第三章 気高き夜の主

第22話 嵐のあとで

 六翼の竜は滅ぼされ、夜は去った。住民たちの歓喜の声に迎えられ、ラドルファスたちは街に戻ったが、到底爽快な気分とは言えなかった。結局ジードを取り逃した上、あの男────ラドルファスは男の目を思い出す度、底冷えするような心地になった。その異様なまでの憎悪の前では、勝利の高揚など吹けば飛ぶような頼りなさだった。


「ラドルファスさん!」


 呼ばれて振り向くと、レスティリアが駆け寄ってくるところだった。


「レスティリア、本当に助かった。もし竜が倒されていなかったら、俺たちは全滅だった」


「いえ、私こそ。夜狩りの皆さんのおかけで街を救うことができました。それに、サフィラさんがいなければ私は……」


 隣のサフィラが恥ずかしそうな顔をした。ジードが「漁火」と呼んだ能力の媒体は、鳥の尾を持つ巨大な蝶らしい。サフィラによって地に堕ちた蝶は、未だ見つかっていない。


「サフィラ……本当にありがとう。危険な目に遭わせてすまない」


「ううん。わたし、あなたの役に立ちたい……それなら、どんなに危険でも構わない」


 サフィラは頷いたが、ラドルファスはその発言にかすかな憂慮をおぼえた。彼女はこんなに危険を顧みなかっただろうか。無論、ラドルファスと出会う前の彼女を知る術はないが……


「竜は何かに苦しんでいた様子でした。ですが、あの蝶が落ちた瞬間力を取り戻し、狙いをそちらに変えたのです。私を無視して」


「え……?それは妙な話だな。明らかにレスティリアの方が脅威だと思うんだが……」


「はい。これは推測なのですが、銀蛇の夜会とやらの真の目的は、あの六翼の竜を支配することだったのではないでしょうか」


 ラドルファスは背筋に冷たいものが下りるのを感じた。その可能性は高い。ジードの能力は二段構えだった。恐らく、《夜》は漁火が操り、人間はジードが支配することで、操れる数を増やしていたのだ。もし竜の支配が実現していれば、ラドルファスたちに勝ち目はなかっただろう。


「一体何がしたいんだ、あいつら……」


「……私には理解できません。《夜》の脅威には一丸となって立ち向かわなければならないのに……」


 レスティリアの呟きは最もだった。《夜》の味方をしたところで得られるものなど何もない。夜狩りの体制が気に入らないにしても、《夜》を使役する組織が民衆の支持を集められるはずがない。そこでラドルファスが思い出したのは、アストラを支配しようと目論んだ《影》のことだった。


「それにしても、夜会のせいで有耶無耶になったが……ターラントの一派はどうするんだ?」


「今は拘束しています。処刑の声もありますが、私は然るべき裁きを受けさせるつもりです。竜に対する不安をターラントに付け込まれた形ですから……復興には時間がかかるでしょう。しかし、私が巫女として人々を導けるよう、精一杯努力します」


「無理しすぎるんじゃないぞ」


 頷いたレスティリアの瞳には、力強い光があった。箱入り娘だった面影はもうどこにもない。彼女は原初の巫女と同じく、たったひとりで竜に立ち向かったのだ。


「あの……実はひとつお願いがあるのですが……」


「あんたは俺の命の恩人だし、父さんの仇まで討ってくれた。なんでも言ってくれ」


 レスティリアはしばし躊躇したが、ついに告げた。


「私と……友人になってくれませんか……!?」


 緊張で裏返り気味の声、罪でも告白するのかという深刻な顔をした彼女を見ていると、少し笑えてきた。ラドルファスは頬の内側を噛んで笑いをこらえたが、恐らくレスティリアには気づかれただろう。


「もちろん……いや、違うな。俺たち、肩を並べて戦ったじゃないか。もう友達だろ?」


 俯いていたレスティリアはがばりと顔を上げた。そのあまりの勢いに驚いたラドルファスの手がさっと取られる。


「本当ですか……! 嬉しい! これからもよろしくお願いしますね、ラドルファスさん!」


 あまりにもレスティリアが嬉しそうなので、ラドルファスはやや羞恥をおぼえたが、捨て置くことにした。彼女はこの街から出たこともないだろうし、人々からは巫女として尊敬の念を向けられることはあれど、友人など出来るべくもなかっただろう。


