第6話

「ごきげんよう、明松君」

 俺が対象者を認識するのとほぼ同時、そんな言葉をかけられた。

 若い女性の声だった。

 そこには制服姿の女子が一人。

 容姿……うん、悪くない。いや、寧ろ良い。

 状況だけ羅列すれば、それは俺が望んでいた光景そのものと言えただろう。

 だが、そんな本来なら胸中でファンファーレが鳴り響きそうな麗しき状況に於いて、俺は背中にバケツで冷水をぶっかけられたかのような得も言えぬ悪寒に襲われていた。無論ファンファーレのファの字も脳裏に浮かぶ事は無く、代わりに「何……だと……」と驚愕を示す台詞が自然と駆け巡っていた。

 それもその筈だ。何せその女子と言うのが、目下のところ俺の中で最重要危険人物に他ならず、如何なる理由に於いても接触を避けなければならない因縁の相手だったからである。

 つまるところ、そこに居たのは―――如月耶代衣だったのだ。


 先程まで以上に現実を受け入れられない俺は、思わず分かりきった事を口にする。

「何故……そこにいるので?」

「何故って、貴方を呼び出したのは私ですもの、当然でしょ」

 状況を鑑みるに、そう結論付けるのが妥当であるのは重々承知していた。とは言え、それでも一応は憶測に過ぎなかったわけで。如月の無情な返答によりものの見事に確定事項へと変貌を遂げた事実には失望を覚えずにいられなかった。

 だがそれでも!

 現実を直視できない俺は件の手紙を翳して、尚も抵抗を試みるのだった。

「つまりこの手紙はあんたが書いたものという事か?」

「ええ、そうよ」

 如月は眉一つ動かさず平然と肯定した。

 シンプルな返答ゆえに誤解の余地など皆無なのだが、それでも尚、望みを捨てきれない俺は、未練がましく手紙を覗き込みながら、そこに綴られた文章を咀嚼して、有りもしない別解を見出すべく必死に思考を巡らせる。

 そんな俺に、如月は何かを思い出したかのように、ほんの少しだけ瞳を見開くと、

「ああ、ハートとか描いてあったと思うけど、絵文字やスタンプと一緒で深い意味は無いから安心して。単にそういったフランクな所をチラつかせた方が、あなたの興味を惹けると思ったの。だから深い意味は無いわ」

 残酷な真実の表明により、しがみつこうとしていた青春の可能性が綺麗さっぱり雲散霧消してしまった。

 呆然と立ち尽くす俺。その心情を読み取ったのかは分らないが、僅かに鼻で息を漏らした如月が、ほくそ笑むかのように口の両端を少し吊り上げて訊いてきた。

「もしかしてラブレターかと思った?」

 俺は図星をつかれてむせ返りそうになるも、どうにか持ち堪えて即座にそれを否定した。確信犯的に仕組まれたものと解った以上、素直に認める訳にはいかないのだ。……悔しいからな。

 もっとも、そんなちんけな俺のプライドなぞ、如月はお見通しのようだった。彼女は先程よりも明確に鼻を鳴らして笑い、憐憫な眼で言い放ったのだ。

「そう……まあ、いいわ。あなたの羞恥心に免じてそういう事にしておいてあげる」と。

 だから違うって。

 悔しさの余りそう言い返そうとしたが、真顔に戻った如月が間髪入れずに言葉を続けたので、それは叶わなかった。

「そんな事はさて置き、時間を無駄にしたくないし、本題に入りましょうか」

 酷い言い様である。俺のプライドは『そんな事』で『時間な無駄』というわけか? 呼び出したのはお前の方なのだから、瑣末な時間消費をいちいち気にするなよな。

 無論、俺がこれらの愚痴を実際に口に出す事はない。今ここでそれをするのが愚の骨頂であると存知いるからだ。なにせ如月は依然として半妖である俺にとって最重要危険人物のままである。入学式の日にその存在を知って以来、俺は被害を最小限に留めるため、彼女との接触を避けて、関係性を希薄にしてやり過ごそうと決め、そうしてきた。そして実際に接触してしまったからと言って、基本的にこの方針は変わらないし、寧ろ接触してしまったからこそ、これ以上の濃厚接触を避けるために邁進しなければならなかったりする。ここでわざわざ会話を濃密なものにし、印象値や親密度を上げる事は、本来の目的と相反する行為に他ならず、それは如月に俺の正体がバレる危険のある機会を増やす事に繋がるのだ。

