第21話 夜明け

 ラドルファスの頼みなら、と飛び立ったはいいが、当てがある訳でもない。サフィラは恐怖に耐えながら、必死に銀の鷹ステラアロウ​────アーリィの背中にしがみついた。高いところは怖い。足が震える。しかし、サフィラはどうしてもラドルファスの役に立ちたかった。なぜそう思うのかは分からない。分からないが、終わるはずだったサフィラの命を救ったのは他でもない彼だ。ならば、次は自分の番だろう。


 戦闘においては素人でしかないサフィラは、きょろきょろと辺りを見回すことしかできることがない。地上では豆粒のようになったラドルファスと彼の師が戦っている。思えば、シルヴェスターはあまり具合が良くないようだった。時間がない。


 焦りを感じると同時に、法力エンシェントが抜き取られていく感覚が襲った。いつものことだが、今回はラドルファスに供給されたのではない。咄嗟に後ろを振り返ると、さらに上空、アストラの街の上では六翼の竜とレスティリアが激しい攻防を繰り広げている。星のように赤い光が瞬いた。人間の数倍視力の優れるサフィラには、それが翼砕の槍から放たれていることが分かった。自分の法力エンシェントを吸い取っているのはあれで間違いない。


 ラドルファスとは比べ物にならない、膨大な力が持っていかれるが、まだまだ余力があるのを感じる。​────世の《影》は、みんなこれほどの法力エンシェントを持っているのだろうか?


 疑問だったが、今はそれどころではない。再び地上を見渡して、サフィラはあることに気づいた。


(あんなに大量の《夜》を操ることは、人間には負担が大きすぎてできない。司令塔も《夜》なら……わたしには、感じ取れるはず)


 サフィラは自らの力についてよく理解していない。ただ訓練の中で、自分が莫大な法力エンシェントを持ち、その感知能力に優れていることは漠然と把握していた。《影》と近しい《夜》の存在を感知するべく目を閉じる。まず飛び込んできたのは鮮烈なまでの力と存在感。間違いなく背後を滑空する竜のものだろう。遠く地上にも密集した彼らの存在を感じる。​────これではない。もっと小さな力のはずだ。ラドルファスの予想では、司令塔は「夜明け《デイブレイク》」の範囲外にいる。とはいえ、竜の傍に近寄ることはありえない。


「……アーリィ!今、見えた?」


 ごく小さい《夜》の気配。目を凝らすと、前方にかすかな輝きが揺らめく。サフィラの目でも捉えられないほど、それは夜空に溶け込んでいた。普通の《夜》とは明らかに違う、鳥の長い尾羽が付いた巨大な蝶のような異質な姿。黒霞の代わりに青白い靄を連れ、角度によって翅が美しい青に見えるが、ほんの僅かな間だけだ。周囲の景色を映すように波打つ翅は、迷彩として機能しているようだった。


 問いかけられた賢い宵喰はひと鳴きすると、《夜》に向かって突進した。蝶はアーリィに気づいたようで、舞うように逃げようとするものの、そのスピードは遅い。サフィラはそこで、この《夜》をどう倒すのか考えていないことに気づくが、後の祭りだ。慌てて護身用に誂えた朝露石の短剣を抜いた瞬間、それが鋼鉄の塊であるかのような錯覚が襲う。


(重い.......!)


 実際には、《影》のサフィラからすれば短剣の重さはささやかなものだ。だからこれは心理的な重圧だった。深く傷つき、奥底ではもう傷つきたくないと願ってきたサフィラにとって、短剣は文字通り鋭すぎた。​───それでも。


(.......それでも、ラドルファスを助けたい.......!)


