第53話 目撃者(3)

 砂利の上に横たわっている禍獣に目を向ける。

 左右の翼は大きく切り裂かれ、その心臓には深々と無骨な剣が突き刺さっていた。あれほどの高所から落下したのだ。恐らく骨や内臓もめちゃくちゃに崩れているに違いあるまい。 

 岩場から突き出た木。カウルはそこにぶら下がっている男を見上げた。この禍獣にやられたのか服はところどころ切り裂かれていたが、不思議なことに傷はどこにも見当たらなかった。小汚い身なりを見るに正規の兵士や騎士ではなさそうだ。しかしかといって普通の農民にしてはあまりに落ち着き過ぎている。

「退魔師か」

 こんな人通りの少ない場所を野盗が縄張りにしているとは思えない。男の表情に注意を向けつつ、カウルは質問した。

「一応、そういうことになるな。君は……同業者か?」

 こちらの装備を見て聞き返す金髪の男。カウルは剣の柄を握りしめたまま答えた。

「ああ。そうだ」

 男はひっくり返ってつるに絡まったまま、観察するようにこちらを見つめた。カウルが一人でこんな場所をうろついている理由について探っているのだろうか。

 男の格好は退魔師としてはあまりに貧相だ。鎧は一切着込んではいないし、荷物も見当たらない。まるで貴族の屋敷から脱走してきた直後の奴隷のようですらあった。

「とりあえずここから下ろしてくれないか。頭に血が上って顔がほてっている」

 平然とした表情で助けを求める男。

 得体の知れない人物だったが、まだ何もしていない相手に敵意をぶつける必要はない。もし野盗だったとしてもその時は斬り伏せればいいだけだ。カウルは右手に持っていた剣で素早くつるを切断した。

 絡んでいたつるがほどけ金髪の男は頭から地面に落ちた。かなり痛そうに見えたが、彼は何事も無かったかのように立ち上がり、体に付いた砂を手で払った。

「助かった。感謝する。君の名前は?」

「カウルだ。あんたは?」

「アベルと呼んでくれ」

 男は淡々と答えた。

 カウルは剣を鞘に仕舞い、

「ルシードからこちらに向かった馬車が禍獣に襲われたという話を聞いて来た。あんたはその生き残りか?」

 あのスキンヘッドの男の話では、逃げ帰ってきた退魔師はたった一人。馬車の護衛をしていた退魔師が他に生き残っていてもおかしくはないはずだ。先に相手に情報を渡すことは出来れば避けたかったが、何ぶん時間も無い。男の信頼を勝ち取るために、あえて正直に目的を打ち明けた。

