5話 奇襲
森の中に潜り始めて2時間ほど。
俺はある程度の食料を手に入れつつあった。
「木の実に山菜、果物にキノコか……」
やはり森は食料の宝庫である。
適当な探索で、少なくない量の食料を確保することに成功していた。両手では持ち切れないほどであり、服を捲りながらそこに食料を乗せて運んでいる。
やはり、バックか袋のようなものが欲しかった。
「キノコはやめて欲しいんだけど……」
心配そうな目をしながら、フィアさんが食料をじっと眺める。
彼女の気持ちも分かる。
キノコに毒のある種が多いのは常識だ。
「一応、俺はキノコの知識も持ってますので、毒が無い種を選んでいます」
「そう? それならいいんだけど……」
「でも……」
「でも?」
俺はちゃんと正しい知識に基づいて、安全なキノコを選んで収穫している。
それはいい。
それはいいのだが、俺には一抹の不安があった。
「……ここは俺のいた世界ではないらしいので、あっちでは安全なキノコがこっちでは毒がある、なんてこともあるかもしれません」
「え゛っ……?」
そう、この世界が俺のいた世界とは違うというのが問題だった。
俺の知識が通用しないかもしれない。
生物の形、見た目というのは全て意味がある。
その環境に適した進化、適した機能を得ようとした時、おのずとして決まった見た目、形、色になってくる。そうなりやすい。
気温や気候、土地柄、天敵の有無……そういったものによって生物として求められる機能の方向性は決まってくるし、あらゆる進化には必然性がある。
だからこそ、地球で毒の無いキノコと見た目が全く一緒の物は、こっちでも毒の無い可能性が高い。
しかし、キノコ。
だからって、キノコ。
そんな理屈抜きにして、普通に毒がありましたってなってもなんも不思議ではない。
だから、俺もこのキノコを頼りにしているわけじゃない。
「このキノコは、念の為です」
「念のため?」
「食べるものが何も無くなって、このキノコ食べなきゃ死ぬ……みたいな状況になったら食べようかな、と」
「うげぇ……」
フィアさんが眉を顰める。
気持ちは分かる。
俺だってそんな状況、嫌なのだ。
「……そんなシチュエーションにならないことを祈ってるよ」
「俺も同感です」
俺とフィアさんの気持ちは一つになった。
「ん、そろそろ……見える、かな……?」
「お……?」
フィアさんががさがさと草木を掻き分け前へ進む。
今、彼女が前を歩いて俺を先導していた。
さっき言っていた水場へと案内して貰っている最中なのだ。
とりあえず食料は今ある分で十分として、俺達は先程までいた遺跡へと戻ろうとしていた。その途中で、フィアさんの言っていた水場へ寄ろうと考えていたのだ。
「ん、ほら、あそこ」
「お……」
草むらを掻き分け、フィアさんの後に付いて行くと、そこは崖となっていた。
周囲が一望でき、周りの土地の様子がよく見える。
どうやら森の中を歩いている内に、少し小高い場所に来ていたようだ。
そして彼女の指差す先に湖が見えた。
「ほんとだ、湖だ」
「でしょ?」
俺達……いや、フィアさんは普通の人間ではないかもしれないが、少なくとも俺にとっては重要な生命線の湖が、崖の上から遠めに見えた。
それに、湖と割と近い場所に俺達がさっきまでいた遺跡も見える。
フィアさんの言っていた通り、遺跡と湖は結構近い場所にあるようだった。
「これは運が良い。水場がこんな近くにあるなんて、都合が良いです」
「でしょでしょ?」
フィアさんがにししと笑う。
水場が近い場所にあるのは別に全く彼女の手柄では無いのだが、こんな良い場所を教えて貰えるのはとてもありがたかった。
「いや……運が良い、ってわけでもないのか?」
崖の上から湖を見ながら、少し考える。
俺達が先程までいた遺跡というのは規模が大きく、いくつもの建築物が連なって出来ていた。
多分、大昔はこの場所が多くの人で賑わっていたに違いない。
そう考えると、水が大量に必要だ。
いや、もっと言ってしまえば、大きな湖の近くにこの大きな建築群を作り上げたと推察も出来る。
つまり、遺跡の近くに水場があるのは必然であると言えるかもしれない。
「高さは……10mくらいか?」
崖際に寄り、上から崖下を見下ろす。
高さは10mほど。山のように高い場所にある崖というわけではない。大体、建物3、4階分の高さという感じだ。
だけどこの崖を飛び降りて、直線距離で湖まで行けるわけではない。
回り道をする必要がある。
「道は分かりますか、フィアさん?」
「うん、こっち。ついて来て」
彼女が崖際に沿って歩き出す。
食料は確保した。