「本題って?」

 代わりに俺は素っ気無くそう訊ねる事にした。

 すると如月は真剣な面持ちを俺に向けながら、

「折り入ってに頼みたい事があるの」

「ちょっと待って、今の台詞おかしくない?」

 こちらから訊いておいて話の腰を折るのは大変心苦しいのだが、流石にこれは如月を制止せずにはいられなかった。

 クラスメートとは言え、俺と如月は今の今まで碌に会話も交わした事が無い、他人同然の間柄だったはず。当然、彼女とは身の上話なんてした事も無いし、何よりその特性上、俺の正体に関わりそうな事霊能力関連には情報が漏れぬよう最大限の注意を払ってきた相手である。なのに――、

「なぜ俺の霊能力者設定が確定事項として扱われているんだ?」

「違うの?」

 如月が平然と訊ね返してきたので、

「当たり前だ」と語尾を強めて言い返した。

 だが、如月にはいまいち俺の意図が通じなかったようで、「本当に?」とすぐに疑念に満ちた言葉を返されてしまう。

 しかしながら俺とて今後の学園生活が懸かっている身。当然ながら、ここで引くという選択肢は選べない。更に語気を強めて抗議する。

「あのな、如月。お前が何に陶酔しようが構わないし、文句を言うつもりもない。だがな、巻き込まれるなら話は別だ。俺はお前と違ってノーマルな人間で中二病体質ではないんだよ。そういう人間はお前のような奴の妄想を押し付けられると迷惑するもんだ。わかるだろ? だから冗談でもそういう事を言うのは止めてくれないか」

 我ながら些か心が痛む言い様だ。霊能力者本物と知っている上で、敢えて如月を中二病偽物扱いして蔑んじまったのだからな。だが、それも仕方ない。現実とは時に非情なもので、互いに報われハッピーエンドを迎えられるとは限らない。俺には譲れない事情というものがあり、それが如月と相いれない物だとしたら、例え胸糞が悪かろうが己の為に行動しなければ、身の破滅を招き兼ねないのだからな。割り切るしかないのだ。

 多少良心の呵責に苛まれながらも、そう突き放す俺に、如月は特別変化の見られない済まし顔のまま淡々と答えた。

「OK、明松君。あなたの言い分は解ったわ」

 わりと卑劣な批判をしたとの自覚がある俺は、如月から目を剥いて睨み付けられるくらいは覚悟していたので、なんともあっさりと了承された事に些か拍子抜けしてしまった。

 ともあれ、一安心だ。如月のやつは存外物わかりが良いのかもしれないな――なんて安堵したのも束の間だった。

「要するに、貴方は自分が霊能力者である事を周囲に知られたくないわけね。でも安心して、その辺の心配はいらないわ。だって、そもそも私が貴方と屋上ここで会っているのは、その辺に配慮した結果なのだもの。私が貴方の思うように他人の迷惑を顧みない人間なら、休み時間にでも堂々と声を掛けているわ。わざわざ手紙で人気ひとけの少ない場所に呼び出すなんて面倒ですもの」

 如月が続けざまに加えてそう言ったのだ。

 前言撤回、如月のやつは寧ろ物わかりが大分悪かった。安心なんか無かった。

 こりゃいかんと透かさず俺は反論する。平穏な学園生活を守るために。

「待て、俺は別に霊能力者である事を周囲に知られたくないわけじゃないぞ」

「違うの?」と小首を傾げる如月。

「違う!」

 俺が語気を強めて念押しすると、ひと間おいてニッコリ微笑んだ如月が、

「じゃあ、次からは遠慮なく教室内で声をかけさせてもらうわ」

「いや、そうじゃなくてだな」

 繰り返し否定する俺に、如月は眉根を寄せて憐憫の目を向けた。

「ごめんなさい、あなたが何を言いたいのかよく解らないわ」

「俺は霊能力者じゃないんだよ、前提が間違っているっての!」

 身勝手と知りながら思わず口調が荒くなる。だがそれは俺が一番主張しなければならない点なので致し方ない。

 いやそれよりも、何で如月は端から俺を霊能力者と決めつけているんだ?

