第54話 目撃者(4)

 背後で身を屈ませていたアベルに視線を送ると、カウルは勢いよく足を踏み出した。

 走りながら大声で叫ぶ。

「こっちだ!」

 岩壁の前に集まっていた白面たちが、カウルの気配を感じ一斉に振り返る。それを見てカウルはすかさず左手の洞窟へ滑り込んだ。

 ほとんど入口から離れていない位置で体の向きを反転させ、剣を構える。

 白面たちは我先にと洞窟の中へ入ろうとしたものの、互いの翼が互いの邪魔をして弾き合った。予想通り狭い洞窟の中では横並びに動くことは出来ないようだ。剣を振って威嚇すると最後尾の白面が押しやられ、洞窟の外へと飛び出した。

 アベルがカウルを見捨て岩壁の隙間の下にいる生存者を救出しようとしても、この位置であれば洞窟の外にいる白面が必ずその物音に気が付く。彼が生存者に接触するためには外に溢れた白面を排除するしかない。作戦が無視されたとしても、少なくとも自分が白面を倒しきるまでの時間稼ぎにはなるはずだった。

 先頭の白面が両足から伸びた爪を掲げ目の前に迫る。カウルはすかさず剣で応戦しようとして、途中で手の力を抜いた。

 白面は振り上げた爪を下ろす素振りを見せたものの、翼の力を使い直前で体を停止させた。そしてわずかな時間差で再び爪を振り下ろす。

 カウルは身を屈ませながら剣で爪を逸らし、刃を上へ切り上げた。この狭い洞窟内にも関わらず、白面はあっさりと上へ飛びそれをかわす。

 あのまま先に剣を振りぬいていれば、剣は間違いなく空を斬り白面の爪を顔に受けていた。事前にアベルの助言を聞いていなければ一撃をもらっていたかもしれない。

 白面はさらに高く飛ぼうとして頭部を洞窟の天井に擦りつけ、不快そうにその位置を落とした。

 この制空能力。洞窟内でなければ相当に厄介なものだったはずだ。カウルは自分の判断が正しかったことを確信し、再度剣を構え直した。

 体の動きや剣先の揺れで相手の挙動を誘発し、隙を探す。白面が右に身をひるがえそうとした瞬間を狙い、横なぎに剣を振り払った。

 速さで言えば刺突の方が優れているが、この状況であれば広く場を取る斬撃の方がかわしにくい。白面の背後には二体目の白面がつっかえるように陣取っており、こちらの攻撃を後方へ飛び退いて避けることは出来ない。カウルは当たると確信したが、しかしそれは間一髪のところで避けられてしまった。白面は器用に体をひねり、カウルの剣に沿って横回転するように全身を動かしたのだ。空を斬ったカウルの剣は壁に当たり手に鈍い衝撃が走った。

 隙は完全についていたはずなのに、まさかこんな避け方をされるとは――。

 前に出ようとする二体目の白面に押され、体勢を崩す先頭の白面。カウルはすかさず剣を振るも、再度急旋回によってかわされる。

 ――普通に攻撃していては当たらない。動きが止まる瞬間を予想して先に攻撃するんだ。

 カウルは振り下ろした剣を高速で切り返し、旋回後の白面の隙をついた。刃は白面の翼を見事に捉え、皮膜の一部が大きく裂ける。白面の高度がわずかに落ち、体勢が崩れた。

 ここを逃してはならない。カウルは即座に追撃を試みたものの、白面は刃をかわし、耳障りな雄たけびを上げた。あの程度の傷ではまだ機動力を削ぐには足りないらしい。

 きっとベルギットなら今の一撃で決着がついていただろう。己の未熟さに苛立ちながら身を屈ませる。

 白面の爪がぎりぎりのところで頭の上を横切った。カウルはすぐに反撃を繰り出そうとしたが、その隙を縫うように二体目の白面の爪が隙間から飛び込んできた。間一髪で刃を当て逸らすことには成功したものの、続けざまに一体目の白面の爪が襲来する。カウルが焦りをつのらせたところで、視界の端にアベルの姿が映った。

 彼は洞窟の外に飛び出していた白面を目掛け、妙にゆっくりとした動きで剣を振り下ろした。こちらの斬撃をあれほどかわした白面だ。カウルはその一撃が当たることは無いと思ったのだが、何故か次の瞬間、刃はするすると白面の翼に侵入し、縦に大きく切り裂いた。