「馬車の救助に来たのか。それは奇遇だな。俺も同じ目的でここに来た」

「あんたも?」

「馬車の乗客の一人に用があってな。トンバロという男なんだが」

 トンバロの仲間は救助依頼を出しては居ない。つまりこの男は自分と同じように個人的な用事でここに来たということだ。カウルはいぶかしむように男を見返した。

 男は禍獣の心臓に突き刺さっていた剣を引き抜きと、折れていないことを確認し自分の鞘へとしまった。

 カウルは男の動きに注意しつつ質問した。

「……あんたはいつからここに? 馬は無いのか」

「来たのはほんの半刻ほど前だ。残念だが馬は白面に襲われたときに逃げられてしまった」

「白面?」

「この禍獣の名前だ。目が無く真っ白な頭部をしているからそう呼ばれている。死門系列の禍獣で谷や崖の間によく発生するんだ」

 新種では無く峡谷独自の禍獣ということか。確かにそういった場所での依頼は中央部ではほとんど受けてこなかったが。

 カウルが白面の死体を観察していると、何かを考えるようにアベルがこちらを見つめた。

「……カウルと言ったな。見たところまだ大峡谷へ足を踏み入れたばかりのように見えるが、生存者について何か手がかりは得ているのか。出来れば情報交換をしたい」

「あいにくと俺はここで馬車が襲われたって話を聞いただけだ。情報らしい情報なんて何もない」

「そうか。それは残念だ」

 肩を落として見せたカウルに対し、大して残念がる様子もなくそう答えるアベル。自信なのかそれとも元々期待していなかったからか、その反応は淡々としていた。

 何とも怪しい男だ。わざわざ馬車が襲撃を受けたこんな場所を訪れるくらいだ。トンバロに害意があるというわけでは無いのだろうが、少々不審な点が多すぎる。出来ればもう少し探りを入れたかったが、あまりこの男に構って時間を潰すのも宜しくは無い。幸いにもこの男に馬は無い。別れれば、自分に追いつくことはきっと無いだろう。本当にトンバロに話が聞きたいだけであれば、別に街の中でも問題はないはずだ。トンバロの回収後にことづけでも残しておけば、彼の姿を求めて探し続けることもあるまい。

 崖の上に連なっているつららのような突起から水滴が滴る。それを眺めつつ、カウルはティアゴの腹に足を当てた。

「じゃあ俺はもう行くよ。少々急いでいるんだ。もし生存者を見つけたらルシード街へ送っていく。見つからなかったら街まで来てくれ」

 背後に気をつけて遠回りに旋回しながら向きを変える。そのまま立ち去ろうとしたところで、アベルが再度こちらに声をかけた。

「待った。お互い馬車の生存者を探しているんだろう。目的は同じようだし、ここはひとつ協力しないか? 死門が近いからか白面の多さに手間取っていたんだ」

「悪いけど、俺は一人の方がやりやすい。あんたは馬も無いし、一緒に行動したら効率が落ちる」

「大峡谷はかなり広いぞ。もし俺が先に生存者を発見してここを出れば、君はその事実に気が付かずに何日も無意味に生存者の姿を探し続けることになる。お互いそんな羽目にはなりたくないだろう」

 アベルは自分が落ちてきた崖の上を見上げながら、

「さっき白面に空中に持ち上げられた時、倒れた馬車らしき姿が見えたんだ。俺がいればそこまで案内することが出来る。闇雲に探すよりそちらのほうが効率的じゃないか?」

 その言葉を聞き、カウルはティアゴの足を止めた。

 やけに行動を共にしたがっている。一人で白面を倒していたんだ。戦力が欲しいわけでは無いだろう。目的は馬の奪取だろうか。それとも自分と同じようにこちらを怪しんでいる? 

 疑問点はいくつかある。だがもし本当に馬車の位置がわかるのなら、それは無視できない情報だ。

 しばし悩んだ末、カウルはその釣り針へ手を乗せることにした。

「どこら辺で見えたんだ? ここから遠いのか」

「離れてはいないが、時間はかかるだろう。大峡谷は道がかなり入り組んでいるからな」

 どうやらまともに答える気はないらしい。カウルはため息をして、

「……わかった。協力するのは構わない。ただ妙な真似はしないでくれ。あまり他人と行動を共にするのには慣れていないんだ」

「勿論だ。ただ誤解を招かないように言っておくが、俺は普通にしているつもりでも挙動が怪しいとよく言われる」

 表情を変えずそんな台詞を吐くアベル。冗談なのかそれとも大真面目に言っているのか。カウルには判断がつかなかった。

 


 大峡谷の崖は橋状になっている場所が多く、その下には必ずと言っていいほど吹き抜けとなった空間が広がっていた。

 頭上に伸びる岩場からは鍾乳石がいくつも飛び出し、つららのようにぶら下がっている。こうして歩いていると、まるで頭上が割れた巨大な洞窟の中を進んでいるような気分だった。

「カウル。あれを」

 ティアゴの前を歩いていたアベルが何かを見つけたようだ。カウルがそちらを向くと、道の先に横たわっている馬車の姿が見えた。

 ――トンバロの馬車か?