「ラドルファスさんはやめてくれよ。そんなに年も離れてないだろ?」


「じゃ、じゃあラドルファス……復興が終わったら、ぜひ遊びに来てくださいね。本来、アストラは活気のある良い街なのです」


「そうだな。よかったら案内してくれよ」


「ええ、もちろん」


 レスティリアと会話をしていると、一先ずとはいえこの事件の終焉を感じた。────それはすなわち、ラドルファスの復讐の終わりも意味する。


「改めてお礼を言わせてくれ。……ありがとう。父さんの仇を討ってくれて。レスティリアがいなかったら、俺は取り返しのつかない過ちを犯していたかもしれない」


「竜を討つのは、私たちの悲願でもありましたから。……この後、ラドルファスはどうするんですか」


「この、後……?」


 思いもよらない問いだったが、それは瞬く間にラドルファスの中で膨れ上がった。ラドルファスが夜狩りになったのは、父親に憧れ────そしてその父が無惨に殺されたからだった。あの夜のあと、ラドルファスは母親と兄のように思っていた幼馴染の制止を振り切り、衝動的に村を飛び出したのだった。サフィラを拾うまで、本当に復讐が実現するとは思いもよらなかった。それ故にラドルファスは、その後のことなど考えたこともない。


「……夜狩りは続けるよ。シルヴェスターの体調も気になるしな。一度村がどうなってるのか見に行くのもいいかもしれない」


「一度も帰っていないんですか?」


「ああ。今母さんは別の村に住んでるんだ。それもあって一度も帰ってないな」


「……そうですか。落ち着いたら、また会いに来てくださいね」


 レスティリアはそう言い残すと、軽くサフィラに頭を下げて歩いていった。現在のアストラを纏めているのは彼女なので、仕事が山積みになっていることは容易に想像できる。長く引き止めて悪かったかな、と思いながら振り返ると、


「────サフィラ?」


 去っていくレスティリアを見送るサフィラは、不満のような感情を浮かべているように見えた。


「どうかしたのか?」


「別に……」


 明らかに「別に」ではない声音だったが、それについて突っ込む前に、向こうからシルヴェスターがやってくるのが見えた。隣にはアルフレッドもいる。


「ラドルファス。出立の用意はできたか?」


「ああ。……もう体調は大丈夫なのか」


「病人に言われたくはねぇな」


 シルヴェスターの鋭い返しに、言葉に詰まる。ターラントにやられた傷は深く、開きかけの傷口を護法でなんとかしている状態だった。それも、護法を最も苦手としているラドルファスのものなので、おざなりだった。


「喜べ。俺もお前も、二週間は仲良く病院送りだ」


 その言葉に、ラドルファスは顔を顰める。身体を動かせないのはストレスだ。ただてさえ今回の戦いで至らない点が大量に見つかったというのに……


「まあまあ、少しは休まないとダメですよ。特にあなたはね」


 シルヴェスターが盛大に舌打ちをした。


「馬鹿みてぇに地形を破壊した奴がよく言うな! 俺の仕事を増やしやがって。ヘルツにどんな小言を食らうか知れたもんじゃない」


「結局その始末書は俺に押し付けるだろ!」


「ああいうのは弟子がやればいいんだよ、弟子が!」


 目の前のアルフレッドが軽やかに笑みを浮かべた。後ろのサフィラからも呆れたような雰囲気が伝わってくる。


「上手くやってくれているようでよかったです」


「これのどこが……」


 苦言を呈す師をよそに、ラドルファスはふと違和感を覚えた。


「あの、あいつ────ウィスタリアは一緒じゃないんですか?」


 その瞬間、二人は微妙な表情になった。特にアルフレッドの瞳には軽蔑すらよぎった。


「彼女は……はぁ、ここにはいませんよ」


「まったく、ギルバートのやつ……厄介払いじゃないのか?」


「ええ、実のところ、これ以上わたしの足を引っ張るなら、師弟関係の解消も考えています」


 ラドルファスは衝撃を受けて彼を見やった。夜狩りの師弟関係は非常に重要なもので、それは自らの暁ノ法を次代に伝えなければならないからだ。誰にでも生み出せるものではないので、代々何十年も前の暁ノ法を受け継いでいる夜狩りもいるという。ラドルファスの知る限り、師弟関係を解消された夜狩りはいない。