 意を決し、サフィラは蝶の翅に短剣を振り下ろした。朝露石の武器は《夜》を消滅させるには至らない、護身用の代物だ。翼砕の槍が特別なだけで、彼らを消滅させられるのは暁ノ法のみである。しかし幸いにも、蝶はいかにも防御力がなさそうな、頼りない姿をしていた。サフィラを見てすぐに逃亡を計ったのもそのためだろう。《影》の怪力で振り下ろされた短剣は右翅に命中し、切り落とすまでは至らないものの、嫌な手応えが伝わった。思わず短剣を取り落としそうになるサフィラに対し、飛行能力を失った《夜》はふらつきながら墜落していく。


(ラド.......!司令塔は倒せた!これで《夜》は支配から解放されるはず!)


 ◇◇◇


 一時でも気を緩めれば即死しかねない《夜》たちの猛攻に、ラドルファスはサフィラの意思を読み取る余裕さえなかった。彼らの武器は圧倒的物量。戦いは数とはよく言ったもので、ジードというらしい男の戦術は至極シンプルだった。


 下級の《夜》たちが暁ノ法に敵わないのならば、暁ノ法が使えなくなるまで突撃すればいい。


 極められた剣術で《夜》たちが近づけないないのならば、剣が振れなくなるまで延々と攻撃を仕掛ければいい。


 単純で、かつ効果的だ。その上、反対側でアルフレッドも《夜》を相手にしていると思うと、想像もできない数に戦慄すら走る。


 さらに厄介なのが、ジードの操る謎の力だった。テイワズが使ったのと同じ「理」。シルヴェスターの警告によると、五指から伸びる楔に刺された者はジードの意のままになるという。《夜》に集中するあまり、件の鎖に縫い付けられそうになったことが何度かあった。シルヴェスターに助けられたが、そうなれば本当に終わりだ。射程が短いらしいのが救いではある。


「おいおいどうした、準備運動くらいにはなってくれよ!《夜》どもはまだまだいくらでもいるぞ!」


 ジードが高笑いする。しかし彼の言う通り、手詰まりだ。シルヴェスターは限界に近い。ラドルファスとて、このまま集中力を削り取られれば、《夜》か鎖の餌食になるのは間違いない。しかし、夜明けの時が迫ってきているのもまた事実だ。


「お前こそ、もうすぐ夜が明けるぞ。そうすればお前に勝ち目はない。あの竜も尻尾を撒いて逃げ帰る」


 案外冷静にシルヴェスターが告げる。延々とやってくる《夜》を斬り伏せながら、ラドルファスは思案する。────そもそも、《銀蛇の夜会》の目的は何なのだろうか。街を襲って何になるというのだ?


 ラドルファスが思考を重ねる間にも、ジードの余裕の顔は崩れなかった。


「ふ、確かにそうだ。だがあの《夜》はもうすぐ​────」


 言いかけた瞬間、ジードの顔から表情が抜け落ちる。その目には明らかな動揺が映っていたが、絶好の隙を突く暇はなかった。《夜》たちの動きが急に変わったからだ。彼らは夢から覚めたように動作を停止し、東雲結界アストリアスを嫌うように走り去っていくものもいる。今まで朝の灯火を気にする様子もなかったにも関わらず。さらに、引き続きラドルファスたちを取り囲む《夜》とは別に、ジードに攻撃しようとする個体も現れ始めた。


 同時に上空で竜の咆哮が轟き、ラドルファスは何かに駆られて空を仰いだ。夜闇の中、燃えるような光に包まれた巨大な槍。溶けるようにばらばらになって霧散していく六翼の竜​────父親の仇。


ラドルファスは思わず拳を握り締めているのを自覚した。レスティリアは約束を果たした。ラドルファスがするべきことはひとつしかない。


「シルヴェスター!サフィラとレスティリアが竜を……!」


 唇から落ちた血を拭う彼は、それだけで状況を理解したらしかった。


「.......なるほどな。ようやくあの腐れ野郎をブッ殺せるって訳か」


「くそ!お前らよくも『漁火』を.......!」


 ジードは焦った様子で辺りを見渡す。それもそのはずで、夜狩り以外は凶暴な《夜》に抗う手段を持たない。そのままでは怒り心頭のシルヴェスターに灼かれるか、彼らに喰い殺されるかの二択だ。ラドルファスが身構えた瞬間、


