第11話 動乱の始まり

「こちらです! 目立たないような道を行かないとすぐに取り囲まれてしまって……ありがたいことなんですけどね」


 門を潜った後は、巫女に導かれながら見たこともない細い道や、裏通りを進んだ。もう完全に夜なので、人通りは少ないが、先程の様子を見るに、巫女が見つかれば彼女を一目見ようと人が溢れかえってしまうだろう。


 やがて大きな屋敷が見えてきた。ここは街の中心だ。沢山の人々が巫女を迎えたが、護衛の男たちと違って、ラドルファスたちを客人として迎えることに異議を唱える人間は誰一人居なかった。みな巫女の命令には忠実で、返ってそれが不気味だった。きっと彼らは、この少女に死ねと言われれば躊躇いなく死ぬのだろう。


 酷く煌びやかな部屋に通されて落ち着かない。見ると、シルヴェスターでさえ浮き足立っている。調度品はいちいち高そうだし、そこかしこに朝の灯火が燃え盛っていて、物理的にも眩しい。


 程なくして、一度下がった巫女が戻ってきた。彼女は整った完璧な動作で腰を下ろす。


「改めて、私は巫女のレスティリア・アーダーメストです。今日は助けて下さり本当にありがとうございました。あなた方がいなければ、私はとうに消し炭になっていた事でしょう」


「あんたはマトモな人間みたいだな」


「ちょっ、おいシルヴェスター!」


 いきなり不躾な言葉をぶつけたシルヴェスターを慌てて窘める。ここまでの会話から察するに、レスティリアはこの街での最高権力者に等しい。彼女に不快な気持ちをさせれば、この街から追い出されかねない。


「ふふ、いいんですよ。ずっと敬語ばかり聞かされていると疲れますし……私は、まだ十五歳の小娘に過ぎません。巫女の立場にはいますが、まだまだ未熟な身なのですよ」


「……あんたは、あの竜を殺せると思っているのか?」


 シルヴェスターは、もはや遠慮なく「あんた」呼ばわりする事にしたようだ。ラドルファスはその傍若無人な態度に冷や汗をかくしかないが、レスティリアは特に気分を害してはいないようだ。


「私ひとりでは、無理です」


 彼女はきっぱりと言い切った。


「確かに、《翼砕の槍》は強大な力を持っています。しかし、あの《夜》は記録にない大きさです。とても太刀打ちできるとは思えません……」


「なるほど。それで、俺たちの力を貸してくれと?」


「はい。このままでは竜殺しの夢を見たまま、アストラは滅びてしまいます。英雄は物語の中だけで十分です」


 まだ十五歳の少女だというのに、その辺の大人よりも現実を見なければならないのは、賞賛を通り越して悲しかった。彼女の周りの大人たちは、《竜殺しの街アストラ》に囚われて、一向に現実を見ようとしないのだろう。シルヴェスターもそれは感じたようで、複雑な表情を浮かべながら答えた。


「力を貸すのはいいが、周りがあの様子では厳しいんじゃないか?」


「それは​──────」


 レスティリアは何かを答えようとしたようだが、扉を勢いよく開ける音に遮られた。


「何事です?」


「巫女様、大変です! 城壁に《夜》が押し寄せてきています……門を壊す気です!」


「なんだと?」


 シルヴェスターが勢いよく立ち上がった。


「それはおかしい。《夜》は群れないし、第一に朝の灯火がある街に近寄れるはずがない」


 その言葉に頷いて、レスティリアはパニックになっている伝令に優しく聞いた。


「それは本当に《夜》なのですか?」


「本当です! それに、《夜》の上に、人が……」


 今度こそ怪しくなってきた。《夜》と人間は共存できない。彼らは破壊し、人間を食らうことしか頭になく、まともな知能などない。しかし、ラドルファスの頭に蘇るものもあった。つい最近の、ペルーダと戦った記憶。ことわり使いのテイワズ。もしかしたら、《夜》を操ることわりがあるのかもしれない。