水場もそんなに離れていない。
サバイバル一日目は、なんとか順調に進んでいた。
――と、思っていた。
「―――ッ!?」
瞬間、ゾワリと背筋に悪寒が走った。
なにかがやばい。
なにか、危険が迫っている。
俺の直感が、ガンガンと警鐘を鳴らしていた。
一体なんだ、と考えていると、すぐ近くの草むらがガサガサっと揺れた。
「フィアさん、危ないっ!」
「え……?」
大声を出す。
しかし、遅かった。
「シャアアアアァァァァッ……!」
飛び出してきたのは、一匹の大蛇だった。
大蛇がもの凄い勢いで草むらから飛び出し、俺たちの方に突っ込んできたのである。
一瞬のことで上手く把握できなかったが、それは明らかに普通の蛇じゃなかった。
恐ろしい程体が大きいのである。長さおよそ7~8mほど。日常生活では絶対お目に掛かれないような大蛇だ。
それが勢いよく草むらの陰から飛び出てきて、フィアさんに体当たりを喰らわせた。
「うぐっ……!?」
「ヘビ……!? フィアさんっ!」
ここは崖際。
ヘビの体当たりを喰らい、彼女の体は崖の外へと投げ出される。
とっさに手を伸ばすけれど、残念ながら俺の手は彼女の体を掴むことは出来なかった。
「フィアっ!」
「んっ……!」
体当たりの衝撃に顔を歪ませながら、彼女は崖下へと落ちていく。
フィアさんとヘビは共に俺から離れていくのだった。
* * * * *
「あだっ……!」
「シャアアッ……!」
フィアと大蛇が崖下の地面に激突する。
およそ10mほどの高さからの落下であり、フィアは体に大きなダメージを負うものの、魔力の操作によって防御力を高めていたため重傷には至らなかった。
「いたた……」
痛みで痺れる体を擦りながら、フィアはなんとか立ち上がろうとする。
骨は無事。打撲は結構大きいが死ぬほどではないと、彼女は自分でそう判断する。
「ん、ぐ……」
立ち上がらなくてはいけない。
痛みで頭がくらくらするが、地面に寝そべったままではいけない。
彼女は分かっている。自分に危険が迫っていることに。
「シャアアアアァァァァァッ……!」
『イエロースネーク Lv.8
HP 51/68』
共に落ちてきた大蛇が大きな声で鳴いた。
全長は7~8mほど。全身が黄色く、胴回りの直径が50cmほどと、体が分厚いヘビであった。額には不気味に光る宝石のようなものが付いている。
地を這い、体をくねらせ、目の前のフィアをぎょろりとした目玉で睨んでいた。
明らかに彼女を獲物として見ている。
「レベル8……」
フィアが呟く。
それは彼女にとって絶望的な数値だった。
フィアは類稀なる剣の精霊である。しかし、彼女自身に戦闘力は無い。
それこそLv.1の零一郎と何も変わらない。
Lv.8の敵を退ける力など持っていなかった。
「シュルル、シュルルル……」
「…………」
舌を震わす大蛇を目の前に、フィアは考える。
逃げることは出来るだろうか。
いや、ヘビの移動する速度というのは尋常ではない。ヘビは全身が筋肉で出来ているようなものなのだ。
ダッシュで勝てるような相手ではなかった。
じゃあ戦って勝つ? どうやって?
それこそ無理だ。
「…………」
「シューシュー」
フィアの体から汗が垂れる。
この場を凌ぎ切れる術が見つからなかった。
……レーイチローはどうだろう?
自分を助けに来てくれるだろうか?
そこまで考えて、フィアは首を振った。
助けに来るわけがない。
彼はLv.1なのだ。この大蛇と戦おうなんて、自殺行為もいいところである。
彼は危険を冒さない。
慎重な人間であり、なるべくリスクを取ろうとしない。そういう性格が今日一日だけでしっかりと理解できた。
だから、助けに来ない。
そもそも、自分を助けるだけのメリットが彼には無い。
彼は『宝剣』の戦いに全く興味を示していなかったのだ。
……いや、彼だからどうかという話ではなく、普通この状況で自分を助けに来る人などいるはずがない。
こちらとあちらの戦力差は絶望的。自分は間抜けにも崖の下に落ち、敵から逃げられるような状況にない。
「シャアアァァッ……」
「…………」
フィアは考える。
どうする。どうしたらいい?
どうすればこの状況を切り抜けられる……?
いや、自分が助かる方法なんて……?
フィアの額から汗が垂れる。
まるでカエルかのように、ヘビに睨まれて動けなくなっていた。
終わってしまう? こんなにあっさり……?
まだ何も始まってすらいないのに……?
「シャアアアアアアァァァァァァッ……!」
「……っ!」
大蛇が一際大きな声を発する。
彼女はびくりと体を震わした。
来るっ……!