 既述した通り、俺は如月の存在に気づいてから今まで、こいつの前では特にボロを出さないように最新の注意を払って来たし、実際に出してはいなかったはずなのだ。なのに何故?

 俺が苦渋の抗議の裏でそんな疑問を懐いていると、如月は徐に右手人差し指をぴんと立て指差しポーズを披露した。指し示したのは俺から向かって右方向。

 虚を突かれ唖然とする俺に、

「明松君、そっち……」

 如月がボソリと飾り気のない声で言った。

 不意に行動を促されたら、思わず従ってしまうものである。俺は反射的に如月の細い指先が示した方に顔を向けた。


 その瞬間――


「だぁはっ!?」

 言葉にならない奇声と共に俺は勢いよくふり向いた先とは逆方向に仰け反ったのだった。

 一体何が起こったのだ?

 唐突過ぎて辛うじて得られたのが、顔面目掛けてが飛び込んで来たという一瞬の残光程度の情報しかなかったので、事態の把握などままならなかった。

「ふがっ、ふががっ!!!」

 唐突に視界を奪われ眼前が闇に覆われた俺は、息を詰まらせながら狼狽した。人間は外部から得られる情報の多くを視覚に頼っている。人間と殆ど変らぬ半妖たる俺もそれは同様で、そのメイン情報を突如遮断されればテンパるのも必至であった。

 それでも、顔面の知覚神経で捉えたしんなり生暖かい感触と首に掛かる荷重の増加から、先程のが覆い被さっているのだという事をどうにか推察出来た俺。如月の事など最早そっちのけで、あたふたとよろめきながらそのに手を伸ばして掴むと、夢中で顔から引き剥がすのだった。

「やっぱり視えているじゃない」

 落ち着く間もなく、俺が再び視界を得るのを見計らったかのように、如月が淡々と言ってきた。

「はぁ? やっぱりってなんだよ?」

 相変わらず根拠も無しに俺を霊能力者と決めつける如月に苛立ちを覚え、抗議の視線をぶつけると、

「だってコジローが見えているでしょ。と言うより掴んでいるし」

 如月は相変わらずの澄まし顔で俺の手元を指差していた。

「コジロー?」

 聞き慣れぬ固有名詞に疑問を懐きながら、またも促されるまま自分の手元に視線を向ける。

「!?」

 思わず言葉を失う程に愕然としてしまった。

 俺の手元にあったそれが、事の成り行きから直前まで我が顔面を覆っていたであるのは明白だ。そして、そうした前提のもと、そのが何であるのか判明するにあたり、その正体が俺にとって最も望まぬものだったのだから仕方がなかった。

 灰色毛むくじゃらの小動物。日頃よく如月の肩口などにしがみついており、最近の俺にとっては見慣れた存在。高校登校初日に如月を要注意人物と断定するに至った直接要因たる小型妖。たった今、我が顔面から引っぺがして掴んでいたものの正体がそれだったのである。

 その事実が何を意味するのかは言わずもがなだ。本来霊能力が無かったのなら視えないはずのものに飛び掛かられ、それに反応してパニくってしまったという既成事実は、俺の霊能力を示す決定的証拠と成り得てしまうのだからな。

 しかも如月と小動物妖が巧みな連係で俺に醜態を曝させたのを見る限り、この経緯は仕組まれたものである。偶然と託けてすっ呆けるなどの苦しい言い訳も使えそうにない。

 暫く沈黙した後、俺は力無い声で、

「……へ、へぇ~……コジローって言うんだ、こいつ……」

 それが精一杯の強がりと共に、俺の敗北を認める返事だったのは言うまでもなかった。

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