「ラドルファス、お前はここで巫女を守れ」


「なぜだ? 俺も行く!」


「ダメだ。いつあの竜が戻ってくるか分からないんだぞ!」


「でも、シルヴェスター、病気が……」


「……向こうにはアルフレッドもいる。お前は竜が来る時に備えるんだ。奴は必ず来る。この異常事態なら何が起こってもおかしくない!」


 そう言い残すと、シルヴェスターは走っていってしまった。一瞬追いかけたくなったが、サフィラに首を振られる。理性に従うならそうすべきだ。ラドルファスは大人しく座り直した。気がつくと、レスティリアが温かい表情でこちらを見ている。


「……なんだよ」


 思わず素が出てしまったが、伝令は出ていった後だ。彼女は気にしていないようで、微かに笑みを浮かべた。


「信頼し合っているのですね」


「そんなんじゃねえ。あいつは控えめに言っても酷い奴だからな……でも、命の恩人なんだよ」


 すこし照れくさくてぼそりと言うと、レスティリアは遠くを見るような表情を浮かべた。


「羨ましいですね。私は生まれた時から巫女になることが決まっていて……物心ついた時から巫女様、巫女様と崇められて。ついに友達の一人もできませんでしたから」


 ラドルファスに見つめられているのに気づくと、巫女は慌てて手を振った。


「すみません、嫌な話をしてしまいましたね……忘れてください」


「いや、いいよ」


 一瞬微妙な雰囲気が流れた。


「あの……彼は何か病気を患っているのですか?」


 遠慮がちにレスティリアが聞いてきた。話すべきか躊躇うが、もし何かあった時に助けて貰えるかもしれない。


「ああ……暁ノ法を使うと、身体に負担がかかるんだよ。だから一人で行かせたくなかったんだ」


「それは……確かにそうですね。すみません、私が足手まといになっているようで」


「いや、そんな事はないさ。またあの《夜》が現れたら、俺たちで何とかしないといけないんだからな」


 言ってから不安になってきた。シルヴェスターの暁ノ法を受けても大した傷を負わなかった六翼の竜。ラドルファスの復讐相手。勝てるのだろうか。不安が顔に出たのか、隣に座るサフィラが手を握ってきた。


「大丈夫。私達も、シルヴェスターも。全力を尽くすだけ」


 頼もしい言葉に、ラドルファスは落ち着きを取り戻す。何気なく空を見上げた瞬間​──────頭上が明確に暗くなった。


◇◇◇


「穿て!」


 一節で唱えたことばが門を強引にこじ開け、外にその奔流を解き放つ。光の束が横に凪ぐように通り過ぎていき、不幸にも通り道にいた《夜》は、朝の光に焼かれて呻き声を上げた。


 最初の方は民衆も出しゃばってきていたのだが、あまりに役立たずなのでみんな死んでいった。シルヴェスターは愚か者を助けるために労力を割くつもりはない。死にたいなら、勝手に死ねばいいのだ。ただでさえ法力エンシェントも少ないのだから。


「まだいけるか、ランディ?」


『もちろん! まだまだ余裕だよ!』


 街の明かりに近づきすぎたこともあるのか、《夜》たちは総じて弱っていた。大きさもそれほどではない。一体これに何の意味があるのだろうか。


 今度は燃え盛る爆炎が《夜》を焼き尽くす。アルフレッドの暁ノ攻法だ。彼はここよりも大分西で戦っているのだが、彼の暁ノ攻法は範囲が広い。今の一撃でごっそりと《夜》がいなくなったので、かなり楽になった。


 目には見えないが、《極夜病》は確実にシルヴェスターの身体を蝕んでいた。周りには隠しているものの、今も少し息苦しい。負担は少ないに越したことはないが​──────死んだ《夜》たちが発する消えかかりの靄の向こうに、歩み寄ってくる人影がある。妙だ。