「下がってろラドルファス!」


反射的に師を見たラドルファスは、目を逸らせなくなった。見たこともない怜悧で鋭い笑み。狩るものの力を宿した翠玉。


「本物の夜明けを見せてやるよ」


 ランディが地響きのような吠え声を上げ、シルヴェスターに流れる法力エンシェントが高まるのを感じる。それに共鳴するように空気が震え​────朝焼けが生まれ落ちる。


夜明けデイブレイク!」


 重い闇を吹き散らす閃光。弾けるような光は七条の矢の如く空へと向かい、ドーム状に空間が切り取られたかのように、圧倒的な「夜明け」が訪れる。地平線まで届くのではないかと錯覚する浄化の光は、《夜》たちを悉く焼き付くし、塵へと変えていく。


 そのあまりにも美しい光景と裏腹に、彼はまた激しく咳き込んだ。


「お、おい大丈夫か?」


「.......問題ない。どれもこれもあの野郎のせいだ.......連合に引きずって洗いざらい吐かせてやる.......!」


 シルヴェスターがジードに向けて一歩踏み出した刹那、


 一本の鎖が彼の影に突き刺さった。


「.......ッ!?」


「はは!手札ってのは最後まで伏せておくものなんだよ、ヴァレンシュタインッ!さあ!そこのガキを殺せ!」


 その言葉が発せられた瞬間、ラドルファスは即座に師と距離を取った。同時にジードの周到さに舌を巻く。今の今まで、鎖の射程距離を誤認させるためにわざと最大まで伸ばさなかったのだ。そうして、虎視眈々と最良の瞬間を狙っていたのだろう。これは非常にまずい。勝ち目がなさすぎる。短剣を構え​、護法を唱えようと────


「.......穿て」


 凄まじい速さで構築された暁ノ攻法「イフレクト・レイ」が、。呆気に取られたラドルファスは声も発せないが、それはジードも同様だった。


「がッ.......!?なぜだ!!なぜ支配できない!?」


「.......シルヴェスター?」


 恐る恐る名前を呼ぶと、彼はいつもと変わらない様子で口角を上げた。楔は彼の影に刺さったままだ。


「この通り、俺は正気だ」


「何か対策があったのか?」


「いや?何も。どうしてだろうな?」


「おい​────」


「俺の理が効かないなどありえない!貴様.......人間ではないのか!?」


 ジードの叫ぶような言葉に、シルヴェスターは不快そうに顔を歪めた。


「おいおい、失礼なことを言ってくれるじゃねぇか。俺は正真正銘、人間だよ」


 理使いはなおも混乱した様子だったが、不意に何かに気づいたように顔を上げた。


「まさかお前​────」


 彼が最後まで言い終わる前に、異音と衝撃がそれを遮った。地が揺れ、土煙が舞う。目を凝らすと、ジードの傍に何者かの影があった。それを認識したラドルファスは驚愕する。影は空から降ってきたのだ、ちょうど自身と同じく。


「ジード。貴様、しくじったな?使えん男だ」


「相変わらず冷たいことで。相方なんだからもう少し手心を加えてくれよ」


「.......回収に来た。行くぞ」


 不機嫌そうな低い声。若い男のものだ。すぐに振動によって空気が撹拌される。どうやら背中に歪な翼らしきものを備えているらしい。


「待て!お前​────」


 その目がこちらを貫く。


 フードの合間から覗く、濁った赤い瞳から圧倒的な殺意が放射され、ラドルファスは動けなくなった。憎しみ。嫌悪。苛立ち。ありとあらゆる負の感情がラドルファスに向けられる。永遠に感じるそれはたったの数秒間だった。男は即座に視線を逸らし、無言でジードを持ち上げて飛び去る。


 土煙が完全に晴れるまで、ラドルファスはその場に立ち尽くしたままでいた。






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