第15話 15日目

 こねこね。少女は遊ぶ。祈るように、遊ぶ。


**


 ここだけの話、ぼくには好きな子がいる。相手はここの大学に通うみどちゃんこと、佐山翠子。

みどちゃんは黒くて艶のある髪の毛と、愛くるしいたれ目が特徴的だ。本人はそんな自分の容姿に少しだけ不満を抱いているけれど、ぼくはとても可愛いと思う。彼女は真面目で学ぶ意志が強いのでとても頭がいい。「わかりません」をはっきり口に出せて質問ができる才能は、この世界を生きていく上でものすごく大切なものだ。

外見が与える柔らかくおしとやかなイメージを最大限に生かし、“知らないことを知る”ことに貪欲な彼女はとても格好良くて、尊敬できる。そんな彼女のお陰でいまのぼくがあると言っても過言ではない。

そんな風にぼくはみどちゃんが大好きだったけれど、彼女の方はそうじゃないかもしれない。最近、そう思い始めている。

なぜなら、みどちゃんはぼくと夜にしか会ってくれないのだ。

太陽がとっくに沈み、大学構内から人気が減った時間帯のみ、彼女はぼくに会いに来てくれる。時間を気にせず会いたいと言ってみたことがあるけれど、言葉を濁されてしまった。きっと彼女は、ぼくと一緒にいるところを誰かに見られるのが嫌なんだ。それは少し悲しかったけれど、ぼく程度の存在がみどちゃんと対等に話せる、それだけで十分幸せだ。

 ぼくにとって彼女と一緒にいるのは至福のひと時で、かけがえのない時間だ。みどちゃんがぼくのために時間を割いて一緒にいてくれる、それだけでぼくは満足しているし、それ以上は望まない。

 それでも時々、ふっと別れが惜しくなるんだ。毎日同じ場所で手を振って夜道に消えていく彼女の背中を追いかけたい、と強く思うんだ。

 でもぼくは、みどちゃんが嫌がることは絶対にしない。

 彼女の笑顔を守る、それが今のぼくの生きがいだから。


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「あれ、あいつこの銅像前集合って言っていたよな……」

「ごめん岩崎くん、お待たせ」

 岩崎くんは少し不機嫌そうにポケットに手を突っ込んでぼくのほうをちらりと見た。

「遅い」

「そうかな、約束の五分前だけど……」

「五分前集合が人間関係の基本ってことを考えると、約束の五分前に着いているようじゃ遅いんだよ」

「ぼかぁいつまで時を遡って集合すればいいんだ」

 岩崎くんはすごくめちゃくちゃなことを言う。五分前の五分前集合が基本? その五分前には集まっておくべき? この時ぼくは数学的帰納法と無限の概念を理解した。

 たぶん違う。

「で、なんだって今日は部室じゃなくてこんな大学のど真ん中に呼び出したんだ?」

 いまぼくたちがいるのは、大学の中心に位置する円形の広場だ。コンクリートの地面にベンチがいくつか並んでいて、文化祭の時にはここに音楽ライブやお笑い漫才を披露するような特設ステージが建つらしい。そこそこ広いので、お昼や放課後はご飯を食べたり談笑したりする学生でにぎわっている。

「いやほら、ある人から相談を受けたんだけど、いつも相談場所に使っているぼくたちの部室って場所がわかりにくいでしょう? だからこの広場集合にした方がわかりやすいかなって」

「それはそうか。それはそうと、この広場いつの間にこんな等身大の銅像が立ったんだ?」

 岩崎くんはしみじみと言う。

「さあね。うちの大学は変人も多いからこんな銅像……というより石像? なんなら材料は土じゃない? これ……」

「確かに土っぽいな。よく土だけでこんな立派な兵士の像を作ったもんだ。俺がこれの創造主だったら絶対自慢するね」

「まあ、学校の敷地内に勝手に建造物を作っている以上、作った本人が誰かバレたらまずいんじゃないかな?」

 岩崎くんはそんなもんか、と言いながらふと動きを止めた。

「この銅像、おでこのところになんか文字書いてあるぞ」

「ん、本当だ。ナニコレ、ルーン文字?」

「日本語でもアルファベットでもなさそうだな……なんだろうな」

 岩崎くんは首をひねって考え込んだ。

 その時、ぼくの耳に聞きなれた声が飛び込んできた。

「こんにちは」

 その女性はおしとやかに頭を下げ、ぼくたちの目の前にあったベンチに腰を下ろす。彼女の名前は佐山翠子。その顔を見るだけで、ぼくは少しだけテンションが上がり、頬が紅潮した……気がする。

