第10話

 一晩経って翌日。

 今日も今日とていつもと変わらぬ至って普通な平日である。いつも通り登校し、いつも通りに授業を受ける。昨日までと変わらぬ学園生活の日常。

 しかして、この日の昼休みはいつもとは違い、いつも通り堅苦しい勉学会から昼食会へと変貌し賑わい始める教室を後にして、帰宅部の俺には縁遠い場所であるはずの部室棟へと向かっていた。

 理由はもちろん、昨日交わした如月との盟約通り、NOK部唯一の部員にして部長である神崎柊万梨先輩を捜す、いや確保する為である。

 当初の予定通り、既に如月が昼休み開始と共に先んじでNOK部の部室に向かっている。俺はそんな彼女より五分ほど遅れて教室を出た次第である。

 にしても、なぜ昼休みなのだ、と思わなくもなかった。胃袋が栄養補給を訴えて鳴いているのに、それを差し置いて何ゆえ緊急性があるわけでもない人捜しをせねばならんのだ、と。だが如月曰く「朝や放課後だと校外に逃げられてしまう恐れがあるから却下」だそうなので、やむ無しだ。

 まあ、俺に与えられた仕事は基本的には【①部室を覗いてその様子を如月に報告する】【②神崎先輩を発見もしくは遭遇した場合は、如月に連絡した後、彼女が駆けつけるまで動向を覗い、場合によっては可能な範囲で時間を稼ぐ】だけである。如月にその場を引き渡せばお役御免なので、余程の下手を打たない限り、教室に戻って弁当を掻っ込むくらいの時間は残っているだろうさ。

 そんな不満を懐きながらも楽観的思考のもとで、俺は窓越しに降り注ぐ春の日差しを浴びながら部室棟へと向かって廊下を歩いていたわけだ。

 NOK部の部室は旧校舎を活用した部室棟の三階にある。事前にそれを如月から聞かされていた俺は、部室棟に着くと迷うことなく階段を上がっていく。

 二階から三階へ上がる踊り場に差し掛かった時、一人の生徒とすれ違った。長い黒髪の女子生徒。それは今や不本意にも見慣れてしまったクラスメイト、先行していた如月だ。

 やはり今回も満足な収穫は得られなかったのだろう。すれ違う際に如月が俺に重苦しい目配せをしてきた。

 俺はそんな如月に苦笑いで応えるにとどめ、そのまま歩みを止めることなく上階へと進んだ。作戦の性質上、俺と如月の関係は悟られるわけにはいかないので、立ち止まって話し込むような事はしないのだ。

 部室棟三階に着いた俺は、各部室の入り口ドアに掲げられている部名の書かれたプレートを物色しながら廊下を歩いていく。周囲に人影は無くフロア全体が静寂に包まれていた。この学校の部室棟は旧校舎という事もあり、各教室が点在する現校舎からは少し離れたところに建っている。そうした事情もあり、些かアクセス面で難ありと言えるため、昼休みにわざわざ部室棟そんな所まで足を運ぶ生徒は少ないのかもしれない。

 何にせよ、事前に如月から凡その場所を教えられていた事もあり、俺は数あるプレート郡の中から難なくNOK部の文字を見つける事が出来た。どこか見覚えがあるような、ないような、女子が好んで使いそうな可愛らしい丸文字でプレートいっぱいに『NOK部』、続けて部の文字の横の僅かな余白部分に小さく平仮名で『うぇるかむ』と書かれていたそれを。

 緊張感を削がれるというか、ノリが軽いというか、オカルトらしからぬふざけたネームプレートを目の当たりにした俺は、思わず悪戯フェイクである可能性を考慮して、他にNOK部の名が貼られた部屋がないかと、三階フロア全体を探しまわってしまった。

 一通り各部屋の部名プレートを確認した結果、NOK部と書かれたものを掲げているのは一部屋しかなく、やはり先程の部屋がNOK部室で間違いないようだった。

 というわけで、再び件のドア前に戻って来た俺は、早急に自分の仕事を済ませる事にした。

 部室棟の各部屋は、使用されていなければドアに鍵が掛かっているはずである。つまりは目の前にある引き戸に手を掛けて、開くことが出来れば中に人が居て、開けなければ無人の可能性が高いというわけだ。とは言え、いきなり扉を開けにかかるのは良識的に拙いと思ったので、取り敢えずはノックをして様子を見ることにする。

 俺は引き戸の真ん中辺りを拳で小突くべく右手をそっと持ち上げた。

 まさにその時である。

 カラカラという乾いた滑車の音ともに、触れてもいない引き戸が自動ドアの如く開いたのだった。

 突然の事で唖然とする俺。

 もっとも真に驚いたのはドアが勝手に開いた事ではなかった。一応、俺はこれでもオカルト関係に理解がある身の上である。その手の心霊現象には一定の耐性があるので、早々驚いたりはしないのだ。だからそれは、そんな俺でも思考が混乱してしまう事態に遭遇した事を意味していた。

 つまりはどういう事かというと、開いたドアのすぐ先に女性が一人立っていたのだ。それは赤みがかった黒髪ショートで柔らかな眼差しの小柄な女子生徒。制服のネクタイに施された刺繍の色から察するに上級生だった。

