の旗を持ち笑顔を向ける姿があった。


『ありがとう、夢が叶いました』


 そこに添えられたメッセージを見て、私も頬が緩むのを感じた。

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