「で、相談って言うのはなんだ?」

 岩崎くんが単刀直入かつ、少し無礼な態度で質問をする。みどちゃんの方が年上なのになんてやつだ、と思うけれど何も言わない。

 みどちゃんもそんな岩崎くんに合わせるかのように簡潔に要件を述べた。

「相談というより、あなたと取引がしたくて」

「取引だ? 初対面でいきなりだな。内容を聞かないことには何も言えないぞ」

「そうね。私があるものをあなたたちに提供するから、私の悩みを解決してほしい」

「……もっと具体的に言ってくれ」

「私に付きまとっている男をどうにかしてほしいの」

 とくん、とぼくの心臓が飛び跳ねた。そんな男がいるのなら、ぼくに相談してくれたらいいのに。

 一瞬、その付きまとっている男というのが自分であるという最悪な想像をしたけれど、昨日も一昨日も夜の数時間しか会っていないし、それだって彼女の方から会いに来たはずだから、そんなことはないだろう。

 当然金銭のやり取りや体の関係は皆無なので、ぼくがその付きまとっている男だという可能性はない、と信じた。

 というか、そういう話だったらわざわざぼくのいるところで相談しない、よね?

 不安になりつつも話を聞いていると、みどちゃんはぼくのほうをちらりと見て、ふっと表情を緩めた。大丈夫、あなたじゃないわ。そう言ってくれているように見えた。

「相手は同じ研究室の男子。研究室に配属される前からちょくちょく絡みがあって、その頃からたぶん私のことを狙っていたと思うんだけれど、最近やることが犯罪じみてきたの」

「ちょっと待て。詳細を語られても、まだ引き受けるとは言っていないぞ。俺たちは民間伝承研究会だ。怪異や妖怪が関係しそうな不思議な事件の相談なら受け付けるが、そういう痴情のもつれは別のところに相談してくれ。それとも何か? その男が実は妖怪だったりするのか?」

 岩崎くんのその問いかけに、みどちゃんは静かに首を振る。

「もちろん違うわ。その男はただのクズよ」

「だったら」

「だから最初に言ったのよ、取引をしましょうって」

 岩崎くんは黙り込んだ。そして話を続けろ、と言ったふうに手を差し出す。みどちゃんはひとつ頷いて、「その男のやることがかなり犯罪じみてきたから、私が怪我をする前に何とか懲らしめてほしいの」と言った。

 ぼくが任せてよ、というよりも早く、岩崎くんが「さっさとこっちのメリットを提示しろ」と言う。

 取引とは、双方がメリットを感じないと成立しないのだ。

 みどちゃんはわかっているわよ、と呆れたように言って、およそ現代日本に相応しくない一言を放った。

「私ね、魔術が使えるの」


「は?」

「この先が聞きたいのなら、取引に応じて。誓って嘘は吐いていないから」

「……それを信じる根拠はどこにあるんだよ」

 岩崎くんが興味津々と言った表情でそう尋ねると、みどちゃんはおちゃらけたように「根拠ならあなたの目の前にあるよ」と言った。

 岩崎くんはそれを冗談だと受け取り、「まあいいか」と言った。

「いいよな、この相談を受けて」

「もちろんだよ」

 こうして岩崎くんは、佐山翠子の不思議な取引を承諾した。


**

 岩崎くんはやはりとんでもない男だったようで、翌日にはみどちゃんに付きまとっている男の元に行き、考え得る中でもかなり最悪な方法で彼を精神的に叩き潰した。

 一応、今までみどちゃんが受けた仕打ちと、やめないようであればそれらをまとめて警察に通報することを提案したうえで、やめないし通報は嫌だという支離滅裂なことを言い始めたからこその制裁だった。

 この件に関して、相手の同情の余地は全くなかった。こうしてみどちゃんストーカー事件は解決した。

 そしてその翌日の昼休み、再び広場に集まり取引を履行する運びになった。

「で、お前の言う魔術って言うのは一体何なんだ?」

「そうね、言ってしまえば、使い魔を創造することよ」

「……ほう」

 使い魔とは、主に魔術師や魔法使いが使役する絶対服従の魔物や精霊、動物などを指す。彼女はそれを創造する、と言ったので物質に仮の命を吹き込み服従させると言ったことか、と岩崎くんは理解した。

「ことの発端は、高校時代かしらね。私はとある常識外の事件に巻き込まれて、それ以来“この世ならざる”ものに興味を持ち始めたの。で、いろいろと調べて、探求していくうちに、使い魔の創造に至ったというわけ」

 彼女はその後も説明をつづけた。

 最初は簡単な命令もこなせない土くれができあがったということ。

 土くれが巨大化、狂暴化して危うく圧死しかけたこと。

 何度かの試行錯誤の末、ついに命令に忠実な使い魔が完成したということ。

「これからその使い魔を見せるわ。でも一つだけ約束してほしい。その使い魔ことは研究材料としてではなく、ひとつの生命として接して。そして、もし気が合うようであれば、喋り相手になってあげて」

