第12話

 姿が晒されていることに未だ気付かず、殺生石をどうにかしようと夢中になっている神崎先輩と思しき方に、俺はそっと声をかける。

「あの、落ち着いてください。殺生石それは今、貴方に危害を加える事はありませんから」

「ふへっ!?」

 ピタリとその動きを止めた神崎先輩と思しき方が、そろりと此方に顔を向けてきた。

 俺と目が合うと、神崎先輩と思しき方はプルプルと全身を震わせ始め、

「どっ……どどどどうして? 私が見えるの? はっ、術が解けてる!? しまった!」

 俺の事はそっちのけで、あたふたしている小柄な上級生。正直、この身に火の粉が降り掛かる状況ではなく、対岸から眺めていられたのであれば、この可愛らしい先輩の仕草を堪能するのもやぶさかではないのだが、今の俺はどちらかというと既に火事場にいるわけで。であれば、呑気に見物する野次馬のようにはいられない。

 俺は敢えて意地悪く声をかける。

「あの……神崎柊万梨先輩、少しよろしいですか?」

「あ、はい」

 素直な返答。やはりこの方が神崎柊万梨先輩で間違いないらしい。

 そんな俺の確信する姿に神崎先輩は我に返ったのだろうか、いやこの場合は再び我を失ったと言うべきなのかもしれない。

「――じゃなくて、違います、違います、わわ私は神崎柊万梨先輩なんかでは、ああありませんよぉ」

 発言内容もさる事ながら、神崎先輩の目は異様に泳ぎまくっており、誤魔化しきれていないのは一目瞭然であった。幾ら何でも、こんなすっとぼけに付き合うわけにはいかないので、「では、貴方のお名前は?」と訊き返した。

「え? ちょ……急にそんな事言われても思いつかない……」

 致命的な応答。紛れもなくこの方は神崎先輩その人だ。

「とりあえず一旦落ち着きましょう。もう、ここからの挽回は無理ですから、ね」

 なるべく刺激しないように語気を緩め、宥める様に言った。

 が、もしかしたらこれは悪手だったのかもしれない。

「あわわわわぁ」と狼狽を続けていた神崎先輩が、落ち着きを取り戻したのか、急に静かになる。そして、「仕方ありませんね……あまりこういうの好きではないんですが……」と小さく呟いた。

 え、今なんと?

 そんな疑問を懐く間もなく、その意味の片鱗を知る事となった。

 神崎先輩が唐突に右手を前方に突き出したかと思うとその刹那、彼女の周囲にどこからともなく黒い霧のようなものが渦巻きながら舞い上がり、突き出した手の平に集束し、瞬く間に細長い棒状に凝縮して、刃渡り一メートル程の黒い刀剣となったのだ。

 それを見た瞬間、俺は直感的に拙いと思った。この状況でその矛先が向けられるのは何処かを考えたら、それは当然の帰着であった。

 案の定と言うべきか、神崎先輩は黒刀の切先を俺へと向けてくる。そして、凍てつくような声で言ったのだ。

「一つ、ここでの事は忘れてください。一つ、今すぐここから去ってください。一つ、今後二度と私に関わらないでください。これは要求ではなく忠告です」

 それが冗談やシャレの類ではない事はすぐに解った。真っ直ぐと向けられた視線とブレる事のない切先、何より自身の背筋を滑り落ちる冷汗が本能的に、神埼先輩の覚悟とヤバさを訴えていたからだ。

 俺は無抵抗の意思を示すべく、ゆっくりと両手を挙げて「解りました」と答えた。

 もとより俺がこの場に赴いたのは自分の意思ではない。如月の奴に強制的に差し向けられただけである。刃物を向けられながら身の危険を顧みずに続行する程の義務も義理も持ち合わせてはいないので、意地を張る必要もない。

「懸命な判断ですね、では早急に出て行ってください」

 神崎先輩は急かすように言った。

 言われるままに、俺はすぐさまこの場を後にしようと思ったわけだが、そのためにはしなければならない事がある。殺生石の回収だ。殺生石は今も神崎先輩の足元でクルクルと独楽のように回っている。殺生石は唯一無二の代物で使い捨てに出来るものではない。それに扱いを誤ると大変危険な物であるため、それを回収せずにこの場を去るわけにはいかんのだ。

 俺は殺生石を回収すべく、徐に殺生石へと歩み寄ろうとする。

 その刹那、神崎先輩の黒刀の刀身がまるでカッターナイフのそれのように、ただしスピードは弓から解き放たれた矢の如く、俺に向かって瞬時に伸びて来て、首筋をかすめていった。

