第4話 命と釣り合うものは Ⅰ

「シルヴェスターァァァァ!!」


 嫌になるほどの雲ひとつない蒼天に、男の憤怒の叫びが轟いた。


「うるせェな……近所迷惑だろうが。真昼間だぞ?」


「なにが近所迷惑だ!! そもそも周りにろくな家なんてねえよ! どうしてくれるんだよこれ!!」


「はァ? お前、まさか……」


 かったるそうに歩いてきたシルヴェスターは、ラドルファスの姿を見るなり一時停止した。それも当然だろう。


 ラドルファスは、発光していた。


 体内から蛍のように白い光が漏れ出しており、直視すると眩しいほどだ。しかし仮にもシルヴェスターは第一シビュラの夜狩り、どんなに有り得ない物を見たとしても、体勢を立て直すのは素早いのだ。彼は満を持して​─────大爆笑し始めた。


「笑うなこの野郎! お前の所為だろうがッ!」


「いや……まさか、っ、はは」


「笑いを堪えるんじゃねえ!! また嘘つきやがったなシルヴェスター!!」


 彼に嘘をつかれた回数は、もはや数えるのが億劫になってくるほどだ。今日も、「この薬を飲むと暗闇の中でもよく目が見えるようになる」と言われ、その薬を作る課題を出されたのだが……


「引っかかる方が悪いだろ。本当に《夜》用の閃光剤を飲む馬鹿がいるとは思わなかった……内容物で人が飲むもんじゃないって分かるはずなんだがなぁ」


「うっ……」


 そう言われると、ラドルファスには反論できない。前の師からは実用的なことしか教わっていなかったので、知識というものがどうしても不足しているのだ。


「じゃあ、これ何とかしてくれよ」


「嫌だね」


「騙されたのは俺が悪かったとしても、お前だって嘘を吐いただろ!?」


「そうだな.......なら、俺に一発でも暁ノ法を当てられたら考えてやろう」


「上等だこのクソ師匠!!」


◇◇◇


 頭に響く冷たさで目が覚めた。慌てて起き上がると、ラドルファスの顔に水をぶちまけたシルヴェスターが、呆れたような目でこちらを睥睨していた。


「いつまで寝てる? 大言壮語の割には大したことないな」


 いちいち鼻につく物言いだが、文句は言えない。シルヴェスターは夜狩りが所属する連合において、最高位である第一シビュラの名を冠する強者。そんな夜狩りに師事できたというだけで、一生分の幸運を使い果たしたと言っても過言ではないのだ。誰かの弟子になったのはこれで二回目だが。


 彼の言葉には答えず、ラドルファスは無言で立ち上がった。結局、訓練の間に光は徐々に薄れ、今ではラドルファスの身体は正常な状態に戻っていた。まあ、戻るまでに散々笑われたのだが。


「まだ行けるな?」


 彼はすい、と指をこちらに向けた。反復と痛みで身体に刷り込まれたのか、考える前に口が動く。


「護れ​─────」


「撃ち抜け」


 こちらの暁ノ護法が成立する前に、シルヴェスターは事も無げに一言で門を開いた。真っ直ぐに伸びた光の線が、咄嗟に掲げた腕を強打する。


「ぐッ……!」


 今度は意地で踏ん張ったが、衝撃で息が詰まる。手加減しているのだろうが、未完成とはいえ護法がなければ、骨の一、二本は折れるだろう威力。吐き出された苦鳴に、後ろで法力エンシェントを供給するサフィラの動揺が伝わってくる。


 シルヴェスターの指導は言うまでもなく乱暴かつ求める水準が高く、格闘戦から数多の暁ノ法を記憶し使用することまで及んだ。法力エンシェントが底を尽きるまで法力狙撃をやらされた事もある。加えて、夜はひたすら実戦だ。お陰で進歩は感じるものの、生傷が絶えない。傷を案じてくれる彼女を説得するのには苦労した。


「遅い。あと五百回くらいはやらせてぇ所だが……夜の前に空になられても困るからな。ま、今日はこれで終わりだ」


 そう言い捨てると、彼は広い庭に背を向けて家の方に去っていく。ラドルファスは以前住んでいたあばら家を売り払い、彼の家の一室を借りて暮らしている。何故かは分からないが、「弟子を取らない」と言っていたシルヴェスターの家には、訓練のための設備や、訓練場替わりに踏み慣らされた庭や、どう見ても彼の趣味ではない部屋が存在していた。