 岩崎くんはにやりと笑って快諾した。


 その瞬間。

 大学のメインストリートから広場に向かって一台の車が猛スピードで突っ込んできた。

「なっ!」

 岩崎くんたちの顔が絶望に歪む。

 ぼくの顔もそうなっていただろう。

 運転席には、昨日散々痛めつけたはずのみどちゃんのストーカー男が乗っていた。

 岩崎くんは、読み違えたのだ。

 すべて失ったクズの、持たざる者の一撃の重さを、読み違えたのだ。

 広場に侵入してもなお、車の勢いは止まらない。

 岩崎くんやぼくだけでなく、みどちゃんまでも巻き込んでしまうような勢いだ。当然他の学生たちも危ない。

 きっと巻き込むつもりなのだろう。

しねや。

 運転席の男がそう言った気がした瞬間、急に世界がスローに感じた。

 死に直面したことで、頭が猛スピードで回転しているのだろうか。

 ぼくは考える。この状態から、できることはないかと考える。

 そして今までの、みどちゃんとの会話がフラッシュバックする。


 『いい? 絶対に動かないこと』『毎晩私が喋り相手になってあげるから』『退屈? うーん、見つかったら大変なことになるんだから、ね?』『わかった。じゃあ、君のことを偏見の目で見ないような友達を探そう』『それまでは、絶対に動いちゃだめだからね』


 瞬間ぼくは、自分のするべきことを理解した。

 ぼくはただ、みどちゃんに笑顔でいてほしいだけなんだ。

 彼女にもらった命を、彼女のために使うことの何が惜しいんだ?


 ぼくは。

 大学の広場に置かれていた、土でできた像、ゴーレムのぼくは。

 みどちゃんの使い魔で、みどちゃんの友達のぼくは。

 全身で車にぶつかって、暴走する狂気を止めた。


**

 広場に悲鳴がこだまする。

 その悲鳴は、暴走する車に対するものなのか、突如動き出した像に対するものなのか。

 ぼくはただ、翠子さんの“友達”が、約束を破り、命を投げ捨ててまで彼女を守ったことだけを理解した。

 ぼくも、岩崎くんもただ茫然と突っ立っていることしかできなかった。

「なんで……なんで、どうして!」

 翠子さんが、かろうじて残っているゴーレムの頭の部分を抱きかかえる。ゴーレムは今にも散ってしまいそうな小さな声で、「ぼくはただ、みどちゃんに笑顔でいてほしいだけ、だから」と言った。

「ほら……突然動き出した像を……抱きかかえていたら……周りの人に怪しまれるよ?」

「いい! 別にいいから。待って、いま魔術で」

「無理だよ……前に君がゴーレムを暴走させたとき……どうやって止めたか覚えているかい……?」

 ゴーレムを止める方法はひとつしかない。

 額に書いてある文字を消すことだ。

 ゴーレムの額には“真理”を表す文字が書いてあり、そこから一文字消すと、“死”という意味になる。

 翠子さんは、暴走するゴーレムの額に書かれた文字を一つ消すことで無力化し、圧死を防いだのだ。

 そして今、彼女が抱きかかえるゴーレムは、頭が半分割れていた。当然、文字は読めないくらいに滅茶苦茶になっている。

 それが助からないことは素人目に見ても明白だった。

「あれ……おかしいな……」

「黙りなさい、今方法を考えるから!」

 翠子さんは頭を叩いて必死に解決策を探す。

「ねえ、みどちゃん……ぼくは君に笑顔でいてほしいんだ……」

 ゴーレムは、今にも消えかかりそうな声で呟く。

「そのために……動いちゃいけないっていう約束を破って……君を守った……なのに、どうして、泣いているんだい?」

「っ!」

「笑ってよ……ぼくは、君の笑顔が大好きだったからさ……」

 翠子さんは涙を拭って無理やり笑顔を作った。

「ほら、笑ったよ。ねえ、見えてる? あなたも笑って。私もあなたと喋る夜の時間が本当に楽しくて、毎日そのために生きていたの。昼間は一緒にいられなくてごめんね。これからはもっと一緒にいるから。だから」

 彼女の声がどこまで届いていたかはわからない。

 ゴーレムは最後に彼女の笑顔を見ることができたのかもわからない。

 額の文字が消えたゴーレムは、ほどなくして塵になり、風に運ばれていった。

 後には泣き腫らす翠子さんと、茫然とするぼく、必死に事後処理をする岩崎くんが残された。

 ゴーレムがいなければ、それすらも残っていなかっただろう。

 ぼくは身震いして、心の中で一度も言葉を交わせなかったその使い魔に、何度も頭を下げた。


<『ご』―れむ 消滅>

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