第9話

 かくして神崎柊万梨なる人物捜しに巻き込まれてしまった俺は、如月から詳細を聞かされる事となった。

 対象は神崎柊万梨。性別は女。クラスは二年A組。現NOK部部長にして唯一の部員との事だった。

 対象者のプロフィールを聞いた限り、NOK部なんてふざけた名前の部活に所属している事以外は至って普通といった印象だった。このままオカルトとか関係なく、唯の人捜しという事であってくれたなら有り難いのだが、実際のところはどうなのだろう。望み薄とは思いながらも、可能性はゼロではないので探りを入れてみる。

「で、その神崎先輩とやらを、なぜゆえ捜すなんて話になるんで? その人、神隠しにでも遭ったのか?」

 雷獣コジローを器用に左手で抱えた如月が、穏やかな春風にそよぐ黒髪を右手でそっと耳に掛け、澄ました顔で答えた。

「いいえ。そもそも失踪者を捜す手伝いをしてほしいわけじゃないわ。どちらかと言うと、そうね……逃亡者の捜索になるのかしら」

 逃亡者?

 予期していなかった単語に困惑する。同時にそこはかとなく嫌な予感が脳裏を過り、内心で消沈もした。

 一方、如月は俺の落胆など知る由もなく、そのまま平然と話を続ける。

「実は私、NOK部に入部したくて先日彼女に会いに行ったの。だけど、そこでちょっと一悶着あってね。おかげで入部の話が立ち消えてしまったのよ」

「一悶着?」

 不穏な言葉に不安が増した。

「そうね、貴方にはその辺も話しておかなければいけないかもね」

 そう言うと如月は胸元に抱えたコジローを一瞥してから、

「部室に赴いて彼女にその旨を伝えたのだけれど、即答で断られたのよね」

 俺の脳裏には、つい先程の閃光と共に我が身に降りかかりし衝撃の痛みが鮮明に蘇った。

「えっと……もしかしてだけど……まさか、それで……?」

「仕方ないじゃない」

 如月は不機嫌そうに片眉を釣り上げて、

「だって彼女が『この部は呪われて汚れているから新入部員は募集していません』とか抜かすんですもの」

 聞いた限り、如月を呪いに近づけまいとする神埼先輩なりの心遣いとも取れそうな台詞なのだが、まさかそれで会ったばかりの上級生に雷撃をお見舞いしたのではあるまいな?――なんて苦言の一つも言ってやりたいのは山々であったが、例にもれず身の安全を確保するために口を噤んだのは言うまでもない。それに、新たに発覚した呪い云々の情報の方が個人的には重大であったため、そうした思いは早々に消し飛んでしまったというのもあった。

 NOK部は呪われている。

 一般人であれば非現実的だと一笑に付して終わるのであろうが、俺の立場ではそうもいかない。呪い、それは即ちオカルト案件であり、平穏な生活を送りたい半妖たる俺にとっては真偽のほどが気になる事柄なのだ。

 てなわけで、情報収集の為に静聴していると、眉を顰めた如月が吐き捨てるように言った。

「失礼な話よね。こちらはNOK部が呪われている事なんて承知で入部を申し込んでいるのに」

 どうやら呪われているのは確定のようである。またしても俺の望まぬ方向へと事が進んだので天を仰ぎたくなった。

 ともあれ話はまだ続いた。

「だから私は引き下がらなかったわ。一緒にその呪いをどうにかしましょうって提案してやったの。というか、元よりそのつもりだったもの。それなのに彼女ったら『呪いは素人が考えているほど甘い物じゃない』とか言って聞く耳を持たなかったのよ」

 如月は不意に視線を俺の足元に落とした。

「素人呼ばわりされて少し頭に来たってのもあったけど……これはこちらの力を示さないと埒が明かないと思ったわ。だから少々手荒だけどコジローをけしかける事にしたの。さっき明松君にしたみたいにね」

 おい、やっぱりさっきのはお前がけしかけたんだな。コジロー君の暴走じゃなかったんだな。

 いや、それよりも――。

 問題は神崎先輩がどうなってしまったのかだ。俺は曲がりなりにも耐性があったので、どうにか正気を保てたが、ただちょっと霊感が強いだけ程度の霊能力者があんな雷撃をくらったら、例えコジローが加減を加えていたとしても無事では済むまい。何せ妖という怪異からの直接的攻撃である。例え肉体的には無事であっても、精神的には一生モノのトラウマになり兼ねない衝撃のはずだろうからな。

 果たして先輩は無事なのだろうか? 捜すってのは、よもや先輩の入院先を探すとかいった意味じゃなかろうな?