「まあ、ギルバートに相談してみろよ。俺も会議の時に言ってやるから」


「あまり刺激しないでくださいよ……?」


 アルフレッドが心配そうにしているが、ラドルファスはウィスタリアのことが気にかかっていた。サフィラのことは許していないが、だからといってアルフレッドとの不和をいい気味だと嘲笑う気分にはなれない。何をしたのかは知らないが、二人が揃って苦々しい顔をしていたのを見るに、ただのミスの類とも思えない。


「わかったわかった。ラドルファス、三時間後にな」


 適当に返事をしたシルヴェスターは、ひらひらと手を振って歩いていった。


「……相変わらずですね、彼は」


「すみません、迷惑かけて……」


「いえいえ、あなたが謝ることはないんですよ。それに、わたしだって彼に迷惑をかけていますからね。今回も少し地形を変えてしまいましたし……」


 ラドルファスはぎょっとして彼の方を見た。アルフレッドはいつも通り穏やかな表情だったが、内容は物騒極まりない。


「ち、地形を変えるって、どんな……」


「ふふ、秘密ですよ。老いぼれのちょっとした一芸というところです」


 ちょっとした一芸で地形を変えられてはたまったものではない。シルヴェスターが語ったかつての暴れぶりは本当らしい、とラドルファスは思ったが、余計なことは口にしなかった。


「それよりも、わたしにも気になることがあります。サフィラさんの事なのですが……」


「……わたしの?」


「ええ。巫女様から伺ったのですが、サフィラさんの法力エンシェントは今までに類を見ない多さだと」


 彼の言う通り、サフィラの法力エンシェントにはラドルファスも違和感を持っていた。もちろん、ラドルファスは比較的法力効率のよい暁ノ法を使っている。が、それにしても彼女の法力エンシェントは尽きなさすぎるのだ。宵喰─────しかも高位の存在であるランディよりも圧倒的に多く感じる。


「はい、それは俺も感じていました────サフィラ、お前自身はどう思う?」


「……分からない。他の《影》にはあまり会ったことがないから……でも、レスティリアがあの竜を倒した時、槍はかなりの長さになっていたけれど、私は大して負担には思わなかった」


 翼砕の槍は周囲の法力エンシェントを吸い取るのだという。レスティリアによると、サフィラの法力エンシェントを得た途端、槍は瞬く間にヴェルディを越え、あの竜を串刺しにできるほどの大きさになったらしい。


「じゃあサフィラ、あの槍ならどこまで伸ばせると思う?」


「うーん……むずかしい。でも、この街の端から端までは伸ばせると思う」


 ラドルファスは軽い驚きと共にサフィラを見やったが、それはアルフレッドも同じだった。


「またとんでもない量ですね……それなら、気をつけた方がいいですよ」


 アルフレッドの声が不穏な響きを帯びた。


「異様な法力エンシェントを持った《影》は時折産まれますが、皆行方が分からなくなります。ギルバートがそういった《影》を探しているとの噂もあります」


「連合長が? なんのために……」


「それは分かりません。しかし、このことはシルヴェスター以外に明かさないのが賢明でしょう。トールヘイズのこともありますしね。巫女様は口が堅いので安心ですが……」


 予想以上に深刻な話になり、ラドルファスは考え込みそうになったが、知らない単語に現実に引き戻された。


「トールヘイズ?」


 ラドルファスは何気なく繰り返したが、対するアルフレッドはハッとしたように周囲を見渡して声を潜める。


「私としたことがうっかりしていました……その単語は安易に出さないでください、特に夜狩り連合の前では」


「え……? なんなんですか、それって」


「……三十三年前に起こった事件の名前とだけ言っておきましょう。詳しくはシルヴェスターに聞いてください。彼は危険を犯してこの事件について調べているようです」


「シルヴェスターが……?」


 彼が三十三年前の事件に興味を示すタイプとは思えなかった。アルフレッドの口ぶりからすれば、サフィラにも関係のある話らしいが、おいそれと聞けるようなものでもないだろう。


「では、私はこの辺りで失礼します。弟子を探しに行かなければならないのでね」


「あ、待ってください! ……ウィスタリアは何をしたんですか?」


 どうしても気になって彼を呼び止める。振り返った第二セーデはひどく冷たい目をしていた。


「逃げたんですよ。《夜》の前からね」




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