第4話 潜入/神の生贄

―1―

 モニタールームの位置の目星はついている。

 地下二十階――ガリユがヴァシュタルと対峙している最深部からタラップを駆け上がった。

 機械生物の胎内のような剥き出しの金属壁から、ワンフロアだけエルジオンの平均的なオフィスの内装が施されたエリアに突入した。

 俺はサプレッサー付きの小型銃を構え、記憶したフロア見取り図を頭の中にイメージして進んだ。

 部屋の扉は開いていた。生体認証ゲートの電源がオフになっている。

 ――俺を待っているということか。

 無人のオフィスを探る。スマートディスプレイに四方を囲まれた部屋がいくつか続いている。そこに投影されているのは、今はもう本物を見ることは叶わない、深い海の底の映像だった。かすかにクラシック音楽のピアノの旋律が流れている。

 まるで水族館だ。倫理を踏みにじる仕事の合間に癒されるためにこれを眺めているとでもいうのか。

 さらに歩を進めると、一か所だけ何も映っていない壁面がある。その足元には、次世代科学技術開発振興機構所長の死体があった。


「ようこそ。待っていたよ」

 振り返ると、そこには副司政官ルドガー・ハウエルが立っていた。


「貴様が殺したのか!?」

「いやだな、人聞きの悪い。彼は自殺だよ。少なくともこれから報道されるニュースでは」

 白いディスプレイには放射状に血液の飛沫が付着している。所長の手元には銃が転がっている。

「御託はいい。司政官暗殺事件および次世代科学技術開発振興機構所長殺しの重要参考人として任意同行願う」

「まあまあ、折角だから話をしよう。僕は君の大学の先輩で、しかも職場の先輩でもあるからね。もっとも君はID上在籍したことになっているだけで、キャンパスには行ったこともないのかな」

「貴様もエージェントなのか?」

「ご名答。メンバー情報にアクセスする権限は与えられていなかったのかな?僕はもう何年も前から君のことを知っていたよ。ハッキングの得意なスラムの少年。非常に有望な人材を発掘したって、あの方々は喜んでいたものさ」

 こいつは俺のことをどこまで織り込み済みだったのか。

「これは枢機院の指示か」

「僕の意思だよ。もちろん事前にあの方々の承認は得ている。君も知っていると思うが、あの方々は政治を人間の元に戻せるなら、手段は問わないからね。量子コンピュータで自動的に選ばれ、自分たちの恣意を入れる余地のない行政のトップ――司政官という役職を枢機院のメンバーに出来るのなら願ったりなんだろう」

「だったらあの合成人間は何だ」

「あれはね、偶像だよ」

 何を言っているのか理解が出来なかった。狂人の思想だ。

「そうだ、折角だから一緒に見ようじゃないか。下で戦っている彼らを」

 副司政官がそう言うと自動的にスマートディスプレイ全ての画面が切り替わった。

 画面の中で、ガリユが肩で息をしている。

 間合いの外に、ヴァシュタルが悠然と立っている。

 戦況は膠着状態。魔力が互角の場合、人間の肉体を持っているガリユが不利だ。

 ポートにプログラムを流し込めるだけ近づく間がないようだった――



―2―

「KMSのサン氏が他の時層との交易で入手した古文書が始まりだったんだ。精霊亡き世界で人の身となり生きた最後の精霊ヴァシュタルの物語だ。一万五千年前くらいの本だろうか。もともとこの地は精霊信仰が盛んだったようだね。でも僕たちは地上を捨てたとき、さほど多くの荷物を空へ運べなかった。僕たちには歴史や宗教がない。人は外敵を作ることで自らの不幸から目を逸らし、団結出来ると思うが、宗教を作ればもっと人の思想をコントロール出来るだろう?この社会を運営するにあたって、そういった神秘を作り出してみようということになったんだ。エルジオン建立百年記念式典は、プレスリリースみたいなものさ。未知なる神秘のお披露目会だ」

「なぜそんなに人をコントロールしようとするんだ!?信仰は自然発生的なものだろう!」

「そうかな。僕には君の考えが理想主義的に思えるけどね。人類っていうのは、君のような優秀な人間ばかりじゃない。愚かな選択しかできない者もいる。社会全体の幸福を最大化していけるよう、お手伝いをしているだけさ」

「社会全体の幸福だと!?他人を平気で踏みにじるような奴らが幸福を語るな!」

「そう、社会全体の幸福を考えたとき、個人の幸福など些細なものだ。もしかすると僕個人の幸せさえ、ね。司政官も、所長も、そして君や君のお友達もエルジオンの未来の礎になることをもっと光栄に思ってほしいな」

 話は平行線だった。説得できるような相手じゃない。

 ヴァシュタルを停止させ、丸腰にして連行するしかない。

 俺は副司政官から照準を外さず、横目でモニタの中のガリユの様子を見た。

「こうしている間にもヴァシュタルは学習しているんだよ。君が連れて来てくれたお友達のおかげで、ヴァシュタルの性能は飛躍的に上がる。新たな時代のエルジオンの偶像――神の生贄になるんだよ」