「!?」

 固唾を呑んで体を硬直させる俺。あと数ミリ場所がズレていたら頸動脈が切られていたのではなかろうか。

「何故こちらに近づこうとするんですか? 私は部屋から出ていけと言ったんですよ」

 重量バランスがどうなっているのかは知らないが、柄に対して異様に伸びた刀身を俺の首皮から数ミリのところにピタリと静止させたまま、神崎先輩が冷たい声で言った。

「……いや……それを……回収しようと思いまして……」

 消え入りそうな声と共に、俺は恐る恐るゆっくりと殺生石を指差した。

 神崎先輩は俺が指差した先、殺生石をちらりと一瞥すると、

「駄目です。近づかないでください」

「いや、しかし……」

「何か企んでいるのかもしれません。こんな珍妙な物を扱う輩を迂闊に近づかせるのは危険と判断しました」

 んな横暴な。

 無論、俺は何かを企んでいるという事はなく、本当に殺生石を回収したいだけである。なので、そんな心配を懐く必要などないのだ。そればかりか殺生石の特性上、このまま放置する方が危険なので、ある意味で神崎先輩の身の安全のためでもあるのだから、どちらかと言うと安堵して欲しいくらいである。

 どうしたものかと困惑しかける俺であったが、そこに神崎先輩が少しばかり眉をハの字に曲げて「――ですが」と言葉を続け、

「こんな物を置いていかれても、それはそれで危険かと思います。妥協案として私がそちらに弾きますので回収してください」

 黒刀の刀身の長さを元に戻し構えを解いて提案してきた。

 当然ながら断る理由はないので、俺は胸を撫で下ろしながら「……じゃあ、それで」と承諾した。

 現在、殺生石は俺以外の霊子神崎先輩に引き寄せられるように設定されている。そのため、弾いたところでそのまま放っておけば再び先輩の方に向かっていってしまうのだが、その前に俺がキャッチしてリセットすれば万事解決である。幸い目的が捜索だった事もあり、先輩への吸着力は弱く設定してある。軽く蹴飛ばしてもらえれば十分こちらまで届くだろうし、回収もわけないはずだ。

 俺はしゃがみ込んで、野球でゴロ球を待ち構えるが如く身構えた。

 すると神崎先輩が「じゃあ、いきますよ」と言って、黒刀の刃先でゴルフのパッティングでもするかのように殺生石を小突いた。しかも、ぞんざいに。

 え、黒刀それで!?

 俺がそんな驚嘆の声をあげようとした時には時既に遅かった。

 神崎先輩の黒刀がほんの僅かに触れた瞬間である。殺生石は磁石の同じ極同士が反発するかの如く弾かれて、黒刀で加えた力に似つかわしくない程勢いよく明後日の方向に飛んでいった。

 カカカカカッ!!!

 パターではなくドライバーでフルスイングして打ち出されたゴルフボールのような勢いで弾き飛ばされた殺生石は、エアホッケーのパックみたいに床や天井、壁、机や椅子と言った部室内のありとあらゆる物にぶつかっては反射を繰り返す。殺生石が縦横無尽に高速で跳ね回る室内、そこはまるで弾丸の飛び交う戦地にでもなったみたいだった。

「きゃああああああぁ!!!」

 神崎先輩が悲鳴をあげて蹲る。

 俺はというと、とっさに近くにあった机の下に滑り込んでいた。

「ななな、何なんですか!? 何なんですか!? 騙したんですか!? 危害を加える事はないって嘘じゃないですか!!!」

 取り乱した様子で抗議の目を向けてくる神崎先輩に、「これは不可抗力です!」と身の潔白を訴える。何せこれはある意味、俺にとっても想定外の事態であったからだ。

「何ですか、不可抗力って!? んな無責任な!」

 不満たっぷりな神崎先輩に、俺は苦笑いを浮かべ、

「そう言われましても……まさかここに来て刀で小突くとは思わなかったもので……」

 本当……黒刀で小突くなら事前に言ってくれれば忠告できたのだ。危ないからやめてくれ、と。

 今の殺生石の状態は、有り体に言ってちょっとした暴走状態である。霊子変換を利用して微細な霊子濃度の変化に反応するよう特性を与えていたところに、高濃度を通り越して高密度と目される霊子の固まりであろう黒刀で直接刺激を与えたのだ。微細な変化に対応させたが故に、その霊子濃度変化は許容を遥かに超えたものとなり、誤作動を発症させてしまったといったところだ。温度計だろうが電圧計だろうが、センサー類に許容を超えた刺激を与えると壊れるだろ。そしてセンサーの壊れた機器は制御が効かなくなる。早い話がそれと一緒なのだ。