 腕に広がる鈍痛に顔を顰めていると、サフィラが駆け寄ってくる。


「ラド、大丈夫……?」


「……ああ、平気だ。それより、もう夕方になるし、買い出しに行かないとな」


「私も行く。途中で倒れないか心配」


 彼女はすぐにラドルファスの後をついて回りたがるが、不思議と不快ではなかった。元々にいい感情を持っていたわけではないのに、完全に絆されている。


(やっぱり甘いのかもしれない……でも、こいつを放っておくことはできない)


「ラド? 早くいかないとあいつが怒るよ?」


「分かってるよ」


 シルヴェスターの事を「あいつ」呼ばわりする謎の胆力に苦笑しつつも、その通りなので大人しくついて行くことにする。サフィラは、街に出る時にいつも被るフードを引き下げたところだった。


(そういえば……シルヴェスターが脅した割には《夜》の数は普通だな……)


「お前、外に出る法力エンシェントを制御できるようになったのか?」


「え? ううん……ごめんなさい」


「いや、別に責めてるわけじゃないんだ……ただ、思ったより《夜》が少ない。ここはわざと朝の灯火を少なくしてるから、本来はもっと多いはずなのに……」


 シルヴェスターに弟子入りしてから、夜間は広すぎる庭で戦っているが、《夜》は大した数ではない。歯ごたえのある《夜》も発生するものの、少し忌々しいが彼の指導によって、精度の向上した暁ノ法の前では苦戦するほどではなかった。


「でも、あの家の近くにいる間は変な感じがする」


「変な感じ?」


「うん、なんだか……膜に覆われているような」


(膜……?)


 少し不思議に思いながらも、街の明かりが見えてきたので追求を止める。早く帰らないと、夜に間に合わない。



 家に戻ると、遠くと連絡が取れる共鳴石を握ったシルヴェスターが待っていた。彼は机の上に無造作に転がしてあった朝露石を、ラドルファスに放りつつ立ち上がる。


「仕事だ。近いからお前も来い。ただし、俺の命令があるまで絶対に《夜》に攻撃するな」


 素直に頷きながら、ラドルファスは不思議に思った。何か事情があるのだろうが、よく分からない指示だ。が、どこからか飛んできた黒い小竜、ランディが肩に止まると同時に、シルヴェスターが身を翻したので質問のタイミングを失う。疑問は残りつつも、ラドルファスは彼の後を追った。


◇◇◇


 任務地は寂れた村だった。なるほど、この具合では核を調達するのも一苦労に違いない。配給もあるにはあるが、それでは確実に足りない。現に唯一灯火がある広い家屋に、村人たちは皆で集まって震えていた。しかし、村の中央で暴れている《夜》は中型だ。すぐに討伐できるだろう。村の長らしき年老いた男に声をかけようとした瞬間、シルヴェスターがそれを制した。


「あんたがこの村の代表か? なら話が早い。俺たちに幾ら出す?」


「へ……?」


 ラドルファスは一瞬意味が理解出来なかったが、久しぶりにシルヴェスターへの怒りが湧き上がるのを感じた。夜狩りは慈善事業ではない。れっきとした職業である​────すなわち、仕事に対して対価を要求することは当然だ────が。明らかに支払い能力が欠如している人々には、必要以上に対価を要求しないのが夜狩りたちの通例だ。


 事実、ラドルファスの最初の師匠はそうしていたし、出会った他の夜狩りたちもそうだった。しかし、金がなければ生活することができないのもまた事実。とりあえず、ラドルファスは静観する事にした。


「よ、夜狩り様、どうかご慈悲を……見ての通り何もない村です、朝の灯火の燃料も、小型のものを一つ買うのが精一杯なのです……」


「ちっ、仕方ねえな。値引きしてやるよ​……十ルミア、これ以上は下げねえ」


「じゅっ、十……!?」


 一ルミアは六十テスカ、小型の核は大体一つ五ルミアだ。その二倍。払えなくはないだろう。しかし、核は毎月補充しなければならない。村にはかなりの負担となるだろうが、命を天秤にかけるならば、払ってもおかしくない額。シルヴェスターはそれを見極めて言ったに違いない。暴力的な価格ではないが​─────少なくとも、他の夜狩りたちならば、五ルミアも取らなかったに違いない。ついに我慢できなくなったラドルファスは、自分で《夜》を狩ろうと外に向かう。


「俺の命令を忘れたか? 止まれ」


「知るかそんな事……!」


 無理やり外に出ようとしたラドルファスは、いつの間にか身体が全く動かなくなっていることに気がついた。ランディが脅すように翼を広げる。


(くそ……一言で暁ノ法を使いやがったッ……!)


