第16話 16日目

 夕方から降り始めた雨が、日没と同調するかのように雪へと変わっていく。絶えず降り注ぐその白い塵は、都会のアスファルトと混じって汚れてしまうまでの数瞬で、ぼくたちの心を真っ白に洗い流してくれる。

 地面に落ちた雪はすぐに踏み荒らされ、固まり、二度と純白だったころの姿を見せなかった。もし都会の排ガスや吐瀉物、人間の複雑な心境ごと塗りつぶしてくれるほど大量に降ってくれれば、あるいは救われる人もいるのかもしれない。

 ぼくは真っ赤に染まった指先で、同じく真っ赤に染まった頬を触りながらそんなことを考えていた。

 コートに雪が降り積もっていく。

「寒いな、どっか店入って温まるか」

 隣を歩いていた岩崎くんがそう提案してきたけれど、ご飯はさっき食べたばかりだったのでお腹は空いていなかった。

 ぼくはクリスマスカラー一色のデパートを指差して、「とりあえず屋根の下にいかない?」と提案をした。

 クリスマスカラー一色って何? 三色だよ。

 ぼくたちが入ったデパートは、色々なお店が入った至ってオーソドックスなところだ。全体的に少しだけ値段が高いので、学生のぼくたちが常日頃から利用するようなところではないけれど。

 ぼくたちは一緒にアクセサリーや洋服を見るような間柄ではなかったので、どうせ暇つぶしだと言いながらデパートの一番奥に位置する子供向けのおもちゃ屋さんに向かうことにした。

 店先のショーウィンドウにはデコレーションされたクリスマスツリーが飾られていて、反射的にぼくの童心が呼び起こされた。

「じんぐるべーる じんぐるべーる ズィンゴゥロゥザウェイ」

「急に流暢!」

 陽気に鼻歌を歌いながらおもちゃ屋さんの入り口を通ると、ふと真っ白な髭のおじいさんが目についた。

 そのおじいさんは茫然とした表情であたりをきょろきょろ見渡しており、不謹慎だけど自我がはっきりしていないように見えた。どことなく目の焦点があっていない。

 申し訳ないけれどこういうのはあんまり目を合わさないのが正解だよね。

 ぼくは何も見なかったことにして岩崎くんと会話を続ける。

「真赤なお鼻のトナカイの曲あるでしょ?」

「ああ、あるな。笑いもののトナカイの鼻が灯りに使えるぜ! って肯定されて自己肯定感を高める曲な」

「あれって結構無理があると思うんだ」

 彼は不思議そうな顔でぼくを見る。なんでいまさらそんな童謡に突っ込むんだという顔だ。

「あれって外見を気にしている歌なのに、そのコンプレックスの有用性を示されても何も嬉しくなくない? 顎がしゃくれている女の子に『キキララちゃんが座りやすそうだね』って言ってもたぶん嬉しくないと思うんだ」

「驚くほど嫌味にしか聞こえないなあ!」

 ふは、お前の鼻、ライトにぴったりじゃ~~ん。

「だからあの歌にあんまり共感できないんだよねえ」

「まあ共感するタイプの歌でもないと思うが……」

 そんなこんなでぼくと岩崎くんはおもちゃ屋をぐるっと一周した。

 個人的には、未だに透明なボールに入った迷路が販売されていたことが嬉しかった。伝わるかな、あのバスケットボールくらいのサイズの透明なボールの中に立体迷路が入っていて、銀のパチンコ玉をゴールに導くやつ。ちっちゃい時親に呼ばれるまであれで遊んでいたよね。

 自分へのクリスマスプレゼントにあれを買っちゃおうかしら、などと考えていると、スーツを着た渋めのおじさんが、女児向けの大きなおもちゃの箱を持ってレジへと向かっていくのが見えた。