 顔も知らない上級生の身を案じながら、俺は固唾を呑んで続く言葉を待つ。

「そしたら……」

 重暗くなる如月の声。

 そしたら?

「コジローが返り討ちにされたわ」

 ………………………………………………。

 え、どゆ事?

 予想外の結果を示され、一考の後に思わずそんな声をあげそうになった。

 そんな俺をよそに、如月は険悪な顔つきで唇を噛みしめる。

「あの女、まさかあれ程の力を……」

 その姿を見て俺は漸く、凡そではあるが事態を察する事が出来た。恐らく神崎先輩はかなり手練な霊能力者なのだろう。だから、コジローは返り討ちにあったのだ。

 そこまで推察したところで、俺は思わず額に手を当て頭を垂れてしまう。致し方なかった。それは俺にとって、さらなる状況の悪化を意味する事態に他ならないからだ。何せそれは俺が平穏な学園生活を送るにあたり、注意せねばならん相手が一人増えた事を意味しているのだ。如月一人相手で既に許容リミットを超えそうだというのに、もう一人さらなる強者にも気を使わなければならんとか、明らかにオーバーワークへとまっしぐらではないか。

 せめてそんな人物とは距離を置き関係を疎遠にしたいものなのだが、それはまあ……無理だよな、なんて考えていると、

「まあいいわ。終わった事を嘆いていても始まらないもの」

 まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた如月が、俺を見据えるように視線を向けてきた。

「彼女に敗北した私はその場を引き下がる事にしたわ。でも別に諦めたからじゃないの。態勢を整える必要を感じただけ。所謂、戦略的撤退ってやつね」

 出来ればそこで諦めてほしかった。諦めてくれていれば、俺はこの場に居なくて済んだし、どこぞの妖による感電体験をせずに済んだし、本日の平穏な放課後を奪われずに済んだはずだからな。

 嘆けど現実は変わらない。済まなかったが故、如月の話も終わらず続く。

「翌日、私は再びNOK部の部室を訪ねたわ。勿論、神崎柊万梨を黙らせるためのとっておきの秘策を持ってね。でもここで問題が起きたのよ」

 問題? そりゃ一体どんな問題だ? もしやその秘策とやらも通じず再び敗戦したとかなら、今からでも遅くはないから綺麗さっぱり諦めて、俺を解放して頂けないものだろうか。

 そんな俺のささやかな願いは問題違いでご破産になる。

「神崎柊万梨が部室に居なかったの。いいえ、逃げられたと言った方が正しいわね」

「考え過ぎでは? たまたまタイミングが合わなかっただけだろ」

「それはないわ。だって彼女、登校自体はしていて、しっかり授業にも出ていたんですもの。それに、それから毎日、部室と彼女のクラスに通いつめているけど、なぜかいつも入れ違いのような形で遭遇出来ないの。偶然にしては出来すぎよ」

 毎日って……マジか……。

 如月と神崎先輩、双方の執念に驚嘆を覚えた。

 ともあれ、如月が神崎先輩からもの凄く、少なくとも日々会わないように意識するレベルで避けられているのは確かであろう。如月が先輩を逃亡者と表現したくなるのも解らなくもない。

 そして……うん、何となく俺が巻き込まれるに至った理由が解ってきた気がした。

「まったく……挑発しておきながら逃げ回るなんて身勝手で横暴よね。こんななし崩しのような形で入部を諦めるなんて私には出来ないっての。もうこうなったら意地でもあの女を捕まえてリベンジしてやるしかないじゃない。でもどういうわけか、私の動きはあの女に筒抜けなようで、どんなに捜し回っても一向にその機会は訪れない。だから、この状況を打破するためにはどうしたらよいのかを考えたわけ――」

