二枚目

1

 また面倒なことを背負い込んでしまった。

 一度目は遺影を高額な報酬と引き換えに。

 二度目は自殺を止めるという約束を、一刻も早くこの場を去りたいという一心で。

 そして三度目は、またしても高額な報酬を条件に、見たこともない子供の姿を描き出せと。


 私はどうして、強く拒否することができないのだろう。

 優柔不断な自分。またしても現れた、間抜けで愚かな私。

 この屋敷に来てからというもの、私はほとほと私自身に愛想が尽きていた。


 すでに夜は開けた。外は晴れやかな青空で、鳥が囀りながら飛んでいる。

 爽やかな朝だ。だが、私の心はこの空のようには晴れていなかった。

 いうならば、曇天。

 今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした曇り空。

 そんな忌々しい厚い雲が、私を鬱々とさせていた。


「朝からため息をついて、どうしたんだ」


 食堂の席についたクドウ氏が、苦笑まじりに聞いてくる。


「何でもありませんよ。気にしないでください」


 言いながら、私の口が余計なことをこぼさないうちに、コーヒーを口に蓋をした。

 コーヒーの苦味が、わずかにだが私の曇天に光を与えてくれる。

 雲間から現れた太陽。だがすぐに顔を隠し、私の心は暗たんとした。


「そうか。ならいいんだけどね」


 クドウ氏は言いながら、焼いたトーストを口に運んだ。

 外はサクサク、中はふんわりやわらか。

 表面に塗られたマーガリンが、艶々と輝いている。

 おかずはベーコンとスクランブルエッグ。野菜のスープ。

 理想の朝食の典型といった感じだ。


 食事も一通り終えたところで、クドウ氏は紙ナプキンで口を拭った。


「昨日は、サチエが色々と案内をしたそうだね」


「ええ。まあ」


「私の部屋の人形も、見たとか」


「私は一応反対したんですが、サチエさんが大丈夫だと言うので」


 自分の弁解として言っては見たが、やはり言い訳めいて聞こえてしまう。

 どれだけ、何を言おうとも私が屋根裏室に入った事実は変わることはない。

 だが、言わずに怒られるより、弁明して怒られてしまった方が、納得はいく。

 どうせ怒られるのであれば、そちらの方がずっとましだろう。


「むろん大丈夫だよ。あそこにあるのは試作品と私が個人的に作ったものばかりだからね。見たとしても誰も困りはしないさ」


 機嫌を損ねた様子もなく、彼は紅茶の入ったティーカップを持ち、口につける。

 今日の紅茶はハーブティらしく、風に乗って爽やかな香りが微かに漂ってきた。


「そうですか」


 私はほっと安堵した。

 それを見透かしたかのように、クドウ氏はにやりと頬を歪めた。

 

「それより、どうだった。私の人形は」


 紅茶を受け皿に戻すと、クドウ氏は私の顔を見た。

 その目は試すようでもあり、子供らしい純粋な興味を向けているようでもあった。


「すごく綺麗でした。これ以上に言葉が見つからないのが、悔しいくらいに」


「ありがとう。君にそう言ってもらえて、あのたちもきっと嬉しいと思うよ」

 

 クドウ氏は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑った。

 あの娘。きっとそれは人形たちのことなんだろう。

 クドウ氏が生み出したのであれば、人形たちを娘同然に可愛がるのは当然のように思っていても不思議ではない。


『言葉を話す人間より、言葉を失った人形の方が美しい』


 脳裏にふとサチエ夫人の言葉が過ぎる。

 それとも、クドウ氏はあの人形たちに、人形以上の何かを感じているんだろうか。 

 物を愛でるというよりも、もっと根深い愛情を、抱いていたりするのだろうか。


「どうかしたのかい」


「あ、いえ。なんでもありません」


 私のせいで、妙な沈黙が作られてしまった。

 話題を変えるべく、私は違う話題を考えた。

 そういえば、都合のいい話題があったじゃないか。

 ずっと聞けなかったこと。それを聞くには、この沈黙を利用しない手はない。


「あの、聞いてもいいですか」

 

「なんだい」


「どうして、私に依頼をしてくれたんですか


 本来なら依頼の時に聞いておくべきだったことだ。

 だが、あの時の私は、情けないことに、それどころではなかった。

 突きつけられた大金の前に、大事な疑問がスポンと、どこかになくしてしまっていた。

 それをサチエ夫人との会話で偶然に見つけ、ようやくクドウ氏に見せることができた。


「どうして、そんなことを聞くんだい」


「どうしてって、私より上手な絵描きはたくさんいるからですよ。日本に限らず、アジアや、世界にだって。どうして無名の私を選んでくれたのか、ずっと気になってたんです」


 自分で言うのも情けない話だが、私の絵は大衆向けと言うか。

 100円均一の店とか、スーパーの片隅で売っている期間限定のテナントというか。

 ブランドにもならない、しかし何かの記念や家の中に彩りを加える時にちょうどいいくらいの絵だ。

 お高い店や、それこそ資産家の肖像画として使うには、いささか役不足な気がしてならない。


「なるほど、そういえば言いそびれていたね」


 顎髭を撫でると、クドウ氏はおもむろに立ち上がった。


「少し待っていてくれるかい。君を選んだきっかけを、ここに持ってくるから」


 そう言うと、クドウ氏は部屋を出て何処かへと行ってしまう。

 戻ってきたのは、それから10分ほどがたってからだった。


「お待たせ」

 