「クソッタレがぁああぁぁああああ!!」

 スピーカーからガリユの叫びが聞こえる。

 ガリユが機関銃のごとく炎を射出する。ヴァシュタルは跳んで躱し、ガリユを迎撃する。

 着弾した白い炎をガリユは躱すが、すかさず間合いを詰めたヴァシュタルが頭に蹴りたたき込む。

 ガリユは腕で防ぐ。そのままつかんだ脚に対してゼロ距離で炎を炸裂させる。ヴァシュタルの人工筋肉は爛れ、骨格の金属が剥き出しになる。

「これで終わりだ!」

 バランスを崩したヴァシュタルに更なる炎を叩き込み、ヴァシュタルはうつ伏せに地面に叩き付けられる。

 ガリユはデバイスをヴァシュタルの首のポートに差し込んだ。

 ヴァシュタルの出力を制御するパラメータが上書きされてゆく。これで、ヴァシュタルの機能は停止する――はずだった。

 刹那、閃光が爆ぜた。

「なん……だと……」

 ガリユの方もエレメンタルを消耗し、防御が十分にできない。シールドを張る指先が炭化する。


「さて、万策尽きたかな。プロジェクトのエンジニアは優秀だ。君の作ったマルウェアでも停止しないみたいだね」

 副司政官がそう口を開いた次の瞬間、ヴァシュタルを巨大な火柱が包む。

 天を衝くような紅蓮の炎。

 炎に包まれたヴァシュタルの髪、表皮、筋肉が焼け爛れて骨格が剥き出しになってゆく。

「おい、そこの高みの見物野郎。聞こえているか。オレ様は神を喰らった男だ。貴様の作ったガラクタなんぞが神を騙るのもおこがましい!今から本物の神世の炎で貴様も灰燼にしてくれる!」

 モニタの中でガリユがこちらを見つめている。

「だ、そうだ。残念ながら万策尽きたのは貴様のほうだな。重要参考人ではなく、殺人容疑現行犯で逮捕する」

「そっか。殺されたら困るからここは一旦おとなしく逮捕されておくよ」

 そう言い終える前に、副司政官の顔はみるみる蒼白になってゆく。

「ぐっ!!がっ……ナノマシン……!?なぜ……」

 口から泡を吹きだし、胸をかきむしる。

「どうした!?」

 白目を剥いた副司政官はもう応えない。


 そのとき、俺の端末の音声着信音が鳴った。

 外部と通信可能な電波帯は遮断されているというのに。


「今回もお見事でした。エージェント・セティー」

「あなたは……」

 枢機院の暗号通信だった。

「鋭い洞察力、分析力……賞賛に値します。この件の後処理はこちらでしましょう」

「後処理って……こいつのことか!?」

「副司政官ルドガー・ハウエルは公務中、心臓発作で死亡しました。用件は以上です。次の活躍も期待していますよ」

「おい……!」

 通信が途絶えた。



―3―

 司政官の意識が回復したという知らせを受けた。

 本日零時をもって副司政官は解任され、エルジオン行政の主導者の座は司政官の手に戻った。一部義体化は免れないほどの重症を負ったものの、脳機能に異常は見られないようだった。

 俺はできるだけ簡潔に、事件の顛末を報告した。

「よくご無事で……とは言えませんが、命があってよかった……!出来るだけご負担のないようにご報告事項はボイスメールで差し上げるようにします。今はお体が癒えるまでごゆっくりお休みください」

 我ながら白々しい。司政官が無事だったことは素直に喜ばしいが、俺は司政官を監視対象としているエージェントだ。今日からまた、彼を監視対象としながらCOA捜査官として仕える日々に戻るのだ。


 司政官暗殺未遂事件の被疑者ルドガー・ハウエルは病死した。心臓発作とされた。プロジェクトに関わったKMS社の責任は追及されなかった。ルドガー・ハウエルおよび、次世代科学技術開発振興機構所長の私的な暴走として処理されたからだ。

 事件のニュースは芸能人の離婚よりも小さく扱われた。

 枢機院が社会的な利益を追求した結果、落としどころをそうしたからだろう。

 彼らは究極の功利主義だ。人間による統治をより推進出来れば、その担い手は誰であってもいい。失敗すれば列をなす別の駒に機会を与えるだけのこと。とかげの尻尾のように簡単に切り捨てられるのだ。かつて切り捨てられた父のように。

 反旗を翻すには、今はまだ力が足りない。

 だが俺はあきらめない。特権なく等しく裁かれる世界を。誰もが平等に機会を与えられる自由な世界の実現を。


 エアポートから次元戦艦に乗り込み、空を眺めようと甲板に出る。先客が立っていた。強い風で赤い髪がはためいている。

「ケガはもういいのか」

 ガリユが振り返る。

「当然だ。オレ様は」

「最強だからか?」

 言おうとした言葉を先に言われ、ガリユがむっとした表情を浮かべる。

 俺は笑った。

 COAでもエージェントでもなく、ただの俺でいられるひとときがはじまる。

「お前には借りを作ってしまったな」

「借りを作ったと思うのなら、貴様もオレ様に協力しろ」

「協力?」

「この時代にも手応えのある奴はいそうだと思ってな。貴様はそれを案内しろ!」

 次元戦艦はエルジオン上空から遠い時代へと加速してゆく。

 空に浮かぶ鋼鉄の都市エルジオンは、遠く離れ、小さな箱庭のように見えた。

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正義の炎は燃やせない【アナデン×カクヨム】 カミムラ @kamimura_k

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