「……馬鹿弟子には後で仕置きするとして……あんた、十ルミアなら払えなくはないだろ? 金か命、どちらか選びな。もしかすると俺たち以外の夜狩りが来るかもしれないが、まあ間に合うかは微妙だな」


「……分かりました。払います。払いますからどうか《夜》を……」


「賢明な判断だな。おいラドルファス、行くぞ」


 そう言って彼が指を鳴らすと、今までぴくりとも動かなかったラドルファスの身体が急に運動を始め、危うく地面に倒れ込みそうになる。その間に、シルヴェスターはさっさと外に出ていた。慌てて後を追いかけると、サフィラも後ろから駆けてくる。


「おい、どう考えても十ルミアは取りすぎだろ! 他の夜狩りなら​─────」


「他の夜狩りの事なんて知らねぇよ。俺には金が必要なんだ。仮にも俺の弟子なら俺の方針に従え」


(好き放題言いやがって……そうだ、俺だけで《夜》を倒せば……)


 《夜》の体には必ず核がある。そして、核には高い価値がある。一般的に核の所有権は、その《夜》を殺す際にもっとも貢献したものか、最後の一撃を見舞ったものにあるとされているのだった。もしラドルファスだけで《夜》を倒し、その核を手に入れて村人たちに渡せば、彼らの負担はかなり軽減されるに違いない。幸い、あの《夜》はラドルファスだけでも何とかなりそうである。


 村の中央が見えてきた。どうやら《夜》は食事中らしく、取り残された牛を貪っている。姿は巨大な獅子に似ているが、その鬣は蠢く何本もの触手となっており、酷く冒涜的な姿だ。ラドルファスは走りながら、短剣を鞘から抜いて構えた。


「サフィラ、援護頼む!」


「え……!?」


「おい待て、先走るな馬鹿!」


 シルヴェスターの咎める声を無視して、無防備な《夜》に切りかかる。十分な助走からの二撃の威力は相当で、《夜》の首に相当する部分を構成する、黒靄が大きく乱れた。しかし、残念ながら核はそこにはなかったようだ。構わずに身体を捻って触手を避け、返しの一撃で何本かを切り落とす。思った通り、それほどの強さではない。家屋とラドルファスが邪魔で、シルヴェスターはお得意の高火力な暁ノ攻法を使えないらしく、攻めあぐねているようだ。


(このまま俺が仕留める……!)


「駆けろ疾風の大鷲、六十六の門よ!」


 ぐっと身体が加速する感覚にももう慣れた。サフィラの圧倒的な法力エンシェントが背中を押してくれている。着地したラドルファスはそのまま、疾さに任せて《夜》の胴を薙ごうとして​──────気づく。切ったはずの触手が、倍の数になって再生していることに。今までの数ならかわせたが、増えたなら話は別だ。しかし加速し切った身体を、急に方向転換させることはできない。


(あ​…………)


 何かを思う暇もなく、触手がラドルファスの心の臓を貫く​──────視界が反転する。どじゅっ、という肉を掻き分ける嫌な音がしてパニックになりかけるが、なぜか痛みはない。急に思考の速度が戻ってきて、素早く《夜》の方を見ると、触手がシルヴェスターの脇腹を貫通していた。彼がラドルファスを思い切り突き飛ばしたのだ、と理解すると同時に、彼の口から大量の血が溢れた。が、流石に歴戦の夜狩りは冷静だった。シルヴェスターは脇腹を穿たれたまま、静かに呟く。


夜明けデイブレイク


 ぱっ!と弾けた光は予想に反して《夜》を穏やかに包み込んだ。前に見た激烈な朝の光とは異なる、優しい夜明けが訪れる。そして光が消え去ると共に……彼の身体がぐらついて、そのまま力なく地面に崩れ落ちた。


「シルヴェスター!」


 我に返ったラドルファスは彼に駆け寄った。何かを呟いているのは、治癒を始めているのだろう。現にじわじわと傷口に光が集まっていくが、その速度は鈍い。ラドルファスが近づいてきたのを察知したのか、彼は弾かれたように顔を上げた。


「この馬鹿が……油断するな! 死ぬかもしれなかったんだぞ!」


 顔色は青白いにもかかわらず、物凄い剣幕だった。かつてこれほど強く叱られたことはなかった。シルヴェスターは今、自分のためではなく、間違いなくラドルファスのために怒っているのだ。前にも一度だけ、同じように叱られたことがある。ラドルファスは初めて、彼のことを亡き師​─────父と似ていると思った。








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