104 美少女は問い質す


「トンカツ定食と、サバの味噌煮定食です」


 年季の入った割烹着を着た、いかにもベテランという感じの女性の店員さんが、私たちの座るテーブルに料理を運んできてくれました。


 トンカツの衣は色鮮やかで、見るからに美味しそうです。

 私のサバの味噌煮も、見た目は大人しいのに漂ってくる香りが大変食欲をそそります。


 今日は恋人の楠葉さんと二人で、彼のお気に入りの定食屋さんに来ていました。

 お付き合いする前、一緒に行った天丼屋さんで教えてもらったお店です。


 楠葉さんの言っていた通り店内は静かですが、お店の方々はテキパキと動いていて、とてもいい雰囲気です。


「お箸はそこに入ってますからね。調味料もご自由にどうぞ」


「ありがとうございます」


「はぁい、ごゆっくり」


 店員さんは私と、向かいにいる楠葉さんの顔を交互に見ました。

 それから、なぜだかニヤニヤしながら去って行きます。

 いったい、どうしたと言うのでしょうか。


「理華。はい、お箸」


「あ、ありがとうございます」


 楠葉さんがお箸を一膳、こちらへ渡してくれました。

 普段は愛想が悪くても、やっぱりなんだかんだ優しいんですよね。


 代わりに、私は減っていた彼のコップにお茶を注ぎます。

 ありがとう、とぶっきらぼうに言う彼の声。

 そんな言葉でも嬉しくなってしまうあたり、私もすいぶん、やられているみたいです。


 ……あれ?

 そういえば……。


「楠葉さん、今私のこと、名前で呼びましたか?」


「え、あ、ああ……」


 照れ臭そうに頭を掻く楠葉さん。

 人前ではまだ早い、という結論になったはずでしたが。


「……まあ、ここなら良いかと」


「そ、そうですか。では、私も」


「嫌ならいいんだぞ、無理しなくて」


「嫌ではありません。嬉しいです。ね、廉さん」


「……おう」


 子供のような彼の反応に、思わず頬が緩んでしまいます。


 二人っきりでいる時は、もうそれなりに慣れてきていました。

 ですがやはり、人前となるとまだ少しだけ照れが出てしまいます。


 でも、こうして一つずつ、乗り越えていくのでしょう。

 好きな人と交際するというのはきっと、そういうことなのだと思います


「では、いただきます」


「いただきます」


 手を合わせて、一緒に料理をつつきます。

 サバの味噌煮は濃すぎず薄すぎず、絶妙な味付けでした。

 これは割と料理には自信のある私も、学ぶことが多そうです。

 廉さんは好き嫌いが激しいので、日々しっかり研究しなければなりません。


「美味しいですね」


「だろ。マジで美味い」


「それに、お値段も優しいですし」


「ほとんど混んでないしな」


 廉さんの好きな条件が全て揃っています。

 これでは彼が気にいるのも納得でした。


 “ピロン”


 おや、今のは。


「メッセージの通知ですね。見なくていいんですか」


「あー、うん」


「……そうですか」


 なんだか、彼の表情が少しいつもと違ったような気がします。

 迷っているというか、困っているというか。


 しかしまあ、あまり追求するほどのことでもないのかもしれません。


 “ピロン”


「……」


「……」


 “ピロン”


「……」


「……気になりますね。何かの話し合いですか?」


「う、うーん、いや、話し合いというか、まあ……雑談?」


「雑談? あの廉さんが?」


「こら、どういう意味だよ」


 廉さんは不服そうでしたが、同時に納得している様子でもありました。

 彼のことは彼自身が、誰よりもよくわかっているのでしょう。

 だからこそさっき、あの妙な表情をしていたのだろうと思います。


「珍しいですね。お友達ですか」


「いや、まあ……知り合いというか、一方的に知られてるというか」


「……ふむ。言い方は引っかかりますが、お友達が増えるのはいいことです」


「そうかなぁ」


 廉さんはそう言いながらも、スマートフォンを開いてメッセージを確認していました。

 どうやら、やっぱり気になっているようです。


 それにしても、廉さんに夏目さん以外のお友達ができるなんて、なかなかの進歩です。

 いつの間にか成長していたんですね。


 親心のようなものを感じて、私はホッと一つ息を吐きました。


 ですが、次に廉さんが言った言葉は意外なものでした。


「保健委員の仕事の連絡用にって、連絡先聞かれたんだよ」


「え……委員会、ですか?」


「うん、昨日な」


「……と、いうことは、お相手は女の子……?」


「ああ、まあ、そうだけど」


「そ……そう、ですか」


 自分でも、目に見えて気分が重くなるのがわかってしまいました。

 胸の中がムカムカして、頭の中がよくないもので占められていく感覚。


 私はこの感情を知っています。


 廉さんとお付き合いを始める前。

 放課後の教室で廉さんと千歳ちとせが、二人きりでお話しをしていたことがありました。

 結局、あれは私を遊びに誘うための相談だったことは後からわかりましたが、その時に感じた気持ちと、よく似ているのです。


 けれど、この感情に名前をつけるのは、今の私にはまだできそうにはありませんでした。


「……い、今はなんのお話を?」


「何ってほどのこともないぞ。ホントに雑談だ」


「ざ、雑談でも、何を話してるんですかっ」


「な、なんで怒ってるんだよ……。今はまあ、クラスの誰が誰を好きだとか、そんなくだらない……ああ、でもなぜか今、急に数学の話になったな。苦手なんだと」


「そ、そうですか……」


 けれど、考えてもみれば当たり前なのです。

 学校になんて通っていれば、当然様々な人間関係が生まれるものでしょう。


 廉さんには特別それが少ないというだけで、なにも皆無というわけではない。

 そして人生とはきっと、この先もずっとそういうものです。


 だから今、私がすべきことは、この事実をきちんと受け入れることです。

 この先何度も感じるであろうこの気持ちに、うまく折り合いをつけることなのです。


 それが最善手。

 正しい行動。


 ……きっとそうなのだとは、思うのですが。


「……それで、返事はなんと?」


「えぇ……なんでそんなこと気にするんだよ」


「い、いいじゃないですか! 気になるんですから!」


「いいだろもう。キリがない」


「じ……じゃあもういいです! 知りません!」


 理不尽な私の対応に、楠葉さんは呆れたような、不思議そうな顔をしました。

 そして何より、ほかでもない私自身も、自分の器の小ささにすっかり呆れてしまっていました。


 自分を叱りたい気持ちと、情けない気持ち、それから廉さんへの申し訳なさでいっぱいです。


 ……でも、ちょっとくらい大目に見てくれてもいいんじゃないかって、そうも思うのでした。

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