「……まさか、自分用?」

 と一瞬思ったけれど、もちろんそんなことはなくてレジで「クリスマス用の包装をお願いします」と懇願していた。

 いいお父さんだな。なんとなくこっそりと様子をうかがっていると、店員さんもフランクに「クリスマスプレゼントですか~。いいサンタさんですね!」と笑顔で言った。

 お父さんがそれに照れて頭を掻いた瞬間、それは突然起こった。

「Ho Ho Ho」

 特徴的なうめき声と共に、先ほど入り口で佇んでいたおじいさんがお父さんを殴り始めたのだ。

「は?」

 見ているぼくや岩崎くん、店員さんは呆気に取られて思考が止まる。その間に、二発、三発とお父さんは殴られていく。

 お父さんは最初に後頭部を殴られたダメージが効いているようで、おじいさんの追撃を躱せないでいた。

 四発目の拳が振り下ろされた瞬間、われに返った岩崎くんが叫びながらとびかかった。

「何してんだジジィ!」

 その叫び声につられたかのようにぼくも我を取り戻し、「店員さん、警察に通報を!」と言った。店員さんが慌てて電話をするのを横目に、ぼくもおじいさんの方に向かう。

「おじいさん!」

 岩崎くんと二人で後ろから羽交い絞めにしようとした瞬間。

「え?」

 おじいさんの姿が、フッと消えた。


**


 それからしばらくして、街中で謎の老人による暴行事件が多発した。先日ぼくや岩崎くんが目撃した通り、犯人の老人は暴行後その場から消失するため、未だ逮捕に至っていない。なんの手品かそれとも魔術か。世間はその老人の話題で持ちきりだった。

 そして被害者にはとある共通点があった。

 全員が、子どもにプレゼントを買おうとしていたのだ。ある人はプレゼントを買う途中に。ある人は選んでいる最中に。そしてある人は、同僚に子どもへのクリスマスプレゼントの相談をしている最中に。

 このことから、サンタクロースに酷い恨みを持った人物が犯人なのだろう、という噂がささやかれ始めた。

 両親から虐待を受けて育ったため、幸せな家庭を見ると壊したくなる性質を持った老人。

 はたまた、宗教的な理由からクリスマスという行事自体を許せない老人。

 付着した皮膚片からは何の情報も得られず、結果目撃情報しか証拠が残っていないため、根も葉もないうわさが拡散していった。

 しかし、最初の事件に立ち会ったぼくたちだけは、とある犯人像に行き着いていた。

「岩崎くんっていつまでサンタさんのこと信じていたの?」

「恥ずかしい話なんだが、小学校を卒業するくらいまでは信じていたんだよな」

「……」

 なかなか気づくのが遅い少年だった。

「いや、言い訳をさせてくれ」

「聞いてやらないこともないよ」

「何も、トナカイに牽かせた空飛ぶソリに乗っている白髭サーファーのおじいさんがいると信じていたわけではないんだ」

「今一瞬南半球に旅行行った?」

 彼の言い訳はなかなか面白い話だった。

 岩崎くんの父親が策士だったらしく、小学校低学年の時に近所の人に頼んでサンタの仮装をして、会いに来てもらったそうだ。これにより岩崎くんは、両親と一緒にサンタさんと出会った、という記憶を入手する。

 その後、サンタさんはお父さんだという真実に行き着いたとしても、岩崎くんはお父さんと一緒にサンタさんに会っているので、その説が呑み込めなかったらしい。

「いいお父さんだね。プレゼントはどんなの貰っていたの?」

「一番印象に残っているのが、花札」

「花札?」

 それは何とも小学生のクリスマスプレゼントには相応しくないものだ。普通はゲームソフトとかじゃないかな。こいこい。

「小学生のころからあんまり物欲がなかったもんで、父さんに『クリスマスプレゼントは何が欲しいんだ』って聞かれたときに『家族で遊べるものがほしいな』って言ったんだ。そしたら麻雀牌と花札が枕元に置かれていた」