 アベルの存在に気が付いた最後尾の白面は、すぐに振り返り反撃をしようとしたものの、翼の支えを失ったせいで大きく体を傾ける。その隙にアベルは右腕で白面の体を掴み動きを封じると、もう一方の翼も裂き白面を地面に押し倒した。アベルは白面の背中を足で踏みつけたまま躊躇いなく自身の剣をその心臓に突き刺す。

 ベルギットのように剣技が極地に到達しているわけではない。あれはただ純粋に、白面の動きと特性を知り尽くしているといった動きだ。

 一体目と二体目はまだカウル目掛け攻撃を続けている。当初の作戦通り、アベルは二体目の白面も一体目と同様にすぐに無力化し、その心臓を穿った。

 残る白面は目の前の一体のみ。アベルが二体目を仕留めている間に、カウルは先ほどと同じ要領で一撃目を前に振りかけ、白面がそれに反応し動きを止めた瞬間を狙って斬りつけた。今度は見事に白面の翼に当たり、体勢を崩すことに成功する。回避能力を失った白面はもはやただの的でしかない。切り返しざまに首を裂くと、あっさりと地面に落ち動かなくなった。

 深く息を吸い込み呼吸を整える。剣についた黒い血を振り払ったところで、アベルが満足げな表情でこちらに近づいてきた。

「見事な動きだった。まだ若いのに大したものだな。対禍獣戦闘は不意打ちが基本だが、初見の相手を正面から無傷で斬り伏せるとは。一体どこで戦い方を習ったんだ?」

「とある退魔師に何年か従事していたんだ。名前は……あんたに言ったところでわからないさ」

 魔剣のことがあり、ベルギットという名前はあまり出したくはない。カウルは濁すように話を変えた。

「さっきの動き。なんであんなに遅い攻撃が白面に命中したんだ?」

「彼らは視力が無い代わりに、世界のほとんどを音と風の触感で認知している。そしてその感覚器官は前面部の首の周りに集中しているんだ。だから背後から速度を落として剣を触れれば、風の動きや音を殺して攻撃を当てることが出来る」

 背後からの攻撃限定の弱点か。それなら確かにあの状況では事前に話を聞いていたところで意味は無かっただろう。自分が囮を申し出なければどう戦う気だったのか、気にはなるが――……。

 カウルは剣を鞘に仕舞いつつ、洞窟の外に目を向けた。

 他に禍獣の姿は見られない。今なら生存者を助け出すことが可能なはずだ。

「……行こう生存者の状態が心配だ」

「ああそうだな」

 淡々とした声でアベルは答えた。



 岩壁の亀裂を覗き込むと、ぐったりとしている男の姿が見えた。少し小太りの中年男で、日焼けのせいか肌が小麦色に染まっていた。

 上下している腹部を見るにまだ息はあるようだ。カウルとアベルの姿を見て、怯えるようなほっとしたような複雑な表情を浮かべる。

 逃げた生存者は二人いたはずだが他に人の姿は見えない。どこかではぐれてしまったのだろうか。カウルは男の様子を眺めつつ、声をかけた。

「大丈夫ですか。ルシードから貴方たちを救助に来ました」

 どこの馬の骨かもわからない人間より、ルシードという馴染みのある単語を出した方が彼も安心するだろう。カウルが問いかけると、色黒の男がかすれた声で答えた。

「ルシードから……? た、退魔師か。もう駄目かと思っていた」

「生きていてよかった。早くここを出ましょう」

 岩の隙間に手を伸ばし、安心させるように笑みを作る。すると色黒の男は恐る恐るといった感じで手を掴んだ。

 岩の隙間から外に出ると、色黒の男がふらふらと倒れそうになった。緊張が解けたことで、全身の力が抜けてしまったらしい。

 カウルは笛でティアゴをこちらに呼び、色黒の男をその背へと乗せた。

 様子を眺めながらアベルが男に問いかける。

「君の名前は? 意識ははっきりしているか」

「あ、ああ。大丈夫だ。俺はトンバロ。助けてくれてありがとうよ」

 運がいいことにこの男がトンバロだったようだ。何とか日が沈む見つけることが出来たらしい。カウルは小さく安堵のため息を漏らした。

「生存者はあなただけですか? 他に馬車から逃げた人は?」

 目的は達成したが、他に救える人間がいるのであれば助けたい。カウルはアベルの様子を横目でうかがいつつ、そう聞いた。

「もう一人……馬車の御者が居たが、最後に目にした時、あいつは禍獣に殺されかけていた。馬車を襲った化物だ。あの様子じゃ恐らくもう生きてはいねえと思う」

 何かを思い出すように顔を青くするトンバロ。嘘を言っているようには思えない。時間的な余裕も考え、カウルはこれ以上の探索は不可能だと判断した。

 アベルに視線を向け、

「ルシードへ戻ろう。いいか」

「ああ。問題ない」

 すぐに回答が返ってくる。先ほどから感じてたことだが、やけに素直な態度だ。どうにも彼はカウルの判断や対応を試しているようなふしがあった。

 