「ふわぁ!」

 可愛らしくも頓狂な声をあげ、先に沈黙を破ったのは上級生の方だった。

「な、ななな何で?……じゃなくて、何か用ですか?」

 上級生は随分と動揺していらっしゃる様子で、目を泳がせながら辿々しく訊ねて来た。

「えっと、実は二年の神崎柊万梨先輩を捜してまして」

 俺が答えると、上級生は「ふへっ!? わっ、私を!?」とおっかなびっくり言いかけてから突然天啓が舞い降りたかのように「はっ!?」っと瞳を見開いて、

「そ、そそそんな人は知りません!!!」

 上級生の声が廊下に響き渡ったかと思うと、ピシャリと部室のドアが閉じられてしまった。

 突如目の前に現れた上級生の女子生徒は、あっという間に扉に阻まれ姿を消してしまった。

 唐突な出来事で呆気にとられたのも束の間、俺はすぐさま我に返り、つい今しがた閉じられたドアに手を掛けて「いや、ちょっと待ってください」と横に引く。何せ彼女は俺の「神崎先輩を探している」なる言葉に反応して「私を?」と漏らしていた。つまりあの上級生は十中八九、神崎柊万梨先輩本人だと思われるからだ。そして俺は如月に脅され……もとい、如月との約束で神崎先輩を捜してここに来たわけなので、このままこの遭遇を有耶無耶になど出来ない。せめてあの神崎先輩と思われる上級生が本当に神崎先輩かだけでも確かめなければ、流石に俺の立場がないと言うものだ。

 カラカラと乾いた滑車の音を奏で、手をかけ引いたドアは思いの外すんなりと開いた。内側から鍵を掛けられていたらそれまでだったが、どうやら先の神崎先輩らしき上級生にその余裕はなかったとみえる。

「少しだけお話を……」

 そう言いながら俺は開いたドアから部室内を覗き込んだ。

 中は一般教室と同程度の広さで綺麗に整頓されていたが、学校の簡素な学生机と椅子がそれぞれ六つ、部屋の中央に長方形になるよう集めて並べられているだけの殺風景なものだったので、どちらかと言うと無駄がない、或いは質素といった印象の方が強かった。

 そして、それ故に俺はすぐにその違和感に気付いた。簡素過ぎるその違和感に。

 端的に言うと室内には誰もいなかったのだ。つい今しがた、目の前から去って行った人物を含め誰も。ドアが閉まっていたのはほんの数秒、室内と廊下を繋ぐ出入り用ドアは一箇所しかない。その上、部屋の窓は全て閉まっているし、そもそもここは三階だ。いくら何でも窓から飛び降りたとは考えられまい。要するに人が隠れられるような場所もない密室とも言える部室内から、居るはずの神崎先輩と思しき上級生がイリュージョンでもしてみせたかのように、忽然と消えていたわけだ。

 俺は改めて室内を見回した。今度は天井の隅々までも念入りに。しかしながら、やはり人影なんぞは無く、殺風景な室内を再認識するだけであった。俺が見落としていたわけでもないという事だ。

 さて、この不可思議な状況で俺はどうすべきなのだろうか。

 唐突に人が消えたわけだから、由々しき事態である。恐れ戦き一目散にこの場から逃げ出しても構わないだろう。

 しかしながら、それでは抜本的解決にはつながらない。如月のNOK部に対する執着は凄まじい。それは狡猾な罠で俺を捕まえ、協力を迫って来た事からも明らかだ。もしこのまま何の成果も得ずに手ぶらで帰ったとして、俺に平穏な昼休みが戻って来るものだろうか?

 如月は神崎先輩を見つけNOK部に入るために、俺を利用しているわけで、先輩と再び相まみえるという目的を成し遂げる事なくして、俺が解放される可能性は果たして如何程あると言えるのだろうか?

 自由を手に入れる為には神崎先輩をどうにかせん事には始まらないのではなかろうか?

 であれば、曲がりなりにも言葉を交わすまで近づけた直後というこの機会での逃亡は、悪手と言わざるを得まいか?

 それに、悲しいかな、この俺は普通の人間ではない。複雑な生い立ちの身ゆえに普通ではない訓練を受けている俺は、何となく解ってしまうのだ。状況的に神崎先輩が未だ、すぐ近くに潜んでいるであろう事を。

 となれば俺は尚更ここで逃げ出すわけにはいかない。厄介事から早々に解放されるチャンスが目の前に転がっているわけだからな。

 俺は周囲に気を配りながらゆっくりと部室内に足を踏み入れ、そっと出入り口のドアを締めると、念のため内側から鍵をかけるのだった。

 さて、これで一応の密室が完成だ。無論、すべての窓に鍵が掛かっている事を確認したわけではないので、完全なる密室というわけではないが、そこは重要ではない。そもそもこれは神崎先輩を閉じ込めるのが目的ではなく、勝手に出て行かれてしまわない為の措置だからだ。今この部屋と外界の扉は全て閉じられているので、人間が出て行くとなると、どこかしらのドアなり窓を開かなければならない。その一手間さえあれば、俺が余程の下手をこかない限りは、神崎先輩に隙をつかれて知らぬ間にこっそり部屋から逃げ出されてしまう心配がないというわけだ。

 ともあれ、これで準備は整った。後はこの部室内という限られた空間で神崎先輩を見つけるだけである。

 そして俺はズボンの右ポケットに手を突っ込み、普段から肌身離さず持ち歩いている自慢の道具を取り出したのだった――

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