「博打ファミリー? 休日は馬しかいない動物園にでも行っているのかなあ!」

「花見酒と月見酒はなしでやっていたな」

「喰いタンもなさそうな家族だね」

 そんな風に話しながらぼくたちは街を一周し。

 ついに、あの老人を見つけた。先日おもちゃ屋でお父さんを殴った、あのひげの老人だ。

 今日は十二月二十日。あといくつか眠るとクリスマス。

「間に合った、ね」

「ああ。でもここからだぞ」

 岩崎くんとぼくは悟られないようにゆっくりと老人に近づいていく。

 老人は、焦点の合っていない目でビル群を見上げながら口を開けていた。

 その老人に向かって岩崎くんが言葉を投げる。

「そんなに探しても、煙突なんてねえぞ」

「……」

 老人はビクリ、と体を震わせ、岩崎くんの方を向いた。

 いつものように消える気配はなかった。

 むしろ、言葉の続きを待っているようにも見えた。

岩崎くんは消えない老人を見て安心したかのようにため息をつき、「さて」と顔をあげた。


「あんたはクリスマスに恨みがある老人じゃない。本物のサンタクロースだな?」

「……Ho Ho Ho そうじゃ。儂こそがサンタクロースじゃ」

 岩崎くんの仮説は正しかったようで、ぼくはそのことに憤慨した。彼の推理は嘘であってほしかった。

 だって、子どもたちに夢を与えるサンタクロースの正体が、人に暴行するおじいさんだなんて思いたくもなかったから。

 でも現実は無情で、おじいさんは自分がサンタクロースであることを認めた。

 そして岩崎くんはさらにぶっ飛んだ推測をぶつける。

「そしてジジイ。あんた、“この時代”の人間じゃない。そうだろ?」

「……」

 この時代の人間じゃない。その突拍子もない言葉は、しかし適当に言ったわけではない。

 老人の正体は伝承のままのサンタクロースで、そしてたまたま、現代社会に迷い込んでしまった、そう考えると全てのつじつまが合うのだ。

「だからあんたは人の多さやビルの高さにびっくりしていたし、煙突を探したりしていた。人々の目の前から消えていくのは、プレゼントを次々に配らなければならないサンタクロースが持つ超能力、そうだな?」

 ひとつひとつ確認するかのように岩崎くんが問いかけていく。

 老人はそれらすべてを肯定し、両手を広げた。

「そうじゃ。儂はサンタクロース。この時代のことはよくわからんが、もうすぐクリスマスなのは確かなようじゃ。だから儂は、この街の子どもたちにプレゼントを贈らねばならん。邪魔をするな」

 その言葉に、ぼくは思わず反論する。

「子どもたちにプレゼントを渡すことが目的なら、おじいさんが殴った人たちと目的は一緒だよ! どうしてあんなに酷いことをしたの?」

 しかしおじいさんは怒りに満ちた表情で答えた。

「儂以外のサンタクロースなど必要ないんじゃよ」

「……え?」

「子どもにプレゼントを与えるのは儂じゃ。子どもに夢を与えるのが儂じゃ。儂以外にその役割は譲らんし、務まらん。だからサンタを名乗ったりそう呼ばれたりする偽物は消すんじゃ。儂こそがこの世で唯一の、クリスマスに夢とプレゼントを渡す存在なんじゃからの!」

 狂っている。

 ぼくはシンプルにそう思った。

 みんな、子どもに夢を与えるという目的は共通しているんだ、協力すればいいだろう!

 しかしこのおじいさんは譲らないどころか、危害を加えている。

 これが、サンタクロースなの? 

 お腹の底からふつふつと怒りがわいてきた。

 儂以外に務まらない? 他は全員偽物? この人は何を言っているんだ。

 怒りが頂点に達し、掴みかかりそうになった瞬間、岩崎くんがそれを手で制して叫んだ。

「偽物なんかじゃねえよ!」

「なんじゃ? なんか文句あるのか?」

「自分の子どもの欲しいものを探って、仕事帰りで死ぬほど疲れているだろうにプレゼントを買って。家の中では絶対に見つからないよう隠し通して、当日は子どもが寝静まった頃を見計らって枕元にこっそりとプレゼントを置く。そして朝になったら一緒になってサンタさんにお礼を言う。この行為を、この子どもを喜ばせたいがために行われる美しい自己犠牲を、偽物なんて言うんじゃねえよ!」

「……」

「たしかにジジイ、あんたは本物だろうよ。あんたがいなければこんな素晴らしい文化は定着しなかっただろう。そしてみんな、確かにあんたを真似しているだけだ」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

「でもな、真似事が本物になれないっていうのは嘘だよ。子どもにプレゼントと夢を与える。それがサンタクロースの行動なら、全国の親御さんたちはみんなサンタクロースなんだよ。儂にしか務まらん? 他のサンタはいらない? ふざけるな。生まれてから子どものことをずっと見てきた親の愛情が、ぽっとでのあんたに負けるはずがないだろう!」

 岩崎くんの迫力に負けて、おじいさんは一歩後ずさった。

「急に飛ばされた知らない時代でも責務を全うするあんたのことはすごいと思うし気の毒にすら思う。でも安心しろ。ここはもう煙突に入って靴下にプレゼントを置く時代じゃないんだ。あんたの役割はきちんと引き継がれているからよ」

 どうしても自分の役割を果たしたいのなら、と岩崎くんが言葉を区切る。


「まずはPS5の抽選に当選することだな」


 こうして街に現れた脅威は人知れず去っていった。

 真似事が本物になれないって言うのは嘘だ。岩崎くんの言葉に少し心を動かされた僕は、彼にクリスマスプレゼントでも買ってあげようかな、と企てることにした。

一年近く岩崎くんと一緒にいたんだ。きっと、その辺のサンタクロースよりはマシなものが渡せることだろう。



<『さ』んたくろーす 討伐>

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