 トンバロを乗せたティアゴの手綱を引き、来た道を戻る。

 空はほんのりと赤く染まり視界も暗くなってきたが、ティアゴから降りて徒歩で移動することで、どうにか自分たちの足跡を見失わずに済むことが出来ていた。この調子で進めば、完全に日が沈む前には大峡谷の外へ出ることが叶いそうだ。

 トンバロを見上げると、憔悴したように項垂れている。二日間とは言え、極限の緊張状態の中で飲まず食わずでいたのだ。その疲労はきっとかなりのものだろう。

「見覚えのある道に出たな。そろそろあの横転した馬車がある位置じゃないか」

 左右の崖の様子を確認しつつ、アベルが言った。

「よく覚えていられるな。こんな同じような景色」

「昔から記憶力は良くてね。唯一の特技とも言える」

 どこか自虐的にアベルは返した。

 カウルはちらりとアベルの様子を伺い、

「あんたは、退魔師としては長いのか」

「ああ。それなりには」

「トンバロには何の用なんだ?」

「彼が目にしたという死門停止事件の一部始終に興味があってな。是非直接話を聞きたかった」

「聞いてどうする気なんだ」

「ただの個人的な興味だ。君に言うようなことじゃない」

 前を向いたまま強引に話を終わらせるアベル。それ以上聞いたところで、とても答えてくれそうにはない。

 トンバロに害を与えられる隙はいくつもあった。それをせずにこうしてカウルと一緒にルシードへ向かっているということは、本当にただ単に彼に話を聞きたいだけのようだ。目的はわからないが、これ以上深く踏み込む必要もないだろう。言いたくない話があるのはこちらも同じなのだから。

 軽く息を吐く。

 目的は達成した。生きているかは賭けだったが、何とかこうしてトンバロを発見し救うことが出来た。彼の噂を聞きベルギットの最期を見送ってから休まず一直線に旅を続けてきたが、ようやく死門停止事件の話を聞くことが出来る。不安と同時にここまで来たという達成感が沸く。ほんの少しの安堵。ほんの少しの油断。しかしそれが、常に警戒を解かなかったカウルの気をわずかに緩ませてしまった。

 十字路のように交差した場所を横切った瞬間、カウルの視界にあるものが映った。大きな黒い影。カウルは反射的に身構え左側へ体の向きを変えようとしたが、遅かった。

 激しい衝撃と痛み。気が付いた時、カウルは岩壁に叩きつけられていた。揺れる景色の中で吹き飛ばされたティアゴと落下したトンバロの姿が見える。何とか反応しようとするも、体が意識に追いつかず上手く動かない。

 まずいと思ったところで、目の前に立つそれと目が合った。

 ――巨大な老人。

 いや腕の長い猿と表現した方が適切かもしれない。四つん這いで歩行してはいるが、まともに立てば高さ三メートルは優に超える大きさだろう。茶色の全身からはウツボのような穴のある突起が突き出し、顔の周りには鬣(たてがみ)のように無数の血管が逆立って浮遊している。その顔はミイラのように虚ろで精気が無く、白濁した二つの眼球がせわしなく上下左右に揺れ動いていた。

 数年間の退魔師としての勘がカウルに警鐘を鳴らしていた。あれは明らかに普通の禍獣ではない。今すぐ逃げるべきだと、全身が総毛立つ。

 ――剣を……!

 叩きつけられた衝撃のせいで全身がしびれ、上手く立ち上がることが出来ない。辛うじて腰から剣を引き抜く。ここまでの恐怖を感じるのは久しぶりのことだった。

 “老人”はカウルを眺めると、身震いするような動きを見せた。わずかな間が開いた後に、彼の全身のウツボのような穴からゆっくりと血管が空中へ飛び出していく。さながらそれは急速に伸びる枝のようであり、次第に血管の先に空気を口に含んだ時のようなふくらみがいくつも“老人”の本体から移動していった。

考えるまでも無くわかる。あれはまずい。何かはわからないが、絶対にろくなことでは無い。

 奥歯を噛みしめながら必死に立ち上がる。少しでも“老人”から距離を取ろうと背後の岩壁に手を当てた瞬間、まるで爆発するように“老人”の体から広がった血管の先端が弾けた。

 溢れ出る赤黒い煙。それは一瞬にしてカウルの眼前を覆いつくした。





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