「止まれ! それ以上進むと撃つぞ!」


 シルヴェスターは叫んだ。予想に反して、人影は素直にその場で足を止める。靄の向こうがじわじわと見えるようになってくると、その異様さは明らかだった。周りに明らかに《夜》がいるというのに、その男にはまったく見向きもしないのだ。それどころか、男が手で制すと、《夜》たちは躾られた犬のようにシルヴェスターに向かってくるのを止めた。


「お初にお目にかかる。第一シビュラのシルヴェスター・ヴァレンシュタインだな?」


「だったら何だ」


 シルヴェスターは低い唸りのような声で男に返答した。確かに第一シビュラの夜狩りとして名前を知られていてもおかしくはないが、この異様な状況がシルヴェスターの本能に警鐘を鳴らしていた。この男は危険だ、気をつけろと。


「くく、まさに狂犬だな。まあそれくらいの方が張り合いがあるか?」


「お前、何者だ? 夜狩りではないようだが?」


「お前の弟子も同じような質問をしたそうだよ。やはり子が親に似るのと同じように、教え子は教師に似るのかねぇ」


「質問に答えろ!」


 はぐらかす様な物言いと、人を下に見たような態度に苛立ったシルヴェスターが怒鳴ると、男は笑って肩を竦めた。


「おお、怖い怖い……私は夜狩りなどという低俗な代物ではない。誇り高きことわり使い……選ばれた人種なのさ」


「……何を言っている?」


「直ぐに分かるさ。私は《傀儡》のジード・エクステリア。《銀蛇の夜会》の末席に属させてもらっている。お前は私の可愛いペットたち相手にどこまで持ってくれるかな?」


 そう言うと、ジードと名乗った男はふわりと手を振った。すると、男の周りに集まっていた《夜》達が一斉に距離を詰め始める。統率の取れた動きだ。


 シルヴェスターはじりじりと下がりながら、最初の暁ノ法を唱えようと息を吸った。しかしその暇は与えないとばかりに、先頭の《夜》が勢いよく飛びかかってくる。


「穿て!」


 シルヴェスターはまた光線のことばを唱えたが、これは先ほど使ったのにも関わらず、避ける様子はなかった。一切の回避動作を見せずに、《夜》は光の中に沈む。


 正直拍子抜けだった。あれだけの前口上をぶっておいてこれか、と思いさえしたが、油断は禁物だ。こんな所で死ぬ訳にはいかない。次々に《夜》が飛びかかってくるが、その動きは単調極まりない。すぐに回避出来る。素早く攻撃をかわしながら、シルヴェスターは順番にカウンターを叩き込んでいく。それだけで、彼らの数はどんどん減っていく。しかし、夜の闇の中に叫び声が響いた。


「うわああぁぁ!! 助けてくれ!! 死にたくない!!」


 振り返ると、そこには避難させたはずの民衆がいた。既に何人かは血を流して辺りに転がっている。明らかにおかしい。


「なぜこんな所に……」


「簡単だよ。俺のことわりは《傀儡》だって言っただろ? 《夜》は操りやすいんだが、人だとどうも面倒でな。まあ、殺される瞬間には流石に正気に戻るようだが、それにしても滑稽だよなぁ! さあ第一シビュラの夜狩り様はどうする? 見殺しにする? それとも自分を犠牲にしても助けるのかな?」


(こいつ、明らかに殺しを楽しんでいやがる……)


 流石のシルヴェスターでも嫌悪感が沸き起こるのを止められなかった。それに、先ほどからこいつが何を言っているのか分からない。《銀蛇の夜会》だのことわりだの……狂人ではないかとすら感じる。


「護れ深樹のくびき、二百五の門よ!」


 民衆に向けて暁ノ護法を使いながら、こちらに向かってくる《夜》に攻法を撃とうとした瞬間​──────夜空が、更に暗くなった。


「なっ……」


 奴だ。読み通りだが、分かっていればどうにかなるかと聞かれればそんな事はない。ラドルファスが上手くやってくれることを祈るしかなかった。



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