 彼は両手で大きめの額縁を持って戻ってきた。


「これを取り外すのに、少し手間取ってしまったんだ」


 彼は額縁を床に下ろすと、息をついた。

 深呼吸を二度繰り返すと、クドウ氏は額縁を裏返し、私にその中身を見せてくれた。


「きっと君も、見覚えがあるはずだ」


 驚いた。

 見覚えがあるどころではない。

 それは、私の絵だった。

 中学時代に夏休みの宿題で出した、美術コンクールの課題。

 なんの因果かでそれが金賞を受賞し、めでたく市役所のエントランスに飾られることになった。


 舞台は教室。

 窓辺に腰掛ける1人の少女が、窓からそっと外を見ている。

 彼女は私の友人だ。私が彼女の自由研究を手伝うことを条件に、モデルをしてもらったんだ。


「どうして、その絵を」


「以前出張で地方に行ったことがあったんだ。〇〇市だよ」


 そこは私の生まれた市だった。

 実家は今もそこにあるし、もう何年も顔を見ていない両親も、まだそこで暮らしている。


「たまたま役所に用事があってね。その時にこの絵を見つけてね。思わず足を止めて見入ってしまったよ」


 ただの中学生の絵で?

 夏休みの残り時間を費やして、急遽作り上げた絵なのに?

 私はそう言ってしまいたい衝動に駆られた。

 彼が失望に歪み、その絵に対する過大評価を、下げてしまいたかった。

 だが、私の口はあんぐりと馬鹿みたいに開かれたまま、言葉を産むことを忘れていた。

 その間に、クドウ氏は言葉を続けた。


「役所の人に頼み込んで、コピーを取らせてもらったんだ。もちろんご両親にも許可は取ったし、お礼としていくらかお金も払った」


「会ったんですか。私の親に」


「いいや、電話で済ませたんだ。急に知らない男が訪ねて行っても、驚かせるだけだと思ってね」


 まさかクドウ氏と両親が面識があったなんて。

 ましてやお金を受け取っていただなんて。

 

「ちなみに、いくら払ったんです」


「正確には覚えてないが、確か200万と少しだった気がする。君の学費に使うことにするが、それ以外では絶対に使わない。約束すると、君のお父さんは熱っぽく語ってくれたよ」


 それじゃ何か。

 私の進路に工面されたのは、クドウ氏の資金があったおかげだったからか。


 クドウ氏もクドウ氏だが、両親も両親だ。

 中学生の絵のために、ポンと大金を支払い。

 それを受け取った両親は、娘に何も言わないなんてどうかしている。


 私は肩の力が抜ける気がした。

 クドウ氏が私の知らない間に、私の人生に深く関わっていただなんて。


「彼女は、君の友人かな」


 クドウ氏は友人の顔を指差しながら、私に尋ねる。


「ええ、まあ」


「今も元気にしているのかい?」


「さぁ、わかりませんね」


「おや、どうして」


「すっかり疎遠になってしまいましたから。彼女が今どこで何をしているのか、さっぱりわかりません」


 地元のクラスメイトとは、もう何十年も顔を合わせていない。

 同窓会への通知も来なければ、友人だった人からの連絡もない。

 私も彼らを忘れているように、彼らも自分のことなんて、忘れているだろう。


「人間関係は、意外と冷めたところがあるんだな。君は」


「そうかもしれませんね。でも、中学校の友人なんて、そんなものだと思いますよ」


「だが、少なくとも彼女は違うんじゃないのかい」


 額縁を少し持ち上げ、小突くように床を叩く。

 少女の面影を残しながら、大人びた空気を漂わせる、友人の横顔。

 その時は確か夕暮れ時で、グランドで動き回る野球部の坊主頭を、なんとなく見下ろしたいたんだっけ。


『どうして野球部は坊主なんでしょうね。坊主で野球が上手くなるなら、お寺のお坊さんはみんなプロの野球選手よね』


 友人の声が、ふいにホコリを被った記憶の中から響いてきた。

 その時、私は何て答えたんだっけ。

 

「そうだったかもしれません。でも、今は同じです」

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