 どうやら嘘は言っていなかったらしい。真横まで近づいたところで、カウルはティアゴの上から飛び降りた。

 禍獣の気配に気を付けながら馬車の状態を確認する。

 中央部の折れた骨組みに縦に走った深い亀裂。折れ曲がり外れかけている扉を見るに、かなり強い衝撃を受け横転させられたようだ。周囲には倒れている死体がいくつかあり、馬車の前側には肉を裂かれ死んでいる二頭の馬の姿があった。

 アベルは死体の一つに近づくと、口が付きそうなくらい顔を近づけた。

「腐敗状態と呪いの蓄積具合を見るに、ごく最近出来た死体だ。これが目的の馬車で間違いないだろう」

 たかっている虫を手で払いながら何の感情も無く呟く。人の死体はかなり見慣れているような様子だった。

 カウルは馬車の中を覗き込んでみたが、中は当然空っぽだ。座席数を確認したところ、最大六人は収容出来そうに見えた。

 外に向かって声を出し、

「死体はいくつある?」

「男が四人と女が二人。男の一人は鎖帷子を着ているから、恐らく護衛の退魔師だろう。近くにもう一体馬の死体があった」

 素早くアベルが答えた。

 ルシードで見た光景を思い返す。あれだけ長蛇の列で並んでいたのだ。馬車に空きを作って移送するとは考えにくい。馬車の中が満員の六人だと考えれば、騎手が一人、護衛の退魔師が一人として最低八人の人間がいたはずだ。死体が六名ということは、恐らく二人の人間がこの場からの逃走には成功しているということになる。

「トンバロの顔はわかるか」

 カウルは馬車の外に出てアベルに問いかけた。

「いや。残念だが」

 となると、生き延びた生存者を見つけて確認するしかない。生存者の中にトンバロが居れば御の字だが、もし居なければそれはトンバロは既に死んでいるということになる。

 幸いなことに地面は完全な岩場ではなく泥で覆われている。あえて消したりしない限り、必ず足跡が残っているはずだ。

 二人して周囲を探していると、生存者らしき足跡の他に一つ妙な痕跡を発見した。五本の長い指にかかとのようなへこみ。形状から考えれば人間のようではあるが、大きさが明らかにおかしかった。少なく見積もっても人の三倍はありそうな足跡だ。

「白面のものではないな。どう考えても大きすぎる。恐らく馬車を破壊した直接的な原因はこいつだろう。偶発的に誕生した特殊個体かもしれない」

 くまのある目を大きく見開き、アベルが自身の手を足跡に重ねる。そして前を向いたまま言葉を続けた。

「死体の中に何体かおかしなものがあった。外傷がまったくなかったんだ。ああいった死体は呪術的な攻撃を受けた場合によく見られる。禍獣なのか異形化した魔女なのかはわからないが、留意しておいた方がいいな」

 禍獣とは呪いが死体に受肉した存在。個体によっては呪術師のようにその呪いの影響を他者へ与えることが出来るものも存在する。そしてそういった個体は、例外なく厄介極まることが通例だった。

 このアベルという男。どうやらある程度はまともな退魔師のようだ。少なくともそこら辺のえせ退魔師よりは経験が豊富なように思える。

 カウルは馬屋から渡された馬笛を吹き、ティアゴを近くに呼び寄せた。首を撫でながら鐙に足を掛け、その背へと乗る。

「この大きな足跡……生存者の足跡を追っているように見える。急ごう」

 既に太陽の位置は大きく西に寄っている。日が沈むまで、恐らくあと二時間といったところだろう。もう時間はあまり残されてはいない。

 カウルの言葉に対し、アベルは静かに頷いた。



 カウルはすぐに生存者を発見できると踏んでいたのだが、その予測は大きく外れてしまった。

 この大峡谷はヤルダールという大きな川によって削り出された地形。川の本流は既に地下へと沈んでしまったものの、地上の所々には分岐した小さな川がいくつも流れ、網目のように張り巡らされている。場所によっては川から溢れた水が道の上にまで侵食し、広い範囲を浸している場合もあった。そういった場所をいくつか経由している内に、追っていた足跡が完全に消えてしまったのだ。