 如月が一層強い視線をこちらに向けてきた。

「そこで思いついたの。明松君、貴方というイレギュラーな第三者を利用すれば神埼柊万梨を出し抜けるのではないか、と」

 ですよね、と予想と現実の一致を確認する俺。要は、先輩に存在を知られていないであろう俺に訪問でもさせて意表を突き、そこを突破口にしようという腹積もりなのだろう。入学間もない今の時期、新入生が部活見学と称してNOK部室に赴いたとて、不審に思われることもない。如月から逃げまくっている神崎先輩とて、初見の俺であれば逃げずに挨拶くらいは応じてくれるはず。事実、当の揉め事を起こした如月でさえファーストコンタクト時は先輩と言葉を交わせているわけで。であれば、そこで上手く立ち回れば、如月が再び神崎先輩と相まみえるための機会を作り出すくらいは可能であろうからな。

 とは言え、これは自ら霊能力者に近づくという俺にとって不都合極まりない事案。可能な限り神崎先輩との接触は希薄なもので済ませたいものである。然るに牽制の意味も込め、念の為に訊ねておく。

「今さら断ろうとは思わないが、話を聞く限りだと神崎先輩は相当の霊能力がお有りのようだ。の俺ではさして力になれないと思うがそれでもいいのか?」

「ええ、構わないわ。私が貴方を頼るのは、もう一度、神崎柊万梨と対峙するためだもの。それ以上を貴方に求めるつもりはないわ」

 如月が躊躇いなくそう答えたので取り敢えず一安心である。俺は自分の能力を可能な限りひた隠しにして、平穏な学園生活を送りたいのだ。人間を丸焦げにするのもわけないという雷獣コジローを使役する如月と、それを返り討ちにする実力を持つ神崎先輩。この二人の争いに参戦を命じられでもしたら、少なくとも俺は身の安全の確保のために相応の力を使わねばならず、そうなれば当然ながら俺の秘密がバレる確率が上がってしまうというものだ。それが避けられそうなのであれば朗報である。



 こうして如月と神崎先輩のいざこざに強制参加を命じられる事となった俺。幸いにして神崎柊万梨捜索ミッションにおける、如月より与えられし俺の役割は簡単なものだった。

 まずは如月がこれまで通りNOK部の部室を訪ねる。恐らくそこで神崎先輩に出会える事はないであろう如月は、続いてこれまたそれまで通り部室を後にして、出席の有無を確認すべく先輩のクラスである二年A組に向かう。ここで俺の出番だ。俺は如月と入れ違いになるよう時間差でNOK部部室に向かい、神崎先輩在室の有無の確認及び、居なかった場合はそのまま部室にて彼女がやって来るのを待つ。そんなところだった。

 正直なところ些か大雑把で本当にそれで神崎先輩に出会えるものかと疑心を懐きたくなるが、そこは俺の預かり知らぬところなので目を瞑る事にした。

 そんな俺に如月が言う。

「早速、明日から決行よ」

 端麗な小顔に傾き始めた西日が当たり、大きな瞳が宝石のように煌めいていた。そこをまるで気を窺っていたかのように気まぐれな春風が駆け抜けていく。艷やかな長い黒髪が僅かにふわりと舞い上がり、滑るようになびいた。その姿は凛々しき淑女そのもので、何も知らない初見であれば心を奪われていたかも知れないと思った。

 しかしながら現実とは非情である。俺は既に彼女の本性の一端に触れてしまっており、もはや見かけの美に惑わされ夢に溺れることは叶わないのだ。

 故に俺はふと考えてしまった。

 それでも神崎先輩を取り逃がした場合はどうなるのか、と。

 あんな杜撰で奇襲ありきな作戦は、せいぜい通用しても最初の一度だけであろう。二度目以降など有りはしないはず。辿り着けたとして、その後の対処で失敗したらどうなるのだ?

 作戦失敗の暁には、俺の処遇はどうなるのだ?

 如月は今ナチュラルに「明日」と言ったが、『から』とは一体……。もしや神崎先輩を捕まえるという目的を達成するまで、如月は永続的に俺への協力を迫るつもりなのか?

 疑問が不安に変わりそうになったところで、俺は考えるのをやめた。なぜならそれは無駄な事だから。如月の左肩に鎮座しつぶらな瞳をこちらに向ける毛玉がいる限り、俺に選択の余地はない。この状況において、不満を口にして何となるのか。これを無駄と呼ばずして、何を無駄と呼べるというのか。


 然るに俺はふつふつと沸く疑念に背を向け、翌日を迎える事にした。

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