フィアは恐怖でぎゅっと目を閉じた。
――その時だった。
「フィアアアァァァッ……!」
「……え?」
崖の上から、大きな雄たけびを上げながら一人の男が飛び降りてきた。
零一郎である。
威勢良い叫び声と共に、彼はヘビの上へと落下してきたのだった。
フィアは目を丸くした。
「喰らえええええぇぇぇぇぇっ!」
「シャアアアアアアァァァァァァッ……!?」
零一郎は落下の勢いをそのまま攻撃に使った。
手には大きな石を持っており、着地と同時にその大石を蛇の頭に打ち付ける。
ヘビの体を着地のクッションとしながら、高さのエネルギーを攻撃の力に変換していた。
たまらず大蛇は大きな鳴き声を上げる。
その場で体を捩り、くねらせ、暴れ回った。
「ナメんなあああぁぁぁぁっ……!」
しかし、零一郎はその大蛇の体にしがみ付いていた。
両足と片腕でヘビの体に纏わりつき、もう片方の手で何度も何度も石をヘビに打ち付ける。
石の大きさはおよそ15cmほど。10kg近い石でガンガンと大蛇の頭を殴っていた。
「レ、レーイチロー……!?」
驚き固まっていたフィアがやっと声を上げるが、零一郎から返事は無い。
今、彼はヘビとの死闘で忙しかった。
「シャアアァァッ! シャアアアアァァァッ……!」
「ふべっ!?」
しかし、この有利な状況は長くは続かなかった。
ヘビが頭を大きくぶんぶん振り、零一郎は振り落とされてしまった。
彼の体が近くの崖に激突する。
「レーイチローっ……!?」
心配そうな声を上げながら、フィアは彼に駆け寄った。
「あー……、いでで……」
「大丈夫!? レーイチロー!? しっかりして……!?」
よろけながらも、零一郎が立ち上がる。
フィアは彼の体の支えになるように寄り添いながら、彼に回復魔法を掛け始めた。
「レーイチロー、なんでっ……!」
「ヘビは……ヘビはどうなってる……?」
「え?」
頭から血を垂らしながら、零一郎が質問をする。
言いかけていた言葉を止め、フィアは大蛇の方を見た。
「……痛みで体を震わしてる。すぐには襲って来なさそう」
「そうか」
大蛇は痛みでのたうち回っていた。
零一郎の落下際の一撃が大きなダメージとなっていた。
「はっ、最初の一撃で死んでくれよ」
血の混じった唾をぺっと吐きながら、零一郎が自分の足でしっかりと立ち上がる。
目はぎろりとヘビを睨んでいた。
「レーイチロー、なんで……」
「ん?」
「なんで……助けに来たの……?」
零一郎に回復魔法を掛けながら、フィアが質問をする。
彼は助けに来ないと思っていた。
彼と自分に義理はなく、命がけで助け合う利益もない。
だから彼は……いや、この状況で助けに来る人なんて誰もいないと、フィアはそう思っていた。
「あぁ……?」
零一郎は言う。
「今そんなこと言ってる場合じゃないだろう」
「…………」
「普通助けるだろ、普通、誰だって……」
ヘビから視線を逸らさず、零一郎は言う。
フィアは目をぱちくりとさせた。
「ほら、無駄口叩いてないで気合い入れてくれ、フィア。敵がそろそろ向かってくるぞ」
「え……?」
零一郎はフィアの背を軽く叩く。
彼を見上げていた視線を彼女はヘビの方に向けた。
「シャアアァ、シャアアアァァァッ……」
「うっ……」
大蛇の痛みは抜け、こちらをギロリと睨んでいた。
瞳は充血していて、怒りの感情で満ちている。
「さぁ、フィア。取り敢えず、この場から生き残ろう」
「…………」
零一郎の覚悟はとっくに決まっている。
彼は本気でこの大蛇を殺しきるつもりだった。
「レーイチローッ……!」
「ん?」
「私の剣を使って……!」
そう言うと、フィアの体に変化が生じ始めた。
彼女の体が白色の光に包まれていく。
――やがて、彼女は一振りの剣に変化した。
白く美しい剣。
一番最初、台座に刺さっていた剣であった。
「これは……」
『色んな疑問は後回し! 今は私の剣を使って!』
「…………」
『私を信じてっ……!』
零一郎の頭の中に色々な疑問が過ぎる。
フィアと白い剣は別々に存在していたのではないか? それなのにどうして今、彼女の体が白い剣に変身したのか?
「…………」
なんか今、地面に突き刺さっているこの剣を引き抜いたら勇者判定されてしまいそうな気もする。
自分はこの剣の担い手やらになる気はないのである。
これを引き抜いてこの剣の勇者とやらに認められてしまったら詐欺っぽいよなぁ、などと彼は考えていた。
「……まぁ、確かに。迷ってる暇はないな」
しかし、今はだらだら考え事をしている暇はない。今はこの場から生き残ることが最優先だった。
零一郎がフィアの白い剣を地面から引き抜く。
それを構え、切っ先をヘビの方へと向ける。
信じて、と言われたなら信じる他なかった。
「シャアアアァァァ……シャアアアァァァ……」
「…………」
ヘビが大きく息を吐き、零一郎と視線を交錯させ、睨み合う。
サバイバル生活一日目。
生き残りを懸けた戦いは佳境を迎えようとしていた。
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