「……くそ。見失った」

 焦りのせいで声が漏れる。これでは生存者の後を追うことはもう出来ない。カウルは周囲を見渡したが、人の気配はまったく感じられなかった。

 どうするべきか悩んでいると、アベルが口を開いた。

「普通の人間が長時間禍獣から逃げ続けるのは不可能だ。生きているのであれば、必ず近くのどこかで身を潜めている。手当たり次第に周囲を当たってみよう」

 会った時と変わらない冷静な表情。

 確かに現状ではそれ以外に道はない。カウルははやる気持ちを抑え彼に同意した。

 それからしばらくの間捜し回っていると、どこからか妙な音が響いた。断続的な高い金切り音。まるで鞭を連続で陶器に叩きつけているような、そんな音。

「白面の鳴き声だな。かなり近い」

 確信を持ったようにアベルが言った。

 禍獣は動物では無い。求愛行動も仲間内での意思疎通も必要ない。彼らが声を上げるのは、獲物を威嚇し、委縮させるためだけだ。

「行ってみよう。生存者が居るかもしれない」

 カウルは希望を抱くようにそう言った。

 渓谷の入り組んだ小道を抜けると、崖下にある広い空間の奥に群がっている白面の姿が見えた。岩壁の下にある小さな隙間に向かって三体の白面が首を突っ込み、中へ潜り込もうとしている。あの反応、間違いない。生きている人間がいる。

 様子を伺いながらどうするべきか考える。

 白面は初めて目にする禍獣だ。その特徴も弱点も何もわからない。正面から挑むのはあまりに無謀だが、かといって慎重に策をろうしていられるほど時間的余裕も無かった。

「あの禍獣の特徴は? 気を付けるべき点はあるか」

 遭遇時、アベルは白面を倒していた。彼のこれまでの判断力を信じ、尋ねる。アベルはすぐに答えた。

「基本的な攻撃手段は飛翔状態からの飛び掛かりだ。威力は大したことは無いが、毒があるから気を付けろ。二度ほど受ければ体がマヒし、まったく動かせなくなる。

 それと、奴らは攻撃のふりを多用する。奴らの攻撃に合わせて反撃や防御をしようとしても、急停止と旋回で間をずらされる場合が多い。翼の張力さえ奪うことが出来ればその動きはだいぶ大人しくなるはずだ。攻撃のふりで急停止した瞬間を狙って何とか翼を破壊しろ」

 簡潔かつ要点を得た説明だ。カウルはアベルに感謝し、ティアゴから降りた。

 ざっと周囲を見渡し手ごろな場所を探す。戦うのなら当然一体ずつ処理できる場所の方がいい。禍獣との戦闘で生死を左右する要因は、六割が相手の動きを知っているかどうかで四割が戦う場所だ。どれだけ剣の腕が立とうと、剣を振り回せない閉所ではその意味が無い。熟練の兵士があっさり禍獣に殺されるなんて事件は、大抵戦った立地の悪さに起因する。

 白面が群がっている岩壁の隙間から少し離れた位置に、さらに奥へと続いている穴が見えた。天井は低いが横幅が程よく広く剣を振り回す分には問題もなさそうだ。あそこなら白面は空中へ逃げることも群れで攻撃することも出来ない。

「アベル。あの通り穴を使おう」

「大丈夫か? 確かにあそこなら白面の機動性をいくらかは奪えるが、二人で戦うには狭すぎるぞ」

「俺が囮になってあいつらをあそこへ引き込む。あんたは白面が中に入った瞬間を見計らって背後から追撃をかけてくれ」

 白面は恐らく空中から奇襲をかけることに特化した禍獣だ。自らの背後を取られることなどそうそうないはず。背後からなら簡単に攻撃を当てることが出来るかもしれない。

 本当はアベルに囮をお願いしたいところだが、見ず知らずの、それも素性のわからない相手のために命をかけてくれるとは思えない。

 ティアゴはこちら側に居る。アベルがその気になれば自分を裏切り、生存者を救出してこの場を離れることは容易だろう。

それをさせないためには、アベルを強制的に戦いに巻き込むしかない。

 勿論彼が裏切るとは限らない。報酬を条件に出せば率先して協力してくれるかもしれない。だがどれもただの推測だ。それに頼ることがどれだけ愚かな真似か、カウルはこの四年間の経験で身をもってよく知っていた。

 ティアゴを道の奥へ隠し剣を引き抜く。こちらの様子を見て、アベルも合図を待つように自身の剣をそっと構えた。





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