第19話 19日目

「岩崎くんって妹になんて呼ばれているの?」

 たこわさを口に放り込み、オレンジジュースで流し込む。岩崎くんもジンジャエールに口をつけた。

 こういう個人経営の小さな居酒屋に来ておいて、ソフトドリンクを注文するのもどうなんだと思ったけれど、ぼくたちは未成年なので致し方ない。

 未成年ならそういう酒がメインのお店に行くな、という葛藤は一時間前に散々したのでもうしません。それに、入店のタイミングで「未成年なので飲めないんですけど、お店の雰囲気に惹かれたので料理だけでも食べていいですか?」と聞いたら、店主らしきおっちゃんが快く「うちは料理も自慢だから安心して食ってけ!」と笑ったので安心だ。

 料理が自慢だという言葉に嘘はなく、ここのチキン南蛮は本当に絶品だった。ぼくが味皇なら思わず引退を決意するほどだ。

 料理に舌鼓をうつぼくたちを見て店主は「常連二人獲得~」と叫び、カウンターにいる常連らしきおっちゃんたちも笑いながら「酒の味も覚えさせていかなきゃなあ」と言った。

「妹からの呼ばれ方って、何だよ突然」

「いや、さっきカウンターのおっちゃんたちが、にぃにぃがどうのこうの言っていてさ」

「兄貴のことをにぃにぃっていうおっちゃん、ゾッとしないでもないな」

「でも兄妹の呼び方って難しくない? 漫画だとバラエティに富んでいて、それこそにぃにぃとか兄者とか色々あるけれど、現実はそういうわけでもなさそうじゃん?」

「……おにぃ」

「……ん?」

「俺は妹におにぃって呼ばれている」

「……んん? んんんん?」

 おにぃ?

「……そんな目で見ないでくれ」

「呼ばせてるの?」

「呼ばせてない!」

 ぼくのじっとりとした視線を、目を逸らすことで回避した岩崎くんは、意味もなく七味唐辛子のラベルを眺めた。

「岩崎くんの名前が信二とかだったら、しんおにぃって呼ばれていた可能性があるんだね」

「盗み聞きから始めた話題、そんなに引っ張るのか?」

 盗み聞きとは人聞きが悪い。道行く他人が話題にしている話を盗んで自分たちのトークテーマにすることなんて人間誰しもやっているだろうに。

「昔はお兄ちゃんって呼ばれていたんだけどな。成長するにつれてちゃん付けが恥ずかしくなったんだろう」

成長するにつれてちゃん付けが恥ずかしくなるという気持ちはわからなくもない。ちゃん付けで呼んでいた従姉妹とかはとこ、もうなんて呼んだらいいかわからないよ。

……いや、だからっておにぃになる?

 なんていう雑談をかわしていると、またカウンターのおっちゃんたちが興味深い話題を繰り広げていた。「熊が美味しいんだよな」

 熊かぁ。食べたことないな。

「岩崎くんはある?」

「ないない。変なのは猪と鹿くらいかな」

「その並びなら蝶々も食べなきゃだね」

「タンで満足です」

 こいこい!

「ぼくも馬刺しは好きだけど、熊は食べたことないなあ。なんか獣臭そう」

「わかりみ~~~」

 その時ガッハッハと一段と大きな笑い声が聞こえてきた。

「きみたち、熊に興味があるんか?」

 カウンターに座っていた気前のよさそうなおっちゃんの一人だ。

 ぼくたちの会話も聞かれていたのだろう。岩崎くんが代表して「美味しいものなら何でも興味ありますよ」と言った。するとおっちゃんはまた大きな口をあけて笑った。

「じゃあ紹介してやるよ」

「紹介?」

「そういう特別なもんを食える料理屋だよ」

「……」

 ぼくはあんまり対外的な性格ではないのでおっちゃんのプレッシャーに常時ビビりっぱなしだったけれど、物おじしない岩崎くんはコミュニケーションをはかった末に、おっちゃんおすすめの熊が食べられる店を教えてもらっていた。

 その人の連れが笑いながら「子どもにはまだ早いよ」と言ったので、岩崎くんは「子ども扱いしないでくれ」と叫んだ。

ついにはその人も「油がうまいんだよな」と店のおすすめをしてきた。

 油が美味しいとのことで、ぼくの頭では既に熊の天ぷらが完成していた。天ぷらと唐揚げと竜田揚げの違いはよくわかっていないけれど。ピラフとパエリアみたいなものよ。

「まあ兄ちゃん、何事も経験だ、行ってきな」

 こういう経緯で、ぼくたちは翌日の夜、紹介された料理屋に行った。

 そこは完全会員制で、人の紹介でしか会員になれないという超絶ビップ対応な料理店で、スーツを着た料理長が直々に出迎えてくれた。

 おっちゃんが笑いながら「ドレスコードあるからスーツでいけよ」と言ったのを冗談だと思ってスルーしなくてよかったぁ。ぼくの背中を冷や汗が伝った。

 丹原さんの紹介です、と言うと料理長は丁寧な口調で伺っております、と言った。

 案内された席は当然個室で、真っ白なテーブルクロスが印象的だった。

「初めに丹原様から伺った通りのメニューをお出ししてよろしいでしょうか? 追加注文はもちろん承りますので」

 ぼくたちは大きく頷いた。熊。どんな味がするんだろう。

 大人な雰囲気の店に飲まれたためか、ぼくたちは料理が運ばれて来るまでの数十分、無言を貫き通していた。けれどそれは嫌な沈黙ではなくて、これから運ばれてくる料理に対しての期待に胸を膨らませた沈黙だった。

 そしてぼくたちのまえに、いよいよ料理が運ばれてきた。

「……あれ?」

 熊を油でどうこういっていた割には出てきた器は小さかった。

 器には銀のボウルが蓋のようにかかっていて、高級料理の風格を感じさせる。あの銀の蓋をボウルって呼ぶ時点で自分の低級さがわかる。

 ぼくと岩崎くんは目を合わせて頷き、蓋を取った。


「ひっ……」


 そこには、信じられないものが盛り付けられていた。

 鳥肌が立つ。腕だけではなく、背中にも立つ。ゾゾゾゾと恐怖心と嫌悪感が沸きあがってくる。

 慌てて蓋を閉め、ゆっくりと深呼吸をする。

 落ち着いた。

 落ち着いてもう一度蓋を開けても、中身は同じだった。

「きひひ……」

 と、引きつった顔で岩崎くんが無理やり笑おうとする。いつもの不敵な笑みが、今日はとても萎びて見えた。

「確かにおっちゃんたち、最初からずっと言ってくれてたもんな」

「な……何を?」

「熊、油、そして、にぃにぃ」

「……?」

「これらの共通項なんて、俺はひとつしか知らないね」

 ゆっくりと息を吐いた岩崎くんは目を閉じて、再び目を見開いた時、そこには覚悟の色が浮かんでいた。

「いただきます」

 そして彼は一思いに、一口で、クマゼミの素揚げを口に放り込んだ。



<『せ』みりょうり 完食>

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