第5話 神と殺人鬼


 アメリカ・ロサンゼルス 昼間


 短い髭のサークル。

 白みの強い、アッシュグレーのクルーカット。

 白シャツ、グレーのベスト、白いジャケットに白いパンツ、白い靴……。

 見た目は紳士的でダンディー。その男は、ロサンゼルス発のパリの直行便に乗り込んだ。


 神にとって、これがはじめての飛行機だった。

 この鉄の塊の乗り物ができた当初は今すぐ乗りに行こうと意気込んでいたのだが、それを実行することは中々に難しく、飛行機ができて百数年も経った今ようやく乗ることができた。

 オフィスに自分がいないと知ったら、きっとあの者たちは騒ぐだろう……目につくものを追い掛ける幼子だとでも思っているのか、彼らは神に対して過剰な干渉をしてくる。


 ————座席はエコノミー。

 この次はビジネスクラスに乗って、その次はファーストクラスを体験するつもりだった。

 神は手元のチケットに書かれている座席を見つけ、そこに座る。横に3つ並んでいる座席シートの真ん中の席。

 隣の窓側席にはアジア系の青年が座っていた。


「シートベルトをご着用ください。膝の上にお荷物を置いているお客様は、前の座席シートの下に……」


 繰り返されるアナウンス。

 乗務員も、その言葉を何度か繰り返していた。

 間も無くして飛行機は滑走路を走り出す。

 ゴロゴロとした地鳴りが機内を振動させ、それが座席シートを通して全身に伝わってくる。


 ゴトゴトゴト……!


 スピードが上がるにつれ、凸凹した道を走っているように機内はガタゴト大きく揺れはじめる。機体が飛び立つ瞬間は体がずん、と重くなり、それから段々と軽くなっていく————。

 神は鼻をつまみ、ポコッと耳の空気を抜いた。


「やっぱ、ストレス溜まったらやりたいようにするのが一番だよね! みんながやっちゃいけないって言う事でもさ。」


 その溌剌な声は、神の思いを代弁しているようだった。

 アジア人の彼は窓の方を向いているが、語調からして神に話しかけている様子である。 


「やらずに後悔するよりずっといいよ……そうでしょ?」


 神ははじめ、独り言ではないかと疑った。しかし次に横を見た時、男はしっかりと自分の方を向いていたのでギョッとする。

 アジア人にしては目鼻立ちのはっきりとしたこってりめの顔をしており、太めの眉毛はキリリと整えられている。

 黒髪のテクノカットは彼の顔立ちとよく似合っていた。


「昨日、ようやく11人殺し終えてさ。まだ怒りは治らないけど、それでもやらずにいるよりは気持ち軽いよね。」


 振ってくる話の内容だけでもかなり歪みを感じるが、加えて爽やかな風貌と溌剌な口調、強い目力がその精神病質さを極めている。


(やべぇのと隣になった……)


 そうぼんやり思いながら、神はいつもの覇気のない調子で返事をした。

 

「……おれに話しかけているのか?」


 神の話し方はいつも、ため息が混じっているような脱力感がある。疲れているのか、眠いのか…聞いている側はそんな印象を受けるだろう。

 それとは反対に、このアジア人の青年はとても生き生きと楽しそうに話す。


「そうだよ! あ、僕は市原薫。そちらは?」


「神だ。おれはずっと、そう呼ばれてるんだが……今じゃ神は総称で、神々には個々に呼び名がある……ゼウスとかポセイドンとか、かっこいい名前がな。おれもそういった名を名乗りたいんだが、何か良い呼び名はないか?」


 今まで堅苦しい連中ばかりが自分の周りを取り巻いていたので、市原のような少々変わった者を相手にするのは嫌な事ではなかった。むしろ、新鮮味があっていい。

 だから神は市原の事を適当にあしらわず、会話を弾ませることにした。


「えっ、マジかぁ〜!神なのか……! 何の神なの?」


「この世を……生み出した神。」


「つまり……創造神的な?」


「まぁ……そんなところだな。」


 市原は胸の前で腕を組み、「うーん」と唸る。


「呼び名、ねぇ……。ぶっちゃけ、神のままでいいと思うよ。たしかに神々にはそれぞれ名前があって、みんなそれで呼ばれてるけどさ……神を呼び名にされてる神は、貴方くらいなわけでしょ? ならいいじゃない。呼び名が神だと、総称以上の真の神って感じするし。貴方がこの世を創ったのなら、尚更"神"という呼び名が相応しい。」


 その最もらしい市原の言葉に、神は納得し頷いた。


「そうか……そうだな。今まで通り、神でいこう。」


「……で、神はパリへ何しに行くの?」


「特に予定はない。ただ飛行機に乗ってみたくて、テキトーな便に乗ったんだ……お前は? スイーツでも食べに行くのか?」


「それも一応、予定に入ってるよ。でも、まず最初に向かうのはノートルダム礼拝堂……ローランの剣を引き抜くんだ。」


(————???)

「……それ、抜いたら駄目なやつなんじゃ?」


 また突飛なことを言い出す市原に神は動揺したが、一方で気分がすこぶる高潮していた。

 彼がどこまで本気なのかわからないが、本当にそんな馬鹿げた事をやってくれるのなら、ぜひとも近くで見届けたいと思ったのだ。


「あそこは聖域だし、世界遺産だぞ?」

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