 加えて問題はそれだけではなかった。殺生石はその特性を突き詰めると、霊子の加速変換パターンの組み合わせ次第で、理論上では無尽蔵のエネルギーを生み出す事も可能な代物である。無論、それは飽く迄も理論上の話であり、実際にやろうと思ったら、始めのトリガーとして使う霊子に適した加速度合い、返還の順序や回数といった諸々の条件を、無限に存在する組み合わせの中から導き出した上で、時に幾億にも及ぶ事もあるその加速変換手順を正確に辿るよう、トリガー霊子を適切な量、適切な速度、適切な角度etc. で、寸分の狂いなく正確無比に殺生石へと流し込むといった超高度な技術を有する作業が最低限必要になるので、早々出来るものではない。というか、俺には出来んし、出来る奴も俺は知らない。しかしながら、そんな俺でも工夫次第で、一時的ななんちゃってでよければ似たような現象に持って行く事は可能なわけで、先刻さっき神崎先輩捜索あれにも、動力確保のためにそれを使っていた事が問題だったのだ。つまり何が言いたいのかというと、俺の目算だとかなり少なく見積もっても、ほっといたら後三十分位はこの状態が続くということだ。そして自然停止を待たずして強制的に止めるには、殺生石を直接手で掴んで新たな霊子を流し込み石内の霊子均衡を崩す必要があるのだが、銃撃戦場さながらのこの状況でそれをするのは至難であると言わざるを得ないわけである。

 とは言えだ。殺生石は俺の所有物であり、暴走も元を辿れば俺の設定の甘さに原因がある。であれば、神崎先輩に指摘された通り、このまま愚痴って放置するのは無責任と言えよう。道具を扱う以上、持ち主はそこで生じる結果には少なからず責任を負わねばならないのだからな。


 それに――――


「なんですか、それ!? 私ですか!? 私が悪いんですか!? 得体のしれない物はなるべくなら直接触れたくないでしょうがぁぁぁ!!! ぎゃぁーーー!!!」

 それに机の下に身を潜める事が出来た俺と違い、壁際とはいえ神崎先輩は飛び跳ねる殺生石に対して身を隠す術もなく無防備である。そして、あわやニアミスと言った場面も散見される中、神崎先輩が鬼気迫る形相、否、危機迫る形相で俺を睨みつけてきている。立場上、霊能力者から極力目を付けられたくない俺としては、下手に恨みを買うような真似は避けたいところでもあるのだ。

 てなわけで、少々危険が伴うが、飛び交う殺生石の回収を試みる事にした。

 俺は機を見て机の下から這い出ると、立ち上がって殺生石の軌道を見定めようと注視する。スピードは速いが動きは直線的。反射の際に衝突箇所の特異形状が原因で時折起こるイレギュラーバウンドにさえ気をつければ、進路を予測するのはそこまで難しいというわけではなかった。そして――――

 ここだ!

 俺はタイミングを見計らい素早い身のこなしで進行する殺生石の真正面へと飛び出した。

 ボスッと鈍い音が微かに響き、俺は両の手で見事に殺生石をキャッチした――となれば面目が立ち格好もつくのだが、なかなかどうして世の中は甘くない。響いたのは殺生石がみぞおち辺りに直撃した音であり、当の俺は悶絶しそうになっていたからだ。昼飯を食う前で本当に良かった。でなけりゃ、一面大惨事だったかもしれない。心底そう思ったものだ。

 ともあれ殺生石をその身で受け止めた俺は一時的呼吸困難に苦しみながらも、この機を逃すまいと、暴れまわろうとする殺生石を両手で鷲掴みにし、掌から新たに霊子を注入する事で与えていた性質にリセットをかける事に成功した。諸々の性質を失った殺生石は、先程まで室内を所狭しと跳ねまわっていたのが嘘のように運動力を失い、単なる物体として手の中に収まるようになった。

 どうにか事態を収拾することが出来た俺は、未だ呼吸の度に体の芯を走り抜ける痛みに苦しみ、みぞおちの辺りを左手で擦りながら、神崎先輩を安心させようと声をかける。

「も゛っ……もう安全でず」と。

 狂乱していた神崎先輩は事が収まっても暫くはその事に気づかず喚いていたのだが、俺の声を聞くとピタリと静かになった。そして、ゼンマイの切れた絡繰人形のように数秒ほど動きを止めた後、ゆっくりと立ち上がり「ゴホンッ!」と態とらしく咳払いをすると、再び黒刀の切っ先を俺に向けて、

「お、おのれ、珍妙な技を使いおって! こ、こ、この程度でいい気になったらいかんぜよ!!!」

 この碁に及んで虚勢をはれるそのメンタリティには脱帽せずにはいられない。しかしながら今の俺はみぞおち強打の影響により絶賛苦悶中なので、ぶっちゃけそれどころではなかったので無駄な努力である。


 ………………。


 数秒後、漸く痛みと息苦しさが治まり始めた頃、神崎先輩も幾ばくか平静を取り戻したのだろう。周囲に漂うおかしな空気感の沈黙を破るように、遠慮がちにポツリと俺に訊ねて来た。

「……大丈夫ですか?」と。

 



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狐子淡々 おきつねさん @okitunesan

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